15 8月12日☆(3)
飲み会の日は遅くなるとは言ってあるので、大体終電が過ぎる時間位までは我が家は何も言われない。
流石に朝帰りは怒られるが、事前に泊まりだと言っておけば大丈夫。
但し、本日はそんなことは言ってなかったので、パチパチと頬を無遠慮に叩かれた時、私はそこがどこだか分からなかった。
(私の家?)
「起きろ! 頼むから起きてくれ!」
「ふぁい?」
まだ頭がガンガンする。酷く酒の匂いが口内にたまっていた。
目を開けて飛び込んできたのは、大島さんの顔。
「あれ? 大島さん?」
飲み会の場所で寝てしまったのだろうか?
それにしては、大島さんの服が違う。いつもはワイシャツなのに、今はカジュアルなTシャツだ。ズボンもチノパンではなくジーンズで、いつもより随分若く見えた。
部屋の方も居酒屋にしては、真上の蛍光灯が妙に民家っぽい。
「わたしのいえ?」
「そんなわけあるか」
ため息を吐いた大島さんは、酷く疲れきった顔で、何だかよく分からなかった。
私が寝ていたところも、畳の座布団の上だ。我が家はベッドだし、二次会の居酒屋は座敷ではなかったはずだ。
「んー?」
首を傾げる私に大島さんは口早に説明する。
「変な意図はないぞ。お前のゲロくらった状態でタクシーなんて乗れないから着替えに立ち寄っただけだ。今からタクシー呼んだから、お前んち送ってく」
「変な糸?」
(それってどんな糸?)
頭がさっぱり働かないが、我が家に送っていただけるらしい。
腕時計を確認すると、11時半を過ぎていた。
良かった。まだ、午前様ではない。
「はい。急いで帰りましょー! サチ、帰ろー!」
「花川はもう帰ってる」
深い、深い大島さんの溜め息に、私はニコニコしながら、その眉間を強く押す。
「わたしだけ、おいてけぼりー。つりぼりー。ぼりぼりー」
「最後、こじつけだろうが」
呆れつつも大島さんが起こしてくれたので、私はよろめく足で立ち上がる。
「生まれたての小鹿ー!!」
渾身のギャグは完璧にスルーされた。
大島さんは窓の外を確認して、「来たぞ」と言うと、私の腕を引いた。
何だか誰かのお部屋みたい。
玄関までつれてかれて、靴が履けないと駄々をこねたら、大島さんが文句を言いながら履かせてくれた。
そのまま外にでると大島さんが鍵をかける。
「鍵をかけてどうするんですか?」
「かけないとまずいだろう」
「まるで大島さん家みたいですね」
「俺の家だからな」
そう断定されて、へー、と返した。頭にあまり入ってこない。
そのままタクシーに乗せられる。
「お前んちどこだ?」
と聞かれたので番地まで告げるとタクシーはスムーズに走り出した。
「大島さん、大島さん」
「ん?」
「大好きです」
「はあ!?」
何だか無性に気分がいい。眠る前までは、酷く悲しい気持ちだった気がしたのだが、起きた瞬間、目の前に大島さんがいて、とても嬉しかったのだ。
しかも大島さんは、裸でも何でもなくて、ただ心配そうに私を見てくれて。
あの部屋がどこかいまいち分からなかったが、少なくとも酔っ払った私に何か大島さんがしようとしたわけではないことは、分かった。
その、大島さんの、大島さんらしい誠実さが、とても嬉しい。
「ちょ、お前...」
動揺しているらしい大島さんに、私はコテンと頭を寄せて、もう一度、囁く。
「大島さん、大好き」
「あのなぁ、そういうのは酔ってないときに言ってくれ」
ぼやくようにそう呟かれて、私は笑ってしまう。
無理。
そんなの絶対無理。
「酔ってなきゃ、言えませんよぉ。
私みたいなみっともない、恥ずかしい女が、どの面さげて言えますか?」
他に女がいる男と、それを分からず3年近くつき合って。
バラされたのは、サークル仲間がみんないるところで。
相手はずっと付き合っていて。
私はここ数年のただのセフレ?
散々好きになって、ただ、ひたすら向けた愛情が、実は滑稽なものだと分かった瞬間、
怒りより憎しみより、
こみ上げたのは、恥ずかしさ、だった。
遊ばれていることも分からず、ひたすら一途に一人の男を恋い慕っていたという事実。
好きになることの、あまりにも盲目で、愚かなことを自覚する恥ずかしさ。
(あんな想いは二度としたくない)
誰かを好きになることが、
好きで居続けたことが、
あんなにも、恥ずかしいことだなんて、思いもしなかった。
「酒田、さっきも言ってたけど、何が恥ずかしいんだ?」
大島さんが私の頭に手を回すと、ゆっくりと私の頭を撫でながら尋ねてくる。
髪を梳かれる心地よい感触に、私は猫のようにうっとりと目を細めながら、
「好きだっていうのは、自己中で、思い込みで、自分勝手で、周りが見えないから」
と返した。
言ってみて、自分でもしっくりくる。
好きだって、どんなに思っても、それは自分勝手な、自分だけの感情で、相手のことなんて、結局、何にも分からないのだ。
勝手に相手に期待して、勝手に自惚れて、勝手に失望して。
「人を好きになることって、本当に恥ずかしい」
「そうか?」
「だって、どんなに付き合ったって、寝たって、相手の気持ちが完全に分かることなんてないもの。
それなのに相手も自分のことが好きなんだとか思って、馬鹿みたいで恥ずかしい」
「なるほど。そういう意味の恥ずかしい、か」
コツンと頭を寄せられた。
何だか恋人同士みたいに気がついたら、ぴったり大島さんとくっついている。
ここ、タクシーの中だよね?
そう思ったけれど、酔いが満遍なく回った身体は、それ以上の思考は全てシャットアウトしているらしい。
「確かに恥ずかしい、な」
大島さんの思わぬ同意に私はビックリした。
だって、私が恥ずかしいのは、思い上がっていた自分のことで、大島さんのことじゃない。
それでも納得されて、それが意外過ぎて何も言えない。
「それでも酒田は俺が好きなんだ?」
意地悪く確認されて、私はクスクス笑ってしまう。
「そうですよ。大好きなんです」
自分をもう見失いたくないのに、あんなに恥ずかしい想いはしたくないのに、それでも、好きで好きで仕方ない。
一緒にいられる時間も、何気ない仕草も、態度も、声も、言動も、みんな、みんな、大好きだ。
「はぁ...。酔っ払い」
グリグリと頭をくっつけられて、またぼやかれた。
「とりあえず、俺の恥ずかしいところは実家から帰ってきたら教える」
一応、お前より年上な分、まだ辛うじで俺の方が自制がきいてるから---
というボヤキは、耳元で囁かれて、タクシーが家の前についたとき、離れた身体がとても名残惜しかった。
「盆明けには帰ってくるから、そうしたら電話する」
「ん? はぁい」
何で電話?と思いつつ、折り返し戻るタクシーを見送って家の中に入る。
既に両親は寝ている。
隣の部屋の弟は分からないが、そのまま自分の部屋に入り、化粧を落とすのも忘れて、ベッドに突っ伏した。
「おやすみなさぁい」
と誰にともなく告げて、私は気持ち良く夢の中にダイブした。