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臆病な恋  作者: 榎木ユウ
25/34

25 9月9日☆

(同期と飲み会、かぁ)


 定時後、まだパソコンに向かっている恋人を、私はチラリと確認する。

 本当なら定時で上がれる筈なのに、グダグダと仕事をしていたら、六時を少し過ぎてしまった。


 これ以上いても、仕事に身が入らないから、諦めてパソコンの電源を落とした。


 どちらにせよ、九時過ぎには蕎麦酒屋で会える。それまでの我慢だ、と自分に言い聞かせる。


(嫌だな...)


 海を前の彼氏と同じだとは思っていない。

 だけど、このまま不倫関係に進まれて、自分が隠れ蓑に扱われたら...と情けない妄想までしてしまう。


(どうしたら、強くなれるんだろう?)


 昔はもっと盲目と相手に信頼を寄せることが出来た。

 それなのに、今はそうできない。


 それがとても辛く、歯がゆい。


「はぁ...」


 会社の門まで向かいながら、溜め息を逃すと、ポン、と肩を叩かれた。


「はい?」

「あっ....」


「........」

 叩いた相手の気まずそうな顔に、私の方が気まずくなる。


「いい加減、私とちとせちゃんの区別ぐらいつけましょうよ」

 思わず愚痴りたくなるのも私のせいではないだろう。


「いや、その...すまん」

「ちとせちゃんなら定時で帰りましたよ?」

「そうなのか?」


(あなたの彼女でしょ!)


 意外に間抜けなのか、浅間さん?と思いながらも、きつく注意だけはしておく。


「あんまり間違えると愛想つかされちゃいますよ!」


「それはない」


(は?)


 間髪入れずに断言されて、思わずマジマジと浅間さんを見上げてしまう。

 浅間さんは自分の言葉の恥ずかしさに気づいたらしく、

「いや、自惚れとかではなく...」

と、しどろもどろに訂正してきたが、これのどこが自惚れではないのか、膝詰め説教して問い質したいくらいだ。


「でも、本当に間違えないでくださいね」

「う、あぁ。分かった」


 何となく離れそびれて、そのまま正門も二人で出てしまう。


(このままだと駅まで一緒?)

 大して親しくないのに、それは嫌だな、と思う。話題もないし、可愛い後輩の彼氏だが、ちとせちゃんと私を間違えるような人とは、あまりいたくない。


「あ、私、こっちから帰りますから」

 いつもは定時直後でないと通らない道を指さすと、浅間さんが心配そうに、

「暗くないか?」

と聞いてきた。


「まだ六時半前ですから」


 こんな時間に物騒なこともないだろう。


「そうか。じゃ、またな」

 浅間さんもそれ以上引き留めなかったので、私はニコリと笑って、脇道に反れた。


 中途半端な時間だったので、帰る人がいない。

 既に暗い道は六時半と思えない位、人気が少ない。

 何だか嫌だったので、携帯電話を開いて灯り替わりに道を歩く。

 こういう時、意外に携帯電話のライト機能って便利だな、と思う。


 車のライトが後ろから私を照らしてくる。

 私はそれを避けるように道の端に寄った。


 車は少し先の公園前で止まった。

 私の進行方向だ。


(ちょっと嫌だな)


 軽自動車だけど、何となく嫌な気持ちになって、少し距離を置いて道の端を歩く。

 軽自動車の横を通り過ぎた時、車のドアが開いた。

 暗闇で顔ははっきりとは見えないが、服装から女だと分かったので

、少しだけホッとする。


 が、すぐに違和感に気づいた。

 駆けてくるのだ。

 女が。

 自分の方に。


(何?)

 振り向こうとした。


 だが、振り向けなかった。

 いきなりバシンと頭に衝撃。


 痛い。


(何、何?)


 ビックリして、携帯電話を足元に落としてしまう。


 殴られたんだ、と判断した。

 しかも手ではない。

 これは鞄だ。

 

 だけど、顔を確認しようとした時、もう一度、今度は顔を鞄で殴られて、私は頭を庇うようにしゃがみ込む。


(何? 何? 何で?)


「返せ! 返せ!」

 涙声で女が叫んだ。


 次の瞬間、女は私にとって思いもかけないことを言った。


「あの人は私の恋人なの!

 ずっとずっと!

 もう7年前からずっと!!

 いきなり来て、私の彼を奪わないで!!」


(彼?)


 スゥっと手の力が抜けた。


(彼って?)


 大島さんの顔が浮かぶ。


 女は暫く私をバシバシと叩く。


「私に愛してるって言ったのに!! 何であんたが彼女面してるの?!」


 悲鳴のような叫び声。

 悲鳴をあげたいのは私の方だし、これって暴漢だろう。


 そう思えども、体の芯から冷えていく。


(どういうこと?)


 訳が分からない。

 一方的な暴力に、言葉もなく身を縮めていると、女は 

「もう二度と近寄らないで!!」

と叫んで、車に走っていった。


 ゆるゆると見上げた顔に、髪の長い女の後ろ姿が見えた。

 顔は分からなかった。

 だけど、私と同じくらいか年上と思われる女。


 バタンと車のドアを閉じる。

 そして車は乱暴にバックすると、大通りの方へ走っていった。


 それらを目にしながら、私は、突然起きたことを処理出来ずにいた。

 ナンバープレート位、見ていれば良かったのに、何も頭に入ってこない。何も出来ない。


(恋人? 誰の?)


 あの女は誰?

 

 誰かは分からなかった。


 だけど、あの女は自分を知っているのだろう。

 だって、わざわざ通り過ぎるのを確認してから降りてきた。

 私だと知って、殴ったのだ。


『返せ!』


 その叫びに、思わず口を押さえる。

 そうしないと、叫んでしまいたくなったからだ。


「またなのか」と。


 どうして、男は私を騙すのだろう。

 どうして、男は一人の女を愛してくれないのだろう。


 どうして。

 どうして。


 何で、私は誰かを好きになる度に、こんなしんどい思いをしなくてはならないの?


 

 私はノロノロと立ち上がると、膝の土埃を払い、携帯電話を手にとった。

 大島さんの携帯番号を検索して表示すると、無言のまま、そのデータを消す。


 確認しなくていいのか。

 何かの間違いではないのか。


 そんな言葉が私の中を駆け巡った瞬間、私は小さく笑う。

 笑うしかない。


「今日、好きだった女と飲みに行くような男だよ?」


 他に女がいてもおかしくないだろう。

 しかも、同期としか書かずに、私がどんな気持ちになるか、きっと考えていない相手だ。


「もう、いや。イラナイ」


 ピー、と削除した音を確認し、携帯をしまう。

 あんなに叩かれたのに、頭はもう痛くなかった。

 寧ろ、冴えさえとした気分で、私は空を見上げる。


 白い月がポッカリと浮かんでいた。



 あぁ、なんて、綺麗。



 私は今日の月を、きっと忘れない。

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