60. 調和~ハーモニー~
豪華な部屋。
それが、控室に飛び込んだ私の感想。
何年前に作成されたのか定かでない立派な調度品が所せましと置かれ、床にはふかふかのカーペットが敷かれている。
極めつけは、壁一面に張り巡らされた鏡だろう。
埃一つ、傷一つない透明を象徴するような、新たに領主となる者の祝福に満ちた姿を余すことなく眺望できる造り。
ある種厳俊な空気の漂う空間に、彼女はいた。
聖母のような微笑みを浮かべて、母親を彷彿とさせる抱擁感が揺蕩っている。
しかし、私にはわかる。
あれは見せかけ。真にあの人に他者を慮る心なんて持ち合わせていない。
この屋敷を飛び出る前には気づけなかった歪み。
箱入りのお嬢様であった私には終ぞ理解できなかった恐怖の根源。
蜷局を巻く憎悪、羨望、理性を蝕む底なしの妬心。
気品ある次期領主という外観を作り上げるうちに、徐々に自分が分からなくなってしまった成れの果て。
上手くいかない苛立ちが、不透明な先行きが。
好転しない現状とあり得るはずの未来の狭間で。
ラクノア=コンコートは摩耗してしまった。
ゲティアの期待か、孤立した精神か。
私に判別はつかない。
赦す気も、私にはない。
彼女に罪はないのかもしれない。
彼女を取りなす境遇が、無価値と悪罵される環境が、ラクノアを変えてしまったのかもしれない。
だけど、私は。
「そう、それでいい。貴様が思い悩む必要はない。憂いなど、捨ててしまえ」
「……っ、ホロウさん」
いつの間にか、ホロウさんが影の中から現れている。
まるで私の心を見透かしたような言葉。
言動に寄らず、ホロウさんはとても優しい人だ。
「おい。部外者はそれらしく振舞おう。貴様だろう? エディンでテリアを殺そうとした奴は」
「《…………そうですか、あなた方は繋がっていましたか》」
ぐにゃりと空気が歪曲したかと思えば、何かが現れる。
あれがロムルスさんの言っていた下手人。
余計な横やりが入らないように、ホロウさんはあの人を遠ざけようとしているんだ。
「私から離れないでくださる? 野蛮人と二人っきりだなんて……恐ろしくてたまりません」
「《仮にも従兄弟でしょう…………生憎ですが、あのアサシンは手練れです。あなたを守りながらでは共倒れです。それに、彼女にあなたを狙う気はなかと思いますよ》」
「よくわかってるじゃないか。それは吾の領分ではない。ヨークの戦いだ」
「《お優しいのですね》」
「仲間だからな。それと、吾は狭量なんだ。刃を交える者に分けてやる情は持ち合わせていないぞ」
言葉少なに、二人の姿はスッと霧が溶けるように消えて失せて行った。
【楽園】で訓練した相手の誰よりも滑らかで、どんな技術よりも卓越している。
ホロウさんは桁違いだとみんなが言っていたけど、その意味を理解できた気がする。
気配の揺らぎも、殺意の有無も、生者を狩る眼差しも、全て見事に隠匿していた。
私も頑張ってきたとは思うけど、やっぱり壁は高い。
畑違いと言えど、遥か高みにいるホロウさんですら…………ロムルスには勝てないと断言した。
【権能】も使わず、大きなハンデを抱えていても“羲戎”種相手に勝利を収めた彼。
私に、再び立ち上がる力を与えてくれたロムルス。
こうして、戦場に立てたのは彼の影響が強い。
だから、私はロムルスの仲間として。
恥じない戦いを、しないといけないんだ。
「やっと辿り着いた」
「嫌味のつもり? それとも、嫉妬? 悪いけど、私は次期領主を諦める気はないわよ」
「いい。譲ってもらう気はない」
「……、じゃあ、あなたは何をしに来たのヨーク=コンコート。同じ血を引いているとは思えないくらいに愚鈍で、臆病なあなたが奪えると思っていて?」
相変わらず相手を見下している。
威張って、ふんぞり返って自分が優位にたっていると思わせたい。
お父さんの背中に隠れていた頃の私じゃあ、きっと彼女の一睨みで足が竦んでいたことだろう。
