三章 2
事が起こるのはいつだって突然だ。
ガシャガシャという甲冑の擦れる音が、決して静かではない大通りに響く。目をやれば城の警備をしているはずの部隊が、物々しい様子――顔は統一された兜に覆われて見えない――で通りを過ぎ、南門へと向かっていた。
「どうしたんですか?」
氷水は夜の灯りを切って進む彼らに追いすがり、先頭を行く部隊長に声をかけた。
相手は少し遅れて兜を向け、氷水ということを認識すると「神子様でしたか」と答えた。
「魔物ですよ」
歩くペースは変わらず、兜を正面に戻して彼は続ける。
「南南東から魔物の一群が向かっています。早くに気付いた物見が警備兵を出して退治したのですが……後から後から魔物の数が増えているそうなのです」
部隊長はこれで説明の義務は果たしたというように、先よりも早く動く。
「あ、あの、私も手伝います」
歩幅の関係で小走りに追う氷水は、腰に差しているクラウ・ソラスを持ちだした。
「いいえ、結構です。我々には我々の仕事がありますので、神子様はごゆるりと」
きっぱりと、反論を許さない物言い。ですが、と反駁する氷水に、部隊長はやや鋭い言葉を放つ。
「神子様、本日あなたは休みでしょう。数が足りている仕事に無理して出る必要はありません。大体――」
再び部隊長は、目線を氷水へ向け、
「あなたはその装備では戦えないでしょう」
今の氷水の姿は、飾り気のない服に剣を提げただけの私服姿だ。決して闘いに出る格好ではない。剣は女神の力で武器となるため、あくまで今の姿ではあるが、問題はそこではなく。
「神子とはいえ、あなたはまだ一介の魔道騎士団員。それも見習い。
確かあなたの正規装備は、レザーアーマーに関節部位を鉄で覆った装備でしたな。悪いことは言いません。軽装でしかないそれで戦場に行くのは死にに行くのと同じです。あなたにはまだ、魔道騎士団としての経験が足りないのですから」
部隊長は口の中で遊ぶように、アリル団長とは違ってね――と、小さく付け足した。
「で、では、装備を整えてから――」
「大体っ!」
突然声を荒げ立ち止まる部隊長に、氷水は竦み上がる。
「あなたは何様のつもりですかっ。我々はこのような事態には慣れています! わざわざ指揮系統を混乱させてまで神子を投入する必要はありません!
あなたは勘違いしているっ。誰もあなたに期待などしていません!」
「――っ」
苦虫を噛み潰したような表情をする氷水。
ハッと、言いすぎたことに気付いたのだろう。部隊長は慌てるように「失礼します」と言い、足早に駆ける。続く兵たちも、同情するように兜をそちらに向けるが声をかけはしない。それは隊長の言葉に一定の理解を示しているからかそれとも。
大通りだったこともあり、多くの人が取り残された氷水へと目を向ける。しかしタイミングを逃したのか、一人浮く氷水に誰も声をかけれない。
「騒がしいと思って来てみれば……まーたおもしろいことになってんのな」
「……ヴァイン」
そこへ、路地裏から現れたヴァインが言った。服は以前買った赤々しい古着の一着だ。腰には氷水と同じように神剣を提げているが、一目では朽ちた剣ということが分からない。
「あいつの言い分は当然だな、短気なのがマイナスだが。てめぇじゃ力が足りねぇし、お前が前線にいて士気が上がるとも思えない。悪いことは言わねぇ。その装備で行くのは止めとけ」
「でもっ、いないよりは――」
「マシかもな。だけどよぉ、邪魔する可能性の方がよっぽど高いぜ。この国、大山脈に挟まれてっから魔物の襲撃が多いんだろ? 何度も繰り返され、パターン化されてるはずだ。そんな中何も知らない――だろう神子様が出しゃばるから、疎ましがられる。なんら不思議じゃない。
で、実際どうなんだ? こういう立ち回りは団長さんに聞いたのかい? そもそも魔物の襲撃なんぞ、お前が降臨してからあったのか?」
「……どちらもないわ」
言うのを恥じるように、間をあけて返す氷水。
