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臆病な恋  作者: 榎木ユウ
11/34

11 8月5日☆

「私、今度の暑気祓いにちょっとどころじゃなく、本気になってます」


 ダンッ、と漢らしく生中ジョッキをテーブルに叩きつけたのは、同じ職場の西脇ちとせちゃんだ。

 私の一つ年下の彼女は、今期、派遣で入ってきた女の子。


 今日は金曜日ということで、気心知れた女子だけで飲んでいた。

 ちとせちゃん、私、そしてサチ。

年齢順でもそうなるが、この位の年の差って、会社に入るとそう大差なくなる。大体は勤務年数とか人脈が物を言ってくる。


 女が三人同じ職場にいると、何かしら面倒事も起こりそうなのだが、私もサチもちとせちゃんも、マイペース人間らしく、すんなり仲良くなれた。

 まぁ、私としては三人とも大の酒好きってところが、馬があった要因だと思っている。

 因みに、私は何でも。サチはワイン好き。ちとせちゃんは日本酒好きと、好みが分かれているのもいいのかもしれない。


「本気って何が?」

 サチが面白そうにちとせちゃんに尋ねると、ちとせちゃんは真顔で、

「浅間さんに勝負かけようと思ってます」

と言った。


「えぇっ!?」


 浅間さんは同じ設計グループの技術主任で、年齢はちとせちゃんとほぼ10歳違う33歳。

 将来有望と言えば聞こえはいいが、痩せてヒョロリと長い体型に眼鏡という、ちょっとオタクっぽい人だ。


「まさか、本当に本気だったの?」

 私が尋ねると、ちとせちゃんは頬を膨らませながら、

「本気ですよ!」

と言った。


 ちとせちゃんは、自分の歓迎会の時に、何を間違ったのか、その浅間さんを好きになってしまったらしい。

 酒の席の気の迷いだと思っていたのだが、着々と恋心を募らせていたとは思いもよらなかった。


「確か、最初の飲み会で色っぽいって誉められたんだっけ?」

「はいー。

 あの時の浅間さん、すごいムラムラきました」


 頬に手を当てながら、ほぉっと吐息を漏らすちとせちゃん。

 その仕草は可愛いけど、言っていることは間違いなく《肉食女子》だ。


 私とサチとちとせちゃん。

サチは165センチあるが、私とちとせちゃんは150センチ前半だ。髪型もショートボブだから似てなくはないが、前から見ると一目瞭然。


 たわわん、と豊かなお胸がちとせちゃんにはついている。そして顔立ちも童顔でキュート。


 パッと見、この三人の中じゃ、一番女の子らしいはずなのに、一番漢らしいのは、間違いなく彼女だろう。


「で、今度の暑気祓いでどうしたいの?」

 そう確認したのはサチ。

 こういう時、話をスムーズに流してくれる分、やっぱりサチが一番お姉さんなんだな、と思ってしまうが、そんな感心をよそに、ちとせちゃんは若さ爆発、お胸に違わないビックボムを投下してくる。


「酔った勢いで、既成事実を作ろうかと...」


 ゴン。


 勢いよくした音は、ちとせちゃんのジョッキの音じゃない。

 私が頭をテーブルに打ちつけた音だ。


「ちとせちゃん、既成事実って...?」

「なにカマトトぶってんのよ。寝るってことでしょうが」

 サチがニヤニヤしながら言ってくる。

 サチはどうやら完璧傍観を決め込んだらしい。


 だけど、私はそこまでは無理だ。

 だって、ちとせちゃんも、浅間さんも、直接仕事で関わってくる。


「し、失敗したら、とか考えてないの?」

「いや、浅間さん、彼女いないみたいですし、押せばいけそうかな、と」


 確かに押せば押し倒されそう...って、そんな失言をしている場合じゃない。


「一夜限りとか、そのあとのこととか、よーく、考えてからにしようよ。ね、ちとせちゃん!」

「考えましたよ? だけど、どうしても欲しいんです」

 まるで子供が玩具を欲しがるみたいに、サラリと断言されて、私はあんぐりと口を開けるしかなかった。

 ちとせちゃんはキラキラした目で、

「だって、このままいくと、他の誰かにとられちゃうかもしれない」

と、力説した。


(いや、そう考えるのはあなただけですから!)


