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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第三部【南の慈愛】
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54. “アテナイの暗黒を白日の下にさらせ”作戦

 手慣れた作業だった。

 書状を出して、返答を受け取って、こちらから赴いて。

 会合の場をセッティングすれば、クライアントが到着するまで静かに時を待つ。

 高級レストランのシックな個室にはわたくしとマルタ、テリア、アヤメの四人で各々グラスを傾けたりお喋りをしながら時を過ごしている。


 御伽噺に登場する妖精と見紛うマルタと、凡そ護衛とは思えない町娘そっくりなテリア。

 二人の背格好は行動を共にする内に疑問には思わなくなった。

 正確には……思わなくした、か。


 わたくしは自分の生まれ持った顔やスタイル、女性的な肉体にある程度の自負がある。

 スウィツァー商会を拡大する途上で男性の情欲へ漬け込んだ手段が軒並み成功する程度には、事実として存在はしている。

 今だって、給仕の女性がわたくを見て頬を染めている。

 同性ですら魅了してしまう、祝福とも呪いとも受け取れるわたくしだけの力。


 けれど、それは石に埋もれていた場合の話。幾ら光り輝く宝石だろうと、同じように目を奪われる宝石が隣にあれば。

 その輝きは霞んでしまう。

 マルタとテリアは容姿端麗だ。

 幻想的ですらある浮世離れした雰囲気を纏うマルタに、どこか野生を感じさせる暴力的な優美を誇るテリア。

 街を通れば誰であろうと二度見か、はたまた現実を忘れて見惚れてしまう存在感際立つ麗しき美女と美少女だ。


 わたくしは天性の才能に胡坐をかいた自分を、ただ恥じた。

 年月と共に外形的な魅力は廃れる。

 とはいえ、相手を土俵に上がらせるには第一印象を好意的で終わらせる必要がある。

 どこぞの白髪隻眼男のように不気味さと胡散臭さが額面へ出ているのは、本来あり得ないこと。

 だけど、彼は警戒される相手にすら話を聞かせる、会話の主導権を気付かない間に簒奪する話術がある。

 わたくしには、それがない。良くも悪くも、わたくしは()()()()だから。

 正攻法でしか、勝負できない。

 だから、少しでも一際目を引く、視線を集める、そんな美しさを得ようと思った。

 特段難しくもない。男性の本能に関するケースは経験上、腐るほど蓄えてある。

 人間を魅惑する仕草や口調、声のトーン、表情の動かし方、何から何まで理想の乙女へと変貌させた。

 仮面を被る感覚、と。表と裏を器用に使い分ける商人はいるけれど、わたくしは違う。

 それでは、有象無象と変わらない。

 それでは、頂点へはたどり着けない。


 わたくしが、成るのだ。理想の乙女に。

 それがわたくしだと、結論付けて。


「……努力したつもりだったのだけれど」


「……? どうしました?」


 わたくしの視線に気が付いたのだろう、マルタを挟んだ隣にはきょとんと首を傾げる少女がいた。

 わたくしの腰程しかない背丈に、自信なさげにとろんと垂れた目尻や表情、びくびくと怯える小動物のような雰囲気(オーラ)

