一章 4
英雄たちが降り立って十日足らず。世界情勢は大きく揺れ動いた。
戦争が起こることが予想され、各地の物価は上昇。多くの国で出入りの警戒が為され、小国同士は同盟を結び、大国の下についた。
その中でも力に物を言わせて動いたのはヴァル=ルージェだ。準備が整ったのだろう。手始めに北の小国へと遠回しに吸収合併することを伝え、脅しとばかり北へと軍を動かした。断れば蹂躙され、頷けども兵は奪われる。そもそも軍事国家であるヴァル=ルージェと戦えるだけの力が小国にあるはずがない。襲われると分かり切った国を助ける国もありはしない。選択肢は元より存在せず、小国はヴァル=ルージェに吸収された。
勢いに乗ったヴァル=ルージェは、軍を南西――ミーレルハイト方向へと進める。
これを受け、数日後魔道騎士団には、国境付近に存在する森を抜け、敵の部隊へ横からの奇襲を加えるよう命を受けた。この任務には、百余名の魔道騎士団員全てが投入されている。
無論、見習いである神子も。
「ヒミナ、大丈夫?」
「ん。なんとかね。足場が悪くても、まだ一時間だしね。鎧も一応着慣れた感じかな」
そこにいたのは、魔道騎士団長アリルと、神子氷水だけだった。
森の行軍を統制保ったまま行うのは、通常思われるより遥かに厄介だ。森と言うのは木々が集まってできた地形。まっすぐ進もうにも、木が邪魔をするため回り込むしかない。また、大木の根は地面を隆起させ、段差を生じさせる。ロクに隊列を守って進むこともできないため、列をなすと先頭と後方に大きな開きが生まれ、いつの間にか迷うこととなる上、奇襲を受ければひとたまりもない。
アリルはそういった事態を避けるため、土地勘のあるもの中心に部隊を再編成した。目的地まではなるだけ少数で、かつ戦力バランスも取れ、土地勘のある隊員が一人は所属するように。魔道騎士団は、こういう面に特化している。元々が寄せ集めの集団だけあり、下手に統制保つよりもこちらの方が性に合い、動きやすいのだ。
それに――森のすぐ隣には、大山脈と呼ばれる魔物の巣窟とでもいうような場所が存在する。迂闊に近寄れば命はない。大人数で森を行軍し土地勘のない者がはぐれた場合、最悪大山脈に迷い込み、魔物に食われる危険がある。それを避ける意味でも、少数行動と言うのは監視の目も届きやすく、安心感がある。それ自体には問題はなかった。
だが、いつの間にかアリルと氷水の二人だけが残っていた。
アリルの指示で人員を割り振っていたはずなのだが、いつの間にか副団長たちが他の団員たちを組み替えていたのだ。二人なら大丈夫、と。幸いにもアリルは森の歩き方というものを熟知しており、この周辺も何度か来たことがあるという。その上実力は折り紙つき。氷水の実力はあくまで見習いレベルなのだが、神子という肩書きが彼女の存在感を大きく見せる。
結果、女性二人で鬱蒼とした森の中を歩くことになり、氷水としては思うことがないでもなかった。
しかし今言っても始まらないこと。
彼女はぼんやりと呟いた。
「頼りになる男、いないのかなぁ……」
「ん?」
バサッと、頭上から逆さまに人が降りてきた。
「キャァァァァァァァァァァ!」
びっくりして尻もちをつく氷水。剣を持って一か月の彼女に、反射的に迎撃するという発想は生まれない。腰を抜かして後ずさりするだけだ。
それを見た人影は、枝にぶらさがっての逆さづり状態から、くるんと回転して地に降り立った。
「おもしろそうなのがいるじゃねぇか」
降り立った人影は、森の中を行動するにはあまりにも適していない男だった。というのも、足から頭頂部まで赤一色。肌は褐色で、服はゆったり、だがどこか動きやすそうな祭祀服。腰には何のためにあるのか分からない、錆びた長剣を三本も差していた。
「何者だ」
アリルが詰問するように言うが、彼は飄々とふざけた態度でそれに答える。
「通りすがりの〝天使様〟さ。お前らの方こそ何者だ?」
男はアリルの殺気を感じ取り、腰に挿した剣の内一本を掴んだ。
「名乗り出る義務はない。今なら見逃してやる。去れ」
そういいつつ彼女は踏み込んだ。彼が抜こうとしていた剣の鍔を、鞘から少し抜いた自らの剣の腹で押さえこむ。
「何の真似だ?」
「いいや、なんでも」
彼はそうして、炎を体に纏わせた。
ゴォオ!
