55. まほろばとは何処
見上げるとマルド・プール領の象徴がキラリと陽光を反射して輝いている。
白亜の外観にアクセントとしてレンガが使われている屋敷。
ラインの屋敷と変わらない、一軒にしては常識外れの広大さにはつくづく感心してしまう。
一体何坪あるのか、固定資産税は幾らかかるのか、これだけの屋敷を維持するためにはどれだけのメイドを雇っているのか。
メイドといえば。
比べてしまうと見劣りするものの、アナスタシア邸もまた三階建ての豪邸に他ならない。
あの広大な屋敷をカレンとラミは二人で維持してくれている。
滞在時間としては慌ただしい現状、短いために二人の負担とはなっていないはず。
しかし、このまま作戦が順調にいって万事上手く嵌まれば。
屋敷に永住することとなるだろう。
そうなると、二人にかかる労力は急増してしまう。
今からでもメイドを雇うか? いや、それでは手持ち無沙汰になってしまう。
しかし、それでは教育は? 必要に迫られた時には手遅れのような気もするが……。
「おい、ロムルス。貴様、何してる」
思索に耽り過ぎた。
頭上から響くのはホロウの声。注がれるのは数奇な視線。
「色々と。考えすぎてね」
よっこらせと椅子から腰を上げたボクは己の服装を顧みる。
何とも、上等な燕尾服。
ペタンと風に揺られる左腕と、眼帯に隠された右目を除くとどこにでもいる執事だ。
まあ、見過ごせないけどね。その欠損は。
「目立つなよ。吾たちの任務は悪目立ちしてはならない」
そういうが、キミも大概だぞ?
ひらひらとはためく純白のメイド服、煌めく銀髪を強調するフリルのついたカチューシャ。
可愛らしさを額面へと押し出したメイド服と、ホロウのぎらつく眼光はあまりにもミスマッチだ。
“アテナイの暗黒を……”なんだっけ。まあ、あちらの人員を考慮すれば致し方無いけれど。
ヨークはまだ表世界に立つには場が成熟していないために、ボクとホロウで赴いた訳だが。
「初めまして。ゼータ様より仰せつかっております。新しい使用人の方ですね」
慇懃に一礼したのはボクたちをここまで、領主邸宅の使用人控室まで案内してくれた人物。
ホロウと同様のメイド服に身を包んだ初老の女性だ。
物腰や仕草からは長年に渡って培われたであろう彼女なりの矜持が垣間見える。
「私はディリンと申します。メイド長として使用人の統括をしておりますので、お二方は本日より私の管理下に入ると解釈してください」
随分と強引な話だと思うが、上下関係を明白にするのは互いの利になるのは頷ける。
どうにも、未だにこの世界の常識へ順応できていない気がする。
「さて、お二方はゼータ様の肝いりとのことですが……可能な限り便宜を図りたいと思います。配属希望はございますか?」
「ならば領主の傍仕えがいいな。ゼータ……様からは相応の教育も受けている」
問答は全てホロウが行う。
レキシントン家の応接間で交わされた契約に際して、ボクたちは今後の動きを協議した。
その結果、ボクが話し合いの場に出ることを良しとはされなかった。
ただひたすらに胡散臭いらしい。
初対面のネリーアルスやゼータからも「作戦の成功を考えるならお前は絶対に人と喋るな」と厳命された。
解せない。
「配属初日にラクノア様の直属には致しかねます」
「何だ。この男ならばともかく。吾を疑うのか」
「勿論でございます。私の使命は領主様のお命を守護すること。後ろ盾があるとはいえ、素性も知れない者を近づけることはできません」
これは梃子でも動かないな。
妙齢にしては矍鑠としているディリンはメイド長としての鑑だ。
けれど冷静に考えてみれば当然で、無理を言っているのはボクたちの方だ。
隻腕隻眼男とちびっ子メイド。
幾らレキシントン家の権力が強かろうと、現場まで及ぶ道理はない。
「仕方ないな。ならば、貴様の好きにしろ」
「承知しました。では、エンリについてもらいましょう。職務内容は屋敷の清掃が主となります。では、こちらへ」
思い立ったら即行動。仕事人として面倒事は後回しにしない性質だな。
キビキビと歩みを進めるディリンは油断ならない。
ああも面と向かって敵意を向けられると尚のこと。
「それにしてもホロウ。いいのかい?」
