僕は今日、もっと彼女を好きになってしまった。
それは何気ない、ごくありふれた日常に潜んでいた出来事だった。
四月中旬のカラッとした晴天が窓辺に差し掛かり、教室内を春の陽気で埋め尽くしていた。
校庭一面に咲き乱れていた桜は今は鳴りを潜めて、少しずつ新緑と入れ替わり、和風を運んでくる。
窓際の一番後ろの席、そこからひとつ右側に僕の席がある。
気持ちの良い日差しが降り注いでいるというのに、けれど僕は窓際に視線を移すことができない。
だって僕の左側の席には、望月さんがいるから。
入学してから半月、僕は彼女に魅せられっぱなしだった。
まず、そよ風にのってくる彼女の甘い香りは僕の心を無造作にかき乱してくる。
授業に集中しなければと、煩悩を振り払おうと頭をぶんぶんと振って、だけどそんな努力もむなしく彼女に夢中になってしまい。
そして彼女が僕の後ろを通る度に僕の心臓は高鳴る。
実際は触れ合っている訳がないのに、何故だか心だけは交わっているような錯覚に陥り、僕の想いは虚空を彷徨う。
それでも望月さんと僕は似通っている部分がある。それは、あまり社交的ではないということだ。
望月さんは教室ではいつもひとりでいる。僕もそうだ。内向的な性格は、もしかしたら似ているのかもしれない。
そんな共通点を探しては比較して、僕は彼女との接点を探ろうと必死になっていた。
だけど彼女に寄り添おうとすると、高校生にしては幼稚な態度でおどおどして、そこばくと湧き出てくる嫌われていないかと言う不安と避けられていないかと言う疑心に苛まれて、結果、声すら掛けられず今日もらしくないと落ち込んでまた下を向いてしまう。
こんなに近くにいるのに、教室で誰よりも近くにいるはずなのに、僕は彼女に視線を移すことができない。
何か話すきっかけはないのか。そんな話題探しに没頭すると、あっという間に放課後になってしまい、やり切れない思いに駆られる。
「僕ってどんなふうに映ってるんだろう……」
クラスに馴染もうとしない孤高の少女は、隣の席の僕をどう見ているのだろうか。
もしかしたら眼中にないかもしれない。彼女は常に他のことを考えていて、僕のことなんかまるで存在していないみたいな扱いに成り下がっているかもしれない。
「はぁ~、朝からこんな調子で、放課後までもつのかな……」
僕は今彼女のことで頭がいっぱいで、まだ授業も始まっていない教室でひとり先に意味もなく教科書に視線を落としていた。
しかし、それは突然やってきて。
「林君、林君……」
「え……?」
僕の予想を遥か上の出来事が起きて動揺を隠しきれない。
だけどそんな僕に話しかけてくれる相手は。
「林君、林君……」
望月さんが、僕を呼んでいる? どうして? 聞き間違いじゃないよね?
「な、なに?」
僕は自分の机の左側に視線を移動させて、けれど彼女の顔を見ることができなくて。
これが精一杯だから。今僕にできる最善の策だから。
間違いない。彼女は僕を呼んでるんだ。でも一体どうして?
「林君、私ね、今日教科書忘れちゃったみたいなの……」
「え……あ……」
喉元で言葉がつかえる。
「その、嫌じゃなかったら、見せてほしいなって思って……」
「え……っと……」
僕は焦っている。だってあの望月さんが、僕に用事があるらしくて、声をかけてくれているから。
何か返さなければと脳内を巡って出てくる言葉は、けれど意味を成すものではなくて。
「き、きょ……う……」
「う、うん。いい……かな?」
こくり。
僕は間髪入れずに頭を縦に振った。
「ありがと」
そう言って望月さんは僕の隣に机をぴたりとくっつけて、少し腰を上げて椅子を近寄らせてくる。
「…………」
いつも以上に近い望月さんを全身に感じて、僕の心臓は早鐘を打つ。
それだけではない。
触れているんだ。袖が、望月さんの袖に、僕の袖が触れているんだ。
望月さんは気にならないのだろうか。僕は彼女を横目で見やった。
そこにはいつもと変わらない悠然とした彼女が映っていた。
まるで緊張を感じない、これも日常なのかと錯覚してしまう程におしとやかで。
「どうしたの?」
「え……あ……」
望月さんはノートに落としていた視線をいきなり僕に向けてきた。
目が合ってしまった。
こんなに近い距離で、しかも初めて一心に彼女を見据えることになってしまい。
「えっと、なんでも……ないです……」
「……緊張するね」
望月さんはセミロングの髪の毛をゆっくりと右耳に掛けて、だけどその視線は定まることを知らず泳いでいるようにも見えた。
「あ……」
そこで初めて気が付いた。望月さんの耳が真っ赤に染まっていたことを。
ごくり。
僕は口の中に溜まった唾を喉を鳴らして飲み込んだ。
緊張と期待の入り混じった複雑な感情に支配されて、僕はこの後の展開に胸を躍らせていた。
「林君て、もしかして女の子とお話したことないの?」
「えっと、ない……かも」
「ふふ、そんな感じした」
「あ……」
すると望月さんは僕の方を見据えて微笑んだ。
「~~~~」
僕は今日、もっと彼女を好きになってしまった。




