一
愛するあなたへ。
***
バスはとうに行ってしまった。バス停には俺一人。周りは鬱蒼とした森。聞こえる声は獣か虫かはたまた鳥か。完全に日は暮れて、月明かりだけが妙に明るく辺りを照らしていた。
俺の手には、懐かしい香りのする一冊のノートが握られている。
俺の物語は、こうやって始まった。
小説の始まりとはどのようなものだったか。少なくともこの国最初の小説は、仕事を首になったさえない男がとぼとぼ役所から出てくる様子から始まる。地味だ。実に地味だ。
どうやらその地味さが小説の夜明けだったらしい。荒唐無稽、美男美女大活躍の物語ではなく、現実を描くこと。舞台を夢から現実に引き下ろす。それがローマンスをノベルたらしめたのだ。
これはつまりどういうことか。
現実というものは、地味で、理不尽で、苦しく、悲しいものだということだ。
だからきっとこれは、現実ではないのだろう。そして、小説ではないのだろう。
これはただの、そう、夢。子供が母親の膝の上で見るような、楽しく、優しく、愛おしい、夢見る遊び。全て幻想で、願望で、現実では叶うことのない夢なのだ。それを俺は知っている。
だから、俺は進まなければならない。
俺はなぜ深夜の森にぽつんと立つバス停に一人で立っているのか。その因果を覚えていなかった。気がついたときにはバスに乗っていた。寂れた古くさいバスだ。外は既に暗かったように思う。それまでの記憶がない。
記憶喪失というものとはどうも違うように感じる。まるでこの世界に生まれ落ちたときにはこの背格好でそこにいたというような、妙な確信があった。
自分が何者でどこから来てどこへ行くのかも分からない。不思議とそのことに不安は感じなかったが、ふと違和感を感じて視線を落とした先、膝の上に一冊のノートが乗っていた。俺はそれが落ちないようにしっかりと握っている。
学生が授業で使うような大学ノート。シンプルで、中はひたすら横線が並んでいるような物だ。表紙には何も書かれておらず、まだ新しい。ぱらぱらとめくってみるが特に何も書かれていない。
不意にバスが止まった。ドアが開くが、誰も乗ってくる様子はない。
車内に乗客は俺一人だ。降りるためのボタンは押していないが、俺以外に誰もあのドアを通る人間はいない。
財布も持っていないのだから仕方なく料金箱に構わず降りたが、何も言われなかった。そもそも運転手はいたのだろうか。運転席を確認するのを忘れた。バスは俺が降りるとすぐに行ってしまったから、少なくとも運転する何かはいたのだろう。
降りた場所には古びたベンチとバス停を示す標識だけ。標識には『鈴蘭』と書かれていたが、時刻表がない。これでは次にいつバスが通るのか分からない。
そうして記憶も金もない可哀想な青年は暗い森の中に一人取り残された。
物語の始まりにしては地味だ。小説の始まりとしてはあまりに荒唐無稽だ。客観的に見て、俺はこの始まり方を好ましいとは思えない。話が進まないではないか。
とりあえず俺はベンチに座り、再びノートを開いた。中には相変わらず何も書かれていない。ただ、ノートを開いたり閉じたりしていると、近くから何やら香りがすることに気がついた。言うまでもなくノートからだ。柑橘系の、いうならミカンのような香りだ。
柑橘系の香りには不安を和らげ、心を明るくする効能があるらしいことを思い出した。心を落ち着かせ、ゆっくりと考えを巡らせる。自分で調べたのではない。そのことを俺はいつ誰からどうやって聞いたのだろうか。
青年は椅子に座って、少女はベッドに体を起こしていた。部屋の中には何かの香り。少女が好きだった香りだ。少女はベッドの上で何か本、ノートのような物を開いている。それを楽しそうに読んでいる。青年はそれを横から見て、内心不安に思いながらも、やはりその時間を楽しく感じている。
