三章 日常の変化
帝国ヴァル=ルージェに住まう騎士はかく語りき――
あの天使と言うやつには驚いた。
先代の天使と言うのは、この国を腐らせ暴虐の限りを尽くした大罪人だ。この国に住まう者どころか、世界のほぼ全ての者がいい印象を持たない。
しかしこの男、伝承に語り継がれるそんな傍若無人、悪逆非道な男とは一味違う。最初出会った時の印象は、やはり先代の伝承もあってこのような男かと落胆せざるを得なかった。しかし彼は、乱暴なようで聡明だ。自分勝手に振る舞ってはいるが限度はわきまえ、おもしろきことあればそれに喰い付き、乗ることもできるお調子者。終始ハメを外したのは恐らく最初だけ。
そして何より、この国の現状を憂いていた。自分勝手な貴族たちと貧窮に喘ぐ民。虐げられる者を助けるべきだが、王族に目をつけられれば動けない。だから仮面を被った。王族に従順な、利用しやすい単純な奴と思われるような仮面を。
そして彼は、あろうことか軍の者である私に接触し、クーデターを持ちかけた。この世界へ降り立ち三日でだ。私は既にクーデターを計画し、貴族を皆殺しできるだけの武力――即ち金に釣られず裏切らない者たちを集めていた。王らが国を支配してできていたのは、従える兵が強力なのではなく、従わないとどんな目に合うかわからないという恐怖を与えていたからだ。兵の多くは歯向かえば殺されるか、他の人間に重い罰が与えられるというのが分かっていたからこそ何もできなかった。だから一斉蜂起できれば、兵は全てこちらにつく。こちらが正しいと分かっているから。こちらが勝てると分かるから。
私が行ったのは、一斉に牙を剥けるような念入りな根回しと、貴族を皆殺しした後でも国を回せるような人材を集め、教育すること。貴族らに見つからないように行うそれらは、必然場所や時間が限られてくるが、たった三日で漕ぎつけるというのは尋常でない。私は彼の洞察力に驚嘆するとともに、計画の変更を余儀なくされたよ。
「この男を放っておくのはまずい」とね。
結局、彼は反論なく、それどころか絶賛するように私の計画を受け入れた。自らが汚名を被ることを計画に加えてね。
どうして彼がそんなことをしたと思う?
「それの方が勝率が高い」からだそうだよ。
だからこそ、と言うわけでもないが、どうにも彼は負ける戦はしない性分のようだ。絶対勝てるという保証が欲しいわけではないが、絶対負ける勝負には絶対降りる。当たり前だが、それを何よりも先に考えている。だから彼が感情のままに動くことは、未来永劫一度もないだろう。これは確信を持って言える。
もしかしたら彼は、それを悔やんでいるのかもしれない。
商業国ミーレルハイトに住まう主婦はかく語りき――
神子様? あぁ、いい子だね。
何がってそりゃ、毎朝挨拶してくれるたり、子供が転んでたら手を差し伸べたり。優しい子だからねぇ……もっと他にこう、とは言えないさね。いつも笑ってるいい子。私らからは、それ以上の言葉は出ないよ。
でもねえ……最近は心配だよ。なんてったってコ・レ、ができたみたいだからね。
おや? 知らないのかい? ここいらじゃもっぱらの噂だよ。
「神子様に男ができた」ってね。
その男がどんな姿か? うーん、いつも赤い服ばっかり着てる、今までここいらじゃ見なかった顔だね。髪も真っ赤、目の下には刺青なんかして、粗野な男だよ。
それでも神子様、あの男の何がいいのか、いつも怒ったり笑ったりしてるんだよ。
今までは愛想笑いばっかりだったんだけどねぇ……やっぱり男は女を変えちまうのかね。
あ、そうそうそう言えばお隣の……
宗教国サマサマーナに住んでいた者はかく語りき――
あれは、まずい。あんたが何もんなのかは知らねぇが、関わるのはやめておけ。伝承で言われる悪魔なんかとは比べモンにならねぇ。
後悔する。
何故か? バカなことを訊くな。見れば分かる。
あの暴力は……生きることの無意味さを教えてくれるさ。