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臆病な恋  作者: 榎木ユウ
24/34

24 9月9日★

『大事な話があるから、飲みに付き合って欲しい』


 千夏から、社内メールでその文が入ってきたとき、海は思わず顔をしかめた。

(何を今更)

 この前、彼女として桃を紹介したばかりなのに、どうしてそんなことができるのだろうか。


『彼女に悪いから無理』

 それだけ打って返信すると、直ぐに返事が帰ってくる。

『同期のよしみでお願い。これが最後だから。彼女さんにもそうお願いして』

 いつもの彼女にしては珍しく下手に出た文面に、海は思わず眉間に皺を寄せた。

(同期、か)

 確かにそれは覆せない事実だ。

 それに千夏は男女の関係を意識せずに海とは飲みに行っていた。 

 これからもそんな感じで彼女としては飲みたかったのかもしれない。


 海は少しだけ考えた後、

『了解。9時までなら』

と返信した。

 それに対しての返事は『ありがとう』という言葉と、駅前の居酒屋という場所指定だけだった。


 取り敢えず、桃に心配をかけたくないので、メールだけしておく。


『同期と、今日少し飲んでくる。九時前には終わるから出来れば蕎麦酒屋で待ってて欲しい』


(何だか変な文章だな)


 そう思ったが、千夏のことを何と説明すればよいのか分からず、そのまま送信した。

 遅くなっても同じ日に顔を合わせれば、桃も疑うことはないだろうと思ったからだ。


(まあ、そこまで気にしなくてもいいんだろうが)

 昔好きだった女に会うという行為が、単純に自分の中では後ろめたいだけだ。


 桃からの返事は少ししてから来た。


『了解しました。大島さんの奢りで沢山飲んでますね(*^-^*)』


 可愛らしい絵文字に、一瞬頬が緩む。

 これなら大丈夫だろう、と桃の方を確認もせずに、海は仕事に専念した。



☆☆☆



 居酒屋に着いたのは7時過ぎだった。

 それでもいつもの海ならばかなり早い時間に仕事を切り上げている。

 今週は仕事が薄かったのも幸いした。

「待たせた、すまん」

 そう詫びると、既にぬるくなっていそうな生中を手に、千夏が苦笑する。

「結構、待った」


(相変わらず手厳しいな)


 昔はそういうサバサバした所に惹かれていた。千夏のハッキリした言葉は、時に人を傷つけ兼ねないが、海にはその正直さが好ましかった。


「何から飲む?」

「あ、生中で」


 生中が運ばれてくると、千夏が言う。

「海に彼女が出来た記念と、私たちの最後の飲み会に乾杯」


 カチンとジョッキをあわされたが、海は千夏の言葉に意識がいく。

 自虐的な物言いに、敢えて返す言葉はない。

 

 先に口を開いたのは、千夏だった。


「結構、本気なんでしょ?」

「何が?」

「後輩の彼女のこと。

 そうじゃなきゃ、私との縁、切ってまで付き合わないよね」


 ビールよりも苦い言葉に思わず顔をしかめた。

 確かにただの同期という関係なら、二人で飲みに行くことに抵抗を感じない輩もいるにはいる。

 だが、海にはそれができない。

 ただの同期と思うには、あまりにも近くにいきすぎた。


(それで酒田に勘ぐられたら堪らない)


 過去の女に縛られているなんて、桃に思って貰いたくない。

 それならば、潔く千夏との関係を切ってしまいたかった。


「薄情者。同期の仲なのに」

「すまない」

 同期の仲といわれると耳が痛い。

 悪いのはそんな同期の女に惚れた自分だろう。

 黙りこくった海を見ながら、千夏はニッコリと笑う。


「まあ、いいわ。

 その代わり、二人の馴れ初め教えてよ。

 どうせ海のことだから、あの後輩の子に告られたんでしょ?」

「え?」

「図星。海、嘘つけないものね」


 クスクス笑いながら、千夏は言葉を続ける。


「臆病者」


 サラリと呟かれるような言葉の意味はあまりにもキツい。


(俺の何が臆病だよ?)

 そう思う端から、思い当たることが多すぎて、千夏に何も言い返せない。

 その表情を見て、漸く海は千夏が怒っているということに気づいた。


「千夏、何か怒ってるのか?」

「怒ってる。

 だけど、私、零れた乳を嘆くような子供じゃないから」

「は?」


「最初から最後まで友達面出来ないんだったら、自分に彼女ができる前に私から離れてきなさいよ、馬鹿」


「........」


 彼女が結婚したとき、もう千夏と飲むのは止めようと思った。

 事実、自分から誘うことは止めた。

 だけど、彼女から誘われれば、《同期》という言葉に格好付けて飲んだことも確かだ。


(でもそれは、お前が誘ったからで....)


