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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第四部【西の雷名】
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66. 波乱の凪

 痛みだけが残った。

 じくじくと神経を研磨するような鈍い痛みと、きりきりと喉元に焼け付く鋭い刺激だけが残されてしまった。

 苦しさだけがボクの意識を支配して。

 まるで正気を失ったかのように感情を羅列していたアナスタシアの姿。

 普段の様子からは想像もつかない豹変ぶりに思わず呆気に取られてしまった。


 そして、そんな彼女を強引に引き剝したホロウには、疑問よりも驚愕が勝った。


 おかげで碌に探りを入れられぬままにボクは取り残されてしまった。


「……え、えと…………どうしよっか?」


「あんなアナスタシアさんは見たことがありません……」


「ん。ちょっと怖かった」


「鬼気迫るっていうか……余裕がなかった気がするな」


 言い当て妙だ。

 マルタの観察眼は正しい。

 先のアナスタシアは平素の泰然自若さを欠いていた。

 焦燥を振り払えず、また拭いきれずにいたように見える。


 とはいえ、彼女が怒りを露にしたのは今回が初めてではない。


 対処法など【運命識士(リード・スペクター)】を閲覧するまでもなく心得ている。


「問題ないよ。ボクに非があった。とりあえず戻ってきたらボクが謝って──」


「謝ってどうするの~?」


「再検討さ。お互いに譲歩できない点はある。だから、意見の摺り合わせを行う」


 まさかテリアから言及されるとは思わなかった。

 そういえば、彼女は口論の最中であっても一言たりとも発さなかった。

 珍しいことだ。

 ホロウはまだしも、テリアは争いや諍いの火種になり得る状況があれば直ぐに鎮火する。

 彼女のおかげで致命的なすれ違いを起こさずに和解できたことなんて一回や二回では収まらない。


 だからこそ、疑問にも思う。


 何を思って、アナスタシアを止めなかったのかと。


「ふぅ~ん。ロムルスくんらしいねぇ。ぜぇ~んぶ、自分が悪いって言いたいみたい」


「テリアさん……?」


「だってそうでしょ~う? あたしはロムルスくんが正しいって思うわよぉ~」


「わたしも同感かな。アナスタシアさんの意見もわかるけど……今回はロムルスくんに賛成」


「ロムルスくん。すぐに謝れるのは美徳だけどぉ~、時には曲げないことも大事だよぉ」


 不覚にも感動してしまった。

 ボクの成してきた過去が許容される瞬間が来るとは。

 まあ、正確には許されてはいないのだろうけど。

 手足として作戦成就のためにいいように利用した出来事が清算されることはない。

 水面下で褒められるはずもない手段を取ったボクの行動は恩赦の余地もなく大罪だろう。

 けれど、皆は目を瞑ってくれるというのだ。

 …………そんな壮大な話でもないか。うん。


 つまり、テリアとマルタはボクの意見に賛同すると。

 どうやらアヤメとヨークも同意見のようで、ボクの肩を持ってくれるらしい。


「けれど、方針を定めるにあたってアナスタシアとの問答は避けては通れない」


「そうねぇ~。けど~、アナスタシアちゃんだって間違えることもあるんじゃなぁ~い?」


「想像もつきませんけど……誰だって正解ばかりを選んでは生きていけませんからね」


 何やら実感のこもったアヤメの言葉に、誰しもが頷き結論を導きだろうとしていた。

 いや、正確には確信に変えたというべきか。

 既に定まっていた結論を強固に補強したと。

運命識士(リード・スペクター)】を使うまでもない。

 テリアが全てを語ってくれた。

 ボクは間違っていない。

 けれど、アナスタシアもまた誤謬に失した訳ではない。

 互いに合理と理念があって、最大限譲歩したところで衝突してしまう。

 終わりの見えない交渉、さながら常世の迷宮(ラビリンス)だ。

 テリアは正しい。


 謝って済む問題でもない。それは明白だ。


 妥協点を探らなければならない。

 ボクとアナスタシアの溜飲の下がる、納得できる結論を。


「必要なのは建前か」


「……? ロムルス?」


「ボクにも落ち度があった。感情論だけで片付けていい話ではなかったんだ」


 そうだろう? アナスタシア。

 脳内に広がった“未来”の光景は、正しく現実へと投影された。


 がちゃりと重々しく開いた扉から、幾許か表情の硬いアナスタシアが現れる。