私と、ラクノアの違い。
傍目には明白で、彼女に軍配の上がる差異。
ラクノアには野心がある。
それが、ゲティアの教育が功を成した成果なのかはわからない。
だけど、私にはなくてラクノアにはある気概が表した結果が、如何に横暴で横柄な領主であれ認められている現状だ。
ゼータやネリーアルスのように、古くからスヴァルグに仕える家を除いて。
利益のみを追い求める貴族は、皆揃いも揃ってゲティアへ迎合した。
彼ら彼女らに責はない。
お父さんが築き上げてきたスヴァルグの地盤を全てふいにしたのは私だから。
奪われて初めて、掌からこぼれ落ちてようやく。
私は望みを得た。
再び、次期領主の席に返り咲くと。
とても悔しくて、今でも涙が溢れそうになるけど。お父さんは、ブルース父様は死んだ。
私が不甲斐ないばかりに。
だけど、今の私は一人じゃない。
背中を預けられる仲間が、甘えられる家族がいる。
何を臆する必要があるのだろうか。
誰を恐れる必要があるのだろうか。
私はブルース=コンコートの娘、ヨーク=コンコートなのだ。
正当な権利を、順当な結果を、私は求める。
目の前の彼女を、ラクノア=コンコートを絶望の淵に叩き落しても。
私は私の目的を叶える。
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第一印象は変わらない。
臆病で、一歩退いている。
必要不可欠な言葉すら語らず、常に痛みから身を置いている。
ヨーク=コンコートはあの舞踏会の夜から何も変わっていない。
けど。
「それにしても、厚顔無恥なこと。どの面下げて、おめおめと戻ってきたのでしょう」
「面の皮が厚くないと領主は務まらない」
「……暴君と名君の違いもわからなくて?」
「我儘を言うだけの名君なら、私は暴君でいい」
「ならば尚更、あなたは君主に向いていませんわ」
「うん。きっとそう。だから、私は助けてもらう」
「統治者としては落第点の答えじゃない」
要領を得ない。
舌戦をしているつもりなのに、他愛ない雑談に興じているように感じてしまう。
ふわりふわりと揺蕩う雲海が如く、言及を避けている。
断言も、決断もしない。
だけど、言葉には力がある。
「ねえ、ラクノア。あなたは領主になって、何がしたいの?」
「藪から聖剣に。何を喚くかと思えば。決まっているでしょう。マルド・プール領の繁栄に尽きる」
「その栄華の先には何があるの?」
なに、だって?
考えたことすらない。
私の最終目的は、ちっぽけな領土には収まらないから。
私は領主となって、あの人と並び立つ。
東側領土の暗部を掌握しているあの方と肩を並べられれば、いずれ皇帝の目にも止まだろう。
マルド・プール領領主なんてちんけな立場ではなく、ゆくゆくは都市代表にすらなれる日が来る。
あの方の資金力、軍事力、影響力を支援の形で借り受けることができれば。
私の知略を加えると、きっと相応の地位に就けるはずだ。
私には明確なビジョンがある。
領主になることを目的とするような、頭打ちの理想を吠えるだけの偽善者に負けるはずもない。
「ラクノアの作る未来がいいものなら、私は身を引くつもりだった。けど、きっとそうじゃない。あなたをみたらわかった」
「へえ……随分とご自分に自信がおありのようですわね?」
「ないよ。私はきっといい領主にはなれない」
「そう。何度目かは分からないけれど。矜持がなければ辞退してもらる?」
「やだ。絶対やだ」
「そ、そんな……反抗期みたいに…………」
本当にこれが私に政争をしかけている張本人か? まるっきり子どもじゃないか。
青くて、未熟。
取るに足らない町娘にしか思えない。
こんな自己中心的な小娘のために、私は領主の道を阻害されているのだとすれば、沸々と怒りが湧き上がってくるのがわかる。