その風景を俺はなぜか酷く懐かしい思いで見つめていた。
冷えてきた。季節は春の終わり頃か、こう暗くてはよく見えないが、少なくとも雪は見えないし、長袖ではあるが雪が降るほど寒くはない。そして紅葉もしていないし、かといって花咲く季節にしては木々の葉が元気すぎるように見える。
深く暗い森に一人だというのに俺が不安や恐怖を感じないのは、記憶がないからだけではない。周りの景色が俺に安らぎを与えてくれる何かを持っているのだ。そこにいるべきだ、いていいのだという確信を与えてくれる。
不相応な場所に入ることができないように。人の中で孤独を感じるように。独りの恐怖とは場所のことではない。それは心と状況の不一致が原因だ。
どうやら俺はここにいてもいい。だが、ここで朝まで待っていて次のバスが来るのかも分からないし、そもそもバスを降りたのに次にすることがバスを待つでは意味がない。
ベンチから立ち上がる。とにかく辺りを見て回って、少なくとも一晩の宿を見つけなければならない。こんな場所では盗人もいないだろうが、獣や虫に囲まれて休む気にはなれないし、夜露に濡れては風邪を引くかも知れない。
バス停があるのだ。近くにそれを利用するための何かがあるに違いない。こんな辺鄙な場所なのだから、それは宿か別荘か山小屋か。少なくとも屋根は借りることができるはずだ。
バス停の横、森を切り開くように上る坂道があった。両脇に木でできた柵があるからただの獣道ではない。道の脇にやはり木製の看板が立っており、はっきりと読み取れる文字で、『鈴蘭荘』と三字。
それが宿の名前かそれとも何かの施設の名前か、俺は知らない、あるいは覚えていないが、どちらにせよその坂道以外に道はないのだから。俺はノートを落とさないようにしっかりと握りながら歩き出した。
坂道はしばらく上るとゆるい下り坂になった。下りは上りより長く、曲がっていた。途中蛇をまたいだりヒルの森を抜けたりしなかったのは幸いだ。道を照らす月が明るい。
時間にして十分程度、距離にして数百メートルだろうか。小さな旅の先に待っていたのは、谷間にひっそりとたたずむ小さな洋館だった。
森の中、丸く切り開かれた土地に、白塗りの壁が月明かりに照らされていた。二階建てのように見えるが天井裏に隠し部屋ぐらいありそうな雰囲気だ。正面に茶色い木のドアが付いていて、そこには確かに『鈴蘭荘』と書かれたプレートが掛かっていた。
一階の角部屋から明かりが漏れている。カーテンの隙間から見える中には長テーブルが置かれていて、食堂か会議室のようだ。
ドアを叩くべきだろうか。数歩離れた場所から考える。明らかにこれは異質だ。常識的に考えてこんな場所にこんな洋館があるはずがない。もし何らかの必要に迫られたとしても、普通山小屋のようなものを作るだろう。町中にあってもおかしくないような、小さくても立派な白塗りの洋館。そんなものがあるはずがない。
あるはずがないということは分かっている。だが、バス停で感じたここにいてもいいという安らぎと確信は今も変わらない。俺はバスを降り坂道を越え、ここに辿り着くことが決まっていたかのようだ。
だから、俺はドアがゆっくりと開いていくのをただ見ていた。
エプロンを着けた女性は確かに俺に向かって頭を下げ、そして微笑んだ。
高野聖がもし山の女のところへ戻ったとしたら、幸せになれたのだろうか。おやじが言うとおり獣にされてしまっただろうか。それともあの晩のように何事もなく平穏な毎日を死ぬまで続けられたのだろうか。
ただ言えるのは、あの山の家は異界であり、高野聖はそこへ行って帰ってきた人物であるということだ。俺はどうだろう。
件の女性は俺を洋館に迎え入れた。彼女は俺を知っていたが、もちろん俺は彼女を知らない。だがそれすら彼女は知っていた。彼女にとって俺は突然の来客ではなかったということだ。なぜかは知らない。
