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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第三部【南の慈愛】
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57. 区々なる武器

 夜風が火照った身体を覚ましてくれる。

 ついさっきまで人であふれかえっていたであろう路地は、すっかり喧噪が鳴りを潜めている。

 綺麗な夜空には星々が輝いて、ピエロの口みたいな形の月が睥睨していた。

 乾きもなく、湿度も低い。まったく生活しやすい気候のマルド・プール領首都トンム・ルドー。

 沿岸部からは距離があるものの。ほのかに風に載って潮の香りがする。

 マルド・プール領の人間にとって、この香りは郷愁を感じさせるには十分なもの。

 一度、ブルース様のお付きでファルガー領に赴いたことがあったが、あの時も、潮水特有の香りを嗅ぐだけで落ち着いた。


 けれど、そんな心強い味方も、今は何の力添えも期待できない。


 何故って? 張り付くような生暖かい風が却って不安を増強するように、まるでむせかえりそうだからだ。


「この静寂も風情があるね。人っ子一人いない」


 そりゃそうだろう。

 本来なら私だって寝床に入って明日に備えている時間だ。


「善い子は寝る時間だからな」


 その通り。

 いいこと言った、ホロウさん。

 けど、君も乗り気だったよね?


「おや、悪い子の自己紹介かい?」


「吾は恐れ多い。貴様の方がピッタリだ」


「はは……冗談が過ぎるね」


「冗談だと思うか、外道」


「辛辣すぎやしないかい?」


 げしげしと無言でロムルスさんの脛を蹴るホロウさん。

 とても痛そうだけど、彼はさっぱりとした笑顔で受け流している。

 まるで日常茶飯事とでも言いたげに。

 レキシントン家から送られてきた上に、隻腕隻眼青年と明らかなに年不相応なしかめっ面の少女なんて面倒の種にしかならなそうな二人組。

 ほんとなら世話係なんかにはなりたくなかった。

 だって、見るからにおかしいんだもの。

 現に、門限を平気な顔して破った挙句に、閑散とした裏路地まで連れてきて。

 ディリンさんからの命令だから従っていたけど……それも二日目の今日で限界を感じている。


「おや、エンリさん。マルド・プール領にもハバリがあるのかい?」


 ただでさえ嫌々な命令なのに、責任まで私に押し付けられちゃ余計嫌になる。

 それに、あの二人は得体が知れない。

 ホロウさんは可愛らしいとも思うけど、時折見せる眼光には思わずたじろいでしまう。

 仕事の手際は初めてとは思えないほど的確で丁寧なんだけど……汚れた服を洗っている姿は跳ね返った血を洗う暗殺者みたいに見えてちょっと、いや、だいぶ怖い。


「ハバリか……懐かしいな。あの小僧の好物だったか」


 なんてことのない談笑をしながら歩く二人の服装は燕尾服とメイド服じゃない。

 ロムルスさんは闇夜に克明に浮かぶような真っ白な軍服に、逆にホロウさんは夜に紛れるような漆黒の装束を着ている。

 かくいう私も普段着のワンピースに着せ替えられて。

 どこに向かっているのか、何をしたいのか皆目見当がつかない。

 けれど、あんな意味深な誘い文句で口説かれてしまえば誰だってついていかざるを得ないだろう。


「エンリさん?」


「ひゃっ……! ど、どうしたの……?」


 気付けば、目の前に彼の顔があった。

 右目の眼帯は気になるけれど、とても端麗で美形だと思う。

 引き込まれるような黒目に、純粋な白を思わせる白髪、安心を与えてくれそうな表情。


 だけど、どこか油断ならない。

 まるでこちらの全てを見透かしているような、手玉に取られているような感覚が抜けきれない。


「どうしたのって、ハバリだよ」


「ぇ、ハバリ? ハバリが食べたかったの?」


「……? ハハハッ。おいロムルス。これは傑作だぞ。この娘は愉快な勘違いをしている」


