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一章 2

 ――それは、桜色の光だった。


 ピンクの穏やかなる光。それに包まれて現れたのは、茫然自失とした女性。膝から下は血にまみれ、長い黒髪も先が紅く染まっている。顔面蒼白。体は寒さに凍えるように震え、目は虚ろでありながらも、口は小さく何かを呟いていた。彼女はそんな、今にも倒れそうな状態で舞い降りた。

 降り立った場所は、大陸中央に存在する国ミーレルハイト。その首都郊外。

 風吹く草原の下、彼女は誰に見られる訳でもなく、降り立ちそのまま崩れ落ちる。

 彼女の意識は、とうに失せていた。

 それでも口は、呪詛のように何かを呟き続ける。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。



「おはよう」

 神子、(かがみ)氷水(ひみな)の朝は早い。

 朝日がようやく差し込む頃に起き出すと、剣を持って訓練場へと足を運び、教えられた型を幾度も反復して体に刻みこむ。

 彼女が基本を終える頃合い、時間にして一時間ほど。ようやく二人目の利用者の姿が現れる。

 現れたのもまた、女性だった。

 彼女の名はアリル=クウェート。神子氷水の師にして友だ。

 氷のような美しい外見に、感情を大きく見せないポーカーフェイス。薄青い髪を肩で切り揃えているが、地毛である。地球に存在しない自然色であっても、この世界では普通とまではいかないが、そこまで珍しいものではないらしい。目も同じような薄青で、白い肌に薄い青色の髪と目。その彩度の低さが、彼女の印象をどこか希薄に、どこか儚げに見せていた。

 そんな神秘的な彼女は、同時にミーレルハイトの百の兵を従える兵長でもある。

 彼女が従える兵は、他の兵団とはまた異なる特殊な者たち。魔道騎士と呼ばれる、魔術と武術の両方に長けた騎士。戦場に於ける盾の役割を果たす騎士と、矛の役割を果たす魔術師。その両方の特性を備えた、選りすぐりの兵――

 というのは、いわゆる方便だ。実態は魔と武、単品ではただの一兵にしかなりえない者たちが、苦肉の策として選んだ最後の出世道。本当の意味で選りすぐりの、魔と武を活用している者は、団長アリルと、一部の側近たち。他の者たちは、両方ともそれなりには使えるが、それなり以上には使えない、半端者たちだ。

 ただ、そんな彼らでもそれなり――皮肉なようだが、それなりの兵たちによる、それなりの成果は上げられている。

 彼らは遊撃隊だ。戦場を駆け、敵の軍列を乱し、不意を突いて戦果を上げる特別部隊。魔と武による臨機応変さは、ただの騎兵や戦士たちの軍よりはるかに融通が利く。

 あくまで一遊撃隊程度の戦果しか上げてはいないものの、その機転やコストパフォーマンスの面から、半ばなんでも屋のように利用され、注目されていた。

 そんな百人長――もとい、魔道騎士団長の下には、一人の見習い魔道騎士が預けられている。

 それが、神子氷水。

 彼女がアリルの許に預けられた理由(わけ)は、二人の出会いに遡る――



 眼を覚ました氷水が最初に見たのは、木でできた天井だった。

「――ッ!」

 跳び起きるように上半身を起こす。

 思い出すのは気を失う前の自分。

 血を浴び、放心する自分だ。

 凍りついた空気。自らが発した悲鳴。生き残った自分。

 そして恐怖。

 (なじ)られ責められ(さげす)まれ。生き残った自分へ、親友から投げかけられる言葉。

 潰れ血を流した人間。

『ナンデ私ガ』

 呪い。

 親友の言葉が彼女を責め立てる。

 ――あの時、自分は死ぬべきだったんじゃないのか。

 そんな考えが頭を過ぎった。

 体感的には数秒前の数時間前だ。

 引き延ばされた刹那は、彼女を自責の念や罪悪感によって圧迫する。

 空回る思考。頭は同じところを延々と繰り返す。

 ――ナンデ私ガ私は死ぬべきナンデ私ガ死ナナクチャなんで私は生き残ったのナンデ私ダケなんで私がナンデなんでナンデなんで?

