雨の日に、断罪の魔女は目覚める
雨の日のことだった。
婚約者に、浮気がバレた。
婚約者がこちらを罵倒してくるのに耐えきれず、とうとう彼女を殴った。
殴ったら…打ちどころが悪く、死んでしまった。
なんて呆気なく、無駄な死だろう。
「…ど、どうするのバカ!この女死んでるわよ!?」
「ど、どうしよう…」
「どうしようって…もう!」
目の前の彼女の遺体に。
やっと自分のしたことが、分かった気がする。
浮気は魂の殺人というけれど。
俺は二度、婚約者を殺したのだ。
『今更分かったフリなどするな、グズめ』
「!?…誰だ!」
「な、なによ…なんなのよっ!?」
『我が名はマリアージュ。断罪の魔女マリアージュ。その罪を今、ここに示そう』
マリアージュ。
断罪の魔女マリアージュ。
雨の日に、罪深き者の目の前に現れる。
そう言い伝えられた、原初の魔女。
「原初の…魔女…?」
「う、うそ、いや、いや、いや…」
『さあ、蘇るがいいリリアよ。その死体を私は否定する。そなたはまだ、死ぬ時ではない。生きよリリアよ。そしてここに断罪を成すのだ』
婚約者の死体が突如動き出す。
それは自然な動きだった。
まるで生き返ったかのような。
「…ね、キース様。痛かったわ、さっきのはとても痛かったわ」
確かに呼吸が止まっていた婚約者は、何事もなかったかのように動く、喋る、殴打された部分をさする。
「だからね、これはお返しよ」
原初の魔女、断罪の魔女マリアージュによって蘇った婚約者は…俺を何度も殴打する。
痛い、すごく痛い、でも死ねない、弱い彼女の力では俺は死ぬことすらできない、でも痛い。
歯が欠けた、目が片方潰れた、頭が割れた、手足がひしゃげた。
痛い、痛い、いつになったら楽になれる?
隣では浮気相手がそんな僕に腰を抜かして失禁していた。
『簡単に死ぬことは許さぬ。マリアージュ…断罪の魔女たる我が名に誓って命ずる。死ぬことは許さぬ』
ああ、永劫に続く殴打。
そんな余裕はないのに、ふと時計を見る。
婚約者が【死んだ】時から時計の針が進んでいない。
『さあ、リリア。気は済んだか?』
「…いいえ、まだ」
『ならば焦らずじっくり嬲るがいい』
それからも永劫に殴打は続く。
痛い、痛い、痛い。
そしていつか、僕が原型を留めない肉塊に成り果てた時。
『リリア、気は済んだか?』
「ええ、断罪の魔女様。この男に関しては気は済んだわ」
『良い。ならば、苦痛による死を許す』
肉塊ですらなくなる、溶ける、苦しみの中溶けていく。
ゆっくりと溶けていく中で。
どこか悲しげな、婚約者の顔が目に焼き付いた。
『さて、次はそなただ。娘よ、そなたの浮気でリリアは死んだのだ。死して償うこともしばらくは許さぬ。そなたはリリアのおもちゃとなり償うのだ』
恋人が死んだ。
次は私の番らしい。
恋人の婚約者は私に近付いてきて。
その手には鉄を熱した棒があった。
『不浄の対価は不浄でな』
「ええ、マリアージュ。そうするわ」
「え、まさか…やめて、やめて!」
「じゅっと燃やしてあげる」
鉄を熱した棒は、私の中に無理矢理ねじ込まれる。
口から、耳から、眼球から、ありとあらゆる場所から熱の棒は私を苛んだ。
でも死ねない。
死すら許されない。
「痛い、痛いぃいいいいい!!?」
『ほほほ、ざまぁないな』
そしてそれは、私の身体が燃え尽きるまで続いた。
『どうする?リリア。許せるか?』
「…ええ、ここまでしたらね」
『ならば良し。苦痛による死を許す』
私が溶ける。
溶けていく。
痛い、痛い、痛い!
苦しみの中、意識が遠のいた。
『さて、リリアよ』
「ええ」
『ここに裁定は下された。貴様を殺した者は死に、貴様の命は繋がれた』
「…」
『どうする?このまま日常に戻るか?どうせこの凄惨な事件はお前の仕業とはバレまい』
私は頭を振った。
「いいえ、今までの私はもう死んだの。死んだのよ…」
『そうか、ならば第二の人生はどのように生きる』
「そうね…どうせ一度死んだのだもの、二度も三度も同じだわ。だから…私は、看護師として戦場で医療活動をしようと思う」
『ほう、罪滅ぼしか?』
「いいえ、私がした復讐は私だけのもの。罪滅ぼしすら私自身が許さない。原初の魔女であろうとも、この復讐の先は渡さない」
面白い、と彼女は笑う。
『そうかそうか。愉快愉快』
「元々、戦場に出る看護師になる予定だったのよ。ただ、親の許しが出なかっただけで。そして親が私が勝手に出ていかないよう婚約者まで用意してしまっただけ。その婚約者に殺されたのだから、世話ないけど」
『うむ、それはご愁傷様であるな』
「だから、元の予定に戻るだけ。親にはこの殴打の跡を見せて黙らせるわ」
『うむ、ならば良し。二度目の人生こそ、幸せを掴むが良い』
ねえ、と消えようとしていた彼女に声をかけた。
「貴女、どうしてこんなことをしているの?」
『暇つぶしだが?』
「は?」
『私の行為に意味などない。ただバカな男が自らの罪に苦しむ姿を愉悦としているだけよ』
「うわぁ」
なんて勝手な。
その勝手に救われたのだけど。
「…でも、ありがとう」
『うむ、感謝の言葉は素直に受け取ろう。ではな』
「さてと」
私は、どうしようか。
ここには溶けた婚約者と浮気相手のみ。
誰にも何も見られていない。
なら。
「素知らぬふりをして、帰るかぁ」
そして私は、新たな人生を歩み始めた。