纏わりつく熱気。アリルはたまらず顔を逸らし、距離をとった。
「なっ……!? 詠唱も魔法陣もなく……っ!」
彼女が距離をとって男を睨むと、男は先ほどと変わらぬ飄々とした体で彼らに言った。
「通りすがりの〝天使様〟だっつったろ?」
彼は刃を抜くと、それに力を込めた。刃が無音で滑るように変形し、柳葉刀を基本とした、彼専用の異常な剣を作り出す。
「コール……ブランド……!」
アリルが驚くように呟いた。
「な、なんなのそれっ!?」
溜まらず問うた氷水へと、余裕綽々と男が説明した。
「コールブランド。護神に認められた、天使のみが扱える剣らしいぜ。天使や僕の力を加えると、剣が力の持ち主に最適な形に変形するんだとよ。同様の剣がこの二振りらしいが、名前までは覚えてねぇ。女神の剣と死神の剣だとさ」
彼の言葉に、アリルと氷水が驚愕する。しかし二人の驚きは、別のところから来ていた。
氷水の驚愕は単純なもの。そんな剣があったのか、私にしか使えない特別なものなのか。そんな驚嘆、自分の知らないところからくるものを知った不可思議と好奇から来ていた。
しかしアリルの驚愕は、今の情勢を知っているからこその驚愕だ。神々の剣は現在、ヴァル=ルージェにおいて厳重に保管されている。天使と言えど、適正のない他の剣を持ち出すことができようはずもない。何か不測の事態でも起こったのか。さらに穿った見方をすれば、天使がここにいるのは、自分たちの動きを止めに来ているのではないか。そんな疑念が次々と浮かんでくる。
「ンァ……? 急に目つきが変わったな。なんだ、そんなにこの剣が欲しいのか?」
彼は見せるように腰の剣を撫でると、二人へと言った。
「くれてやる」
二本の剣を二人の前へと投げ捨てる。朽ちたる剣は、刃を地に埋めることなく転がった。
二人は動きそうになった体を律して止める。
そんなことをする理由が分からない。考えられるとするなら、不用意に手を出すこちらを狩るための囮。氷水にだって、それくらいは分かる。
二人は近くに転がっている剣から目を離し、男の方へと目線を戻す。
「なんだァ? 取らねぇのかよ。要らねぇのかよ。それじゃあこの話はお終いだ。どっちか、相手してくんね?」
左手に持った刃の先を、二人の間へと向ける。二人は声を発することも動くこともせず、ただ男の様子を観察した。
業を煮やした男は、ゆっくりと二人へと近づく。
一歩二歩三歩。
もうそれで二つの剣は、彼の足もとだ。
そして四歩。
既に男は、二人の攻撃圏内へと――そのまま彼の攻撃圏内に踏み入っていた。
しかし動かない。
アリルにあるのは、天使と呼ばれる英雄に自身が抗することができるのかという不安。
氷水にあるのは、未熟者の自分が未知の敵と、それも師であるアリルが動かない相手と相対し、生き残れるのかという疑念。
五歩目は半歩だった。
彼は剣を、アリルの方へと向けた。
「お前の方が強そうだ。相手しな」
言うが早いか、刃を手首の動作だけで小さく横薙ぎにアリルへと向かわせる。
彼女は冷静に、鞘から抜き放った刃で上へと弾く。男は弾かれた刃を気にせず、逆の手を前へ差し伸べてきた。
返す剣で腕を狙うこともできたが、何が来るかわからない。彼女は攻めより守りを優先し、剣を手元に引き寄せた。
男の腕が、紅蓮を纏う。アリルはそれを見てとると、地を蹴り後方へと逃れる。燃え盛る炎に炙られ頬を焼く。男は下がったアリルを追って、地を蹴った。