彼女は自分のことを管理人であると名乗った。名前は言わず、『鈴蘭荘』が何なのか説明もせず、ただその管理人だと。
俺には二階の一室が割り当てられた。ちょっとしたホテルのような部屋だ。とりあえずの生活に必要な物も着替えなどを含めて全て用意されていた。まるで俺がそこに住むことが決まっていたかのように。
初日は彼女の作った夕食を一階の角、外から見えた食堂で頂き、風呂を浴びて眠った。ホテルか旅館に泊まるのと変わらない。違うのは、翌日からもそこで生活することが決まっていて、それを俺が受け入れていることだ。どうやら俺は高野聖ではないらしい。
翌日、明るい日差しで目が覚めた。よく寝た、とは言えないが、まだ日差しは早朝のそれだというのに眠気は無かった。
食堂へ行くと既に朝食が用意されている。起きる時間を伝えていなければ朝食の時間も聞いていなかったのに、まるでその時間そのタイミングで出すのが最も美味しいと思われる完璧な食事だった。
俺がトーストをかじる前で、彼女も自分の分のトーストにバターを塗っている。俺の視線に気づくとにっこりと微笑む。妙な空気だった。だが、不思議と居心地の悪さは感じない。
この館には日付の感覚が存在しないが、夜明けを一日の境目とするならば、この日は俺が目覚めてから二日目だ。どこへ行く当てもない俺はとりあえず館を探索した。
一階に食堂、隣にキッチン。その他洗濯部屋と風呂、書斎、物置があった。階段を上ると廊下が続いていて、全て客室だ。四部屋あり、左奥が俺に与えられた部屋。右手前が彼女の部屋で、他は今のところ空き部屋だという。トイレは一、二階ともに階段脇にある。
部屋にしても、まるで宿のような構造だが、彼女が言うには誰もが泊まれるわけではないらしい。少なくとも俺から料金を取ろうという気はなさそうだ。
玄関を出ると夜とは違う明るい森が迎えてくれた。記憶はないが体が覚えているのだろう、自然とのびをしたくなるようなすがすがしい空気だった。
夜は分からなかったが、館の横には更に下へ下りる道があった。かすかに聞こえる音から判断するに、その先には川か池のようなものがあるらしい。
一人で行ってもいいが、不案内な山道の一人歩きはできる限り避けた方がいいと覚えていない記憶がいっている。彼女と一緒に、と振り向いた先、玄関の前に彼女は既に立っていた。その手にはバスケット。中にはサンドイッチが入っていると確信した。なぜなら、俺がそう望んでいるから。
彼女が先導し坂を下る。それほど急な道ではないし、昨日のように暗くもない。足下に気をつけていれば特に危なげなく下りていくことができた。何より、時々振り返る彼女に余計な手間を掛けさせては男として格好が付かない。
時計を持たないので正確な時間は分からないが、五分から十分の間ぐらいなのは確かだろう。それほど時間は掛からず俺たちは川に着いた。渓流というのだろうか、川幅は狭く岩肌を縫うように水が流れていく。
泳ぐには向かないが、足だけ浸かって遊んだり釣り糸を垂らすのには向いているように思えた。もちろん今は着替えも釣り竿も持ってきていないのでそんなことはせず、ただ二人で並んで大きな岩の上に座った。
川のせせらぎ、小鳥のさえずり。それだけでどんな音楽よりも心を和ませた。隣にいるのが美しい女性というのもあったかも知れない。だが、美しさは時に恐怖となることを俺たちはおとぎ話や怪談から知っている。
彼女は俺の感情を知ってか知らずか、静かに川の流れを眺めている。これほど近くでまじまじと見るのは初めてだろうか。
歳はおそらく俺より数年上、二十代前半といったところか。新卒と言われても信じそうだ。中途半端な年齢の俺と比べれば、十分大人と言っていい。大人になれば何らかの理由で一人で暮らすこともあるだろう。