 どう考えてもあの浅間さんを奪い合う女性が現れるとは思えなかったが、ここに一人、年の差も乗り越えてチャレンジしようとする強者がいるから、何とも言えない。


「だからって、お酒の勢いっていうのは...」

「別に意識不明にしていただこうって言ってるんじゃないんです。きっかけが欲しいんです。浅間さんと二人になれるきっかけが」

 そう言ったちとせちゃんの表情は真剣で、凄く浅間さんの事が好きなんだと伺えた。


「それに来週の金曜日の暑気祓いが終わったら、お盆休みに入っちゃって、会えなくなるから寂しいですし...」

 口を尖らせて俯くちとせちゃんはとても可愛い。

 確かに来週の金曜日の暑気祓いが終われば、会社はそのまま長期連休に突入する。

 次に会えるのは10日後の22日だ。


「10日も会えないなんて辛くないですか、桃さん?」

「うーん...」

 自分に置き換えてみると、なんとなく共感出来なくもないが、まぁ、仕方ないかなあ、なんて思ってしまう私と違って、ちとせちゃんはその10日さえ惜しいのだろう。


「それに、こうやって奮い立たせないと、いつまでも部下と上司だし...」

とぼやかれたちとせちゃんの言葉は、じくり、と私の胸にも棘を刺す。


「桃は現状維持派だもんね」

 自分は彼氏持ちのせいか、サチは余裕の発言で、私にチョッカイをかけてくる。

 本当、サチはサドッ気が強い。


 私が顔をしかめて「別にそういうんじゃない」と言えば、ちとせちゃんが

「大島さん、結構もてますよ」

と塩を擦り込んでくる。


 そんなこと分かっている。


 大島さんは小さいけれど、何となく母性本能をくすぐるらしくて、経理などのアラサー女性の方々に、《プリンス》なんて影で呼ばれているからだ。

 別に王子王子しているからではなくて、可愛いという意味合いで使われているらしい。小さな王子さまは、浮いた噂こそないが、好感度は高いことに間違いない。


「うかうかしてると取られるよー」

「別に私のものじゃないし」


「何でそう頑なかなぁ」


 サチが心配そうに私を見る。

 サチには去年まで彼氏がいたことは話している。別れの理由までは言ってないが、大島さんとなんとなく飲みに行くようになり始めたことを話したら、「新しい恋が一番だよね」と、自分のことのように喜んでくれた。

 だから、私と大島さんの、何とも言えない関係を気にしてくれていることは分かっている。


 ちとせちゃんにしたって、私と大島さんが飲みにいくことは知っているし、私が大島さんを好きなことも話しているから、私達の関係が不思議で仕方ないのだろう。


(だけど、本当のことを知るのは怖いのさぁ)


 こうして飲みには行くけど、大島さんが本当は私をどう思っているのかは分からない。

 皆はあれやこれやとはやし立てるが、それが正しいかなんて、大島さん本人にしか分からない。


 確証のもてない感情に突き動かされるなんて、一度失敗した私には、どうしても出来なかった。


「ちとせと桃、足して2で割れば丁度なんじゃない?」

 サチがぽん、と手を叩いてそう提案したが、それは名案でも何でもないだろう。



....と、思っていたのは私だけらしい。


「そうですよね、足して2で割りたいんですよ!」

と断言したのは、ちとせちゃん。

(いや、私、君と合体したくないし!)

 あぁ、でも、そのお胸だけは半分欲しいかもしれないと思った時だった。


「なので、二次会に大島さんと白土さんも誘ってみました!」


「は?」


(二次会?)


 暑気祓いに二次会はいつもない。長期連休の前日ということもあって、翌日から実家に帰省する人もいるので、なるべく早く切り上げるのが、例年の暑気祓いだった。

 しかも大島さんは県外組なので、翌日から帰省組の筈。


「そ、それって、もしかして私もメンバーに入ってるの?」

 確認すれば、ニコリと可愛らしくちとせちゃんが笑って、「はい」と答えてくれた。


「何で、また...」

「だって、私だけだと浅間さん、絶対警戒するし。浅間さん、白土さんと仲良しだから、大島さんもついてきても大丈夫だと思いましたし」

「いやいやいや! そういう問題?」

「大丈夫ですよ! もうお店も予約してます!」

「そう言うのは私に確認してからしない!?」


 少し語尾が荒いでしまったけれど、仕方ないだろう。


「いやだなあ、桃さんに大島さんをお持ち帰りしてもらいたいって言ってるんじゃないんですよ?」


(いやーーー!! この子怖い!!)