「迂遠でもいい。時間がないのだろう? なら、多少物騒な手も視野に入れる」
「成程。ボクたちがあちらの関係者とは露見していないから」
「ああ。万が一下手を打ってもダメージはない」
流石はホロウだ。
ボクたちの恐るべきは時間を浪費すること。
ラクノアが正式に領主となるには一週間弱の空白があるとはいえ、翻して見れば、ボクたちの付け入る隙は一週間弱で消えると同義。
それまでに、暗殺か汚職の証拠を掴む必要がある。
だとすれば、ここで手をこまねいてる暇はない。
領主邸宅へ使用人の身分で潜り込むまでは達成できたのだ。
格段に懐までは忍び込めている。
「さて、お二方。ここが当面の職場となります。後のことは中にいるエンリに聞いてください」
それだけ言ってディリンは足早に去っていった。
案内された扉の先では沢山の人間が駆けまわっている気配を感じる。
「わかっているな、ロムルス。ここの人間から詳細を聞きだす」
「埒が明かなかったら闇討ちだね」
「ああ。だが、それは最終手段だ。以降の作戦は吾たちの人間関係構築能力にかかっている」
グッと気合を入れているホロウ。
彼女の言説通り、良好な関係を築けばその分、口は滑りやすい。
目星を付けるとすれば、ブルース時代から仕えている使用人だな。
ヨークから候補とすべき名と容姿は聞いている。
ディリンはエンリに職務内容を聞けと言った。
実に僥倖。
エンリという女性はヨークから最優先で接近すべき人間だと釘を刺されているからだ。
気合を入れな直したホロウがガチャリと扉を開けて、ボクたちは作戦決行を肌で感じた。
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緑に支配された庭園。
水流設備が設けられているのか、水の入った木桶が点在している。
マルド・プール領領主邸宅の外庭。
「ロムルスさん、こっちもお願いしてもいいですか?」「凄いですね、ロムルスさん」「わぁ……やっぱり男手があると色々楽ねえ」「最初はびっくりしたけど、こんなに几帳面ならいい戦力になるね」「ロムルスさんって怖い人かなって思ったけど、喋ってみたら全然印象と違ってもっとびっくりしたわよ」
「な……んだ? 吾は夢を見ているのか?」
わらわらと群がる女。
中心には頭一つ高く突き出た白髪の男。
全員が吾と同じメイド服を着ていて、水気を含んだ服を持って思い思いに話している。
何もおかしくはないんだ。
ここは洗濯を行う場所だから。
広大な領主邸宅では毎日の洗濯だけで手一杯の人だろうから、多くの人間が従事するのは頷ける。
だが、ロムルスが受け入れられている現実には眩暈を覚える。
「あら? ホロウさん。どうかしたの?」
頭上からかけられる声の主はマルタとそう変わらない年齢の女。
金髪におっとりとした顔立ち。柔らかな雰囲気はさぞかし求愛の止まない人種だろう。
彼女の名はエンリ。
ディリンとかいう老獪が清掃班の班長だと紹介した、今の吾の上司だ。
吾はアナスタシアの命令しか聞きたくない。
だから、奴の命令を聞くのは作戦の最中だけだ。
アナスタシアがこいつを殺せと命じるならば、吾は迷いなく切っ先を向ける。
だが、殺気を額面へ出してはならない。
吾はレキシントン家の使用人。か弱い少女という仮面を被らなければならないのだから。
「分からないことでもあった?」
「分からないか。貴様は……ロムルスをどう思う?」
「ロムルスさん? とってもいい人だと思うよ? 気遣いもできて、喋ってても面白いし。それに、怪我してるけどイケメンじゃない? 男の人はみんな護衛とかに回されるから物珍しいっていうものあるけど。でも、街の男とは違う……なんだろ、抱擁感っていうのかな?」
えへへ……よくわかんないや、と。エンリは恥ずかし気もなくロムルスを褒めちぎった。
それが彼女特有の価値観によるものではなく、総意であると眼前の光景が裏付けてくれる。
あのロムルスが、人に囲まれているのだ。
どこからどう見ても胡散臭く、腹の底に悪意が蜷局を巻いているような悪鬼だぞ。
「もしかして、ホロウさん。ロムルスさんを取られてむくれてるな?」
「……なっ!? やめろ、縁起でもない」