「だろうな。少なくとも魔物の報は。ヴァル=ルージェの方に流れ込んで、好き勝手してたからな」
「どういうこと?」
「簡単な話だよ。あの国は民の命なんざどうでもいいから、魔物が襲ってきても助けない。だから人は死んで、魔物がのさばる。まぁ流れ込んできたのは一時的なものだろうが……その所為で何度も襲撃の報を聞いた。最後にゃ燃やし尽くしてやったが」
ニヤリと笑うヴァイン。「さて」と、腰に手を当て言う。
「つまりは久しぶりの敵襲。もたもたするような馬鹿ばっかじゃないだろうが、討ち洩らしがないとも限らない。街は城壁で囲まれてるとはいえ、壁を壊されたり、飛んで超えられたりする可能性も十分にある。
そこにわざわざ段取りの知らない神子様を投入する余裕はないってことだ。精々次のための見学のために呼ばれるくらいだろう。お前本当、一月もここで何やってたんだよ」
やれやれと大仰に肩を竦めるヴァインへ、「いいから続けて」と催促。
「だから、お前がどうしても役に立ちたいってんなら……装備整えて、外ではなく中、市街の城壁近辺を哨戒すべきだな」
最後に何の策もない、例えば「それでも無理に前線に出りゃあ役には立てるかもな」みたいな、投げやりなことを言われると思っていたばっかりに、あまりに普通かつ建設的な意見の登場で力が抜けた。
「なんだい、目を丸くして?」
そんな言葉も白々しい。
ため息をつきそうになる口を無理やり動かし、氷水はヴァインに言う。
「そうさせてもらうわ。あなたはどうするの?」
「ついていかせてもらおう。お前の与えられた力ってのも、いい加減に知りたいしな」
そういえば言ってなかったわねと、氷水は今更のように思い出した。
「魔物相手じゃ出番ないわよ」
「なら答えだけでも教えろ」
それなら勝手に調べられると、ヴァインは言うが、氷水は取り合わない。
――折角だからずっと悩んでなさいっ!
歩き出す二人。向かうは王城。
まずは装備から。
準備を終えた氷水は、改めてヴァインの姿を見る。
――どう見ても着の身着のままなんですけどっ。
頭の天辺から足の先まで、ざっと眺める。以前共に買いに行った服だ。間違いない。
武器は神剣。
防具はない。
頬のタトゥーが、いつものように歪んでいる。
「あんたはそれでいいわけ……?」
「もちろん」
何がだ、と言い返さないあたり、やはり自覚しているのだろう。
二人は王城の南東の城壁付近にいた。
魔物の襲撃は南南東からだそうだが、さすがに外の兵も東寄りに張っているだろう。そんな兵たちが見逃してかつ、侵入を許しそうな場所はこの辺だろうと当たりをつけてここを選んだ。
しかし――
「来ないね」
「そりゃな」
殺伐としているだろう南外壁から離れ、南東のここはまさしく無人、まさしく静寂。この近辺に人家はないようで、僅かばかりの畑を広げるにとどまっている。
市場の格安新鮮野菜の多くはここで取れるんだろうかと、庶民的なことを考えながら氷水はヴァインに問いかける。
「まるで当たり前のように言うじゃない。来ない方が確かにいいんだけど、あなたの立てた予測でしょ? 何か言うことはないの?」
これでは拍子抜けだ。意気揚々と準備してきたのがバカらしい。
「何を言っている。普通は群れる魔物で防壁は壊れないし、空を飛ぶ魔物ってのはレアなんだ。壁を超えるのは極々稀だ。言っただろう。『どうしても役に立ちたいのなら』と。誰も見張らない万が一のポジションがお前にお似合いだよ」
いつの間にか地面に座り込んでいたヴァインが、城壁を見据えながら答える。
「……じゃあなんであんたは来たの? 時間の無駄だと分かってるのに。
そ・れ・と・も……私と二人っきりになりたくて来たの?」
冗談めかして言う氷水だが、返答が返ってこない。
シーンとした空気に、声を出そうとする氷水だが、同時に耳が荒々しい足音を拾う。
「教えてやろうか」
ヴァインは立ち上がり、剣を抜く。剣はたちまち柳葉刀となり、それを壁へと向ける。
「ただの勘だよ」
