わが少年の日々のかがやき my bririant boys days (映画館編)
1960年代、
とある山間の人口数万人の田舎町、その町はずれというか、雑木林の開墾地に
そこに私は少年時代をすごしていた。
その
田舎町の中心地には古びた洋画専門館が一軒だけあって営業していた。
邦画館は2軒ありました、なんと邦画館は座席が畳敷きでした。
まるで芝居小屋ですね?
事実、地方巡業の芝居もやってましたから。
演歌歌手の歌謡ショーもやってましたね。
テレビもそんなに普及せず
まだ映画館が存在意義のあったころの田舎町だった。
ビデオも無い、ましてテレビだって白黒が普及率50パーセント以下の田舎だった。
カラーテレビなんて田舎の庶民階級の家になんか、ありえない時代、
映画館でカラー映画はまるで別世界の夢の世界だった。、
私はもちろん洋画ファンだった、
邦画は身近過ぎて現実逃避?のためには駄目だったから、、、、。
洋画は見たことも無い白人碧眼金髪のの美女が繰り広げる恋愛は
まさに異空間のファンタジーだった。
それはまさにタイムとリップというかスペーストリップであった。
田舎の昭和30年代の少年にとっては
アメリカ映画の平凡な家庭ドラマだって、
まさににSF、あるいはファンタジーのようなものだった。
私は毎週お小遣いを握り締めてその洋画館に通ったものだった。
草深い実家をぼろ自転車で出て
がたごと田舎道を
4キロも走り、
その地方の中心地の田舎町に到着、
煉瓦造りの洋画専門館の前に立った時
私はまさに、これからおとずれるであろう、
別世界の予感にすでに酔いしれていた、
そして
薄汚い地方映画館の擦り切れた座席も
タバコ臭い室内も何の苦にはならなかったのだ、
ブーとブザーが鳴り、
カーテンンが上がる、
するとMGMのライオンが吠える、
さあ始まるぞ。
その無何有の桃源郷のメロドラマに酔いしれたのだった。
さて、
その映画館は仙加紙のチラシを新聞広告に入れていた。
たいていは
2本立てでたとえば8月5日から8月30日までは、
「南太平洋」ジョン・カー、ロッサノ・ブラッチ。ミッチー・ゲイナー
「スーザンの恋」トロイ・ドナヒュー、コニー・スティーブンス
なんて上映作品だった。
わくわくしながら楽しみにそのチラシを毎日眺めては
1週間を首を長くして見に行くのである。
「南太平洋」1958製作south pasificは、太平洋戦争の南洋の島でのロマンスミュージカル。
フランス・ニュイエンの現地娘とアメリカ海兵隊?のジョン・カーとの悲恋、
ロッサノ・ブラッチとミッチー・ゲイナーの大人の恋
ああ、今でもほとんどすべて覚えていますよ。
「スーザンの恋」1961製作はsusan slade これも私にとっては忘れられない青春映画でした。
過ちを犯したスーザンはトロイ・ドナヒューの真実の愛で救われるという
甘い切ないメロドラマ、青春映画でしたね。
古びたコンクリートむき出しの映写室も映画が始まると消え去りました。
私の心はもうすでに南太平洋に飛んでいたのです。
南太平洋で繰り広げられる歌と踊りに酔いしれました。
「バリハイ」
「ハッピートーク」
今でも浮かんできます。
フランス・ニュイエンのいじらしい姿も、、、。
ミッチー・ゲイナーのはつらつとしたダンスも、
トロイ・ドナヒューのあの甘いマスク、
コニー・スチーブンスのいじらしい煩悶も、
さて映画が終われば、、、。
吾に返って家路を急ぐのです。
汚い、私の実家、わらぶきの貧しい、農家に戻るのです。
ひと時の空間移動、トリップです。
人はパンのみにて生くるにあらず。
そうです。
人には夢が希望が必要です。
夢があるから生きていけるのです。
そして当時、映画はその夢のひとつでもあったわけです。
1960年代まだ何も娯楽も無かった田舎町でそれはおそらく唯一の
ドリームランドであったかもしれません。
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