あなたの隣に私は必要ですか?
「すまないアリーシア。護衛任務につかなければならない。次の夜会も一緒にいけない」
婚約者であるルートヴィッヒ・エルンザーレ小侯爵様が、いつもどおりのセリフを言った。
今日は、エルンザーレ侯爵家の庭園内にある四阿で、月に一度行われる婚約者同士のお茶会。
しかし、そのお茶会すら、急な任務にて流れることもよくあった。
エルンザーレ侯爵家の嫡子である彼は、幼き頃より剣技や武術などに優れており、今では23歳の若さで、王立第二騎士団の副団長を任されている。
鍛え上げられた体躯はがっしりと大きく、寡黙な彼の、切れ長の翡翠色の目はとても鋭く、見る者を震えあがらせてしまうほど。
そんな彼とアリーシアが婚約したのは、約3年前。家同士の繋がりを欲するための完全な政略結婚だった。
アリーシア・フォンベルタ侯爵令嬢。ルートヴィッヒより5歳年下の18歳の彼女は、つい先日学園を卒業したばかり。
本来ならば、アリーシアの卒業と同時にルートヴィッヒの元に嫁ぐ予定であったが、ちょうどその頃、彼が第二騎士団の副団長に抜擢されたばかりで、すぐに遠征任務を命じられた。
急な遠征任務だったが、王家からの勅命にて断れず、予定を変更せざる終えなかったのだ。
遠征任務の目的は、隣国に向かう王女殿下の護衛であり、その王女殿下は以前より殊の外ルートヴィッヒを気に入っていた。
国に戻ってきてからも自分の専属護衛にルートヴィッヒを指名した為、多忙な毎日を送っており、なかなか結婚の日取りを決めることが出来ないまま今に至る。
「分かりましたわ。父か兄に付き添いを頼みますので、こちらの事はお気になさらず」
アリーシアは努めて穏やかに答える。
この答えもいつも通りだ。
そしてその答えを聞いたルートヴィッヒは軽く頷き、特にそれ以上気にする事もなく一口お茶を飲む。
「そろそろ王宮に戻らなくてはならない。ゆっくり時間が取れず、すまない」
これもいつも通り。
護衛対象の王女殿下は、少しでもルートヴィッヒがそばに居ないと、不機嫌に周りに当たるため、出来るだけそばに付くようにと騎士団長からも言われているそうだ。
「それもお気になさらず。どうぞお仕事を優先させて下さいませ」
形ばかりの会話をした後、すぐに解散となる定例お茶会。
ルートヴィッヒはすぐに立ち上がり、早々に王宮へと向かう。
その後ろ姿を何度見送っただろうか。
ルートヴィッヒが去ったあと、密かにアリーシアはため息を吐いた。
ルートヴィッヒが居なくとも、アリーシアは侯爵家に残り、嫁いだ時の為に義母となるエルンザーレ侯爵夫人から、侯爵夫人の心得や仕事を学ぶ。
この日もアリーシアは四阿を後にし、侯爵邸へと足を運んだ。
「まぁ、ルートヴィッヒはもう王宮に戻っていったの?」
呆れるようにそう言った侯爵夫人は、申し訳なさそうにアリーシアを見る。
「今日はルートヴィッヒに結婚式の日取りについて、二人で話すことは出来たかしら?」
「……いえ。次の夜会にはエスコート出来ない事を教えていただきました」
「また!?」
アリーシアの言葉に、侯爵夫人は更に呆れている。
「いくら王女殿下の専属護衛だとしても、ルートヴィッヒ一人ではないのよ。ずっと付かなくてもいいはずなのに……」
侯爵夫人はそう言って、不満を口にする。
ルートヴィッヒの護衛対象である王女殿下は、この国、シャルベルト王国の第三王女である。
ミーア・シャルベルト第三王女殿下。
御歳19歳の彼女は、王立騎士団の対抗模擬戦を観戦した際、勝ち抜いていたルートヴィッヒを見初めたそうだ。
すぐに自分の専属護衛に付けるよう国王に依頼し、ちょうど隣国に向かう予定であったミーア王女の護衛として勅命を受けた。
それ以来、ミーア王女は何処に行くにもルートヴィッヒをそばに置いており、他の者だと明らかに不機嫌になるそうだ。
「王女殿下の命であれば、そちらを優先されるのは道義でございます。わたくしは婚約者として、お忙しいルートヴィッヒ様をお支え出来ますよう、精進するのみでございます」
アリーシアの言葉に、侯爵夫人は憐憫の眼差しを向けた後、気を取り直したように、次期侯爵夫人としての振る舞いを教えた。
こうして定例お茶会の後は、いつか嫁ぐ日の為に、必ずアリーシアは侯爵夫人より、エルンザーレ侯爵家の事を学ぶ。
その姿勢は、侯爵家の人々にとても好印象で受け入れられており、その反面、なかなか結婚の日取りが決まらない事に気を揉んでいた。
アリーシアが自分の屋敷に戻ると、アリーシアの母が待ちかねたように出迎える。
「おかえりなさいアリーシア。今日はルートヴィッヒ様とちゃんとお話出来ましたか?」
結婚式の日取りが決まらない事で気を揉んでいるのは、エルンザーレ侯爵家だけではない。
もちろんアリーシアの実家である、フォンベルタ侯爵家でも、なかなか日取りが決まらない事に不満を感じていた。
「お母様、ただいま戻りましたわ」
アリーシアは母に挨拶をしたあと、儚げに微笑んだ。
その表情だけで察した母は、盛大なため息を吐く。
「またルートヴィッヒ様は、すぐに退席されたのですね? あの方は結婚式について何も言わなかったの?」
母の咎める言葉に、アリーシアは自分が責められているような感覚に陥る。
「申し訳ございません。結婚式の話を切り出す事が出来ませんでした」
俯きながらそう言ったアリーシアの手に、母はそっと手を添える。
「あなたを責めているのではありませんよ。顔をおあげなさい」
遠征から戻ってきたルートヴィッヒとアリーシアの結婚式の日取りは、改めて両家で話し合いされた。