暴れ狂う炎が、彼の衣服を轟々と炙る。しかしその布は火に曝されているというのに、燃える様子がない。どころか、表面の僅かな土汚れなどが落ちていく。男の服は、火浣布でできていた。アスベストを用いた燃えない布だ。炎を操る彼の一族にとって、燃えない服というのは必需品であった。
しかし、アリルはそういう物の存在を知らない。ただでさえこの世界の理に適わない力を扱う天使。傍から見れば、その炎が布を避けているようにも見える。それでなければ特定の物以外燃やさないのか。そんな懐疑の念が鎌首をもたげ、彼女は慎重にいこうと、ますます攻勢を落とす。
彼女は完全に呑まれていた。眼前の赤髪の男にではなく、天使と言う自らの作り上げた偶像に。
それでもアリルは、練った魔力を魔術として放つ。
「氷刃よ、その身を彼の者に埋めたまえ! 『アイスブレード』!」
生まれ出づるは氷の刃。空を舞う氷片が刃を向けて襲いかかる。
しかし――
「ハッ!」
彼の纏う炎は、彼女の生み出したる氷をいとも簡単に蒸発させる。
アリルは炎使いである男と、非常に相性が悪かった。彼女の操るは氷。集中して魔力を集め、陣の展開、あるいは詠唱をし、そして打ち出す魔術。しかしそれだけの準備を経て生み出されるは氷。彼女の数分の努力は、彼の一瞬の力にかき消される。
操るものの相性。そしてそれを生み出す時間。
勝るは剣技。しかしそれにも気付かない。
彼女が逃げる算段を始めた時、初めての実戦に震えていた氷水は、そっと動き出していた。
防戦一方のアリル。それを自身が、今のままで助けられるとは思っていない。
だから、そこにあった力に頼った。
「お願い、私に力を!」
二本あった剣のうちの一本、薄紅き女神の剣を握りしめる。
刃が、彼女の力に呼応する。
呑まれゆく感覚。
女神の力が、人を神子に進化させる。
知識を経験を。
その身に宿し、力の智を得る。
戦いを知らない神子に与えられるアドバンテージ。
女神の剣は小さな刃へと変化する。それはダガー。刃渡り二十センチ程度の、小さな小さな刃。それが、二つに分かたれる。
彼女の剣は、双短剣。
与えられた力を十全に発揮するための、二つのダガー。
氷水はそれぞれのダガーを逆手に持ち、男の元へと走りぬける。
アリルに刃を向けるその男の首へと、彼女は右の短剣で切りつける。
カァンと、甲高い音をして止められる。男は振り向かず、後ろに回した刃の先でその短剣を受け止めていた。
「へぇ……。それじゃ、お前が神子ってやつか」
彼女は取り合わず、逆の短剣をガラ空きの脇へと向かわせた。同時に、アリルも剣を振るう。左右から向かう二つの刃。
「まだまだだな」
男は足払いを氷水にかけると、アリルの剣を屈んで避ける。追撃の剣が男へ向かうが、転ぶ氷水を盾にアリルの剣を止めさせた。
神子が得たのは武器における経験、女神の加護受けし力における知識。
対術や剣術など、絶対的な経験の差はまだ埋められない。
「仲間思いの女でよかったじゃねぇか、神子サマ」
掴んでいた襟元を放し、アリルの方へと蹴りつける。アリルは転ぶように倒れてくる氷水を抱きとめ、男の方を向いた。
「……何のつもり?」
訝るようにアリルが問うが、男は嬉々とした表情を抑えることなく言う。
「俺は相手をしてくれ、っつっただけだぜ? 色々と厄介になる可能性のあるお前たちと、取り返しのつかない揉め事を起こすつもりはねぇよ」
言いつつも、彼は刃をくるくると回して右腕で構えた。
「右手で相手してやんよ。だから神子様、どうか俺にお前の力を見せてくれ、よっ」
男の言葉に、氷水はアリルの腕から離れ、敵意を抑えることなく両の短剣で斬り込む。
――舐め、ない、で!