 漆黒のヒールに、黒を基調とし随所で赤のアクセントのつくミモレ丈のドレス、白く陶器のような肩をヴェールのような純白のストール。

 ピンと張ったオオカミ耳を隠すための臙脂色のベレー帽。


「うぅ……変じゃない、ですかね…………?」


 似合っているわよ、すごく。

 ただでさえ庇護欲をくすぐる彼女は、大人の女性を想像させる衣を纏って、より一層背徳感を強めている。

 伏せられた瞳も、ハの字に歪む形のいい眉も、薄く化粧をして整えた頬も。


 アヤメは、とにもかくにも、可愛かった。


 可愛らしさ。それは、わたくしが捨てたもの。

 大人の女性とは即ち、麗を極めるものだから。


「マルタ……わたくしは綺麗かしら?」


「うぇっ!? ど、どうしたの? 急に…………」


「わたくし、自信がなくなったわ……」


「よく分からないけど、アナスタシアさんはとっても綺麗だよ? 初めて会った時びっくりしたもん」


「ありがとう。テリア、貴女はどう思うかしら?」


「なになにぃ~? 綺麗のカツアゲ~?」


「待ちなさいテリア。そんな言葉どこで覚えたの」


「え゛。そっち~?」


「アナスタシアさん……ちょっと変です」


 だめだ。思考が纏まらない。

 アヤメの姿に自分でも驚く程のダメージを受けているみたいだ。

 これからわたくしの戦いが始まるというのに。


 既に個室に通されて五分は経っている。

 そろそろ相手が現れてもおかしくない。


 自慢ではないけれど、わたくしには武力がない。

 腕力だけで見るならカレンの足元にも及ばないほど。

 無能ではない。【楽園(エデン)】ならば魔獣の大群にだって無傷で完勝できる。

 けれど、それは【権能】ありきの話だ。

 彼とヨークが遭遇したという“羲戎(ぎじゅう)”種は【権能】を封じる。

【権能】の通用しない相手に、わたくしは無力だ。

 それに、“顕現悪性”は発動までラグがある。例えば、ホロウの速度をもってすれば【権能】発動前に殺される。


 戦場は、わたくしの戦場ではない。


「弱気はここまで。気を引き締めましょう」


「う、うん。そうだね……ねえ、テリアちゃん。アナスタシアさん疲れてない?」


「大丈夫なんじゃなぁ~い。何度かあったしぃ」


「え、あるんですか……?」


「だいたい自己嫌悪してる時だからぁ~。ほっとけばいいよ~」


「おぉ……慣れてるね」


 何やら失礼な言われようだけれど、言い当てられてしまえばぐうの音もでない。

 テリアはわたくしたちをよく観察している。

 あのロムルスですら彼女に本心を見抜かれたのだ。

 徹頭徹尾、論理の一貫しているわたくしの本性を暴くなんて朝飯前でしょう。


「……ぁ。皆さん、足音が…………」


 アヤメの言葉を合図に、わたくしたちは無駄口を辞める。

 彼女の聴覚は帽子を隔てたところで損なわれることはない。

 すると、控えめなノックが響き、複数人の男が入室してくる。

 わたくしに真偽を確かめる術はないけれど、想定通りであれば、リッチモンド、カンザス、ネブラスカ家の当主、またはそれに準ずる立場の者だろう。

 他の者は護衛か秘書か。


 作戦の第一関門は突破できたとみるべきだ。

 交渉事ではそもそも相手がテーブルに現れない場合もある。

 その段階で綿密に構築した計画が頓挫してしまうのだから、はた迷惑な話。

 とはいえ、今回の会談にはリヴァチェスター領領主の名を使っている。

 そう簡単に無碍にはできないはず。故に、必ず相手は現れるものだと確信していた。


 こちらの思惑を知ってか知らずか、眼前のテーブルに三人の男が座った。

 なんてことのない、ありふれた貴族だ。

 けれど、よく観察すると個性や癖、世評の背景を見透かすことができる。


「お待たせしましたな、マルタ様。早速、本題に入りましょう」


 開口一番、瘦せぎすの男は社交辞令をすっ飛ばして主題を問うてくる。

 拙速とも思えるが、彼らからしてみれば用向きの不明瞭なまま時間を浪費しているに過ぎない。

 いかに建設的な話し合いといえど、先行きが不透明な状態では不満もたまる。

 それを目に見えて表にだすのはどうかと思うが……一種の挑発と受け取っておこうか。


「そうですわね。お互いに時間は貴重な身。改めまして、わたくしマルタ=ノヴゴロドと申します。こちらは、我がリヴァチェスター領の発展に大いに寄与して頂いております、ラヴェンナ商会のアナスタシア=メアリ殿ですわ」


「……っ! メアリだとっ!? あのオルウェル候の……!」


「ばか、声が大きい」


「両者静まれよ。失礼、アナスタシア殿」


「いえ、気にしませんわ。商界では日常茶飯事ですもの」


 これで底が知れた。

 注意すべきは矢面に立って言葉を交わす男ただ一人。

 両端に座る二人の男は感情を隠すのが下手だ。

 窘めるように注意する彼だが、その視線はマルタとわたくしに固定されている。

 テリアとアヤメの存在など眼中にないかのように。

 だが、問題はない。

 テリアは抑止力として、アヤメには虚偽を見抜いてもらうために同席してもらっている。


 却って、わたくしたちが注意を引く程度、造作もない。


「本日はよろしくお願いします。私はロナルド=リッチモンドと申す者。以後お見知りおきを」


 少しの衝撃とほんの小さな納得感。

 まさか当主直々に出向くのかと驚く半面、だからこその迫力なのだと頷ける。


 静かに、けれど確かに。

 戦いの火蓋が切って落とされたのだと。

 わたくしは直感した。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 ロナルド=リッチモンドと名乗った男は、マーティン=カンザス、カルビン=ネブラスカと残り二人の紹介をした。