しかし直近での日取りを決めようにも、ミーア王女の護衛にあたるルートヴィッヒの予定が組めず、騎士団にも、まとまった休みの申請を出したところで認可が降りない。
王家に申し立てを行なったところで、のらりくらりと躱されてしまい、両家も困っていた。
ならば王女のお気に入りのルートヴィッヒが、直々に王女からの許可を得て休みが取れるよう願い出てもらいたいと、両家の親からルートヴィッヒに頼むが、その後ルートヴィッヒが申し立てをしたのかが分からない状況。
普段は騎士団の宿舎に寝泊まりしているルートヴィッヒは、ほとんど実家であるエルンザーレ侯爵家に戻る事がない。
たまに戻ってくる日が、婚約者同士の定例お茶会の日であり、それもすぐに王宮に戻ってしまう為、ルートヴィッヒの両親もなかなか確認出来ないでいた。
「次の夜会にもエスコート出来ないそうです。お父様かお兄様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
娘の言葉を聞いた母は、またしてもため息を吐く。
「またですか……。ルートヴィッヒ様は一体何を考えておられるのかしら」
母がさらに不満げにそう言ったあと、アリーシアを安心させるように優しく言う。
「大丈夫ですよ。お父様やルーカスは、あなたのエスコート役をいつも取り合っていますから、今回も二人で取り合いながらしっかりとエスコートしてくれますよ」
ルーカスとはアリーシアの3歳年上の兄だ。
次期フォンベルタ侯爵であるルーカスにも婚約者がいるが、その婚約者は辺境伯の娘にて、嫁ぐ日までは王都にいる事が少なく、夜会での参加は数えるほど。
その為、よくアリーシアのエスコート役を引き受けてくれていた。
「はい、お母様。ありがとうございます」
アリーシアは、母の言葉にホッと胸を撫で下ろした。
****
夜会当日。
アリーシアは兄のエスコートを受けながら、夜会会場に入る。
陽光を紡いだようなブロンドの長い髪を緩やかにまとめ、遊ばせた後れ毛が仄かな色気を誘う。
ラピスラズリのような深い青色の瞳は、まるで宇宙を閉じ込めたような点在する光を放つ。
薄いピンクゴールド色のイブニングドレスは、暖かみと上品な華やかさを兼ね備え、色白で華奢なアリーシアをさらに輝かせていた。
その隣には、同じ色の髪を持つアリーシアの兄、ルーカスが妹を守るようにエスコートしている。
二人の入場に、会場内の視線が一気に二人に注がれた。
「本日もフォンベルタ侯爵家のご兄妹は、とても麗しいですこと」
「あのお二方が来られると、会もより一層、華やかになりますわね」
「フォンベルタ侯爵子息様の婚約者様は、リザルレット辺境伯令嬢ですもの。なかなか婚約者様とは夜会に参加出来ませんものね」
「あら? でもアリーシア嬢にも婚約者の方がいらっしゃったのでは?」
会場内の参加者が思い思いに小声で話をしている。
しかし、それらの小声は本人が思っているよりも大きく、いやでもアリーシア達の耳に入っていた。
「今日もおしゃべり好きな人が多いようだね。アリー、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですわ。いつもの事ですもの」
アリーとは、家族からの呼び名。
気を遣ってくれる兄に、つい余計な言葉がこぼれてしまった。
でも、そう。いつもの事だ。
そう思っていたアリーシアだったが、次に会場に入ってきた参加者名の告知を聞いた時、心臓が大きく跳ねた。
「ミーア・シャルベルト第三王女殿下ならびに、ルートヴィッヒ・エルンザーレ小侯爵様、お入りになります」
その告知にパーティ会場内にざわめきが走る。
「何故あのお二方が?」
「エルンザーレ侯爵子息は、ミーア王女の護衛騎士だと聞いたが?」
「エルンザーレ侯爵子息には、婚約者の方がいらっしゃったわよね?」
それぞれがそう考えながら、最終的な視線がアリーシアに注がれる。
会場内のそんな雰囲気など、ものともせず、ミーア王女はとても嬉しそうにルートヴィッヒのエスコートを受けながら会場内に入ってきた。
ミーア王女のドレスは、立体感のある花をモチーフとした刺繍が全体に施されており、繊細なレースで透け感を演出し、豪奢な印象を与えているAラインのドレス。そのドレスの色は、ルートヴィッヒの瞳の色と同じ翡翠色だった。
対して、ルートヴィッヒは正装騎士服で参加している。
周りの興味津々な視線など気にも留めず、寡黙でニコリともしない彼は、ミーア王女をエスコートしながら、ただミーア王女を守る姿勢を崩さない。
その姿は、見る人によっては真実の愛で結ばれた恋人達のようにも感じられた。
「あの野郎、なにしてやがる」
アリーシアの隣にいるルーカスが、低く唸るような声でルートヴィッヒを睨みつけながら、一言発した。
「お兄様、王女様の御前ですわよ」
アリーシアは、怒り狂う兄を制しながら、そっと二人を垣間見た。
自然と人々が左右に割れ、二人の通る道が出来る。
その中を、寄り添うようにしながら会場の中央付近まで歩いている。
その姿を見ながら、アリーシアの心はズキっとした痛みを感じた。
あまりに見すぎたのだろうか。
ふいにルートヴィッヒがアリーシアのいる方に視線を向けた。
アリーシアと目が合い、そのまま二人の視線は交わされたままの状態となる。
ルートヴィッヒが自分の方を向いていないと気付いたミーア王女は、ルートヴィッヒの視線の先を追い、アリーシアの姿を見つけた。
「ルディ? あの方は?」
ミーア王女がルートヴィッヒにそう尋ねた。