少女の右の短剣が、男の首筋を狙うように斜めに振りぬかれる。男はそれを止める為、柳葉刀で受け止めた。
氷水にとって、そこまでは予定通り。続いて左の短剣を、先と同じように脇腹へと向かわせる。当然、 男にはその程度の動き、捉えられないはずがない――が、
「ッ――アァ?」
男のその刀が、彼女の右の短剣から吸い付くようにして離れない。手前に引き寄せ、逆の短剣を迎撃しようとしたのだが、何故か彼女とその短剣が、彼の腕に――刀に引っ付いたままやってくるのだ。
迎撃のためのその行動が、結果的に彼女の勢いを加速させることになり刃が近づいた。
――もらった!
内心勝機に喜ぶ氷水だが、ガクンと動きが止められた。
「完全に足、浮いてたぜ」
何ということはない。元々飛び込むようにして斬りかかろうとしていたのだ。その上で男の腕に引き寄せられるように前進。結果、男の動きと相俟って空へ浮いた体。支えるものは何もない。そこへ男は引いていた腕を押し返して、彼女の突撃を止めたのだ。
「ふん、何の力だろうね。見たところ剣と剣が吸いつくような、そんな力を有しているのは明白。残念ながら俺は寡聞にして知らないが、世界が人を地に吸いつけるような、そんな力と同種のものじゃあないかね?」
氷水はその短剣に纏わせていた力を解除し、後ろへ飛んで距離をとる。
「何で今、追撃しなかったの?」
彼女の脳裏をかすめたのは、男の挙動の不審さだ。
突然現れて剣を渡してきたかと思えば、次の瞬間喧嘩を売ってくる。二人で挟み込むように攻撃を加えれば、片方を崩して場所を入れ替え、一対一でしか戦えないような配置に作り替える。その上でこちらの攻撃を意にも介さず、攻撃のチャンスもみすみす逃す。はっきり言って、意味がわからない。
だが男は、その問いにも悠然と、ただ僅かに苛立ちながら答える。
「だからさっきも言っただろ? 『相手をしてくれ』ってよ。その上で俺は、右手で相手してやるっつったんだよ」
だから他では触れはしない――と、そう言ったのだ。
なんだそれはと、彼女は思う。これは戦いなのだ。そんな甘いことを言ってどうするのだ。何がやりたいのだ、と。
「攻めてこないんなら、こっちからいくぜ」
彼は氷水の肩越し、アリルへと手出しすんじゃねぇと、一睨み聞かせてから突進する。
縦から振り下ろされる柳葉刀に、氷水は内側から短剣をぶつけて軌道を変えた。
その時「ん?」と、男が違和感に唸る。氷水の短剣がブレて、刀に吸いついたのだ。
氷水はガラ空きの懐へと、今度こそ刃を突き立てる。
しかしそこは男もさすが。流れるような動作で腕を捻り、握りへと伸びる鍔を使って短剣にぶつける。狙いを上に逸らすと屈んで躱すと、示し合わせたかのように彼女の横をすり抜ける。
「……ふむ。次。両手だ」
男は宣言すると、木を蹴って三角跳びで上に伸びる枝を掴む。勢いを殺さぬまま放して、地面に着地。横へ跳んで再び木を蹴ると、氷水の方へまっすぐと飛んだ。
トリッキーな動きは、氷水をアリルと男との間に入れる為だろう。アリルの行動を制限しながら、氷水との真っ向勝負を挑む。
男は再び、縦の斬撃を加える。氷水のような短剣ならまだしも、大きく横振りをすれば、彼の刀では周囲の木々に邪魔をされる。
氷水もそれを分かっているのだろう。同じ弧を描く刀に、同じように短剣を押し当てて軌道を変える。
しかし男は左手を添え、その軌道を再び捻じ曲げた。斜めから抉るように向かう刃を前に、彼女は冷静にもう一つの短剣の柄尻を、刃に押し当てた短剣の柄尻へとぶつけ合わせた。
何を――と男が訝る隙もなく、弾かれる両の短剣。不思議な吸引力で以って敵の刃に張り付いていた短剣は、弾かれる勢いそのままに、刀の軌道をあらぬ方向へと向かわせる。
驚く男とアリル。
今度こそ正真正銘ガラ空きの男へと、氷水の蹴りが炸裂する――が、男は体に炎を纏い、せめてものカウンターとした。