「海が何も言わないから、私は海が同期としての私がいいんだと思ってた。だから、他に好きな人作って、結婚しても、同期として海は変わらず接してくれると思ってた。

 だけど、自分に女が出来たら、私は用なし? 同期っていう括りは、単純にあんたの感傷だったわけだ?」


 紡がれる言葉は酷く刺々しかった。

 そしてその内容を解釈していくと、まるで...。


「深く考えなくていい。

 今は旦那だけだから」


 海の考えが纏まる前にバッサリ切り捨てられた。


「だって、俺ら、男女だろ?」

 なら、相手にパートナーが出来れば、それを優先するのは当たり前のはずだ。


「同期ってカテゴライズしたのは、海、あなたよ」

 男女の垣根をなくして、同期だから、そういう理由付けでお互いつき合ってきた。

 その方が楽だから。

 その方が関係が壊れなくていいから。


 では、そのカテゴライズをしなかったなら、二人の関係はどうなっていたのか?


(あぁ、だから覆水盆に返らずか)

 

 "It's no use crying over spilt milk."


 高校の時、英語で習った。国が違えど、同じ様な格言はあるのだなと思ったから、印象に残っていた。


 千夏が言いたかったことが、何となく分かって、海は深く頭を下げた。


「すまん」


「分かればいいよ。

 私もずるかったのは分かってるし」


 顔をあげると、千夏が寂しそうに笑っていた。


(利用されていると思ったけど、俺も利用していたのか)


 無意識に無自覚に、きっと海は千夏を利己的に扱っていたのだろう。

 [好き]という感情を、放棄したつもりはなかった。


 だけど、千夏はそう見なかった。

 だから、海を選ばなかった。


「うちの旦那と、海の彼女も一緒なら飲める?」

 苦笑いしながら、それでも不安そうにそう問われた。


 物事の見方ってのは、こんな一瞬で変わるのか、と思えるくらい、千夏が弱々しく見えた。

 こいつも女だったのか。

 好きだったのに、今更そんなことに気づいた自分が情けない。


 そして、千夏を避けようとしたことが、どれだけ千夏を傷つけていたのかを知る。


「お前の旦那、嫌がらないのか?」

「嫌がる人なら結婚してない。

 それにそこまで不安にさせる隙間なんて与えない位、愛してるし」

 千夏の、夫に対するノロケを初めて聞いた。

 いや、言っていたけれど、聞いていなかったのかもしれない。


 何だか色んなことが気恥ずかしくなり、ガシガシと海は後頭部を掻いた。


「彼女にもきちんと言ってよね。同期なんだって」

「分かった」

「今度、皆で飲もうね」

「...考えとく」

「ありがとう」

 千夏の表情が柔らかくなった。

 その表情を見て、彼女もまた今日、海との関係が壊れることを見越して来ていたのだと理解した。


 海が千夏との関係を【同期】とした。

 千夏はその関係を承諾し、そうあろうとした。

 

 もし、海がその居心地のよい関係を飛び越える勇気を持っていたら、二人の関係はどこか変わっていたのかもしれない。

 だけど、『もし』なんてことは、現実に存在しない。


(何か情けないな、俺...)


 自分の臆病さが、ほとほと嫌になる。

「彼女とお幸せに」

 この前、家電量販店で会った時には見せなかった柔らかい笑顔でそう言われた。

 いや、あの時もこんな顔だったのかもしれない。


「じゃあ、今日は二人で飲む最後の飲みに、もう一度、乾杯しようか?」

 千夏がぬるくなりきったビールジョッキを掲げたので、海は苦笑いしながら、カツンとそれに自分のジョッキを合わせた。



☆☆☆



(何て伝えればいいんだ?)


 八時半には千夏と別れて、海は電車に乗った。すぐに着いた最寄り駅から、のんびり蕎麦酒屋まで歩く。ぼんやりと桃のことを考えながら。


 自分に意気地がなくて、好きだった女にとうの昔に見限られていて、それに気付かず尾を引いていたなんて、どう説明しても情けなさすぎた。


(いっそのこと、同期だからで押し通すか?)


 そうして、千夏と千夏の旦那が仲良くしているところでも見れば、桃も安心するのではないだろうか。


 そこまで考えた瞬間、

「臆病者」と、千夏に言われた言葉が、耳に返ってきた。


 薄情者とも言われたが、臆病者と言った時の千夏の声は、とても低く、怒りが込められていた。


 自分からは動かない。

 相手が動くのを待つ。

 動いて貰ってから動く。


 それは用心深いといえば聞こえがいいが、千夏に言わせれば臆病者でしかない。


(今度はタイミングを見誤らないようにしよう)


 歩きながら心に誓う。


 臆病だった恋は教訓に。


 手に入れた恋には勇敢に。



「手っ取り早く、好きだって言えばいいのか?」

 ぼそりと呟いた。

 今更過ぎる。


 恥ずかしすぎる。


(取り敢えず、会ってから考えればいいか)


 そう思いながら空を見上げると、ぽっかりと白い月が浮かんでいた。

 満月になりそうな大きさに、もう直ぐ十五夜か、と思った。


「月見で一杯か?」

 そんなことを言えば、桃はとても喜びそうだ。

 そう思いながら、蕎麦酒屋に辿り着く。


 ガラガラと引き戸をあける。


「大島さん!」

 そう呼んで満面の笑みを浮かべてくれる恋人は目につかない。


 トクン


 違和感に一度だけ心臓が跳ねた。


「いらっしゃい。今日は一人?」

 店主の陽気な声に、桃が来店していないことを、瞬時に理解する。


(俺、何か彼女を怒らせたか?)



 その日、どんなに連絡しても桃の携帯に連絡は着かなかった。


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