周りの人々は、ミーア王女がルートヴィッヒを愛称で呼んだ事に驚きを隠せない。
もちろんそれは、アリーシアやルーカスにも聞こえていた。
「私の婚約者でございます、ミーア王女殿下」
ルートヴィッヒは恭しくそう答える。
その答えを聞いたミーア王女は、目を細め、視線を鋭くアリーシアに向けた。
「ルディ、あなたの婚約者を紹介して下さるかしら」
そう言って、アリーシアの方に向かって歩き出す。
その様子に、ルートヴィッヒは小さくため息を吐いた後、ミーア王女に続くようにアリーシアの元に向かった。
「ミーア王女殿下、こちらが私の婚約者であるアリーシア・フォンベルタ侯爵令嬢でございます」
ルートヴィッヒからの紹介を受けたアリーシアは、ミーア王女殿下に向けてカーテシーを行う。
「お初にお目にかかります。フォンベルタ侯爵の娘、アリーシアにございます」
アリーシアの挨拶を受けたミーア王女は、すぐには返事をせず、アリーシアを値踏みするように、じっくりと見る。
それからゆっくりと返事をした。
「そんなに畏まらなくてよろしくてよ。顔を上げなさい。わたくしはミーア・シャルベルト。この国の第三王女よ。あなたの婚約者であるルディには、いつも良くしてもらっているの」
牽制するように、わざと愛称呼びをするミーア王女に、ルートヴィッヒは顔を顰めるが何も言わない。
「左様でございますか」
アリーシアは、それ以上余計な事は言わず、ミーア王女の言葉を受容した。
「……それだけ?」
ミーア王女が低い声で一言そう言ったが、アリーシアはそれ以上の言葉が見つからず、目を伏せた。
「……まぁいいわ。とにかく、ルディには護衛兼今日のエスコートを頼んでいるの。構わないわよね?」
勝ち誇ったように言うミーア王女に、隣りにいるルートヴィッヒは、またしても何も言わない。
ただジッとアリーシアを見ていた。
「ミーア王女殿下の仰せのままに」
ミーア王女は、畏まってそう答えるアリーシアに、面白くなさそうな表情をした。
「ルディ、行きましょう」
そう言ってミーア王女は、ルートヴィッヒを伴って、アリーシアの元から離れた。
その二人の後ろ姿を見ながら、アリーシアは思う。
いつも自分はルートヴィッヒの背中を見送っている。
自分ははたして、ミーア王女のようにルートヴィッヒの隣に並んで歩いたことがあっただろうかと。
「アリー」
自分を呼ぶルーカスの声に、アリーシアはハッとした。
「アリー、辛いなら父上や母上に話そう。結婚前からこれでは、アリーが不幸になるだけだ」
ルーカスは諭すようにアリーシアにそう言った。
「お兄様……。そうですね、少しばかり辛いです」
アリーシアは、正直な気持ちを話す。
かつて、ルートヴィッヒがまだミーア王女の護衛でなかった時、不器用ながらもアリーシアとの時間を大切にしてくれていた。
しかし、ミーア王女に見初められて護衛騎士となってからのルートヴィッヒは変わってしまった。
常にミーア王女を優先し、アリーシアと過ごす時間を蔑ろにしているような印象を受けていた。
そんな事を思い返し、これから先のルートヴィッヒの未来に、自分は隣に立っているのか不安に思う。
「でもお兄様。お父様やお母様にお話しする前に、もう一度ルートヴィッヒ様とお話ししてみます」
「アリーがそう言うなら、もう少し様子を見るけれど……。でも、こんな状態が続くような、ちゃんと相談しろよ。父上や母上もお前の幸せを願っているんだからね」
「はい。ありがとうございます、お兄様」
アリーシアはもう一度、ミーア王女と共に行ってしまったルートヴィッヒを見ながら、これから先の未来が描けなくなっている事に気づき始めていた。
****
「お父様! どうしてわたくしをルディのところに降嫁させていただけないのですか!? わたくし、こんなにルディを想っておりますのに!」
父王であるシャルベルト国王陛下に、ミーア王女は訴えた。
国王は、再三の訴えをしてくるミーア王女に、辟易したようにため息を吐く。
「またか。何度言えば分かるのだ。ルートヴィッヒにはすでに婚約者がいるであろう」
「そんなもの、名誉を考えればわたくしが降嫁した方がエルンザーレ侯爵家も喜ぶはずです! すぐにフォンベルタの娘とは婚約解消となりましょう!」
ミーア王女の発言に、国王は頭を抱えた。
「何を言っている。そんな不条理な事、王家自らがするなど下の者に示しがつかぬわ。それに、お前も分かっておろう? お前はもうすぐ隣国に……」
「なぜわたくしなのですか!? わたくしは、行きたくありません!」
ミーア王女はそう叫ぶと、すぐに身を翻してその場から立ち去ってしまう。
国王陛下の御前にて、そのような無作法は普通なら咎められるところだが、ミーア王女に関しては許されていた。
「陛下、ミーアが申し訳ございません」
ミーアの母である側妃も、心苦しい気持ちで国王に頭を下げる。
「いや、よい。あれも王族。致し方の無いことと本当は分かっておろうて。頭では分かっていても、心が納得出来んのであろうな」
国王の言葉に、側妃も悲し気に頷いた。
ミーア王女は自室に戻ると、部屋で待機していた侍女たちを追い出す。
一人になったミーア王女は、ベッドに倒れこむと悔しさで枕を壁に放り投げた。
「なぜわたくしが隣国に行かなければならないのよ! わたくしはただ好きな人と一緒に居たいだけなのに……」
じわりと涙が溢れだし、ミーア王女はふと先日夜会で会ったルートヴィッヒの婚約者を思い出す。
そして、部屋の外に待機させていた侍女を呼び戻し、告げた。
「フォンベルタ侯爵令嬢をわたくしのお茶会に招待するわ。招待状を準備なさい」