だが、誰が来るとも知れない山奥の一軒家、それも異質な洋館の管理人をしているというのはどういうことだろう。仕事なのか、家業なのか。
それとも昨日からずっと感じている心地よい違和感に従って答えを導くべきだろうか。
俺は彼女の存在に疑問がある。疑問はあるが信頼している。彼女は俺を絶対に裏切らず、いつも必要な時は傍にいて、導いてくれる。そんな安心感を彼女の傍で感じる。
喩えるなら、それは母の安らぎ。俺という子供を守るためにいる、理想的な母親の像。それが彼女から受ける印象の全てを表している。
バスに乗るまでの記憶がない。というよりも、俺はバスで生まれ落ちたのだ。そしてバスを降り山道という産道を通り、鈴蘭荘で彼女と出会った。
子供が産声を上げる時、そこには確かに母親がいるように。
彼女は俺があそこで生きるために用意されていたのではないか。
彼女は何も言わない。ただ静かに俺の傍を離れなかった。
太陽の位置から考えると少し早めの昼食をとって、俺たちは鈴蘭荘へ戻った。結局、彼女とは一言も言葉を交わさなかった。それでいいように思えた。
キッチンへと入る彼女を見送って、俺は自室へと戻った。
部屋に入ると、何かが部屋に満たされていることに気づいた。朝は寝ぼけていたのか意識していなかったのか。
これは『少女』の香り。
ノートは机の上に置かれていた。椅子に座り手に取る。
表紙に変化はない。ノートを開く。ほとんどのページは相変わらず白紙。だが、最初のページに変化があった。
そこには、俺がバスを降りてから今まで、鈴蘭荘に辿り着き一夜が明け、川へ行って帰ってくるまでが淡々とした文章で書かれていた。細部こそ抜け落ちているが、そこに間違いはなく、紛れもなく事実が書き綴られていた。
ノートを持っていたことに驚きがなかったように、今回もすぐにその事実を受け入れられた。このノートはそういう物なのだ。
これは俺の日記なのではないか。記憶のない今の俺に代わって、俺の知らない俺が書く日々の記録。
これに俺が先回りして書き込んだら何が起こるのだろう。これから起こることを操作したり、あるいはあるべきことを無かったことにしたりできるのだろうか。
興味だけはあり机の上のペンを取ったが、止めた。なんだかそれはとても不都合なように感じられた。今までこの世界で感じたことがない感覚だ。それはいけない。この世界は全てこうあるべきだという形が用意されている気がする。
それに、これに勝手に手を加えるのは記憶の中の『少女』を汚してしまいそうで、恐ろしかった。
結局それから夕食に彼女が呼びに来るまで、何をするでもなくノートの前で時間をつぶしていた。
夕食時、俺は彼女に尋ねていた。俺はここで何をやればいいのかと。何もやることがない時間は時に苦痛となる。そんなことは記憶など無くても分かっていた。
彼女に尋ねるのが適切かどうかは分からなかったが、他に相手もいない。彼女を相手にした時点で、これは相談ではないのだ。
彼女に聞けば必ず俺の望んだ答えが返ってくる、そんな気がした。
――あなたの物語を綴ること。それがあなたがここにいる理由。
書くということは物事を整理するための手段として適している。古今東西、多くの人たちが言葉を紡ぎ残してきた。
ある物は記録として、ある物は物語として。性格や用途に違いこそあれ、その本質は同じだ。人の内部に確かにある現実非現実の物事を整理して放出する。ただそのために人は物を書く。
三日目の朝、俺は彼女から一冊のノートを貰った。『少女』のノートと見かけは変わらない大学ノート。違いは香りがしないということか。
『少女』のノートは机の端に立てておいてある。今日の朝見た時には既にノートを受け取り、物語を書き始めたことが書かれていた。俺は几帳面な性格だったらしい。
懐かしい香りに包まれながら、俺は筆を執った。
石炭はもう積み終わった。さあ、人の夢を綴る遊びを始めよう。