「あ、ア、あッ、あ……っ」

 頭を抱え、虚ろに血走った眼で呟く氷水。正常に呼吸もできず、最後には口だけではふはふ言っている状態だった。

 そこへ割って入る声。

「静かにしてよね」

 凛とした、幼い声が空気を打った。

「おちおち本も読んでられないじゃない。わめくなら外でしてきてよね」

 半狂乱だった氷水は、その声に徐々に冷静さを取り戻していく。眼は生気を取り戻し、手は呼吸を整えるように胸元へ。すぐに落ち着き、汗でびっしょりの顔を上げた。

 正面には何もない。左は壁だったため右手を向くと、少し離れたところに金の髪に青い目をした少女がベッドの上にいた。上半身を起こし、座って本を読んでいたようだ。手に持つ本は端々が破れ黒ずみ、有り体に言えばボロボロで、何度も繰り返し読んでいることを窺わせる。

 氷水は一瞬面食らうが、倒れる前の状況を思い出し、病院かと思いを巡らす、が、さすがにそれはないと頭が否定する。

 部屋は清潔の白から程遠い、薄茶けた木でできている。部屋も小さく、仕切りカーテンなどはまるでない。臭いは病院特有の鼻に付くものでなく、木の湿った香りだ。ベッドも硬く小さく、シーツが張っている訳でもない。薄い布が敷かれているだけ。どう考えても病室ではないだろう。結論付けてから少女に問う。

「あの、ここは……?」

 躊躇いがちに訊く氷水の問いに、少女は詰まる様子もなく、すらすら答える。

「ウィール大陸。その中心に存在する国、ミーレルハイトの首都ミーティアよ。あなたは異世界からの人間で、この世界に召喚された。ここまでは大丈夫?」

 氷水が返事を返さないのを見て、本を閉じて向き直る少女。その時「はぁ……」と軽くため息を零したが、変わらず続ける。

「この世界には伝説があるわ。『百年に一度、異世界から「英雄」を呼び寄せる』って言うね。簡単に言ったらあなたはそれ。英雄よ」

 突然〝英雄〟などと言われても、分かるはずもない。氷水が呆けた顔を晒していると、少女もそれを察したのか、言葉を止めて考える。

 が、思い浮かばなかったか、しばらく無言が続き……

「あ、お姉さま」

 扉を開けて入ってきた人影に、少女はそう呼びかけた。

 入ってきたのは薄青い髪と目をした女性。アリルである。

 彼女は少女に「ただいま」と一声かけると、起きていた氷水を認めて隣にあった椅子に掛けた。

「その様子だと体は大丈夫のようだな」

 心配されたことに、反射的に「あ、ありがとうございます」と詰まりながら返すが、「大したことじゃない」と笑って返された。

「ミリル。どこまで話した?」

 アリルは少女を呼ぶと、少女はむくれたように答える。

「全然ですわ。理解できないという顔をされましてよ」

 しょうがないさと苦笑すると、彼女は氷水を見て挨拶をした。

「この国、ミーレルハイトの魔道騎士団長を務める、アリル=クウェートだ。あの子は妹のミリル。私が倒れていたあなたを見つけ、ここまで運ばせてもらった。まずはあなたの名前を窺いたい」

 居住まいを正し問うアリルに、氷水は礼を失することなきよう答える。

「えと、鏡氷水、です。あ、外国の方ですよね。鏡が性で――ってえーとあれ? 言葉とか分かります?」

 驚き今更のように問い返す氷水に、再び苦笑するアリルと、嘆息するミリル。

「大丈夫だカガミ殿。まずは……そうだな、落ち着いて考えてほしい。自分が今まで何をしていたか。そして今ここにいることに心当たりは?」

 思い出すのは自責の念。

 親友の放った呪いの言葉。

 思考が、ぶれる。

「っ……!」

 気がつけば。

 ――これは、罰だ。

 直感的に、彼女はそう判断した。

 罰。親友を助けられなかった罰。自分だけが生き残った罰。親友を見捨てたも同然の行為をした罰。親友を犠牲にしたも同然の行為をして生きた罰。親友を見捨てた罰。親友を犠牲にして生きた罰。親友を殺した罰。親友を犠牲にしてでも生き残ろうとした罰。

いつの間にか内容はすり替えられ。

 真実はまたも遠ざかる。

 彼女の中で根付いてしまった事実は、答えのないこの世界では真実となり。

 彼女は逆に冷静に。

「心当たりは、あります。これは……罰。私への罰です。私は元の世界で罪を犯しました。それへの罰。私にできることは言ってください。私は罪を償います」

 それは彼女の強い責任感が生み出した防衛機制か。罪とし罰とし、その呪いを償うとする。根底にあるのは、親友に恨まれたというその一点。それが怖くて、何よりも恐ろしくて、でも、逃げることは許されなくて。自分が殺してしまったと、そう錯覚することで恨むという行為を正当化させ、そして償うという手順でそれを消化する。