そう命令すると、違う侍女に色んなドレスを準備させる。
「お茶会に来ていくドレスを選ぶわ。それとお茶会での護衛はルディじゃない騎士をつけてちょうだい」
ミーア王女は思いつめた表情でそう命令した。
****
「ミーア王女からの招待状ですって?」
アリーシアの母であるフォンベルタ侯爵夫人は、目を丸くしてアリーシアに尋ねた。
「はいお母様。明日行ってまいります」
「お茶会にお呼ばれするなんて、あなた面識があったの?」
「あ……先日の夜会で初めてご挨拶をさせていただきました」
少し言いにくそうに言うアリーシアに、フォンベルタ侯爵夫人は敏感に何かを感じ取った。
「その場にルートヴィッヒ様はいらっしゃったのかしら?」
母の質問にアリーシアが返答をしかねていると、いつの間にか二人の会話を聞いていたルーカスが代わりに答えた。
「この前の夜会でルートヴィッヒ殿はミーア王女のエスコート役を引き受けていましたよ」
「まぁ! 婚約者であるアリーシアには夜会にいけないと言っておいて!?」
ルーカスの言葉を受けて侯爵夫人は怒りをあらわにする。
「お母様。ルートヴィッヒ様はあくまで護衛が主であったと思います」
アリーシアが庇うも、ルーカスが顔をしかめて反論する。
「ミーア王女に“ルディ”なんて愛称呼びを許していたじゃないか。アリーすら呼んでないのに」
「そ、それは……」
ルーカスの言葉に、アリーシアは言葉が続かない。
「これは、少し考えないといけないかもしれませんわね。お父様にもこのことを話しますからね」
「え!? でも、この婚約は両家にとって大切なものではないですか。ルートヴィッヒ様とは次のお茶会でちゃんと話しますから!」
アリーシアは母の言葉に驚いて、慌ててそう言った。
そんなアリーシアの手を取り、侯爵夫人は優しく言う。
「娘が不幸になると分かっている結婚なら、無理に薦めませんよ。あなたはわたくし達の大切な娘なのですからね」
「お母様……」
アリーシアは母の言葉に、心がじわりと温かくなるのを感じていた。
「とりあえず明日は、ミーア王女に失礼のないようにしながら、上手く対応なさい」
「はい。お母様」
アリーシアは母の言葉にうなずくと、明日の準備のために自室に戻った。
その様子を侯爵夫人とルーカスが見送ったあと、ルーカスが問う。
「母上、僕の思い違いかもしれませんが、確かミーア王女は20歳になったら隣国に嫁ぐ予定だったのでは?」
「ええ、そうよ。大々的な発表はまだされていませんが、うちのような小国では、大国である隣国との繋がりを不可欠ですからね。確かあちらの王太子の側妃となる予定だと聞いていますね」
「そうですよね? 前にミーア王女が隣国に行ったのも、顔合わせが目的だったはず。もしかしてその時、ミーア王女はあちらの王太子の側妃になるのが嫌だと感じる出来事でもあったのでしょうか」
「お父様にきちんと確かめてもらわないといけませんわね。隣国へ嫁ぐことは決定事項だとしても、嫌がるミーア王女が嫁ぐ際、護衛にルートヴィッヒ様も連れていくことを条件に出すかもしれませんし」
「まさか! ルードヴィッヒ殿はエルンザーレ侯爵家の跡取りですよ?」
「そんなもの、遠縁から養子をもらうなどして何とでも出来るでしょう。陛下がミーア王女の要望をどこまで許すかでしょうね」
「そんな……うちとの婚約をなんだと思っているんだ!」
「そのことも含めて、お父様と話しましょう」
侯爵夫人とルーカスは、明日ミーア王女のお茶会に呼ばれているアリーシアを心配しながら、そんな会話をしていた。
****
「ようこそわたくしのお茶会へ。フォンベルタ侯爵令嬢」
ミーア王女のお茶会に招かれたアリーシアは、たった二人だけのお茶会だと知って驚いた。
「お招きいただき、大変光栄に存じます。本日はよろしくお願い致します」
驚きを必死で隠しながらアリーシアは丁寧に挨拶を行なった。
そんなアリーシアに、ミーア王女はクスリと笑う。
「驚いたかしら? 今日はあなたとじっくり話してみたくて、他の人の参加は遠慮してもらったのよ」
「さ、さようでございますか」
アリーシアは一抹の不安を覚えながら、必死でそう答えた。
やがて、アリーシアの前にほんのりと甘い香りのするお茶が運ばれる。
「わたくしのお気に入りのお茶なの。大切な人の領地で採れたお茶だから、あなたも飲んでみて」
アリーシアは促されたお茶を一口飲む。
(わたくしはこのお茶をよく知っていますわ。わたくしの愛用のお茶ですのもの。それにしても今ミーア王女は“大切な”って言いましたわ。やはり……そうなのですね)
「とても美味しゅうございます」
アリーシアはその言葉には触れず、感想だけを述べる。
「どこの産地か知りたい? わたくしは、そこから直接ある人に持ってきてもらっているの。いつも素敵なメッセージカード付きでね」
(メッセージカード? あの方はそんな細やかな配慮をする方だったの?)
ミーア王女の言葉に、アリーシアは少なからずショックを受ける。
そんなアリーシアの様子を見て、満足そうにミーア王女は微笑んだ。
「そうそう。その人ね、いつもわたくしを大切に想ってくれていて、わたくしと離れたくないそうなの。でも、その人には政略で決められた婚約者がいてね。貴族としての義務と、真実の愛の狭間でとても苦しんでいるの」
ミーア王女は、アリーシアを見据えながら話し出した。
アリーシアはミーア王女の言葉に、ドキッとする。
(これはきっと……いえ、絶対ルートヴィッヒ様の事を話していらっしゃる。あの方は、そんなに苦しんでいらっしゃるの?)