 表情を変えたつもりはない。

 けど、もしかしたら、悟られたかもしれない。

 わたしは、まさか当主が登場するなんて思わなかった。

 良くて直属の使者が来るものだと。

 幾ら領主の名前だろうと、他の領地への権限は皆無に等しい。

 外交的な力も生憎持ち合わせていない。


 しかし、現実はわたしの予想なんて鼻で笑うかのように、裏切ってくれた。


 アナスタシアさんは、全く驚いた様子がない。

 凪のように閑静で、波紋一つない水面のように。

 彼女にはあったのかもしれない。三人の領主を相手にするイメージ、“未来像”が。

 荒唐無稽な想像だけど、長年の経験と知恵で築き上げたであろう推測はものの見事に的中している。


「さて、マルタ様。本日は如何なるご用件なのでしょうか? 内密にとのことでしたが……」


 貼り付けた笑顔は偽物の匂いがプンプンしている。

 相手を油断させて少しでも情報を得るために好々爺を演じる者は多い。

 しかし、思惑を見透かされては不信感を与えるだけだ。

 ロナルドは失敗している。

 腹の底に飼っている狡猾な大蛇を隠しきれていない。

 コルバリウスのように、本心まで偽装できていないのだ。


「単刀直入に申し上げますと、ロナルド様。リヴァチェスターと契約を交わしてみませんか?」


「…………随分と、漠然としていますね」


「詳細をお知りになりたいですか?」


 これは試金石だ。

 敢えて呼び水となるように煽動紛いの言葉に換言した。

 わたしの見立てではロナルドはプライドを捨てきれていない。

 仮初の仮面を被って見せてはいるものの、その実、わたしたちを見くびっている。

 対等、若しくはそれ以上の相手だと想定しているのであれば、引き連れてくる相手はマーティンやカルビンの他に用意するだろうから。

 せめて、自分よりも上だと信頼できる相手を。


 まだわたしには経験が足りていない。


 けれど、彼は。


「是非、教えて頂きたいものですな。我々は貴族といえど、いつ追い落とされるやも分からぬ身。少しでも利益は手中に収めたいところです」


 網にかかってくれた。

 作戦の第二関門は重畳。

 多少強引になったが、ロナルドの興味を惹くことには成功した。


「では、アナスタシア様。説明を頂けるかしら?」


「ええ、勿論でございますわ」


 これまでの会話は全て茶番だ。

 どこかでアナスタシアさんと交代するための。

 小鳥が囀るような、猫が鈴を転がすような、不思議と人を惹きつける蠱惑的な声が響き始める。


 アナスタシアさんの声音を聞きながら痛感する。


 悔しいけれど、わたしには実力がない。

 今まで矢面に立っていなかったことが災いして、交渉を円滑に進める地力っが圧倒的に不足している。

 誰にも気づかれないように息を吐くと、自分でも信じられない程に消耗しているのだと感じる。

 ジワリと背筋を垂れる冷や汗、自然と力の入っている肩。

 会話の主導権を彼女に渡すだけで、この体たらく。

 コルバリウスとの会談を終わらせたのもわたしの不手際に他ならない。

 引き際ですら、アナスタシアさんに先導してもらった。

 あのままズルズルと交渉を続けていたら、取り返しのつかない事態に陥っていただろう。


「(マルタちゃん、だいじょうぶ~?)」


「(ひゃっ……! テ、テリアちゃん…………?)」


 ずぶずぶと悪い方へ進んでいたわたしの思考は、間延びした陽光のように朗らかな声によって遮られた。


「(そだよ~。あたしだよぉ~)」


「(これって、“龍気”?)」


「(せいかぁ~い。離れすぎると無理だけどぉ、この距離なら余裕だよぉ~)」


 声というが脳内、魂に直接響いているようで、考え念じるだけで会話が成立している。

 “龍気”は“霊力”と同じようなとんでもパワーだと思ってたけど、思念会話なんて芸当もできるんだ。


「(なんかできちゃったんだぁ~)」


「(ぁ、ごめんなさい。聴こえちゃった?)」


「(うふふ~。慣れたら伝えたいことと、考えることと分けることができるよぉ~)」


 慣れたら、か。

 きっとテリアちゃんは使いこなすまで長い年月をかけたんだな。

 通称、【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)