「隠さなくてもいいんだぞお? ちょっとお姉さんに言ってみな?」
「ほんとに止めてくれ。吾があいつに焦がれるなど…………想像しただけで反吐が出る」
「ぇ。すっごく真剣な顔…………え、えぇ……?」
何やら衝撃を受けているエンリには悪いが、嫉妬など抱くはずもない。
邪悪を濃縮したような存在こそロムルスという男だ。
吾にはアナスタシアがどうして奴に熱を上げているのか心底理解できない。
ロムルスとは付き合いは長いが、未だに何を行動原理としているのか釈然としない。
信頼はしているが信用はしていない。
得体の知れない奴だ。あいつは。
「おや、エンリさん。ホロウと何を話していたので?」
「あ、あはは。これといって何も。ロムルスさん、片腕だと大変だろうけど……」
「いえいえ。慣れてますから。それに、皆さんの役に立てるなら一本残ってるだけ儲けものですよ」
儲けものですよ(キラリッ!)とか。悪寒が走る。
相対する人間を無意識に安心させる微笑に、温厚な口調、爽やかな態度。
作り物めいた姿には思わず眉をひそめてしまう。
「そうだ、エンリさん。あっちでカーミラさんが呼んでましたよ」
「ありがと。カーミラったら……何回も教えたはずなんだけどな」
やれやれといった風に肩を落として、茶髪の長髪を靡かせるメイドの元へと駆けて行った。
「うん。重畳」
ストンと、色が抜け落ちた。
色彩豊かな仮面が剝落したロムルスの表情は相変わらず胡散臭い微笑が張り付いている。
だが、巧妙に隠していたはずの本性がありありと表れている。
「はっ……貴様らしくなったな」
「ボクらしい?」
ああ、実に貴様らしいぞ。ロムルス。
「全て計算尽くか」
「そりゃあそうだろう。表層の付き合いならば合理的な方がいい。安心する表情、声のトーン。全てね。会話の話題もボクの場合、手探りに集める必要はない」
淡々とこの場の全員に嘘を吐いているのだと暴露する男。
八方美人ならぬ全方向風見鶏だ。
【権能】を用いて全員の素性を調べ上げて、準じた会話を成り立たせる。
ロムルスにとっては造作もない作業なのだろう。
「それで、何か掴めたのか」
「十分じゃない。けれど、疑わしい人物に目星はついたよ。慎重さは大事だけれど、あまり悠長には構えていられないしね。そもそもボクにはある程度の情報もある」
仕事が早い。
やはり、ただ雑談に興じていた訳ではないのか。
自分たちの仕事を片付けるメイドたちは、露も思ってはいないだろう。
まさか、好意的に話していた相手が打算に満ち溢れた男だと。
「それでこそ、ロムルスだな」
「キミこそ。ボクがメイドたちと喋っている間に屋敷の構造を把握したんだろう?」
「チッ……だから貴様は嫌いだ」
全てお見通しという訳か。
【不可視透影】第二段階“未界透鏡”。
効力として影を操るだけに終始しない。
吾の存在を改竄し、吾を認識することすら不可能になる。
ただ吾がいないと誤認させる訳ではないのだ。
認識者の脳内記憶を改竄する。
つまり、認識者は吾がその場にいるものだとして行動する。してしまう。
故に、影に潜みながら屋敷を見て回り、帰ってきた時にロムルスがちやほやされているのを見て。
屈辱ながらも吾は驚きに身を固めたのだ。
「やはり物的証拠は皆無だった。ラクノアらしき女は最上階の自室で惰眠を貪っていたが……ここはあれか。上に立つ者は眠るのが仕事なのか」
「皮肉が利いているね。貴族以上領主未満の身分で下手に動かれたら厄介。何もしないことが仕事だと」
「そこまでは言っていない。深読みしすぎだ」
嫌に穏やかだ。
気分が落ち着く。
何を考えているかわからない奴が隣にいて、吾は安らぎを覚えている。
何故か、と。考えるだけ無駄だ。
ロムルスの考えを完全に理解できている訳ではないが、それでも、彼が何をしでかそうとしているのか。
その一端は、先の会話で予想できる。
彼は人の心に波風を立てることを得意としている。
ネリーアルスやゼータを手玉に取ろうとした時やラインを籠絡した時がいい例だ。
隙がなければ作ってやればいい、と彼は言う。
理屈は頷けようが、手段としては褒められたものではない。
なにせ相手の弱点を、脆い柔肌を情け容赦なく突き刺すのだから。