 遅れて、不満と不安を覗かせたホロウが歩みを止めた彼女を追い抜かし、どかりとソファへと腰を下ろす。

 まるで先を行ったホロウを追いかけるように、アナスタシアが入室して。

 ようやく、再開の火蓋が切られたのだと認識した。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐








 カチカチと時を刻む針の一音が反響する。

 様子を窺い、今ではないかと恰好の悪い尻込みをして再び閉口してしまう。

 違和感のある雰囲気が陰雲のように立ち込めているのがわかる。

 忙しなく動くアナスタシアの瞳。

 辟易したかのように溜息を吐くホロウ。

 対話の内容を知ろうとは思わない。閲覧すべきではないと、理性が訴えているから。


 会話の端緒が掴めない。

 中途半端で、寄る辺がない。

 こんな経験初めてだ。おかげで、どう対処すればいいのかボクにはわからない。

 なんてことのないすれ違いだ。認識の齟齬が生んだ軋轢に過ぎない。

 わかっていながら……ボクは行動を起こせない。

 たった一言が、こうも重いとは思いもしなかった。

 なにせ、意見の対立も、他者との喧嘩も、ボクには縁遠い世界の話だから。


 ボクは親密で融和的な関係を築いたことがないから。


「ずいぶん遅かったじゃなぁ~い?」


 長いのか、はたまた数秒か。生じた空白を破ったのはテリアだ。

 緩慢で捉えどころのない口調には棘があり、彼女の募らせている苛立ちを表しているように思える。


「進行を止めてしまってごめんなさい。少し、冷静さを欠いていたわ」


「……ふぅ~ん。でもぉ~、アナスタシアちゃんの謝るべき相手はあたしたちじゃないんじゃな~い?」


「……………………そのようね」


 針の筵とはこれか。

 会議中にふざけて塵芥を蔑むような目ではない。

 この場の誰もがボクに注視している。

 悪い気はしない。

 ホロウの評する通り、ボクは目立ちたがり屋の詐欺師だ。


 ()()()()()()()()とボクの敬愛する作家の方が表現していた。

 トリックを使うマジシャンは左手を嫌に強調して真実を覆い隠す。

 ボクの行動指針は全てマジシャンの左手に集約される。

 つまるところ、腹の底に毒蛇を飼い馴らすいかさま師だ。


 だからこそ、注目されている現状に不満はないし、ついでに減らず口を叩きそうで恐ろしい。


「ロムルス、その……カッとなってしまって…………ごめんなさい。頭ごなしに否定されて、いい気はしないわよね……?」


 上目遣いで、潤んだ瞳を逸らすことなく正面から見据えている。

 非を認める際に人間とは無自覚に視線を逃がすものだ。

 決まりが悪ければ悪いほどに。


 だから、アナスタシアは強いのだろう。

 彼女は目を背けない。

 意志の強さが現れている。


「………………()とは大違いだね」


「……? なにを…………?」


「済まない。言及しなくてもいい」


 それは不要な追及だ。

 既に亡き者へ手向ける花は朽ち果てた。

 輝かしいまでに“愛”に満ちた彼女は限りなく偶像のものでしかない。


「ボクの方こそ、解決策を用意せずに感情論を振り回すだけの子どもだった。議論の俎上にすら載らない。本当に済まない」


「……、貴方は誠実なのですね」


「……? キミこそ律儀で実直じゃないか」


「そういうところですよ、ロムルス」


 むっと頬を膨らませたアナスタシア。幼さの残る仕草は妖艶さと相容れて、抜群の破壊力を見せてくれた。


 弛緩した。

 緊張の糸が途切れて、誰とも分からない安堵の息遣いが耳朶を打った。

 アナスタシアから怒気は感じない。

 矛は収められた。

 それでいいじゃないか。


「うん。一件落着。ほら、仲直りの握手!」


「無駄だ。ほっておけばまた喧嘩する。その度に握手をする羽目になる」


「そだねぇ~。アナスタシアちゃんとロムルスくんは犬猿の仲だからぁ~」


「経験者は語るって感じかな……?」


「否定したいのに説得力が強すぎて…………むりです」


 当人の預かり知らぬ間に団結してしまったようだ。

 反論しようにも、ついさっきまで子ども染みた喧嘩を繰り広げていたボクたちでは信服力に欠ける。

 それに、ボクたちの仲違いで皆には多大なる迷惑をかけてしまった手前強くもでられない。

 物理的な時間のみならず、精神的な負担もかけてしまっているのだから。


「それで、ロムルス。貴様のことだ、代替案程度考えているのだろう」


「慧眼だね。落とし込んだ着地点なら考案しよう」


 ぴしゃりと和気藹々とした空気を切り捨てるホロウのそれは最早職人技だ。

