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臆病な恋  作者: 榎木ユウ
21/34

21 8月31日☆

 どうしよう。

 どうしよう。



☆☆☆



「いらっしゃい」

「お久しぶりです」


 久しぶりに、馴染みの蕎麦酒屋に顔を出す。

 大島さんの後ろから、ピョコリと顔を出すと、

「今日はお二人で」

とおとーさんが嬉しそうに笑ってくれた。


 いつも通り、おとーさんの前であるカウンターに陣取る。目の前には相変わらず所狭しと、大皿料理がカウンター上を彩っていた。


「あ、おとーさん、南瓜! これちょーだい!」

 お酒の前に私が指さしたのは、南瓜のディップ。

 洋風とは程遠い場所なのに、このディップは南瓜の季節の定番だ。生クリームが入っているとか、何度か作り方を聞いたのだが、やはりここに来て食べるのが一番美味しいので、家では一度しか作っていない。


 おとーさんがニコニコしながら、皿にディップとクラッカーを盛り合わせてくれる。


 今日は大島さんはビールで、私は梅酒のロックから始める。

 必ずビールがお約束って訳じゃなく、その時、飲みたいと思えるお酒を最初に選べる。

 実はそれってなかなか重要で、最初から日本酒なんか選んでも、大島さんは気にしない。

 大島さん自身も、飲みたいお酒を気兼ねなく頼む。


 そういうのが出来るようになっていたから、この飲み相手は、本当に手放し難くなっていた。

 それが告白とか、次の段階に進むことを躊躇わせる原因の一つになってはいたのだけど、付き合い始めた今では手放さなくていいことが、とても嬉しい。


(こうして一緒に飲めることが、凄く嬉しいんですよ?)


 梅酒に口をつけながら、大島さんを見ると、大島さんがふっと小さく笑う。


「ご機嫌だな」

「ご機嫌ですよ?」


 だって、貴方とお酒を一緒に飲んでいる。


 それが、どれだけ居心地いいことか。

 それが、どれだけ私にとって掛け替えないことか。


 きっと大島さんにも、他の人にも、分かって貰えないだろうけど。


 そう思っていたら、思わぬところから、ドカン、と来た。


「はい、これ、食べてみて」

 そろそろ食事も終えて、後は一杯位飲んで、お暇しようかと思った時、おとーさんが私の前に出してきたのは、赤い色した綺麗なゼリー。

 頼んでなくてもたまにおとーさんは、その日のオススメを出してくれる。

 だけど、そんなデザートのような甘い物が出たのは初めてで、私はポカンとしておとーさんを見上げる。


「トマトで作ったゼリー。

今日の貴女たちにピッタリでしょ?」


 おとーさんはお客さんを「貴方」って優しく呼ぶ。見た目、つるつる頭の可愛らしいお爺ちゃんなのに、その言葉はいつも優しくて綺麗だ。


 今もニコニコしながら、私と大島さんを見てる。


 先に顔に表情が表れたのは、大島さんだ。


「あ、分かりますか?」

 照れ臭そうに大島さんが言う。

「幸せそうだからねぇ」

 おとーさんが笑いながら返す。


「え? え? え?」

 戸惑う私におとーさんは、もう一度、優しい声で言う。


「お祝い。仲良くね」

「!」


 それだけ言うと、おとーさんは他のお客さんのところに行ってしまった。


「ええー!」

 取り残された私は、大島さんの顔を見てしまう。

 大島さんも苦笑いしながら、

「そんなに俺、デレデレだったか?」

なんて聞いてくるから、私も慌てて自分の顔を抑えた。


(そんなに分かりやすい?!)


 いつもと同じ様に二人で来たはずなのに。


「まあ、その内、嫌でも気づくだろうから、こうして祝って貰えて良かったんじゃないか?」

 そう言いながら、大島さんはゼリーをすくって口に入れた。


「お、美味い」

「あ、じゃあ、私も!」


 美味しいと言われたら、色気より食い気です。

 一口、スプーンに掬って口に入れると、爽やかな甘味が口の中に広がって、思わずジタバタしたくなった。


「トマトなのに、あまーーい!!」


(何これ! 何、これ!?)


「おとーさん、凄い美味しいです!」

 別のお客さんと話しているにも関わらず、そう話しかけると、おとーさんは嬉しそうに笑ってくれた。


 私はニマニマしながら、トマトのゼリーを完食する。


「ううう、幸せ過ぎる!」


 はぐはぐとトマトのゼリーを食べていたら、大島さんがニヤニヤしながら私に聞く。


「それはどういう意味で幸せなんだ?」

「へ?」


(どういう意味?)


 反芻して、それから漸く気付いた。


「っ...」


 そんなこと言えますか!って。


 赤くなって何も言えない私を見ながら、大島さんは小さく笑って肩をすくめた。


「トマトゼリーが美味しいから幸せなんだよな?」

 駄目押しでそう言ってくる。


 確かにそれもある。

 だけど、それだけじゃないことも確かで。


 私は「うー」と口を尖らせて、それから観念して呟いた。


「それだけじゃないですよーだ」


 大島さんは今度は声を出して笑って、「上等」とご褒美みたいに私の頭を撫でてくれた。



☆☆☆


 どうしよう。


 どうしよう。


 こんな風に、嬉しくなる恋は初めてで、返ってくる優しさも初めてで。


(これ以上、好きになっても大丈夫?)


 頭を撫でられながら、幸せを噛みしめながら、一瞬、過ぎったのは、大島さんの同期の女の人。

 結婚してるという人。


 多分、大島さんが好きだった人。

 何となくだけど、そうなんだろうな、と思った。


(大島さん、これ以上、好きになっても平気?)


 大島さん、大島さんの中で、私は一番、好きな人?




 あの人が結婚してるから、私ってわけじゃ、


 ないよね?


 

 そんなこと、怖くて聞けない。


 私に向けられている感情が、もし偽物だったら、どうしよう。

 もし、そうだったら、と考えることさえ怖くて。


 

 好きな人と付き合って、初めて気付いた。

 私の心は、私が思っている以上に、傷ついて、臆病になっているってことに。

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