「あっ! 二人とも一緒にいたね。よかった……ついてきて。二人の部屋に案内するね」
パタパタと忙しなく駆け寄るエンリ。
彼女の姿を視界に収めた瞬間、にたりとロムルスがほくそ笑んだ……気がした。
なんてことのない直感だ。
だが、吾の勘はよく当たる。
殊に、機運の変化する分岐点に差し当たれば。
「えと、ロムルスさんには悪いんだけど、男の人はメイド寮に入れなくて……」
「問題ありませんよ。ボクも肩身が狭いと休めませんし」
エンリの背中を追って、仕事場である外庭を後にする。
迷いなく進むエンリは屋敷の出入口に近しい廊下を直進している。
まだ職務中だからか人の姿はまばらだ。
それもそのはず。
使用人の寮は屋敷の裏、通りの面しない翳となっている場所に建てられている。
昼でも陽の光が届かずに暗澹とした空間へと、誰が好き好んで立ち入るものか。
「そういってもらえて嬉しいよ。ロムルスさんは執事寮というか、執事専用の個室というか……そこでお願いしようかなって」
彼女が言葉を切るのと、完全にヒトの気配が断たれたのは同時だった。
「執事というと、ダットンさんのことですか?」
「っ……!」
周囲に人影もなく、盗聴の心配もない中で。
人の形をした悪辣の権化たるロムルスが黙っている訳がない。
他愛のない雑談の延長戦といった風体を崩さないロムルスとは対照的に、動揺を隠し切れないエンリは立ち止まってしまっている。
返答に窮しているのか、彼女は痛々しいまでの沈黙を晒している。
そんな見え透いた隙を、彼が逃すはずもなく。
「ダットンさんはとても優秀な執事だったと聞きました。ブルース様と阿吽の呼吸で仕事をしていたとも。執事寮にはダットンさんもいらっしゃるのでしょう?」
ひたりひたりと獲物を追い詰めるロムルス。
確実に一手一手がエンリの平静を奪っている。
彼女の心拍数や脈拍、冷や汗の量、当惑に支配される思考。
純粋な混乱がまるで手に取るようにわかる。
「ダ、ダットンさんはね…………」
「もしかして、ここにはいないのですか?」
「……っ、そ、そうなんだよ。だから──」
「ですが、ダットンさんは忠義に厚いと聞きました。それに、とても優秀な人を簡単に解雇するでしょうか? まるで、事情を知らない人が大きな失態を隠蔽するように解職したとしか思えませんね」
「……!? さ、さあ…………私にはよくわからないなぁ」
哀れだとは思わない。
ロムルスは確たる証拠の下にエンリを尋問している。
傍から聞けばただの質問なのだろうが、彼の本性と彼女の狼狽を取ってみれば詰問に他ならない。
「もしかして、ラクノア様と関係があるのでしょうか? 何分、ボクたちは事情に疎くて。ご教授頂けると助かるのですが……」
上目遣いで、あくまで下手に。
全てを話せとは言わず、部分的でもいいから教えてくれと懇願する。
職務上必要な情報だからと少しでも罪悪感を減らす。
たった一度の請願に懐柔するには十分な話術を用いる。
しかし──
「ご、ごめんね……! まだ仕事が残ってるから……っ!」
脱兎の如く、エンリは寸での所で毒牙から逃れた。
這う這うの体で外庭へと戻る彼女を、ロムルスは追従することなく見逃した。
それどころか、惜しいとすら思っていないようだ。
あと一押しで堕ちただろうに。
「……収穫はあったのか?」
ないとは言わない。
ダットンという元執事の男が口を閉ざすには当然の存在だとわかった。
ただそれだけだ。
「勿論、あったさ。ダットンの重要性と、居所」
「…………化け物が」
けれど、ロムルスは。
先のやり取りで吾とは比較にならない情報を得たのだろう。
言うなれば、エンリの思考や態度から可能性を剪定し、除外したのだ。
それらを前提に【権能】で数ある“未来”と“可能性”を閲覧した。
するとどうだろう。
彼女は一言たりとも発さずに、ロムルスは結論へと達した。
「さて、ホロウ。明日は街へ降りてみよう。きっと進展があるはずだ」
相変わらずの微笑を携えたロムルスは、心底楽しそうに寮へと足を向けた。
吾にはわからない。
彼が如何なる絵図を描いているのか。
誰が、何が、どのように作用するのか。
全てを手中で踊らせて、彼は。
いつだって暗躍するのだ。