 雰囲気をたった一言で切り替える鶴の一声。

 誰もが疑問をもたずに彼女の言葉に従うのだから、如何に信頼されているのか垣間見える。


 ホロウには助けられてばかりだな。


「ボクたちの目的はファルガー領との契約だ。その手段として縁談を利用するか否かが論点となっていた」


「ええ。今でもわたくしは意見を変えるつもりはありません」


「それでいい。ボクも譲歩する気はないしね」


「…………二人はあれだね。言葉に気を付けたほうがいいかもね」


 マルタの独白は置いておくとしてだ。

 再確認したように、ボクとアナスタシアの議論は平行線の一途をたどる。

 致し方のないことだと受け入れるしかないだろう。

 些かの衝突のない組織など早晩瓦解する。

 都合のいい人間(イエスマン)だらけというのも考えものだ。


「だからボクは思考を巡らせたわけさ。なに、簡単な話だ。利点だけを抽出すればいいだけなんだから」


「………………、理解したわ。相も変わらず悪辣で陰険な作戦を思いつくわね」


「すぐに思い至るキミも似たようなものだろう?」


「軽口は健在のようね。煩わしい羽虫みたい」


「キミの意識の一欠片に介入できるなんて光栄だね」


「随分と安い栄光のようね。人柄が透けて見えるわ」


「…………わたし泣いてもいいかな」


「改善のきざしなぁ~し」


 テリアがマルタを慰め始めた。

 はてさて、ボクたちは普段通りに冗談を言い合っているだけなのだが。


「つまり、だ。何が言いたい」


 司会進行の不可能なマルタに代わり、ホロウが役目を引き継ぐようだ。


「そうだね。まず、婚姻はさせない。これは二人にとっても確定事項だ」


「二人はやさしい」


「清く正しい貴様らは誰に余りある悪意を向ける腹積もりだ?」


「コルバリウスとシーバスさ。筋書きはそうだね…………最愛の父親を亡くし、腹違いの姉を糾弾して傷心中の身に婚姻なんて常識知らずにも程があるって感じかな」


「ロムルスさんから常識って言葉が飛び出たことにまず驚きです」


「絶縁状を叩きつけるためにヨークはファルガー領へと赴く。そして、護衛として付き添ったホロウが偶然にも、()()を見つけると……整合性は取れているわね」


「訂正。二人は腹黒。まっくろ」


「やっぱりロムルスさんは非常識です。さいてーです」


 正義の鉄拳が痛い。

 ヨークのゴミを見るような目に、アヤメの蔑んだような瞳が大ダメージを与えてくれる。

 確かにあり合わせの意見を併せた苦肉の策だ。

 けれど、懸念材料は全て潰すことができた。


 ヨークの悪評は流れるはずもない。

 なぜなら、被害者としての立場をすっかり入れ替えたから。

 断片的な情報を受け取った者を揺れ動かすためには心理的に責めるのが効果的だ。

 接近の口実も兼ね備えている上に、外交問題としての背景をちらつかせているために無碍にも扱われない。

 苦心の末に組み上げた穴だらけの論理かもしれないが、現状望み得る最善策だ。

運命識士(リード・スペクター)】もまた成功確率の高い策だと称賛の声を頂いた。


「作戦名は“アトロポスと就かず離れずの距離を保とう作戦”。紆余曲折あったが、ようやく結論だ」


 異論はなかった。

 ホロウは首肯し、ヨークとアヤメは決意を固めて気を引き締めている。

 マルタは……まだ泣いているけど、まあうん。大丈夫だろう。テリアも付いているし。


「それと言い忘れていたけれど。顔の割れているわたくしたちは同行できないわ」


「そうだね。今回はヨークとホロウ、アヤメ、ボクの四人で決行する」


 こればかりは、どうしようもない。

 既にラヴェンナ商会とリヴァチェスター領領主のカードは切った。

 交渉に長けた二人の不在は痛手だが警戒心の高いコルバリウスのことだ、二人の存在を認識した時点で門前払いも視野に入る。

 すると必然的にファルガー領で彼女たちと行動を共にしていない者に限られる。

 アナスタシア、ホロウ、テリア、マルタ、アヤメの五人ではどうしてもテリアは目立つ。

 ホロウは影に潜んでいただけで、アヤメは目深に被ったベレー帽のおかげで顔を見られてはいない。


「安心したまえ、最善は尽くす。だから──」


 そう、だから。

 不可抗力だからさ。


 そんな不安そうな顔をしないでくれ。

 ボクがそんなに頼りないかい?


「賭けだな」


 ぽつりと呟かれたホロウの言葉に同意するように。

 アヤメが小さく頷いたのを、ボクは見えてしまった。

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