四章 1
魔物たちの襲撃から一週間が経った。
民間の被害は少数。兵たちの被害も僅かと、魔物たちの規模にしては軽い被害と言えた。
それでも城は、魔物襲撃の事後処理に追われていた。
「南門を東に沿っていったところの穴の修理費用です。既に修繕は始まっていますので」
「えっ、魔物の死体が転がってる? どこの区画だ」
「死傷者のリストはまだか!?」
アリルが王城内で拾った声の数々。自身もまた似た話をすることになるのだろうかと、彼女にしては珍しく憂鬱な思いに駆られた。
彼女は呼び出された場所の目前へと辿り着いた。そこは謁見の間。王が外部の者と相対する、王の威厳を高める場所である。部屋は赤い絨毯が扉から一直線に敷かれてあり、縦長の部屋をさらに細い縦長に割る。奥は幅の広い階段数段で高さを上げ、並ぶように王と王妃、そして王子の椅子が設えられる。普通は部屋の壁際には高価な調度品で格式高さを強調するのだが、この城の主の意向で調度品は最小限。最大の贅沢が、椅子の後ろ壁一杯のビロードの国旗なのだから頭が下がる。
通常、謁見の間は内部の者と看做される騎士団の長を呼び出す場ではない。そう考えると、儀礼的にも王を高めて配下を落ち着かせる必要のある緊急事態か、外部の者との同時謁見か。
思いを巡らすアリルだが、それは杞憂に終わる。
謁見の間の両脇に立つ兵からの目礼を受け、観音開きの扉をくぐった。赤い絨毯の上、奥の階段前で立っていたのは、紅の衣に身を包んだヴァインであった。
「よう」
王の御前でありながらも変わりない、ふてぶてしい様子。些か気を緩めるアリルだが、しかし一騎士団の長の責務ゆえか、流れるような動作で傅く。ヴァインにそんな気はないようで、立ったまま、座る王を見上げた。
「魔道騎士団長、面を上げよ」
王の言葉に顔を上げ、周囲を窺うアリル。
ヴァインの他に兵の姿はなく、背後の扉はいつの間にか閉められていた。ヴァインとアリルを除いた人間は王と一人のみ。その者は文官で、確か外交官の一人と頭の片隅から答えを出す。
「それで、魔道騎士団長とスザナフ家の用心棒一人呼びつけて何の用でしょうか?」
退屈そうな表情のまま、ヴァインは慇懃無礼に問いかけた。その態度に体を振るわせる外交官だが、王が何も言わないことから自らも怒りに染まる顔をそのままに黙りこくる。
場が落ち着くのと同時、王は丁寧な口調で二人へ語る。
「この度お二人を呼んだのは他でもありません、伝説の〝英雄〟としての話です」
王から滑り出た言葉に、ニヤリと笑うヴァインと疑問を浮かべるアリル。
先に言葉を発したのはアリルだ。
「失礼ですが、何故ヒミナではなく私に?」
ヴァインやシャルフが隠しているはずの事実がバレている。しかしそちらはそちらでなんとかするだろう。そんな無責任とも見える彼女の信頼。
ひとまず自身の疑問を優先する。
ヴァインもそれでいいようで、退屈そうな表情が一転、ギラついていた。
「今回の事態はいずれ噂が街に広がるでしょう。一般の兵や市民の声に流されぬことのないよう、上官として彼女を導いてください。これはまだ少女である彼女に判断させるには少し早い、重大な話です」
まだ少女――なるほど、言いえて妙だとアリルは思う。
氷水はまだ、英雄どころか戦士でもない。さらに女性とも言えない、子供のようなものだ。前者は本人も自覚のあることだろうが、後者は無自覚だろう。
それは女性として経験があるとか、年齢がどうとかの問題ではない。ただ少年を青年に、少女を女性に、子供を大人に成長させる何かが不足しているのだ。その多くは通過儀礼として区切りを設け、先の世界に馴染ませることで引き上げる。そんな形として有る。
氷水はまだ、儀礼も儀礼でない何かとも出会っていない。だから少女。
王の言葉に納得したが、肝心の話を聞いていない。隣を向くと、ヴァインは続けろというように、顎で前を指す。
「陛下、此度の話とは?」
アリルの問いかけに王は頷き、外交官に先を任す。
「では陛下に変わりまして、私目が」
区切りを置き、二人に傾聴の姿勢を促す。
「南方の宗教国サマサマーナからの急報にございます」
一々区切る外交官。王の前置きと言い、不穏な気配が二人の間に漂った。
「して、内容は?」
外交官も、勿体つけるために区切っているのではないだろう。言葉を選んでいる。
それが分かるからこそ、アリルも彼が言葉を発しやすいよう促した。
「英雄の一人、〝悪魔〟の存在が確認されました」
目を見開くアリル。英雄としての話だと言うから予想はしていたが、やはり言葉にされると心にくるものがある。
「で、報告だけに呼んだ訳じゃないだろう? さっさと用件を言いな」
しかし隣はそうでもないようだ。この世界の人間でないが故危機感を感じてないのではと思ったが、それは違うと理性が否定する。この世界の人間は悪魔という存在を過剰に意識してしまっているし、彼はそんなことも承知でそんな態度なのだろう。この城で語った彼の推論を忘れてはいない。
外交官のヴァインに対する評価が下がり続けている。それでも不躾な対応には慣れたか、硬い口調で言葉を返す。
「ヴァイン殿にはそちらの調査に向かってもらいます。無論スザナフ候へ用向きを伝えた上で、そちらで動かせるだけの兵を動員してもらって構いません。
アリル騎士団長には、神子様を含めた魔道騎士団でそちらの方と共に調査へ向かうか、神子様の本格的な教育に着手するか選んでもらいます」
「オイオイオイ、えらく急な話だな。それに神子サマには選択肢を与え、俺には働けと命令しやがる。何様のつもりだい?」
牙をむいたのはヴァイン。
「あなたは身分を偽り入国しているでしょう? 城にも度々無断で出入りしているようですし、こちらも衛兵を呼ぶ準備はできていますよ?」
外交官の言葉を聞いたヴァインは「ククッ」と笑い、引きさがる。彼なりの冗談のようだ。
「答えは今返すべきか?」
「お願いします。サマサマーナからの使者を待たせてあります」
「では引き受けさせてもらおう。……悪魔が相手だったな。魔道騎士団の半数を動かさせてもらうぞ」
「そちらの判断は御随意に」
話はまとまった。
「それでは諸君らの健闘を祈る」
王の言葉を聞くと、ヴァインが真っ先に扉へと向かう。
アリルは再度王へと傅くと、「失礼します」と謁見の間を去る。
部屋を出でヴァインへ駆け寄ると、何を考えてる、と直接問うた。
「何をってまぁ、この世界――この世界の伝承についてだよ」
「英雄か……」
彼の推論が頭を過ぎる。『俺は〝天使〟としては異端なのではないか』
「三人目だ。奴の存在で何か答えが出せるだろう。俺と、あいつと、そして三人目の。願わくは悪魔が俺の智に役立つ存在でありますように」
彼はそうして掲げた握りこぶしを開く。中から炎が現れ、彼はそれを吹いて消した。
それがまるでおまじないのようで。
「フフ」
笑った。
アリルはその似合わなさに、笑ってしまった。
「なんだ?」
本人は無自覚の行動だったようで、そのことが彼女の笑いに拍車をかける。
「フフ、ハハハ、ハハハハ……!」
「なんなんだよてめぇ」
――どうもこの二人は似た者みたいだな。
目の前の〝少年〟と、この街のどこかにいるであろう〝少女〟を思い浮かべてまた笑った。