表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

Paper Life

作者: 秋花

 ペーパーナイフで死ぬとは思いもよらなかった。

 鈍色の直径三十センチのペーパーナイフは刃を叩かれ傷1つない。卓上棚を陣取り、殺風景な仕事部屋を飾り付けている。数少ない友人に貰ったのだ。

 アンティークに等しいペーパーナイフが、本来の役割を果たす日は来なかった。三十になろうというのに、私には手紙を送りあう相手がいなかったのだ。生涯を孤独で過ごそうと意思を固めていた。色恋を軽蔑していた。

 その日、私は動揺していた。

 脳挫傷(のうざしょう)だった。転んだ先に落としたペーパーナイフで眼球を穿ち、暴れた拍子に脳を傷つけた。同居人のいなかった私を看取った者はいなかった。






 鈴木正司(すずきまさし)は項垂れていた。


「運が悪かったのよ。貴方がプレゼントしたからじゃないわ」


 正司の妻は彼の肩を撫でた。孤独な友人の死因を耳にしてから、立ち直る機会を逃していた。生気の抜けた頷きを返すだけだった。

 彼女は困ったように眉尻を下げる。そして、栄養だけでも摂らせなければと立ち上がって台所へ向かった。

 次の出来事が起こるまで、さほど時間はかからなかっただろう。

 正司が背を向けた向こう側で、悲鳴が1つ。続けて重く鈍い音が聞こえた。

 覗きに行くと、彼女は死んでいた。落とした豆腐に足を滑らせ、机の角に頭をぶつけて死んだのだ。



 電話を手に取るのも、事情聴取を受けるのも、何1つ現実味がなかったようで、正司は淡々とした朝を迎えていた。

 毎朝の日課として珈琲を注ぎ、睡眠不足でぼんやりした頭のままテレビを点ける。

 世間は混乱の真っ只中だった。各家庭で突然死が頻発している。

 猫で滑って。

 削ったばかりの鉛筆が喉に突き刺って。

 転んだ先に振り下ろされた包丁があって。

 思わぬ死亡理由がずらずらと並んで、斯くも明晰でない正司の頭脳でもわかったはずだ。これはとても困った事態になった。

 妻の葬式の準備をしていると実母が死に、妻の遺体に花を添えていると義父が死んだ。状況が荒波のようにやってきて反応する間もなかっただろう。

 ミステリー小説の生き残りさながら、正司は最後の晩酌とスーパーに向かった。透明なパック詰めの惣菜に手を伸ばす。

 骨ばった手が彼の腕を掴んだ。

 顔を横に向け、目線を上げた。細長い。優に百八十はあるだろう。頭の天辺から足先までが白く、特徴的な要素で固められているのに全体の印象がぼんやりとした男だ。


 のっぽの彼は、無抵抗な正司の手のひらを開かせると、そこにナイフを置いた。


「これで私を刺してくれ」


 話しかけてきた男に名はない。便宜上、α(アルファ)としよう。

 彼が正司に握らせたのは、ペーパーナイフだった。以前、正司が私に贈ったものだ。


「僕に言われても」


 正司はペーパーナイフを押し返した。αの正体もよくわからない。頼まれていることも理解できない。度重なる死のニュースに、許容量はとっくに超えているに違いなかった。


 だが、それに頷くαではない。

 αは必死だった。兎にも角にも必死になっていた。このままでは現状が打破できない。現状が何なのかは彼にもわからないため、私が代わりに言おう。αは1つの便箋を収めた封書だった。本来成されるはずだった運命は、持ち主の予期せぬ死により妨げられた。奇天烈な死亡事件もこれに纏わっているに違いない。悪鬼の仕業だろうか。あるいは――私自身なのかもしれない。私だけが、こんな情けない理由で死ぬなんて、あまりにも理不尽だ。


 ――子どもが走ってカートを押している。進行方向には、落とした商品を拾ろうとしゃがんでいる小柄な女性がいる。

 

 正司はレジで会計をお願いする。αがレジの列から弾かれる。


 ――通りすがりの老婆がレシートに足を滑らせて頭を打つ。人々が彼女に駆け寄る。

 

 商品の会計を終えた正司は、追いすがるαを意に介さず空のレジ袋を開いた。

 待ってくれ。待ってくれ。声がスーパー内に響き渡るも、誰もαに目を向けない。

 

 αは正司にペーパーナイフを押し付けた。正司は頭を掻いた。断るのも面倒だった。

 ペーパーナイフを受け取ると、その刃先でαの手の甲を撫でた。


「ちがう! なんでそこなんだ!」


 αは甲高い叫び声をあげると姿を消した。代わりに、中心に穴のできた封書が現れた。

 正司はあたふたと辺りを見回した。動きを止めると、途端に首を傾げた。手に提げたビニール袋を見る。彼は本来の目的を思い出して、帰路に着いた。


 私は安堵に胸を撫で下ろした。

 封書を拾い上げる。送り主の名前は初恋の花ちゃんだった。生前、彼女の名前を見て足を滑らせた。まさかペーパーナイフで死ぬとは思わなかった。

 封を破る。読めなかった、そのことが最後の心残りだった。彼女が長年募らせてきた片思いの恋文だったら、死んでも死にきれない。


 ――結婚します。


 結婚招待状と共に添えられたメッセージは、何度読んでも変わらなかった。

 私はショックで足を滑らせた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


今回は国語辞典からランダムに取ってきたお題単語「ペーパーナイフ」「スーパー」「請われる」で書いた作品です。

お題を回収してくれる↓の展開は最初に決めていました。

『スーパーで突然男が声をかけてきて「このナイフ(ペーパーナイフ)で殺してくれ」と頼んできた。』

一番筆が詰まったのはスーパーの流れだったので、ひとまず完成できて一安心。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