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臆病な恋  作者: 榎木ユウ
20/34

20 8月27日★

「私、結婚するの」

 そう言われた時、海は一瞬、どんな顔をしていいのか分からなかった。

「おめでとう...」

 それでも声が掠れないように精一杯気をつけて呟いた。

 言われた千夏は、酒を飲んでいるのにちっとも落ちない鮮やかな色を付けた唇で、

「ありがとう」

と言いながら、微笑んだ。

 華やかに。嬉しそうに。

 そして言った。

「誰に祝福されるより、海に祝福されることが一番嬉しい」


 あぁ、自分の好きになった女は、残酷だ。


 それでも彼女を好きな自分が、とても惨めに思えた。



☆☆☆



「おーしまさん、あ、そびま、しょー!」

 インターホンを押した後、まるで子供みたいな声が聞こえて、海は苦笑する。


「お前はどこの小学生だ」

 そう言いながら玄関をあけると、桃がニコニコしながら立っていた。

 今日はハンチング帽に、膝丈パンツの出で立ちだ。

 前回も思ったが、こういう少し少年ぽい服装が好きなのだろう。20代半ばにもなって、随分若々しい格好だが、背の小さい桃には似合っていた。


「今日は私の運転ですね」

 そう言いながら、チャリチャリと車のキーをつけたキーホルダーを桃が鳴らす。


 今回も海が車を出すつもりだったのだが、買いたい物があるらしく桃が運転したいと提案してきた。

 拒否する理由もなかったので、迎えに来て貰った。

 彼女に迎えに来てもらうという経験がなかったので、何となく落ち着かない気分で玄関に鍵を閉めて部屋をでた。

 アパートの駐車場脇に桃の愛車が見える。相変わらずの鮮やかなグリーンに、これに乗るのか、と内心僅かに躊躇ったが、怪しまれない内に助手席に乗り込む。


「ちょっと狭いんですけど」

「いや、軽自動車にしては大きいんじゃないか?」

 天井も高いし、思ったよりは乗り心地は悪くない。


「あ、椅子、下げて貰って大丈夫です」

「あぁ。

 ? すまん、どれがレバーだ?」

 自分の車と勝手が違う上に、助手席ということも相まって、ドアと席の間を左手で探すが、レバーが見当たらない。


「あ、ちょっと待ってくださいね」


 ヨイショ、と一声かけて、桃が海の太腿の上に上半身を乗せてくる。


「!!」


 思わず固まってしまった海などお構いなしで、上半身を押し付けながら、レバーを探している。

 少しして、ガコンと音をあげて座席が後退する。


「この辺で大丈夫ですか?」


 膝の上で顔を上げられて、海は口を一文字に結んで、黙っているしかない。


「あ」

 海の顔を確認して今更気づいたのだろう。

 カァッ、と一気に桃の顔が赤面して、そのまま勢いよく桃が自分の座席に戻る。

「今更か」


 出来れば上に乗る前に気づいて欲しかったが、もう遅い。

 桃は顔を赤くしながら、

「す、す、すいません。 

 いつも女友達しか乗せてないから」

と理由を述べた。

 その理由は悪くない理由だが、それなら彼氏がいた時は、自分の車に乗せなかったのだろうかと、余計な疑問が浮かんできた。


(いつもは男の車だったのか?)


 それはそれで面白くない。


「俺の車でもいいんだぞ?」

と再度提案したが、桃は首を横に振った。


「大きいから、帰りに下ろしたりするの大変ですから」


 そう言えば、桃が何を買いたいのか聞くのを忘れていた。


「何を買うんだ?」

 と言うかどこに行くんだ?


 問いかけると、まだ顔を赤くしていた桃が、恥ずかしそうに言う。


「その....テレビを.....」

「テレビ?」


 随分大きな買い物だな、と思った時、桃が続けて言う。


「私の部屋、アナログテレビのままなんです」


「.........」



 もう、1ヶ月程、地デジ化して経つんだが?