アリーシアは、そう考え出すと居てもたっても居られなくなった。
この場合、邪魔者は自分で、真実の愛で結ばれた二人はミーア王女とルートヴィッヒ様。
(やはりわたくしが身を引かなくてはならないのですね。お父様、お母様。申し訳ございません)
王女にこのように言われてしまえば、臣下であるフォンベルタ侯爵家は退かなければならない。
アリーシアは、自分の不甲斐なさを感じながら、ミーア王女に自分の考えを伝えようとした。
「ミーア王女殿下。よく分かりましたわ。この場でわたくしの一存では何も言うことは出来ませんが、家に帰り、両親とこの件について話し合い、ミーア王女殿下のお気持ちに沿うような……」
「アリーシア」
アリーシアが話している言葉に被せるように、突然アリーシアを呼ぶ声がした。
振り向くと、そこにルートヴィッヒが少し息を切らしながら立っている。
「ミーア王女殿下。これはどのような状況なのでしょう? 私の婚約者とお茶会をするなど、私は聞いておりませんでしたが」
少し強めの語尾でそう聞いたルートヴィッヒに若干怯みながらも、ミーア王女はとぼけたように返答する。
「あら。わたくしがお茶会を開くのに、ルディの許可が入りまして?」
「護衛上、報告はして頂かないと困ります」
「この時間の護衛は別の者にさせているから大丈夫よ。あなたは訓練があるでしょう?」
「いつも私の訓練の時間など、気にしておられないはずですが」
寡黙なルートヴィッヒがこんなに話すところを見た事がないアリーシアは、ルートヴィッヒの登場よりも驚いていた。
(やはり気の許せる相手だと、こんなにもお話ししてくださるのですね。わたくしとは会話が続かないのに……)
そんな事を考えて、さらに落ち込むアリーシアに声が掛かる。
「フォンベルタ侯爵令嬢、今日はとても有意義な時間を過ごせましたわ。あなたのお気持ち、ぜひ形になるといいですわね。わたくしも楽しみにしていますよ」
ミーア王女はそう言って立ち上がり、お茶会を早々に切り上げた。
「さぁ、ルディ。戻りますわよ」
そう言ってミーア王女はルートヴィッヒを連れて戻ろうとする。
しかし、ルートヴィッヒは首を横に振り、アリーシアの側に立った。
「いえ、まだ私の護衛の時間ではございません。今は別の者が王女殿下の護衛についておりますゆえ、私は婚約者を見送りに行きます」
「えっ!?」
ルートヴィッヒの申し出に、ミーア王女は驚きを隠せない。
その間に、ルートヴィッヒはアリーシアを促した。
「馬車留めの所まで送ろう」
ルートヴィッヒの申し出に驚きながらも、アリーシアは何とか平静を保ちながら頷き、ミーア王女に退席の挨拶をする。
「ミーア王女殿下、本日は本当にお招き頂き、ありがとうございました。わたくしはこれにて御前、失礼させていただきます」
カーテシーにて挨拶を終えた後、エスコートの手を差し伸べてきたルートヴィッヒの手を取る。
二人が並んでミーア王女の視界から遠ざかっていくのを、ミーア王女は呆然と見ていた。
アリーシアは、ルートヴィッヒのエスコートで広い王宮の中を馬車留めまで歩いていく。
(皮肉なものですわね。ルートヴィッヒ様とのお別れを決心してから、こうやって隣に並んで歩いているのですもの)
いつかはルートヴィッヒの隣にいる事が自然と思える関係になりたいと密かに願っていたアリーシアは、こんな状況になって初めてルートヴィッヒのエスコートを受けて王宮を歩いている事に、自嘲する。
学園を卒業し、晴れて社交界デビューをした暁には、婚約者であるルートヴィッヒのエスコートで夜会などに参加する事を夢見てきたアリーシア。
しかし、ルートヴィッヒの都合にてそれは未だかつて叶わなかった。
それが、こんな形で二人並んで歩いているとは。
「どうした? 何を考え込んでいる?」
アリーシアが自分の思いに沈んでいると、ふいに隣にいるルートヴィッヒから声が掛かる。
ルートヴィッヒは、何かを探るような目でアリーシアを見ながら言った。
「ミーア王女に何か言われたか? だとしたら気にしなくていい」
そう言い切るルートヴィッヒをアリーシアは、悲しげに見る。
「一介の貴族の娘が、王女殿下のお言葉を気にしないなんて、有り得ませんわ。それに、これは王女殿下だけの事ではございませんもの」
そう言ったアリーシアに、珍しくルートヴィッヒが少し動揺していた。
「アリーシア。今はまだ何も言えない。だが、もう少し待っていてほしい」
ルートヴィッヒの言葉を、アリーシアは素直には受け入れる事が出来ない。
(何を待てと仰るのでしょう。まさか、ルートヴィッヒ様の方から婚約破棄を言い渡されるまで待てと仰るのですか?)
流石に苛立ちを覚えたアリーシアは、ルートヴィッヒの手を払い除け、ルートヴィッヒと向き合った。
「馬車留めまでもうすぐですので、ここまでで結構ですわ。送って頂き、ありがとうございました」
そう言って踵を返し、馬車留めまで歩き出したアリーシアに、ルートヴィッヒは咄嗟にまた手を取った。
「馬車まで送る。最後までエスコートさせてほしい」
いつになく真剣にそう言うルートヴィッヒに、アリーシアは少しため息を吐いた後、今度は振り払わずに受け入れる。
「ありがとう」
ホッとしたようにそう言ったルートヴィッヒは、再びアリーシアを馬車留めまでエスコートする。
いつになく積極的で真剣なルートヴィッヒに、少し違和感を感じながらも、先程言われたミーア王女の言葉を思い出すと、またアリーシアは苛立ちを感じずにはいられなかった。
馬車留めに到着し、フォンベルタ侯爵家の馬車に着いたアリーシアは、早々に馬車に乗り、ルートヴィッヒの手を離す。
「ここまでのエスコート、ありがとうございました。お手を煩わせて申し訳ございませんでした」
アリーシアの言葉に、少し傷ついた表情をするルートヴィッヒは、それでも意を決したように、表情を引き締める。
「アリーシア。話したい事があるのだ。近いうちに君の家に行く」
そう言ったルートヴィッヒに、アリーシアはいよいよ気持ちを固めた。
(婚約破棄、もしくは婚約解消のお話をされに来られるのでしょうね)
「わかりましたわ。両親にも近々来られる事を伝えておきます」
アリーシアはそう言って、馬車の扉を閉めるよう御者に合図を送る。
ルートヴィッヒとアリーシアは馬車の扉で仕切られた状態で、お互いを見つめ合っていた。
「出してくださいませ」
先に目を逸らし、アリーシアは馬車を発進させた。
(振り向いては駄目ですわよ、アリーシア。フォンベルタ侯爵家の娘として、潔く覚悟を決めないと)
アリーシアは、そう考えながらも、ふいに流れてくる涙に自分で驚いた。
(何故こんなにも涙が……。わたくしはいつの間にこんなにもあの方を慕っていたというのかしら……)
政略結婚として初めてルートヴィッヒと出会った時のことを思い出す。
その頃のアリーシアはまだ15歳で、学園に入学したばかりの子供だった。
そんな彼女に婚約者として紹介されたルートヴィッヒは、当時20歳。
ルートヴィッヒにとっては、15歳のアリーシアなど子供同然だっただろう。
こんな子供を婚約者とされたルートヴィッヒに申し訳ないと、当時のアリーシアは随分と悩んだものだった。
何とか大人のルートヴィッヒに釣り合う女性になりたくて、必死で自分磨きに勤しみ、背伸びをしながらルートヴィッヒに相応しい婚約者であり続けようとした。
ようやく学園を卒業という頃には、ルートヴィッヒに嫁ぐ日をそれは楽しみにしていた事を思い出す。