「声量は落としたまえよ。嫌に反響する。まあ、そういう造りだろうけど」


 ホロウさんは笑っていなかった。

 悪魔を彷彿とさせる凶悪な笑い声に、にたりと裂けた口元、八つ裂きにされそうな眼光。

 働いている姿からは考えもよらない邪悪な女の子だ。


「さて、エンリさん。キミを連れてきたのは他でもない。昨日の話を覚えているかな?」


 ハバリがどうのと言っていた緩慢な雰囲気から一転、一挙に引き締められた緊張感に思わず息を吞む。

 ここがどこなのか、一体どれほど歩いてきたのか私には分からない。

 だが、先導するロムルスさんはピタリと、今にも倒壊しそうな家屋の前で止まった。

 満面の──非情に凶悪で、残酷な──笑みを浮かべていたホロウさんも気味の悪い無音のまま半歩退いている。


 ただ、訳が分からなくて。私は混乱するしかない。

 昨日の話といったって、ロムルスさんはゾッとするような脅ししかしなかった。


「そう、()()さ。よく覚えていてくれたね」


「……ッ!? ね、ねえッ! ロムルスさん……何か、変だよ…………!」


「これが変人なのは今に始まったことではない」


「ほ、ホロウさんだって…………おかしいと思うよ……!」


「なに? 吾がこいつと同列だと……ッ!?」


「公正な判断だ。諦めたたまえよ、ホロウ」


 本当に狙いが見えない。

 緊張感と共に真面目な雰囲気になったとと思えば、途端に空気が弛緩する。

 なんだろう……ふざけてる訳じゃないと思う。根本から人をなめているような。

 世界の全てを見くびっているような。

 余裕とは違う。この先に起こる出来事を知り尽くしているような、平静だろうか?


「話を戻そう。ボクはキミにこう言ったね。ダットンさんがどこにいるのかと」


「…………それが、なに?」


 嫌な予感がする。

 胸がむかむかして、今すぐ回れ右をして走り去ってしまいたくなる。

 一秒でもこの場に留まっていたくない。

 彼の名前は、彼の存在は、いま最も話題に出してはいけないことなのに。


「先の質問は忘れても構わない。キミの回答は不要だ。既に、ボクは()()()からね」


 とても丁寧な動きだった。

 まるで初めて友人の家を訪れる子どものように、期待と希望に満ち溢れている。


 建付けが悪いのか、ガタリと大きな音をたてて。

 月明かりが照らした室内は煩雑としていて、どこに何があるのか、足の踏み場があるのかすら判断できない。

 けれど、()()だけは他とは異なるオーラを放っていた。

 蠢くように、久方ぶりに光を目にしたように。


 彼は、ダットンは。


 私と目が合った。






 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 奇妙な空間だと思う。

 だって、一から十までおかしいだらけだもの。

 頼りない光源の蠟燭を中心に、私たちはテーブルを囲んで座っている。

 それだけならば家族に隠れて自分たちだけのパーティーを開くお転婆キッズに見えるだろう。

 けれど、現実はそんな可愛らしくない。

 びくびくと怯えた様子の小汚い老人に、ピクニックにでも出かけそうな格好の私、そして、爽やかな笑顔を携えた軍服の男。

 彼の背後には目を凝らしても暗黒と判別のつかない少女が一人。


 誰がどう見てもおかしい組み合わせじゃないか。


「初めましてかな、ダットンさん」


 口火を切ったのはロムルスさんだった。

 柔和な声色で話しかけてはいるが、まずます勝手に押しかけている以上、穏便な会話が行われるとは思えない。

 実際、ダットンさんは警戒心を額面に出して差し出された左手を握ろうとはいなかった。


「アポイントも取らずにキミの隠れ家へ乱入したことには謝罪しよう。何分、こちらにもやむにやまれぬ事情があってね」


 形ばかりの謝罪だ。

 彼は一寸だって申し訳ないとは思っていない。

 見え透いた虚偽に、ダットンさんも眉をひそめるだけで一層用心しているように見える。


「無論、ウェルカムドリンクは不要だよ? 望まれぬ客人だろうからね」


 当然だろう。こいつは本当に何を言っているんだ?