☆☆☆



「すいません」

 恐縮した様子ながらも、桃は嬉しそうに家電量販店に車を停めた。


「私、家電あまり詳しくないから、大島さんに一緒に選んで貰おうと思って」

 頼られるのは嫌な気がしないので、海は「気にするな」と返す。


「別にどこに行くとか決めてなかったしな」


(昼間から一緒にいられるだけで十分)


 砂を吐きそうな甘い考えは脳内に納めて、桃の部屋のテレビを選びに行く。


「予算は?」

「そんなに大きくなくて、5万前後で欲しいんです」

「海外メーカーでもいいのか?」

「いいです。どうせ大して見ないので」


 だったら必要ない気もするのだが、その海の考えを読んだのか、桃が言う。


「意外に朝が不便だったんです」

「あぁ、なるほど」


 朝のニュース番組は情報収集だけでなく、あの左端の時間が、なかなかどうして結構重要だ。

 海も眠い朝などは、時計よりもテレビの声を気にすることが多いので、桃の言い分にすっかり納得した。


 店員を呼んで、安価なもので映りのいいものを見繕って貰うと、思った以上に早くテレビは決まる。


「大島さん、ありがとうございます」

「いや、殆ど決まってたし」

「だけど、私一人だと、店員さんがうるさくて...」


 確かに今も、カードを作らないかとか、余計な勧誘が間に入った。

 どうやら桃はそう言うものが苦手らしい。


「断ることは出きるんですけど、話が長いから疲れちゃって」

「聞く前断ればいいだろうが」

「気がついたら、話が始まってるんです」


 確かに桃は見た目、押しに弱そうに見えるので、店員も強引になるのかもしれない。


「まあ、そういう時は今度から付き合ってやるから」

「本当ですか?」

 嬉しそうな顔に、こちらまで頬が緩む。

 先の、いつになるか分からない約束も、確定事項として締結できる間柄なのが、どこかこそばゆく、そして嬉しかった。


(俺、今、馬鹿面だろうな)


 そうは分かっていても、出来たばかりの彼女を前に、仏頂面でいられるわけでもなく。

 さぁ、会計しにレジに行こうか、と桃の背中を押した時、思いもかけない声がした。


「海?」


 前から聞こえてきた声に視線を移すと、千夏が立っていた。


「あら、この前の子」

 千夏は桃を確認すると、もう一度、不思議そうな顔で海を見る。


(何でそんな顔するんだ?)


 普通なら、からかうような表情を見せてもいいのに、千夏の顔に表れたのは、困惑だ。

 困惑された海の方が、逆に戸惑う。


「同じ部署の後輩じゃなかったの?」

「後輩だけど、彼女だから」

 桃の背中に手を回したまま、そう告げる。

 以前、千夏が海に結婚を告げたあの時の逆パターンみたいだ、と自分でも思った。


 言われた千夏が、一瞬、何を言われたか分からない顔をして、それから口角だけをクイ、とあげて、

「そう、おめでとう」

と言ったからだ。


 意趣返しをするつもりは更々なかったが、思わず口から出たのはあの時言われた言葉。


「ありがとう。千夏にそう言われるのも悪くないな」


(あぁ、これで切れられる)


 プツリ。


 音を立てて、漸く最後のしがらみのようなものが切れた気がした。

 

 好きだった女。

 他の男と結婚した女。


 それらが海に与えた影響は、大きい。それこそ、桃を意識するまでずっと、他に好きな女を見つけられなかった程に。


「じゃあ、俺たち、会計があるから」

「そう。じゃあ、またね」


 それは社交辞令か。

 それとも本当に「またね」なのか。


 海は問い返すことはせずに、千夏の横を通り過ぎた。


「大島さん...」

 不安そうに桃が海を呼んだ。


「何だ?」

「いいんですか?」


「何が?」

「私が彼女だなんて言って」

 まるで自分が二号さんみたいな言い方だった。

 千夏とは何もないのに、どうして桃が引け目を感じる必要があるのか。


 海は苦笑しながら、桃の頭にポンポンと手を置く。


「ただの同期に何遠慮してんだよ」


「.........」


 桃はじっと海を見ていたが、やがてふんわりと小さく笑う。


 それはひっそりと咲く道端の花のような笑みで。

 海はただ、桃が笑ったというその事実だけをもってして、安心してしまった。


 その笑みの意味も分からずに。



★★★



 あの人に、女が笑いかけていた。


 アノ女ハ、何?


 私は頭をかきむしる。


 彼が優しい言葉をかけるのは、私だけじゃないの?


 彼の言葉に、どれ程、私が救われたことか。


 彼がいるだけで、どれだけ、私の毎日が鮮やかになったことか。



 あぁ、なのに。



 今、彼の側には《女》がいる。

 卑しい、浅ましい、穢らわしい、女。


「やめて、返して!!!」


 彼はずっと私の、私だけのものだったのに---!


 私は頭をかきむしる。

 もう気が狂いそう。


 私の、私たちだけの空間に、余計な物がいる。


 それだけで、おかしくなる。

 オカシクナル。


 オカシクナル---!

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