同時、ドッ! という音が目の前の城壁を揺らす。轟音は一発では終わらず、続きドドドドドドドッと辺りを騒ぎ立てた。
そしてガッ!! という破砕音と共に、二人の正面から少しだけ離れた位置にある城壁が砕け飛ぶ。内に瓦礫を飛ばし、壁を破ったそれが、土煙を立てて正面へ走る。
彼は横を通り過ぎようとする魔物へ刃を向け、その刀身から炎を放つ。橙の炎は魔物の肌を舐めまわすように焦がす。
魔物は突然の炎に向きを変え、大きく円を描いて発火源のヴァインへ向かう。
ヒューと口笛鳴らすヴァイン。
「どこぞのバカどもとは違うな」
突進を横へ跳び退ることで回避。余勢で通り過ぎる魔物へと、炎の追撃を見舞う。
「燃え盛れ」
赤い炎を繰り、過ぎ去った魔物の足を狙い、燃やす。
ブォォォォォォという悲鳴が空に響いた。
壁を破ってきた魔物は、サイに角を増やしたような形の、見るからに鈍重そうな生物だ。
「見とれてんじゃねぇ!」
ヴァインの叫びに我に返った氷水は、空いた壁から何匹もサイのような魔物が出てくるのを見た。
「私も……!」
剣を二刀に変え、低く構える。
――正面からは絶対無理。先頭を避け、右の一頭を横から狙う。
イメージは、先のヴァインの動きだ。寸前で避け、勢いそのままのサイもどきを横合いから切り裂く。
――一、二の……三ッ!
横へ跳び、サイの群れを躱す。しかし転がるように避けたため、立ちあがった時にはもうサイたちは過ぎ去っている。
その群れが向かうのは、仲間を燃やしたヴァイン。
「オイオイ神子様。全部こっちってのは、さすがに無――」
一頭目を躱し、
「理だっつー――」
二頭目から逃げるように飛ぶ。
「の!」
三頭目は彼の目の前。避けても左右には別のサイが控えている。
「ヴァイン!」
しかしヴァインはサイの突進を、角の先端に飛び乗ることで回避した。斜め下から持ちあげられる角の一本に足をかけ、勢いを殺さないようサイの背中を転がる。サイが走ることで、彼はそのまま背中から投げ出される。
「ふんっ」
落ちる寸前、炎がサイの体を覆った。サイは燃えながらもなおも走り、群れ全体で楕円を描く。再び二人――いや、ヴァインへと突進をかますのだろう。
サイから落ちたヴァインは、数回転がって勢いを殺す。
「っぶねーな。俺じゃなきゃ死んでたぜ」
――確かにそんな芸当、普通の人はできないけどっ!
サイに目をやれば、やはりヴァインへと向かっている。
「ど、どうするのっ! あんたの炎でもまだ倒せてないじゃない!」
一匹目も既に動きを再開。群れに加わり、炎を纏ったサイがその群れの存在を誇張する。
「くくっ! どうしようかなぁ。神子サマがもっと頼りになるなら困らなくても済むのになぁ!」
いつでも皮肉を忘れないヴァインに、呆れるべきか、状況を恐れるべきか無駄なことで悩まされ――
「もっと頼りになる奴が、来たようだぜ」
パリィンという割れるような音と共に、ヴァインの目の前に来たサイたちが、次々に横転、あるいはヴァインから逸れていく。
「二人とも、時間を稼いでくれて感謝する。この場は私が受け持とう」
街の方から現れたのは、魔道騎士団長アリル。
サイの足元を見れば、地面が凍っている。彼女がサイの進行方向を凍らせ、スリップを促したのだろう。駆けまわるサイの足に霜が付着していることから、別の細工もしているのだろうが。
「それじゃ団長。あの一匹は神子サマにやらせてやれ。摸擬訓練だけじゃ飽きたみたいだしな。あぁ、あっちのカラスどもは俺がやる。安心してくれ」
カラス? と氷水が城壁方向に目を向けると、体長一メートル以上もある黒い鳥が、三羽ほど舞っていた。クチバシは長く、翼も大きい。
「あんなのカラス、いてたまるかっ!」
「雑魚は所詮雑魚だよ」
ヴァインがパンと手を叩き、その手を広げる。手の中には赤い炎が踊っていた。
「それじゃ、開戦だ。てめぇはちゃんと、あいつを殺れよ」
体を燃やしながら走るサイを示され、氷水は配慮はされているんだなと感じた。