今日のために私がどれだけ準備して、ありとあらゆる理不尽に耐えてきたのか。
ヨークは、あのメスガキは、わかっていない。
いいでしょう。
あなたがその気なら。
私だって。今一度、追いつめてやりましょう。
「大言壮語とは、あなたのことを指すのでしょうね。ヨーク=コンコート」
「それは、あなたも一緒」
「そうかしら? ご立派なお父様の後ろに隠れていただけのあなたが? 惨めに一人生き残って、まだ生き恥を晒すつもり?」
「……、生き恥なら拭える。拭って見せる」
「領主とはね、あなたの贖罪のためにあるのではなくて?」
ああ、その顔だ。
悲痛に歪む、その表情。
フラッシュバックするあの夜の光景。
目の前で愛する父親が正気を失くし、衰弱し、遂には死を迎えた瞬間。
何もできない無力感と、寄る辺の崩れた喪失感。
全てが後悔と罪悪感によって塗りつぶされた、絶望。
「無意味な叛逆を画策していたようだけど、無駄に終わったようね」
「……? なんのこと?」
とぼけても無駄だ。
ロナルドと協力者から情報は挙がっている。
「ダットンとか言ったかしら? 証人にしようとしたのでしょう? けれど、残念。私が暗殺を依頼した。経緯を知る唯一の証拠は消させてもらったわよ。カンザスの一族だって、私の一声で封殺できた」
「…………何が、言いたい?」
「つまりはね、ヨーク=コンコート。私は清廉潔白なの。哀れ、前代領主の一人娘は父親の仇を取れず、次期領主にこき使われる最底辺の使用人に没落。それが、全ての筋書きなのよ」
悲壮感に満ち溢れた彼女の表情を見ていると、溜飲が下がる。
ただでさえブルースには煮え湯を飲まされてきたんだ。
肩代わりは彼女にしてもらおう。
新しい領主はラクノア=コンコートであり、後世まで名を轟かせる女傑となる。
政戦から敗走したヨークの存在など、誰一人として目を向けることはない。
「さて、そろそろ時間のようね。あなたの味方は私の協力者さんを倒せず、あなたは私を説得しようとしたようだけど、それも不発。もう、あなたに逆転の芽は残されていない」
「そうとも限らない。ラクノア。あなたの未来を教えて」
「簡単よ。こんな僻地はただの踏み台に過ぎない。私は皇帝の庇護下で、誰よりも高見に辿り着くの」
安心なさい、惨めな負け犬。
あなたたちが築いてきたマルド・プール領は栄えあるラクノア=コンコートの前座として歴史に名を残すこととなる。
「じゃあ、さようなら。もう二度と、出会うことはないと思うけど」
次期領主しか立ち入れない控室。
様々な物で溢れかえる一室にあって、特異な場所がある。
天井に向かって伸びる質素な階段。
繋がっている先は、領主就任を記念するパーティー会場のステージ。
マルド・プール領から集った貴族たちが一堂に会する中で、新たなる領主の門出を祝福と共に迎える粋な計らいだ。
一歩、一歩。
一段、一段。
階段を上る度に鼓動が早くなる。
ようやく、念願の場所に立てる。
やっと、私はラクノアとして認められる。
これで、私は。
こそこそと隠れて生きる必要がなくなる。
大手を振るって、誰もが傅く君主へとなれるのだ。
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割れんばかりの拍手。
新世界を渇望する者の喝采。
私を承認するだけの空間。
灯に照らされた私だけの世界で、宣言する。
私が、次期領主であると。
そこにあるのは完成された世界。
──のはずだった。
「さあ、ここで登場するは次期領主ラクノアーコンコート。前代領主ブルース=コンコート暗殺容疑及び、領庫横領罪の嫌疑がかかった──大罪人だ」
とても爽やかな微笑みだった。
吸い込まれそう白髪に、風に揺れる左腕、人を喰ったような嗜虐心を思わせる右眼。
領主の、私を祝うための独壇場は。
不快極まる男によって、反転した。




