23 9月6日☆
「で、ヤったの?」
そうサチに聞かれて、私は思わず周囲を確認してしまう。
だって真っ昼間。
午後2時。
資料のファイルを二人で運んでいる真っ最中。
誰が聞いているか分からない廊下だってのに!
「誰も聞いちゃいないわよ」
「いや、そういう問題じゃないでしょ」
「そこまで動揺するってことは、まだか」
当たっているだけに何とも言えない。
「きちんと避妊しなさいよぉ」
「ちょ! サチぃ!」
また周囲を見回してしまう。
幸い誰もいないが、会社でしていい話でもないだろう。
「冗談よ、冗談」
ケラケラとサチは笑うが、冗談なんて一つもなかった。
「でも、今が一番楽しいんじゃない?」
「楽しい...と思うよ?」
大島さんと出かけるのは楽しい。
この前の日曜日だって、デートした。
進展は、手を繋ぐだけ。
キス、とかはまだしてない。
なんとなくタイミングがないというか、私が故意に避けているというか...。
「何よ? 何か不安なの?」
サチが鋭く聞いてきた。先程までの揶揄の入った口調はもうなくて、少しだけ心配の混じった表情。
そういうところがサチらしい。
私は曖昧に微笑んで、
「私の問題」
と返す。
(前の恋愛引きずって、勝手に心配してるなんて言えない)
大島さんが、あの千夏という女の人と同期だということは分かっている。
それでも、不安になる。
私は二番さんじゃないかって。
「私から告白してるし...」
「大島さんもあんたのこと、好きじゃない」
「そ、そうかなぁ?」
「はあ? あんなにあからさまに惚れられてるのに!?」
呆れたサチの声があまりに大きくて、私は「声、大きい!」と慌てて忠告した。
「あっきれたー! つきあう前もウジウジしてたけど、付き合ってからもウジウジなの?!」
「だ、だって、その...」
好き、だってハッキリと言われていない。
あの時は、確か、今日から彼女とは言われたが、自分を好きかという問いかけには答えて貰えなかった。
「男の好きとか愛してるなんて、ヤってるときに浮かれて言うくらいしかないわよ」
言ってもいないのに、悩んでいる私の心の内を見透かしたみたいにそう言われて、ギョっとしてサチを見上げる。
サチは「やっぱりそんなとこ?」と納得した顔になってから、
「今時、好きです、付き合いましょーなんて高校生でもしないって」
と追い討ちをかけてきた。
(分かってる)
それ位、分かってる。
だけど、聞いてないから不安で、ましてや自分とは全く異なるタイプの女性に以前は恋していた人だ。
(私のこと、告白しているから付き合っているかもしれない)
そう思うと、じくじくと胸が傷む。
サチはそんな私を見ながら、少し肩を竦める。
「ほんと、あんたとちとせ、足して2で割ればいいのに」
「? 何で??」
首を傾げた瞬間、ぽん、と肩を叩かれた。
サチではない。
大きな手だからだ。
「はい?」
振り向いた瞬間、その人がかけた声。
「西脇、ちょっと...」
振り向いて仰ぎ見る私。
私の顔を確認して固まる浅間さん。
浅間さん=ちとせちゃんの彼氏。
「.......」
「あ、酒田か。すまない、間違えた」
「い、いえ...」
浅間さんは慌てて廊下を逆方向に駆けていった。
後ろ姿で私とちとせちゃんを間違えたのだと直ぐには分かる。
ちとせちゃんも私も肩口ぐらいの髪だし、今は事務服だ。背も同じだから、前から見なければ、間違える人がたまにいる。
それ位、背格好が似ているのだ。
但し、胸はちとせちゃんの方がたわわだが。
「サチ...」
「自分の彼女、間違える様な男でも、ちとせはあんなに真っ直ぐ好きなんだから、桃は恵まれてるのよぉ?」
そう言われては何も言えない。
「皆が皆、付き合い始めから互いを一番好きだとは限らないってこと。
両想いで付き合い始めた自分たちの幸運に感謝しなさい」
ぽん、と肩を叩かれ、私はコクり、と小さく頷いた。
☆☆☆
「一緒に帰れそうだから、帰り、会社出たところで待ってて」
残業を一時間ほど終えてから帰ろうとしたら、大島さんに呼び止められて、そう言われた。
断る理由は勿論なくて、ソワソワしながら会社の外、門をでたところでウロウロしていたら、小走りで大島さんがやってきた。
「すまん、待たせた」
「だ、大丈夫です。それよりいいんですか? 会社前から一緒なんて」
「もう7時ちかいと暗いし。
それに別に隠す必要もないしな」
そう言われて微笑まれたら、何も言えない。
大島さんの笑顔が眩しすぎる。
会社から駅までは徒歩で15分。
いつもは道路沿いの安全ルートを選択するのだが、大島さんは迷わず近道である住宅街ルートを選んだ。
その方が5分早く着くのだ。
夜遅くなると暗いので、私は定時で帰宅する日以外は選ばない道だ。
「酒田、お前って毎週会っても平気な方か?」
歩きながらそう聞かれ、私は横を見る。サチを見上げるのと変わらない角度で見上げれば、大島さんのこちらを窺う目とかち合う。
「へ? いや、誰とですか?」
「ここでそう聞くか?