 まだ少しの付き合いではあるが、その、手段を選ばない強引さに絶句する。

 さすが女がてらに、あの浅間さんをどうにかしようと思うだけある。


「あわよくばお盆休みにどこか二人で遊びにいく約束でも取り付けられてはどうですか?」


(何、その、微妙に美味しい勧誘!!)


 確かにお盆休み後半でもいいから、少し会えたらなあ、なんて思わなかったわけでもない。

 だけど、お互いの電話番号しか知らない(それも飲みに行く都合上、聞き出したものだから、別に電話で互いに呼び出したことはない)状態で、お盆休みに電話で誘いをかけるのはハードルが高いと思っていたところに、その餌はずるいだろう。

 ズルすぎる。


「はははー、がんばんなー」

 傍観者のサチがケラケラと陽気に笑うと、ちとせちゃんはニッコリとエンジェルスマイルをサチにも向けた。


「男女の数、会わせた方がいいと思って、6人で予約してます」


「...え」


 サチの笑顔が固まった。

ちとせちゃんはニコニコしながら、サチに更に言う。


「サチさんには、白土さんの監視役をお願いしたいんです。あの人、ウザイから」

(サラリと酷いこと言ったー!!)


 だけど、白土さんがウザイのは間違ってないので、そこは突っ込まない。


「ち、ちょっと、私まで巻き込むの?!」


「ゴールデンウイークの時、お土産にワイン買ってきたら、《なんでも一つ、お願いきいてあげるよ》なんて仰ってくださったじゃないですか」


(サチへの賄賂は渡し済なんですね...)

 サチが「うぉぅ、もう飲んじゃってるよ!!」と悔しそうに呻いている。

 というか、ゴールデンウイークからって、どんだけちとせちゃん、計画練ってたんだろう。

 怖くて聞けない。


 私とサチは可愛い顔して悪魔みたいなちとせちゃんを、恐る恐る見た。

 だけど、そこにいたのは悪魔じゃなかった。


「お二人に不躾なことをお願いしているのは分かっています。別に浅間さんを襲う手伝いをしてほしいわけじゃないんです。そこら辺は、私、自力で頑張りますから」


 ちとせちゃんは私とサチを真剣な目で見ていた。

 そして、強い意志を持った目で私達を見て言う。


「好きなんです。浅間さんのこと。

 凄く。

 私のこと、見てほしいんです。

 例え、どんな手を使っても。

 もし、それで嫌われたっていいんです。異性として見られて、駄目だったら諦めもつきますから」


 強い、強い意志だった。


「私は浅間さんに女として見てもらいたいんです」


 そこまで言われて、手伝わないって断れる程、私もサチも薄情ではなかった。

 だって、彼女は彼女なりに頑張っているのだ。

 その勇気と、努力を貶す権利は私にもサチにも、ない。


「ワインやら他の男で友達釣るやり方、私は好きじゃない」

 ピシャリとサチがそう言い放つ。一瞬、痛そうにちとせちゃんが目を細める。


「だけど、ちとせの、その愚直なところは嫌いじゃない。最初からそうお願いすれば、私も桃も喜んで手伝うよ」

 呆れたような、だけど、どこか優しいサチの言葉に、くしゃり、とちとせちゃんの表情が歪んだ。

 一瞬、泣くのかと思った。


 そして、その顔を見て、ちとせちゃんも不安で一杯なんだと分かった。


「私も楽しみにしてるよ」

 そう声をかけたら、ちとせちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 ぽろり、と、涙がその目から零れる。


「すいません。ありがとうございます」

 深々とお辞儀をされ、私とサチは、目を合わせて微笑んだ。



☆☆☆


 8月12日、金曜日。

 全てはその日の飲み会が、きっかけだった。

 だけど、それはちとせちゃんが悪いわけでも、浅間さんが悪いわけでもない。

 誰も悪い人なんていなかった。


 でも、その飲み会がきっかけで、

私の壊れた心は動き出し、

浅間さんの何かがちとせちゃんに向かい、

ちとせちゃんが強い決意をし、

大島さんの心を固めさせて、

誰かの心が歪んでいくなんて、

未来を読めるはずもない私達に、当然分かるわけもなく。


 賽は投げられた。

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