男は初めて、攻撃を受けた。蹴られた勢いそのままに、横にあった木へと追突する。
僅かに鈍い音がするが、男はそれでも笑っていた。
「伝承通り、か。やっぱお前、おもしろいな」
神子とは、法則の違う世界から連れてこられた一般人である。
基板となる法則が絶対的に違うために、神子への魔法――つまりこの世界独自のルールは大きな力を発揮しない。それはあたかもスプーンの掬う部分を持って、取っ手で食べようとしているかのような見当違いの行動。かろうじて意味の体裁は為すが、それ以上に、本来からかけ離れている。
そして神子の扱う『力』とは、女神が与えた法則。人を神子――神の意思を託宣する女性――たらしめる、人の作り替え。
法則という名の力を扱い、魔法と言う名の非常識を無効化する。
そんな人間。それが神子。
炎へと蹴りを放った氷水だが、実際服と靴が僅かに燃えた程度で、肌には火傷一つ残っていない。
僅かな熱気は感じようと、瞬間的に出した小威力の魔法程度では傷と成るには至らないのだ。
もう少し楽しみたかったんだがな、と、男は呟くと、刃に炎を纏わせ彼女を見た。
ぞわ、と、氷水の体を粘りつくような殺気が包む。
圧倒的密度で放たれる敵意の塊。根源的欲求から放たれる負の感情の集大成。
目に見えない圧力は、氷水にどこか懐かしい狂うような絶望を与えて突き抜ける。
――あぅ、ぁ、あぁっ……!
同時に、今までこの男が、本当に殺意ではなく敵意でもなく、ただ遊んでいただけなのだと知った。
見たのはたった一瞬だ。恐怖が時間を引き延ばす。
恐怖で死に、恐怖で生きた神子、氷水。
心的外傷後ストレス障害、恐怖が過去の恐怖を呼び起こし、氷水という人間を完全に縫い止めた。
氷水の体感、何分何十秒とも言える長き時の果て、男はついに突進。すぐさま突きを放つ。
恐怖で時が引き延ばされながらも、あまりの速度に体が追い付かない。氷水は茫然とそれを眺め――
しかし彼女は、傷を負うことなく助かった。
木の上から降ってきた緑髪の男に助けられる。
その男は頭を下にして落ちてきたかと思うと、長剣を一閃、彼の突きを横から弾いて、天使の刀を横へと逃がした。軌道を変えられた刀は勢いそのままに前へと進み、彼女の顔の横を通過して止まる。刃から生み出される熱気が彼女の頬を僅かに炙るが、炎が触れるような距離でもない。
「いよう、随分と速かったなイラレージュ」
天使は現れた人影に対し軽い言葉を投げかける。
死の恐怖から解放された氷水は、ぺたんと座りこみ、目前の男を見上げる。するとイラレージュと呼ばれた緑髪の男が、剣を構えて天使を威嚇していた。
「事を荒立てるなと言ったはずだ。何故ミーレルハイトの者たちと交戦している」
降ってきた男は、天使を睨みつけながら問う。
「ククッ! おもしろそうな奴らを見つけたからさ。なかなかの貫禄だす女と、なーんかやばいモン抱えてそうな女。おもしろそうだと思わないか?」
天使はそう言って刀を引く。すると刀は、元の錆びついたような剣へと姿を変えた。
緑髪の男は未だ天使を睨みつけていたが、天使が「やってられん」と背を向けて下がったのを見て、ようやく剣を鞘に収めた。
「大丈夫か?」
男が手を伸ばし、氷水を見下ろしていた。男の声は決して優しい声音ではなかったが、労わるような響きが交じっていた。
「あ、ありがと……」
氷水は礼を言って手を掴む。引っ張り上げられ、勢い余って胸板に体を押し付けるが、「す、すいません!」とすぐに離れ、アリルへと向き直る。
見ず知らずの相手に背を向けるという、警戒も何もあったものじゃない行動をとりながら、彼女はアリルを見て訝しんだ。
「? どうしたの……?」
アリルは氷水の声も聞こえていないように、涙を流して緑髪の男を見ていた。
「シャルフ……!」
それを見た緑髪の男は、得心したと、穏やかな顔で彼女へ言ったのだ。
「ただいま、アリル」
と。