俺と、だよ。俺と!」
「あ、毎週デートはどうかってことですか?」
「いちいち確認するな、馬鹿」
コツンとおでこを叩かれた。大島さんは気恥ずかしそうに前を見て、私から視線を反らす。
私は触れられたらおでこを撫でつつ、
「毎日でも、嬉しいですよ?」
と返した。
それは嘘偽りない。
いくら時間があっても足らない。
仕事仲間の大島さんはいつも見ているけれど、こうして二人の時の大島さんは、あの蕎麦酒屋の大島さんしか知らない。
それ以外の場所で会う大島さんは、どの大島さんも初めて見る大島さんで、とても新鮮だ。
意外に背中に手を回したり、手に触れたり、とボディタッチが好きなことも、付き合い始めて知った。
笑いあう肩が触れ合う程近い距離も、心地よい。
会社で一緒に仕事していた時は、知らなかった心地よさがある。
(それをもっと知りたいと思うのは、がっつき過ぎかなぁ?)
知れば知るほど、ますます恋しくなるのは、私だけなんだろうか。
付き合い始めて、両想いのはずなのに、片思いに拍車がかかった気がしてならない。
「お前、直球すぎ...」
大島さんは口元に手を当ててから、チラリと横目で私を見た。
それからハア、と溜め息をつくと、後ろを振り返る。
(誰かいる?)
私も振り返ろうとした瞬間、グイッと肩を引き寄せられた。
暗い道が更に暗くなる。
否、私の視界だけが暗くなったのだ。
乾いた唇が、カサリと私の唇に触れて、直ぐに離れる。
「.......」
(え? え? え?)
慌てて後ろを振り返る。
誰もいない。
周囲を見渡しても人はいない、
窓の空いている家もない。
(だけど、ここ、公道!!)
「大島さん!?」
「ごめん」
直ぐに謝られた。
ずるい。それじゃ、何も言い返せない。
「今度からそういうの、駄目ですよ?」
「一応、気をつける」
「一応はつけない!」
「適度に」
「大島さん!」
言葉遊びじゃないんだから、と口を尖らせると、また、肩を引き寄せることもなく、顔が近付いてきて、今度は、チュッとリップ音つきで離れた。
「誰かに見られたら!!」
「暗いし大丈夫だろ」
「そういう問題じゃ...!」
更に問い詰めようとすると、ぎゅっと今度は手を握られた。
そのまま、手を繋いで歩いていく。
「酒田は触ると黙るのな?」
(ずるい!)
色々、遊ばれているって分かっているけど、何も言い返せない自分が悔しい。
顔を赤くしながら俯いて、手を握られて歩く。
「たまに早く帰れる時は一緒に帰ろう」
「...いきなりキスしないなら、いいですよ」
「酒田が直球投げてこなけりゃ、しない」
「何だか私のせいみたい」
「お前のせいだし」
(何、それぇ?)
文句を言いたいのに、嬉しそうな大島さんの声に何も言えない。
『両想いで付き合い始めた自分たちの幸運に感謝しなさい』
サチの声が頭にふと、浮かんだ。
(そうだね。そう思う)
繋ぐ手が熱いのは、お互いに緊張してるからだろう。
初めて触れたキスは、子供じみたキスだったけれど、そこから伝わる熱は感じられた。
少なくとも、大島さんも私のことを好きでいてくれる。
それがどれくらいの想いかは計れないけれど。
(どうか、どうかーーー....)
大島さんがもっと私を好きになってくれますように。
いつか、千夏さんよりも私を好きになってくれたら。
そうしたら、私ーーー
もう裏切られないって、
信じられるのになぁ?