26 十五夜
その人とは、隣の部屋だった。
何度か挨拶する内に、互いの顔が分かる位になった。
たまたま、仕事を終え、駐車場に車を停めたとき、彼が帰ってきた。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
彼はペコリと私に頭を下げてくれる。
その礼儀正しさが好ましいと思う。
二人してアパートの階段を登る。
行き先は隣なのに、まるで同じ部屋に行くかのような錯覚を覚え、私の胸はドキドキと早鳴る。
「あ」
彼がいきなり声をあげた。
ビックリして、私は彼を見上げる。
階段の上、ポッカリと満月。
綺麗な、綺麗な、月。
「....ですね」
「え?」
いきなり話しかけられて、私は戸惑う。聞き直すと、彼はぼんやりと月を眺めながら、
「月、綺麗ですね」
と言った。
そう言えば、今日は十五夜。
あぁ、だからあんなにも白く、
気高く、
綺麗に月が輝くのか。
彼は照れくさくなったのか、そのまま、部屋に行ってしまう。
私は顔を抑える。間違いなく、真っ赤に染まっているだろう。
月が綺麗ですね
彼はその意味を知っているのだろうか?
かの文豪が、“ I love you ” を訳した時に使った言葉。
きっと、知っているだろう。
いや、知っているから、私に言ってくれたに違いない。
☆☆☆
バタンと車の扉をあける。
先週の金曜日、あの忌々しい女には釘をさした。
自分が悪いことを分かっていたのだろう。抵抗もなく私に殴られていた。
車にいた私に気づくこともなく、タン、タン、タンと、階段をあがる彼の後ろを私はついていく。
7年前、彼は今日と同じ十五夜の日に、私に告白してくれた。私は恥ずかしくて自分から彼に思いを告げたことはないけれど、彼は私を愛している。
私も階段を登ると、彼は私に気づいて後ろを振り向く。
私はニッコリと笑う。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
邪魔者はいない。
私は勇気を振り絞って、彼に告げる。
「こんばんは、浅間さん。
月が綺麗ですね」
浅間さん、貴方を愛しています。