五章 4
――私は、
「私は、あなたを殺す。皆のために――私のために」
氷水は女神の剣を握りしめ、そっと呟いた。
剣は短剣へ。
氷水は逆手に構えた二つの短剣を握りしめ駆けだす。
打ち合わせはない。既に終わっているとも言えたし、全くしていないとも言えた。
氷水は左、シャルフは右。そしてヴァインは剣を構えた。
魔神が身体を膨張させ、獣の姿を取る。それはあの騎士団を喰らった巨体。都市からも視認できるようなサイズで、ちっぽけな彼らを踏み潰さんと足を持ち上げる。
「うぉぉぁらぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ヴァインの声。彼の持つ剣はシャルフの力を受けた重力剣。その力を行使した。
彼の持てる力を存分に使った重力が巨大な獣を襲う。
重力操作により自重を増して叩き潰す、重力の秘儀。相手が重ければ重い程効果がある。
見る間に獣の足が震え、大地を鳴動させる。足は地から離れず、瞬く間に崩れ落ちた。
――ファーストステップ、終了。
氷水は第一段階が成ったことを、獣が元の人型――アリルの姿――を取るのを見て知った。
魔神の膨張を見ても動じず動き続けた氷水とシャルフ。ヴァインは変わらず重力で人型魔神の動きを制限し、残りの二人が両側から挟みこむ。
本来の獣型を行動不能にし、慣れていない人型に制限を加える形。
さしもの〝魔神〟もこれでいくらか――そんなことを思いながら彼らは進む。
氷水の刃が牽制の一撃を首へと見舞う。
無論悠々躱され、短剣を持つ手を掴むように右腕が伸びる。しかしそれをもう一方の短剣で受け止める。刃で抗したというのに、その手は傷つく様子もない。
同時、背後から伸びるシャルフの剣が迫る。魔神はそれを受けるが大事と判断したのだろう。体を九十度反転させ、迫る 大剣の腹を左腕で押してずらす。
長剣は衝撃と共に地面を破砕。飛び散る土塊に構わず、三者は動きを止めない。
氷水の牽制のはずの初撃は、防がれずに魔神へと迫る。
しかし――
「その程度で傷つけられるほど、軟ではありません」
人体の急所であるはずの首。そこへ放たれた短剣は、岩を前にしたかのように斬り裂くことはなく、微動だにしない。
「人であって人でなく。神でありて神にあらず。魔神獣神獣王魔王。魔獣。それが私。私であって、私でないもの――」
「神なら神らしく、上で、干渉せず、黙ってな、さいっ」
突き立てた短剣を、滑らすように腹へと沿わす。
顔を上げると、魔神の背面でシャルフと目が合う。シャルフはすでに踏み込んでおり、切り上げの姿勢が整っている。
――今ッ!
女神の力における法則干渉。磁力短剣の多重力場に、斬り上げるシャルフの大剣が吸い上げられる。同じく、シャルフの大剣から発せられる重力。英雄の武器開放による、従者の限定能力だ。それが氷水の短剣を吸い付ける。
短剣は溜めのないゼロ距離からの一撃。威力自体は重力プラス磁力の弾き作用だけでそれほど強くはないが、これはシャルフの攻撃から逃がさないためのもの。シャルフの切り上げは重力における重しと磁力による引き寄せでプラマイゼロだが、剛力の為す斬り上げは磁力と重力で動きがブレない。弾きを寄せ付けず、衝撃を逃がす逆は短剣に押さえられる。形としては非常にいいように見える。だが、
ガッ――!
氷水の頭が、地へと叩きつけられる。
ここにきてもやはり、経験不足が神子という人外の足を引っ張る。
牽制もなく抑えつけもなく、一直線に短剣を向かわせた結果、魔神の右腕はフリー。気を急いた氷水が、無理に連携を取ろうとした結果起きた失敗。
魔神は氷水を押さえつけた右腕でそのまま側転。歯車が回るように、大剣から僅かに先んじる。
「っ!」
歯噛みするはイラレージュ。最初の交錯は様子見に徹するつもり、と漏らしていたのを聞き及んでいる。彼も氷水と同じく、変則的な動きに合わせているうちに、体が動いたのだろう。
しかし魔神は人でなく、その姿もまた人であって人でない。人体の急所など意味を為さない。その無造作な動きが、彼らの予定を狂わす。
二人から距離を取り、降り立った魔神。顔には冷や汗すらかいていない。
「これはこれは。さすがに私も焦りましたよ」
声は平坦で、あからさまに嘘だと分かる。
シャルフは魔神から目を離さぬまま、氷水の手を掴んで引きずり上げる。
「立てるか?」
「ええ」
二人の意志は変わらない。
氷水はシャルフに目くばせすると、彼も頷く。
シャルフは剣を左手に持ち替えると、氷水の後ろを走って魔神の横へと回り込む。
氷水が先に魔神へと進む。短剣は共に後ろに回され、振り切る準備は万端だ。
魔神は悠々と――氷水へと迫った。
武器の威力からも、そっちが狙われるのは百も承知。