 防衛機制。つまるところそれは、「逃げ」。

 強い責任感は、弱い彼女を立ち向かわせることを良しとしなかったのだ。

 この世界で身寄りのない氷水はアリルから話を受け、柔軟に、砂漠が水を吸うがごとく知識を得て順応していった。結果彼女は罪を償うため、また恩を返すため、神子と言う役割を果たさんと彼女の許へ、身を寄せることになったのだ。

 

 

 氷水の挨拶に、アリルも「おはよう」と言葉を返す。

 朝早くから訓練していたようだが、これでもまだ七時くらい。訓練時間は短い。

 この世界は、地球のそれとはまた違う法則で動いている。一年四百日、一日二十二時間で動いているカレンダー。地球よりも軽い重力。地球では存在しない――あるいは使えない――魔法。

 違った法則で動く世界に、氷水の法則(じょうしき)はことごとく覆される。

 別の法則で動く彼女には、他の人たちが使う魔法の類は一切使えない。しかしこれは、もともと素質のある者ない者分かれるため、できなくともとりわけおかしなこと、あるいは弱いということではない。それどころか彼女は女神の加護により、一つの法則を操る力を得ていた。言語も同じく、全く違うものでありながら、加護によって相互に通ずることができていた。

 二人が無言で稽古をするが、氷水がしばらくして剣をしまった。

「はー、疲れた」

 彼女はそう言いながら、脇にある椅子に座って汗を拭く。艶やかで長い黒髪が揺れ、彼女の美しい姿を映えさせる。元はそれなりに洒落た服を着ていたものだが、今となっては目の前で訓練するアリルと同じような、飾り気のない薄いグレーの服とズボンという簡素さでいた。この世界を自身の罪の証と考える氷水には、それは当たり前のものだった。

 氷水が座ったのを見て、アリルも同じように剣を収めて隣へと座る。

「始めた頃とは見違えたな」

 涼しい顔をして言ってきたアリルだが、彼女も後数時間すれば疲労が見えてくるのを氷水は知っている。アリルは氷水の常識からすれば、人間の範疇に――強くはあるが――十分収まるレベル。今のところ、人外と喩えるに相応しいヒトに出会ってはいない。

「ありがと。でも私としては、もうちょーっと強くなりたいかな」

「どうして?」

「単純なこと。実戦、したことないからなぁ……」

 氷水は遠くを見つめるように、少し顔を上げる。

「私はまだ、人を(あや)めたことがない」

「私も子供じゃない。この戦争を終わらせるには必要だと思う」

「だけど、理解できても納得できるかは別」

「いざという時、体が竦んで動けないかもしれない」

「恐怖に駆られて動けないかもしれない」

「人を殺すのが怖くて、アリルたちを見殺しにしてしまうかもしれない」

「そうならないよう、できるだけ体で覚えて、いざという時にも動けるようにしておきたい」

「でも、人を殺すのが当然にならないよう、気をつけなきゃならない」

「神子の役割が平和、平等の為なら、絶対に忘れちゃいけない」

「だから、今は少しでも強くなって、皆を守りたい」

 彼女の拙い独白に、アリルはそっと目を閉じた。

「……眩しいな」

「え?」

「お前だよ。戦争なんてものから遠いところからやってきたのに、戦うことに悲観もせず、積極的に前へ進む。人々を救おうと、最善の道を選ぼうと努力する。私はお前が眩しいよ、ヒミナ」

 彼女の微笑みと褒め言葉に、背中がかゆくなって、口早に取り繕う。

「そ、そんな大層なものじゃないよ! 私だって死ぬのが怖いから! 罪を償うためにやってるんだから!」

 その慌てた姿に、アリルは「ふふ」と笑った。

「隊長、神子さま、おはようございまーす」

 そこにちょうどよく顔を出したのは、十人近い男たち。それぞれの手には得物が握られ、背中には青いコート。服はコート以外統一性がない。髪型も(みな)違う。

その青いコートは、ミーレルハイトの魔道騎士団の基本兵装だ。

 彼らはその特異な戦闘形式から、一定の型を持たない。それは戦闘だけに言えることではなく、髪や服、果ては態度にまで及ぶ。戦場で邪魔にならなければそれでいいを信条に、髪型などの規律は緩く、普段の素行も性質が悪いわけではないがいいとも言い難い。公的な配布物は青いコートのみで、それも外部任務の折には外されることも多い。あくまで格調や形式、見栄えを優先する町での装備、目印で、戦争のような乱戦でもない限り不要。所属を示すということは力を示すということであり、彼らの扱う任務はそういう脅しが要らないが武力が必要という特殊なものだけ。いつもは町の警備をする(ごく)潰しでしかない。