 手前勝手に私を連れ出したかと思えば、他人の私的空間にずかずかと立ち入って。

 あまつさえ、歓待は不要だと不遜にも言い出した。

 困惑を通り越して呆れてしまう。


「本題に入ろう。ダットン。キミには仕えるべき正当な主がいるだろう? ボクたち彼女を再び相応しい地位へと戻そうと画策しているんだ」


「……ッ!? それは……ッ! まさかッ!」


「うそ……でしょ…………?」


 しゃがれた声と、私の驚愕が重なった。

 この男は何を言っているんだ? それは、内乱(クーデター)の計画だ。

 謀議の時点で罪に問われる禁忌じゃないか。


「ああ、そのまさかさ。ヨーク=コンコートは生きている。ボクたちは領主の地位を簒奪した無法者であるラクノア=コンコートを引きずり下ろす。協力してはくれないだろうか、ダットン」


 彼は自分の言葉の意味をわかっているのか? ラクノア様から次期領主の座を奪還する。

 無謀を通り越して暴挙とすら言える。


 だって……彼女は──


「ラクノアがブルースを暗殺した際に使われた毒物。まだキミは持っているだろう。いや、正しくなかったかな。詳しくはキミの【権能】だったね」


「…………貴方は、どこまで知っているのですか」


「全てさ。文字通り全てね。生き倒れていたキミをブルースが拾って、それから何十年と付き添ってきたのだろう? 苦難を共にしたキミだが、生き別れの妹の存在を仄めかされては泣く泣く背反せざるを得なかった」


 恐ろしい形相をしたダットンさんが睨んできた。

 けれど、私は一言も喋っていない。

 そもそも、ブルース様とダットンさんの関係なんていま初めて聞いた。


「けれど、ヨークが生き残ったのは誤算だったろう」


「ヨーク様は…………」


「確かに致死量の毒を盛ったのだろう。毒を操るだけではなく、有無すら感知できるキミが毒性なしと判断するだけでブルースは疑うことなく口にするだろうからね」


「……ええ。その通りでございます。あの時も、仲睦まじい様子を拝見しておりました」


「よく分かっているじゃないか。キミは己の幸福を手に入れるために、そこにあった祝福を汚したんだ。恥を知るといい」


「……ッ、ですがッ!」


「勘違いしないでくれよ、ダットン。ボクはキミを責めている訳じゃない。キミにも事情があった。キミも被害者なのだろう」


「………………申し開きする気は、ありません」


「そうか。それもキミの覚悟なのだろうね」


 何が、起こっているのか。私は分からない。

 いつの間にか、ダットンさんはロムルスさんと話してる。

 あんなに警戒して、あんなにも敵愾心を剥き出しにしていた彼と。ロムルスさんはほんの僅かな間で丸め込んでしまった。


「ダットン、キミの覚悟を確かめる時がきたんだ。いや、贖う機会が来たというべきか」


「そ、それは…………」


「ああ。彼女の、ヨークの【権能】は肉体や魂の強化にある。死の淵にあって、“実存昇華(アウフヘーヴェン)”した【援舞強乱(パール・リング)】によって“霊力”すら強化されたヨークは辛うじて命を繋いだ。キミやラクノアにとって幸いだったのは、彼女が自責に溺れたことだろう。おかげで簡単に放逐できた」