だからこそ氷水は、後ろ手に持つ二振りの大剣で斬りかかった。
魔神の顔が、驚愕に彩られる――
『あなたの力を?』
氷水は驚いた様子で、シャルフに聞き直した。
『ヴァインから聞いた話だ。『法則』というカテゴリの源泉が神子の主、女神の力の一端であるならば、女神の剣と定義されているその剣でも扱えるんじゃないか――だそうだ。これで魔神の不意を突くつもりなんだろう。できるかどうかは半信半疑だが……』
シャルフはそう言って、右の手に嵌めたグローブを外す。掌には天使の僕の証があった。
『お前の証は?』と問いかけるシャルフに首の後ろを指す。それぞれ証のある場所は違うようだ。
――首の後ろというのはあまり人に見せるような場所じゃないので好きではないんだけど。
彼女はそんなことを思いながら、どうするの、と問いかけた。
彼はそこに右手を翳し、魔力でもない何かをそこに注いだ。
氷水の身体に鳴動するその何か。
手に持った女神の剣にそれを注ぐ。
『これは……』
シャルフが感嘆の声を漏らす。氷水自身目を丸くした。
女神の剣が、大剣に変わっていた。
聞けばヴァインもこれを護神の剣で再現したらしい。
ならばと、それにさらに氷水の持つ磁力の特性を付与すれば――
一対の大剣が、姿を現す。
それに宿すは磁力と重力。他者を束縛する二つの力。
二つの大剣が、左右から魔神を襲った。
氷水の細腕では振るえると思えないその剣は、重力操作により疑似的な軽量化している。衝撃に合わせて重量化することで本来剣が持つ力以上の威力を放つのだ。
魔神はそれを知ってか知らずか、腕で左右のそれらを押さえにかかる。本来ならばそれであっさり止まる対の大剣は、そこで驚くほどの加速を得、魔神の腕を拉ぎにいった。
大剣は磁力の力を用い、対の大剣は互いに引き寄せ合う。さらに重力操作で増加した重さが鋏のように魔神の身体を挟み込む。動きを止められる魔神だが、傷はない。
だがその程度で驚きはしない。想像の埒外の存在であることは既に嫌と言うほど分かっている。
動きを止めた魔神の背後で、シャルフが大剣を振り降ろした。
これならば……という期待は、あっさりとふいにされる。
魔神は頭を傾げ、頭部への直撃を回避。そのまま身体に大剣が抉りこみ、その身体を地に沈める。肩は人のように内出血を起こしていた。
それはつまり、人とは違う防御能力を誇る魔神でも、人と同じように傷つくということだ。
彼女の目に光。突破口が見えてきた。
――これなら、ヴァインの攻撃も……!
そして三人は、後ろで構えを崩さないヴァインの尻目に、苦しい舞踏をしつづけた。
数分か、十数分か、数十分か。
彼らは戦い続けた。未熟ながらも、習熟ながらも、異常ながらも。
そして未熟な彼女が倒れるころに、その男が。
「シャルフ!」
ヴァインの言葉に、素早く反応するシャルフ。崩れ落ちる氷水を攫い、彼は最後に魔神へと一太刀斬りかかると、その身に残る力を振り絞り、魔神を重力の枷で縛りつける。
「貴様も、これで終わりだな」
飛び退くシャルフの背後、ヴァインは炎の剣を魔神へと向けていた。
「死んでもらうぜ、魔神!」
彼の剣から迸った炎の龍は、魔神の本体であろうあの巨大な獣に匹敵せんサイズに膨らみ、喰らいつくように魔神へ迫った。
「その程度で」
ふっと失笑が聞こえそるその瞬間、炎龍はその姿を無数に分かつ。
そして炎の龍は魔神の頭上を旋回し、そこに特大の魔法陣を作り上げた。
「なっ……!」
見上げる魔神。魔法陣は瞬く間に完成。その陣は炎を触媒に、周囲の魔力を吸い上げ炎の衝撃波に変える術式。だが、そのサイズが通常に用いられるものの数百倍。威力もそれに比例する。
「死ね。これが俺の切り札だ」
魔法陣も詠唱もいらない、魔法の使い手たるヴァイン。彼がこの世界の『魔術』というものを、『魔法』という前提の下組み上げた特大術式。炎龍の咆哮が、今まさに一匹の獣へと放たれようとしていた。
だが、魔神とてただ受ける訳はない。重力に押しつぶされそうな身なれど、まだその人外は優に動ける。ヴァインへ接近し、その術式を止めることも可能だ。
立ちはだかるシャルフ。魔神と打ち合う。魔神の姿は、アリルだ。彼はそのことを胸に深く刻みつけながら、それの相手をし続けた。
「どけ、シャルフ!」
ヴァインはそこで白金の短剣を抜いた。炎を纏わせ、魔神へと投げる。魔神がそれを払いのける瞬間を見計らい、シャルフは撤退。頭上の魔法陣がその力を解放する。
放たれる炎波。それは瞬く間に収束し――魔神を呑みこんだ。
それが収まった時残ったのは、一本の短剣だけだった。
やっつけほんとスミマセン。
展開は元から考えてた通りなんですがね……。