しかしそれが叶わず、その辺りからルートヴィッヒに、ミーア王女の陰が常に存在している事を知る。
そして、次の挙式の日取りすらまだ決められない状態となってから、アリーシアの心はどんどんと沈んでいった。
(せめて馬車の中でだけ、思い切り泣きましょう。家で泣けば家族が悲しみますわ)
アリーシアはそう考えると、余計に涙が止まらなくなった。
屋敷に着いた時には、目を腫らしながら馬車から降り立つアリーシアに、迎えに出ていたメイドは大層驚いた。
心配していたアリーシアの帰りを知った侯爵夫人は、慌てたアリーシアを迎えに行き、泣き腫らしたアリーシアを見て絶句した。
「アリーシア……」
母の声を聞いたアリーシアは、また涙腺が緩んでしまう。
「も、申し訳ございません……こんなお見苦しい姿を……」
必死で泣き止もうとするアリーシアだが、すればするほど涙は止まらない。
「わたくしがアリーシアを部屋まで連れて行きます。下がっていいわ」
付き添っていたメイドを下がらせ、侯爵夫人はアリーシアを優しく抱きしめた後、自室へ誘導した。
自室に着いたアリーシアは、少しずつ落ち着きを取り戻し、ようやく涙も止まった頃を見計らって、侯爵夫人が話しかけた。
「アリーシア、ミーア王女に何を言われたのかしら。お母様に教えてくれる?」
優しくそう問うた母に、アリーシアは頷き、お茶会でのミーア王女との会話内容を伝えた。
「そう。ミーア王女がそのような事を……」
そう言いながら、表情固く何かを考え込んでいる母に、アリーシアは首を横に振る。
「ミーア王女殿下のお言葉はとても驚きましたが、それよりも……」
アリーシアはそこまで話して、言葉を切った。
「それよりも?」
母の促しで、アリーシアは一呼吸置いてから話し始める。
「その場にルートヴィッヒ様が来られました。ルートヴィッヒ様は、王女殿下のお言葉は気にしなくていいと仰っていましたが、お顔はとても厳しく。そして、近々話したい事があるから、こちらに来ると仰っていました」
アリーシアの言葉に、侯爵夫人はさらに考え込んでしまう。
「分かりました。この件はわたくしからお父様にもお伝えしておきましょう」
侯爵夫人はそう言うと、優しい表情でアリーシアに向き合う。
「あなたは何も心配しなくていいわ。わたくし達は娘の幸せを一番に願っているのですもの。いざとなったら、こちらからこのご縁は婚約破棄する事も厭わなくてよ」
母の言葉に、アリーシアはホッとしたような、それでいて“婚約破棄”は免れない現実に胸が押しつぶされそうな気持ちになった。
「ありがとうございます……お母様」
「あなたはもう少しゆっくりお休みなさい」
アリーシアに優しく声をかけて、侯爵夫人は部屋を後にする。
一人になったアリーシアは、止まりかけた涙がまた溢れてくるのを、どうする事も出来なかった。
****
「あなた。アリーシアの件、どうお考えなのですか」
フォンベルタ侯爵夫人は、自分の夫でありアリーシアの父であるフォンベルタ侯爵に詰め寄った。
妻に詰め寄られた侯爵は、やや怯みながらも態度が煮え切らない。
「まぁ待て。この件は少し複雑なのだ。ミーア王女の隣国への輿入れはまだちゃんと、発表されていないが決定事項だ。これが覆る事はない」
「それでもルートヴィッヒ様が護衛としてミーア王女に付いて行く事も考えられますわよね!?」
「それはそうだが、想いを寄せていると分かっている人物を輿入れ先に連れていくなど、隣国に対してあまりにも失礼だ。現実的ではないだろう」
「そんなの黙っていれば分かりませんわよ! ミーア王女に陛下も甘いではありませんか! だから婚約者のいるルートヴィッヒ様を専属護衛に付かせて、大々的に二人の仲を公表しているかのような振る舞いを許されているのではありませんか!?」
噛み付くように言う妻にフォンベルタ侯爵は頭を抱える。
「とにかく待て。近々ルートヴィッヒ殿が話をしにやってくるのだろう? その話を聞いてからでも遅くは無いだろう」
そう言った夫に夫人は不満げな表情を隠そうともしない。
「アリーシアが傷ついてからでは遅いのですけれどね。貴方がそう仰るなら待ちますが、アリーシアを傷つけられたなら、わたくしは絶対に許せませんわよ」
そう言って夫の執務室から勢いよく出ていく妻を見送り、フォンベルタ侯爵はため息を吐いた。
****
ミーア王女とのお茶会から二週間が経った。
まだルートヴィッヒからの連絡はなく、アリーシアの心に影が差し込む。
(やはりわたくしからお父様に相談して……いいえ、もう少しだけ待ちましょう。あともう少し……わたくしの心が完全にルートヴィッヒ様の事を聞いても何も感じなくなるまで……)
そう思いながらため息を吐いた時、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼致します」
入ってきたのは、アリーシア付きのメイドだった。
「アリーシアお嬢様。お手紙が届いております」
「そう。誰からですの?」
「エルンザーレ侯爵子息様からでございます」
その名前を聞いた途端、大きく動揺した。
(駄目よ。名前を聞いただけでこんなに心を乱すなど、わたくしはまだまだですわ)
アリーシアは自分を律しながら、必死に動揺を隠した。
メイドから手紙を受け取ったアリーシアは、メイドを一旦下げさせ、改めて手紙を見る。
確かにルートヴィッヒが直筆で書かれた手紙であった。
読み進めると、三日後にこちらに来て話がしたいという内容が書かれてある。
(いよいよなのですね。この三日間の間にルートヴィッヒ様への想いは完全に封じ込めないと……)
アリーシアは大きく息を吸い込み、自身の気持ちを落ち着かせようとする。
それから、両親にも三日後にルートヴィッヒが来訪する事を伝えた。
「ようやくちゃんと話をする機会が出来ましたわね。アリーシア、しっかりと二人で話し合いなさいね」
「いざという時には、我々も介入する事になるやもしれん。まずはお前が納得のいくまで話すといい」
両親の言葉に、アリーシアはしっかりと頷いた。
****
いよいよルートヴィッヒが、フォンベルタ侯爵家へと訪れる日を迎えた。
朝から緊張しながら待っていたアリーシアに、ルートヴィッヒの来訪の報せが届く。
アリーシアは、意を決しながらルートヴィッヒが待つ応接室へと向かった。
「お待たせ致しまして申し訳ございません。ようこそお越し下さいました」
「いや、大丈夫だ。それよりも定例会の日以外で押しかけてしまい、申し訳ない」
ルートヴィッヒはそう言って軽く頭を下げたあと、前のソファに腰掛けるようアリーシアに促す。
アリーシアは対面にて座り、改めてルートヴィッヒを見ながら思った。
(別に定められたお茶会の日以外に来て頂いても大丈夫ですのに……。思えばこの方は、今までも決まった日以外に会おうとはされなかったわ)
もう諦めているというのに、まだ傷ついている自分に気付き、アリーシアは自嘲気味に微笑んだ。
「それで、本日はどのようなご用件でお越しになられたのでしょう?」
「あぁ。君に急ぎ話したい事があったのだ」
アリーシアの質問に、真剣な表情でルートヴィッヒが答えた。
「君も先日お会いしたが、私の護衛対象のミーア王女殿下についてだ」
「……はい」
「ミーア王女殿下はもうすぐ20歳の誕生日を迎えられる」
「……はい」
「ミーア王女殿下が20歳になられると、結婚する」
「……はい?」
アリーシアは突然のその言葉に唖然とした。
(わたくしとの婚約もまだ継続中ですのに、すでに結婚の約束を?)