「ああおはよう。トレインはどうした? いつも一緒にいるだろう」

 アリルがそう訊くと、集まったメンバーは口々に言う。

「あのバカ腹壊しやがって」

「朝からトイレにこもりっぱなし」

「なんか悪いもん食ったっけ?」

「あれじゃね? 厨房に捨てられてた骨付き肉」

「あー、あったな。止めろって言ったのに」

 軍の上司との対応であるのに、そこには敬意や遠慮といったものは存在しない。

 それを受けるアリルもまた、気にする素振りなく話を続ける。

「そうか。訓練には間に合うか?」

「間に合うんじゃねーすか?」

「まだ一時間近くあるしな」

「あれ、つーか俺たち訓練熱心?」

「いや、戦争が近いからだろ」

 軽口の応酬をしながら、彼らは自らの得物を振り回し始める。魔術は体内魔力の消費という側面もあり、実感的に疲れやすいため自主訓練で使われることは多くない。彼らは剣や槍を振り回して使い心地を確かめている。

 休憩していた氷水も、それでは訓練再開と立ち上がる。すると手近にいた一人が声をかけてきた。

「みーっこさまー。俺と試合しましょー。俺模擬剣でやるんで、かかってきてください。このハンデを乗り越え俺が勝ったら、今晩どこかお食事に……」

「待て待て待てーい! それなら俺と」

「いや俺と」

「なら俺」

「俺は隊長派ですぜ!」

 俺もー、とまた声が上がる。隊長(アリル)も神子(氷水)も苦笑するしかない。

 こうしていつも、ばかな掛け合いが始まる。今来ていない他の団員にしたってそうだ。彼らにとってここはどこまでも居心地のいい職場。他の団とは違い、他を抜きんでる才持つ者はいない。アリルが若くも該当するレベルだが、それでも達人と呼べるレベルではない。前例がないというのも理由の一つだろう。それこそ過去の天使や神子、悪魔たちがその種の達人とも言えるため、どこまでいっても未熟者扱いなのだ。

 それ故戦場においては、敵を翻弄するための連携が必要とされた。遊撃隊だからこそ、派手さに欠ける動きでは仕事が為せないのだ。そういう側面もあり、意図的にも彼らの気質的にもこのようなアットホームな雰囲気でいた。彼らにはその実力で他を率いる者はいないが、その雰囲気で足りない実力を補っている。その雰囲気からなる連携が持ち味なのだと、氷水は最近になって気付いた。

 そんな愚にも付かないことを和気(わき)藹藹(あいあい)とやっていたのだが、その穏やかな雰囲気は走りこんできた人の言葉にかき消された。

「大変です! ヴァル=ルージェの進軍開始されました!」

 その声に、きっ、と目を鋭くさせるアリルと団員たち。

 氷水はその国のことを、なんだっけ、と思いだす。

 ヴァル=ルージェ。

 前百年戦争の勝利国。

 百年前『天使』を引き連れ、武力による侵略で他国を圧倒した軍事国家。

 世界統一を果たすが、王とその側近たち、そして天使が行うあまりの独裁政治に国民の――大陸全土の人々の不満が溜まる。結果、天使の病死後属国が次々と離反。

 現在はミーレルハイトの北東に、小ぢんまりとした形で残っている国だ。

 その偏執な絶対王政は今も健在で、その主義が理想の国家――国そのものを第一義とする国――を唱える『護神』の意向と合致したのか、再び『天使』が舞い降りた。

 ――要注意国、だったはず……。

「上は?」

 アリルが問うと、やってきた士官は敬礼の姿勢を取って答える。

「九時より緊急の軍議を行うとのことです。各国との連携と、部隊の編成を検討すると思われます! アリル様、ヒミナ様、直ちに会議室向かってください」

 武器をしまい、準備を終えるアリルと氷水。

「ああ、分かった。報告御苦労。行くぞ、ヒミナ」

「はい!」

 二人は出陣のため、会議室へと向かう。

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