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四章 4

 ――凄い。

 囲まれた円の中、一人背伸びしてアリルを見る氷水。

 仲間たちの向こう、単身アリルは周りの獣たちごとケルベロスと戦っていた。

 剣は猛り、血飛沫が舞う。動きは全て紙一重。皮膚一枚削らせも、雄々しく屠る。

 動きの一つ一つに無駄がない。繊細優雅に、豪快無法。

 ヒトとして洗練された凄さ。

 傷を負いながらも次を。

 ――行きたい。あの、境地まで。

 アリルの凄烈さを見ると、自然と高なる心臓。

 足は自然に前へ踏み出していた。

「私も外に出して」

 前にいた仲間へそっと声をかけた。

 背後からの声に、驚いたようだが、氷水からだと気付くと頷いた。

「団長は、あなたから動くのを待っていました。……こんな土壇場で来るとは思っていなかったでしょうが」

 苦笑いしながら、前衛と交代する。乱れた隊列を周囲がすぐさま埋めにかかる。下がった前衛が、氷水を見て急な異動の意味を理解した。

「次のアイツの後退で、突っ込んでください。援護します」

 先ほど前衛に入った団員が、片手を背中に当て、指を三本立てた。意味はすぐに分かった。

 三、二、一、零.

 獣の一匹に一打加えると、バックステップ。開いた隙間に氷水が走った。


 目の前に獣。右の短剣を閃かせ、首を狙う。

 拙い動きは獣に避けられ、伸ばした腕を牙にやられる。反射的に滑り落としそうになった短剣を、噛まれたままで掴み直す。

 ――すぐにあんな風になれるなんて、思ってない。

 ――この痛みが大事なんだ。

 失敗を恐れては、前に進まない。

 ――私は、強くなる。

 左の短剣をその獣の首を攫わんと下から狙う。獣はそれに気付いてか、噛む力を強めた。

 魔獣の習性らしい。生半可な攻撃では死なないため、獲物からの反撃がくると力を強めて削り合いに持っていくという。

 だがそれは、神の加護の最も強い神子には逆効果だった。

 ――そこ!

 刃に宿る力を放つ。対の短剣が同じ磁力を宿し、刃が反発で加速する。

 短剣が抉るように魔獣の首を攫う。氷水はその肉を裂く感触を覚え、ぐっと歯を噛みしめた。

 殺すということを。

 氷水は噛まれた箇所をさっと見る。牙の痕があったが、それだけだった。

 常人なら喰らわれていただろうが、魔に絶対の耐性がある神子ゆえただの獣に噛まれただけですんでいた。

 氷水はその理解を得ると、短剣を強く強く握りしめ、アリルの許へ走った。

「アリル!」

 彼女へ駆け寄り、隣に並ぶ。アリルは装備している簡易鎧も、肌を見せる腕も顔も、いたるところが傷だらけで、でも致命的な傷は負っていない。足元には獣の屍。一人戦い続けたことがありありと分かる。

「……ヒミナ」

 アリルは氷水に気付いていたのか、後ろも見ずにそう呟いた。

「アレの相手はさすがにお前には無理だ。お前を庇ってやれそうにもない。大人しく戻れ」

 凛々しい顔のまま、彼女は有無を言わせず氷水を突き飛ばした。

 ケルベロスがしかけてくる。

 右の頭が炎を吐く。アリルはそれを右に動いて避け、正眼に剣を構える。

 ケルベロスの中央の頭がアリルへ牙を向けた。その首へ、面へのフェイントから袈裟斬りに切り替える。左の頭がその剣の軌跡に牙を当てて止める。中央の頭から、炎が吐き出された。

 アリルの魔術が発動。氷柱を生成し、それが上から降り注ぐ。ニードルスパイク。これでケルベロスは退かなければならない――

 見ていた氷水はそう思った。

 違う。

 ケルベロスは右の頭部を持ちあげ、頭上から降り注ぐ氷柱群を炎で溶かす。

 即ち、中央の炎は止まらず――

「アリルッ!」

 悲鳴に近い声でアリルの名を呼ぶ。炎に包まれたアリルはどうなった?

 数瞬後、炎の中から転がり出てくるアリルの姿。地面を転がり、燃え移った火を消す。

「大丈夫!?」

 駆け寄る氷水だが、アリルに手で制される。

「大丈夫だ。私にも魔術を使うものとしての耐性がある。この程度の炎、火傷にしかならんよ」

 アリルは膝立ちの状態でそう言ったが、ケルベロスは待ってくれない。迎撃に動くアリルを、今度は氷水が止めた。

「私がいく」

 短剣を順手に構え、受けやすいよう前で構える。

「しかし――」

「私はバックアップできないから」

 ケルベロスのブレスから顔を庇って受ける。神子の耐性は、アリルの比ではない。

「アリルが後衛、やってよね」

 炎から突進してきたケルベロス。爪を伸ばし氷水を裂かんと横薙ぎに振るう。それへ短剣をぶつけ、攻撃を阻止。僅かに地面を滑る。ケルベロスはその勢いのまま頭を前に出し、氷水へと喰らい付いてきた。

「ッ!」

 喰われる――躱すのは無理だと判断し、次の瞬間やってくる衝撃に身構える。

 しかしそこへアリルからの援護。氷の障壁が、氷水の腕とケルベロスの頭部の間に現れる。障壁は薄く、ケルベロスの勢いでそのまま割れてしまうが、噛みつきという行動がその一瞬でズレる。氷水は手を引くと、ケルベロスは空を噛んだ。

「ありがと!」

「……当たり前だ」

 氷水の言葉に、後ろから心強い言葉が返ってくる。

 氷水は彼女の役に立てたことを嬉しく思った。

 アリルは自ら前へと立つ彼女を頼もしく思った。

 それだけで、英雄の仲間と認められる。

 芽吹く刻印。

 剣握る拳。

 女神の紋章。

 アリルの首元へ生まれ、ほんの一部しか知らない、氷水の紋章の場所、首の裏と結ばれる。

 氷水はその瞬間、頭を巡る魔術の波動を理解した。

 体が作りかえられる感触に震えを返す。足りないものを補った感触。

 刹那の快楽が体を通り過ぎ、氷水はそっと力を込めた。

 そして剣が進化する。

 短剣は長剣へ。刃を薄氷に。薄く煌めく氷の刃。重さを感じさせない、対の長剣へと。

 司るは、磁力と氷。

 ケルベロスから距離を取り、二つの剣を正面で交差させるように構えた。

 短剣二つならともかく、長剣となると簡単には振り回せない。それならば。

 ケルベロスは、炎を撒き散らしながら彼女へと突進する。

 氷水はそこに氷の力を込めた。

 薄氷の刃は薄く鋭く、刀身を伸ばす。薄く薄く、光を透過させ魔獣に気付かれないまでに薄く。

 そして、伸ばした刀身へ、磁の力を注げば――

 二つの刃が鋏となってケルベロスの頭三つを切断した。


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