「そして隣国に行かれる」
「え?」
「ミーア王女殿下が無事、隣国へ嫁がれるその日まで、私はミーア王女殿下の想いに付き合ってほしいと陛下に頼まれていた」
(何を仰っているのでしょう? さっぱり分からないですわ)
アリーシアは話の筋がまるで見えないことに困惑した。
「ようやくミーア王女殿下の輿入れの日取りが決まったから、お役御免の許可を頂いたのだ。君には今まで礼を欠いた事、本当に申し訳なく思っている」
ルートヴィッヒはそう言って、改めて頭を下げて謝罪した。
(これはどういうことなのでしょう? ルートヴィッヒ様はミーア王女殿下と隣国に行かれるっていう話なのでしょうか)
アリーシアは思い切って自分の考えをルートヴィッヒにぶつけることにした。
「あの、ルートヴィッヒ様」
「なんだろう」
「ルートヴィッヒ様とミーア王女殿下は想い合っておられるのですよね? ミーア王女殿下が隣国に輿入れが決まったのでしたら、わたくしとの婚約は破棄して、ご自分も隣国に行かれるということでしょうか?」
アリーシアの発言に、ルートヴィッヒは怪訝な表情をする。
「ミーア王女と想い合ってなどいない。確かにミーア王女は私のことを憎からず思ってくださっていたようだが、ご自分は隣国に嫁ぐ身であることは十分承知しておられたのだ」
「あの……では、ルートヴィッヒ様はミーア王女殿下には着いていかれないということでしょうか?」
「もちろんだ。君という婚約者がいるのに、何故私がミーア王女についてゆかねばならない。それに私はエルンザーレ侯爵家の跡取りでもあるから、陛下にもきっぱりとお断りしていた」
(あ。話には出たことがあるのですね……)
しかし、全く要領を得ないルートヴィッヒの言葉に、アリーシアは一つ一つ質問し、ようやく理解することが出来た。
要は、半年前。輿入れ先の隣国に顔合わせに向かったミーア王女は、嫁ぐ予定であった隣国の王太子にあしざまに扱われ、侮辱されたらしい。
もともと隣国の王太子の評判は最悪で、女好き。正妃はもちろん、側妃も二人いて、もしミーア王女が嫁ぐなら、第三側妃としての立場となるのだそうだ。そんな王太子にて、その地位を狙う他の王子たちの苛烈な継承権争いが水面下で行われており、巻き込まれるのは想像にかたくない。
そのことを懸念したこの国の陛下は、隣国に王太子ではなく、継承権争いから退いている王子に嫁がせてほしいと働きかけていたそうだ。
しかしその話も難航しており、自暴自棄となったミーア王女は、隠していたほのかな恋心を爆発させた。
その相手がルートヴィッヒ様だったそうだ。
隣国への輿入れは決定事項であり、王太子への輿入れが免れないならミーア王女があまりにも不憫だと、ミーア王女が隣国に嫁ぐその日まで、ミーア王女の想いをプラトニックな形で受け止めてやってほしいと陛下に頼まれたそうな。
そしてその間、ミーア王女の攻撃がアリーシアに向かないようにするため、敢えてアリーシアとの交流を少なくし、王女を優先していたようだ。
だから、この前の夜会であのような形で王女とアリーシアが出会い、まして二人だけのお茶会を開いていたと聞いたときは肝が冷えたのだそう。
「ようやく理解できましたわ。ルートヴィッヒ様は、わたくしとの婚約は継続する意思がおありだったということですね」
「もちろんだ!」
アリーシアの言葉に、食い気味にルートヴィッヒは返答した。
「それで今日こそ、私たちの結婚式の日取りを決めたいと思い、その相談に参ったのだ」
「まぁ! 覚えてくださっていたのですね」
アリーシアは、てっきりルートヴィッヒは結婚する意志がないと思っていたので、まさかルートヴィッヒから結婚式の話を出されるとは夢にも思っていなかった。
しかし、ルートヴィッヒはアリーシアの言葉にショックを受けたようで、動揺するように叫んだ。
「当たり前だ! 君と結婚する日をどんなに心待ちにしていたことか!」
「え?」
「あ……」
しまった!という顔をして、ルートヴィッヒは顔をそむける。よく見ると、顔が真っ赤になっていた。
その様子をまじまじとアリーシアが見ていると、バツの悪い顔で唸るようにルートヴィッヒが口を開く。
「その……子供だと思っていた君が、必死に私に合わせようと背伸びしながら自分を磨いている姿をずっと好ましく思っていた。早く君を妻にしたいと思うほどに……」
その言葉を聞いたアリーシアの顔も一気に真っ赤に染まる。
(その言葉は反則です! まさかルートヴィッヒ様がそのように想ってくださっていたなんて……!)