 気狂いが考案したような、人道に反した凄まじい練習方法。

 わたしが皆と出会う前から、テリアちゃんはずっとあの地獄で練習をこなしてきたんだ。

【権能】のない“龍人”であるテリアちゃんは“龍気”の使い方を極めて、今も、わたしの不安を目聡く見定めて声をかけてくれたんだ。


「(あははぁ……ばれちゃたぁ?)」


「(…………まる聴こえみたいだね……)」


「(いいのよぉ。その分、マルタちゃんは裏表がないってことだものぉ)」


「(それは……領主としては欠点じゃないかな…………)」


「(ほら、また落ち込んでる~)」


 恥ずかしい。とても顔向けできないくらい恥ずかしい。

 一度の失敗を引きずって、立ち直れていない。


「(失敗しない人なんていないわぁ~)」


「(それは、わかってるつもりなんだけどね)」


「(やっぱり、()()()じゃなぁ~い。マルタちゃん、あなたの目標はだれ?)」


「(……、みんなだよ)」


 わたしがうじうじと悩んでいる間にも牙城を崩すかの如き話術でロナルドたちを丸め込むアナスタシアさん。

 誰もが尻込みする【楽園(エデン)】の名には相応しくない地獄へ躊躇なく飛び込めるホロウちゃん。

 鋭くも優しくみんな無自覚に頼ってしまうテリアちゃん。

 自分の精一杯を広げるために努力し続けるアヤメちゃん。


 そして、同じ人間とは思えない知略と暴力を誇る、ロムルスくん。


「(やっぱり、マルタちゃんは勘違いしてるよぉ~)」


「(してないんじゃないかな? わたしは、みんなの足元にも及んでないんだよ)」


「(……マルタちゃん。()()()()()って考え方やめな)」


「(……ッ!)」


 声が痛い。

 ふわふわと浮遊していた言葉が、茨となり刺さった感覚。

 表情はわからないからこそ、伝わる熱意。

 テリアちゃんの本気。


「(マルタちゃんは頑張ってるよ。ただ、過大評価しすぎってだけ)」


「(してるつもりはないけど…………)」


「(ほら、また分かってなぁ~い。あのね、あたしも、アナスタシアちゃんも。みんなみんな間違えて間違えて、それでも間違えるんだよ?)」


「(…………ほんとに?)」


「(ほんとだよぉ。みぃんな正解がわかっていながら、間違っちゃう)」


 事の真偽を確かめる術はない。

 けれど、テリアちゃんの言葉に噓はないように感じれた。

 本当に? あのロムルスくんやホロウちゃんも、間違えるの? って思う気持ちはずっしりとあるけど。


「(だけどね、間違っちゃう度に。みんなが、自分以外の誰かが正してくれるのぉ~)」


「(……自分、以外)」


「(だから、マルタちゃんが間違えたら、あたしたちが戻してあげる。あたしたちはそうやって、ここまで来たんだよぉ~)」


 はっきり言って、とても眩しい。

 わたしには頼れる人がいなかった。孤児院のみんなや工場のみんなと護るにはわたしが頑張るしかなかった。

 けど、それじゃあ限界がきて。最後には、()()()に助けてもらった。

 もし。もし、もっと早くに出会ていたら。


 そうじゃない。過去のことはどうしようもない。

 わたしは、羨ましかったんだ。ずっと。

 アナスタシアさんと、ホロウちゃんと、テリアちゃんと、ロムルスくん。

 四人の信頼関係が。

 あんなの、どこからどう見ても家族じゃないか。

 わたしには望めないもので、けれど、心の底から欲しているものでもある。

 踏み込めない自分が、きっと受け入れてくれるはずなのに及び腰になってしまうわたしが。


 恨めしくて。


「(ねえ、マルタちゃん。あたしは、あたしたちはマルタちゃんとも家族になりたいよ?)」


「(っ……!)」


 ほんとに。優しくて、ずるい。

 そんなこと、言われたら。

 自分を赦してしまいそうになる。

 もういいんだって、糸を切ってしまいそうになる。


「(アヤメちゃんも、見てるだけはあたし寂しいなぁ)」


「(ふぁあっ!? き、きづいてたんですかっ!?)」


「(だって、アヤメちゃん耳がいいものぉ~)」


「(はずかしい、です)」


「(マルタちゃんと一緒だぁ~)」


 テリアちゃんが頬を緩めた気がした。

 アヤメちゃんがころころと笑った気がした。

 わたしを、二人が優しい手つきで抱きしめてくれた気がした。


 途端に、立ち込めていた黒い靄のようなものが、消え失せたような。

 まるでどこにでも飛び立てるような翼が生えたように。


 わたしの身体が軽くなった。


「(ありがと、テリアちゃん。何だか、元気がでたよ)」


「(よかったわぁ~。マルタちゃんは笑顔を似合うものぉ~)」


 敵わないなぁ。

 けれど、だからこそ頼もしく感じる。

 わたしはずっと失敗する。

 一人で頑張って、抱え込んで、また潰れちゃう。

 けれど、もう一人で立ち上がらなくていい。

 寄りかかってもいいんだって。


 わたしは、ようやく気が付くことができたんだ。

因みに、テリアの思念会話はアナスタシアにも聴こえていました。

途中で自分の失敗談が語られるのではないかと冷や冷やしながら。


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