「心が、痛みました…………」


「そうだろう。キミは主を裏切っただけではなく、その愛娘を追放までした。けれど、手際の悪さを貶したラクノアによって報酬を得ることすらなく、逆に殺されそうになった」


「はい、命からがら逃げ延びてきました」


 私たち使用人は、あの夜、何が起こっていたのか全て知っている。

 他でもない責任者であるディリンさんが、ラクノア様に付き従っているから。

 だから、泣き寝入りするしかなかった。

 だから、ヨーク様を助けてあげることができなかった。


 私あっち使用人は大なり小なりブルース様に恩がある。

 ダットンさんのように拾ってもらったり、人攫いから助けてもらったり。

 私も、売りに出されていた時、偶然に使用人として雇ってもらえた。


「キミが生き延びた意味も、この瞬間のためにあるんだ。キミには証人になってもらう必要がある。ヨークを領主とするために」


 末恐ろしい。

 ロムルスさんはこの空間を掌握している。

 底のしれない未知の怪物だと思っていたロムルスさんが、天より遣わされた救世主のように感じられる。

 何故かあらゆる状況を知り尽くしていて、抑圧された悲劇を解放する役割を担っているのだと錯覚してしまう。

 心が、彼は危険だと思っていても。

 ひたすらに堕落させるような甘言に、縋ってしまいそうになる。


「あぁ……名も知らぬお方。不肖、この身を──」


「ぇ……?」


 だから、唐突に訪れた光景を現実だと受け入れられなかったのだろう。


 両手を伸ばし、赦しを得ようとした告解者が如きダットンさんは。

 パスッ、とか。ドスッ、ともつかない音ともに。

 どこからか投擲されたナイフがこめかみに突き刺さり、ゴテンと斃れた。

 徐々に広がる血だまりには、色を失った彼の相貌が一際冷酷に映っている。


 思わず、身の凍る殺意を感じて振り返ると、既に犯人は後ろ姿しか見えなかった。

 茶色の長髪がはためく様子しか、捉えられなかった。


「いいよ、ホロウ。別に追わなくても」


「そうか。それで、ロムルス。どうするつもりだ」


「どうもこうもないよ。唯一の証人は殺された。逆転の糸口は摘まれたんだ」


 落胆している様子はない。

 彼の妙に落ち着き払った様子が、私の平常心を大きく揺らしているのがわかる。

 目の前で人がーー彼にとっては最重要人物であるダットンさんが殺されて、それでも問題ないと言わんばかりの様子には当惑してしまう。


「とはいえ、溜飲の下がる。いい最期だと思うよ」


「…………な、にを……いって?」


「だってそうだろう? 彼はヨークを一番に護る立場にありながら、敵に回った。彼女の心を、魂を大いに傷つけて。それでものうのうと生き永らえている」


「だからって──! そんな……死んでよかったなんて……ッ!」


「エンリ。ヨークは既にボクの、ボクたちの仲間だ。ただの友人関係ではない。家族に等しい繋がりをもっている。家族に手を出した者を、許す道理はないよ」


 爽やかな笑顔だった。

 摩訶不思議な力をもつ彼のことだ。

 ダットンさんや一連の顛末を理解する、恐らくは【権能】でさっきの襲撃は予知していたはず。

 でも、彼は家族のために、見過ごしたといった。


 どうして、私をここに連れてきたのか。


 何を企んで私がここに来たのか。


 いま、直感した。

 ロムルスさんは私に見せつけたかったんだ。

 全て知っていて、ヨーク様を復権させられる立場にあって、私たちの罪悪感や後悔を刺激して。

 最後まで私たちを逃すつもりはなくて。

 不要になれば、()()()に利用できるのだと。


「その様子だと分かっているみたいだね。よかったよ、キミが賢明で。真偽不確かな証人一人よりも、使用人の大半を掌握しているキミの方が影響力も大きいしね」


 逃げられないと知った。

 恐ろしいと感じた。


 左眼しか残っていない彼の瞳は、人間の色を残していなかった。

 射竦められたように、ただひたすらに私は頷くことしかできない。


 私はラクノア様を人でなしの外道だと思う。

 領主になりたいためだけに、身勝手な虚栄心のためだけに、ブルース様とヨーク様を地獄に叩き落した彼女を私たちは許しはしない。


 けれど、ロムルスさんはもっと恐ろしくて理不尽を固めたような暴威を感じる。


 もし、運命という存在が実体を持っているのであれば。


 きっと、彼のような存在なのだろうと、私は思う。

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