あまりの嬉しさにアリーシアは言葉が出ない。
その様子をルートヴィッヒは、少し悲し気な表情で見ながら言葉をつづけた。
「すまない。こんな想いは君には迷惑だろう。もし今までの私の言動で、この結婚に気が進まないのなら言ってほしい。君が望むなら、この結婚は白紙に戻せるよう働きかける。もちろん君に不利益が及ばないようにすることを誓おう」
ルートヴィッヒの言葉に、アリーシアは不満を募らせた。
「ルートヴィッヒ様は、わたくしの言葉ひとつでわたくしたちの結婚をなかったことに出来るのですか? そんな簡単な思いだったということでしょうか」
「まさか! もちろん君が嫌だと言ったら、土下座してでも君の許しを乞うつもりだった!」
「では、冗談でも結婚を白紙になどと仰らないでくださいませ」
アリーシアは、そう言って一呼吸おいた。
「だって、わたくしも一日も早くルートヴィッヒ様のもとに嫁ぎたかったのですから」
アリーシアの言葉を聞いたルートヴィッヒは目を見開き、そして蕩けるほど甘い表情でアリーシアの名前を呼んだ。
「アリー。ずっと君をこの愛称で呼びたかった。今更だけれど、呼んでもいいか?」
「はい、もちろんです」
アリーシアはルートヴィッヒに愛称で呼ばれ、ようやく結婚ということに現実味を感じていた。
「では、アリーも私のことをルディと……」
「お断りします」
「え?」
ルートヴィッヒの提案に被せるように断ったアリーシアに、ルートヴィッヒはビックリする。
「な、なぜ……愛称呼びは嫌か?」
不安そうにそう聞くルートヴィッヒだが、次のアリーシアの言葉にまたも表情が崩れる。
「ミーア王女殿下と同じ呼び方はお断りいたします。わたくしだけの呼び名を……そうですわね、ルーイはいかがでしょう?」
「ああ! それで呼んでほしい!」
間髪入れずに同意するルートヴィッヒに、アリーシアは苦笑した。
(寡黙なルートヴィッヒ様は何処にいかれたのでしょう。きっと、このお姿が本当のルーイなのですね)
アリーシアはまたルートヴィッヒの違う一面を知れたことに、とても嬉しく思った。
「では、ルーイ。改めまして、今後とも末永く宜しくお願い致します」
ルーイ呼びをされたルートヴィッヒは、とても嬉しそうな表情をした。
「こちらこそ、末永くよろしく頼む。私の未来の妻、アリー」
二人はお互いの顔を見合わせて、同時に楽しそうに、幸せそうに笑い合った。
****
あれから両方の家族で改めて相談をし、最も直近で、きちんと結婚式が挙げられるような日取りを選んだ。
ルートヴィッヒとミーア王女の関係性も、改めて陛下より両方の両親に説明された為、ルートヴィッヒの名誉は挽回されたようだ。
ミーア王女はしばらくしてから、無事に隣国に向かった。
輿入れ先が嫌な王太子の第三側妃から、権力争いとは無縁で、将来は臣下に下る事が決定している第四王子の正妃に代わった事で、ミーア王女も何とか受け入れたと聞いた。
ちなみに第四王子はミーア王女より三歳年下らしいが、そこは割り切ったのだろう。
ミーア王女を思うと気の毒だとは思うが、それでもルートヴィッヒは譲れないと、改めてアリーシアは思う。
想いを伝えあってからのルートヴィッヒは、とにかくアリーシアに甘すぎた。
寡黙で目つきの鋭いイメージのあったルートヴィッヒだが、アリーシアの前でのみ、その姿は微塵もない。
ただアリーシアを溺愛し、早く妻に迎えたいという思いが溢れている。
その重すぎるルートヴィッヒの想いを、嬉しく思うアリーシアもまた、重症なのだと思う。
そして本日もエルンザーレ侯爵家にて、アリーシアとルートヴィッヒは、共にお茶を楽しんでいた。
ルートヴィッヒは、今までの時間を取り戻すかのように、暇さえあればアリーシアに会いに来ては二人の時間を楽しんでいる。
どんなに会話をしても飽きず、話が尽きない事が何より嬉しい。
そんな風にアリーシアは思っていた。
「今日のお茶も美味しいですわね。ルーイ」
「そうだろう? うちの領地で採れた新茶なんだ。アリーの家用も沢山あるから、ぜひ持ち帰って家でも飲んでほしい」
「まぁ、いつもありがとうございます」
アリーシアは、お礼を言ったあと、ふいに以前ミーア王女にマウントを取られた時に聞いた、直接お茶を受け取る際に素敵なメッセージ付きだったという事を思い出す。
「そういえばルーイ。それには素敵なメッセージが付いているのでしょうか?」
「ん?」
「いえ、以前、茶葉を頂く際に素敵なメッセージ付きだったと聞いた事がありましたので」
アリーシアの言葉に、不思議そうな表情でルートヴィッヒは首を傾げる。
「そんなサービスしていたかな? たまに大量発注をしてくれた取引先に、美味しくお茶を飲めるコツなどを書いた説明書を入れているとは聞いた事があるけれど、それのことだろうか?」
その言葉に、アリーシアは吹き出してしまいそうになる。
(確かに素敵なメッセージと言えるのかもしれませんが……)
「ルーイ。先程の話はお忘れ下さいませ。わたくしの勘違いだったのかもしれません」
「そう? アリーがそう言うなら、それでいいけど」
「はい。ルーイの領地のお茶を美味しく頂くコツは、これからこの侯爵家で学べますので。ルーイに満足してもらえるお茶が入れられるように、頑張りますね」
「アリー!」
アリーシアの言葉に、ルートヴィッヒは感極まったようだ。
この素直で愛しき人の隣に必要だと思ってもらえるように、これからも全力でこの人を愛し、支えようとアリーシアは心に誓った。
~完~




