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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第三部【南の慈愛】
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51. 顛末

 ガラガラと車輪の回る音がとても懐かしく感じる。

 ドヴァーラヴァティの手綱を握るのも、御者台で晴れ渡る景色を見渡すのも、談笑に花を咲かせる皆の声を聞きながら一人黄昏れるのも。

 全て郷愁に身を震わせる要因となっている。

 たった八日の離反だったが、その間に起こった事件のおかげでボクには数週間の出来事に感じられる。

 オスマンとビザンツから不機嫌そうな鼻息をかけられるのも、今となれば貴重な経験だったのだと。

 二頭からは「何で帰ってきた?」とか真面目に聞かれてそうで恐ろしい。

 ホロウかアヤメに問えば代弁してくれるだろうが、藪蛇をつつく趣味はない。


 頬を撫でる温暖な風は徐々に湿気の含有量が減り、如実にフォルド領へと近づいているのだとわかる。


 ファルガー領におけるアナスタシアとマルタの奮闘虚しく、ファルガー領の協力は得られなかった。

 話を聞く限り、二人に落ち度はない。

 アナスタシアの予測通り、コルバリウス何某にはラヴェンナ商会どころかリヴァチェスターとの連携すら望まなかった。

 彼程の男ならば、リヴァチェスター及びラヴェンナ商会と契約締結した際に生じる利益を計算しなかったはずもない。

 つまり、それを上回る利得を確保できる相手を見つけたか、そもそも彼が語った通り利益自体に興味がないか。

 どちらにせよ、あの場での説得は不可能と判断したアナスタシアは賢明だ。

 たった一度の邂逅で()()()()まで推測するのだから。

運命識士(リード・スペクター)】を閲覧しコルバリウスという男を学ぶ限り、純然たる利益に靡かない人間じゃない。

 それどころか、誰よりも貪欲に、欠片でも多くの金を欲している。

 ならば、どうして二人の提案を受け入れなかったのか。


 アナスタシアにはない着眼点。


 望み得る“未来”と望み通りの“未来”、その差異を比較衡量できるボクだからこそ見受けられるコルバリウスの本心。

 彼は勘付いていた。リヴァチェスター領元領主であるフェイラーとバルムスの無能を。

 一人娘を嫁がせて時間経過と共に実権を掌握しようと画策していたのだ。

 けれど、フェイラー政権は崩御して、いざ面会した次期領主は比べものにならない程に聡明で、協力者たる商会代表は実績も称号も我が物とする手練れときた。

 マルタとアナスタシアを相手にすれば逆に有名無実化されるのは己の方だと。

 見事な引き際だ。

 危険な橋は決して渡らず、対岸に目を引く金銀財宝があろうと憂いなく断ち切れる精神性。

 今までの為政者とは格が違う。


「相手が悪かった。それだけだ」


 状況が異なれば、準備が整っていれば、コルバリウスの能力を見抜いていれば。

 アナスタシアの用いた交渉手段(アプローチ)はまた違ったものになっていた。

運命識士(リード・スペクター)】曰く、“未来肢”は千二百六本あり、その内折衝成功“未来”は五本。

 彼女たちが踏んだ“未来”は残り千二百一の、ごまんとある失敗の枝だ。

 “未来”の視えるボクであろうと、たった五本の成功を掴むためには千辛万苦の労力を要する。

 限りなく低い可能性の中で、奮闘したにもかかわらず、彼女たちは惨敗だと悲嘆に暮れている。

 事実をありのまま伝えてもいい。

 けれど、それは何の気休めにもならない。


 乗り越えるべき壁は大きければ大きい程に、凌駕した際の成長曲線は目覚ましい。


「今は耐え忍ぶ時だよ、二人とも」


「貴様、それを伝えればいいものを」


「おや、ホロウ。交代はまだ先だよ」


 突如として現れた声に驚きはしたが、完全に気配を消して接近できる人物など限られる。

 少女にしては低い声音の彼女は、まるで自然の動作でボクの隣へ腰掛ける。

 けれど、どこか違和感がある。

 何だろう、普段通りのホロウなのだが。

 全身を黒を基調とした寒色で統一した装束に、首元を隠すように巻かれた紺色のマフラー。

 鋭利な眼光に、抜き身の刃を彷彿とさせるぎらついた雰囲気。陽光を反射して煌めく銀髪。

 変化など、ないはずだが。


「……何だ、吾の顔に何かついているのか」


「いや、可愛らしい顔に変わりはないのだが」


「……っ!? きさっ!? なにを……っ!」


 ボンッと爆発するかのように急激に頬を朱色に染めたホロウは、プイッとそっぽを向いてしまう。

 慌てふためく姿は冷静な彼女から想像できないものの、時折ぼろを出すみたいに感情に振り回されているため特段珍しくもない。

 けれども、まとわりつくような違和感が離れてくれない。


「それで、ホロウ。何かあったのかな?」


「……何もない。なんだ、用がなくては貴様の隣に来れないのか」


「…………居づらくなったんだね」


「ふん。だから貴様は嫌いだ」


 口元をへの字に曲げて不貞腐れるホロウ。

 抗議するように頬を膨らませる仕草は、なんてことない愛娘の様相に浄化される心持ち。

 思わずつついてしまいそうになるが、ここはグッと我慢だ。

 もし本能のままに蛮行に及んでしまうと…………待っているのは極限の折檻。

 まだ死にたくはないしね。


「ヨークと言ったか……一通りの事情は聞いた」


 ぽつりと呟いた彼女の横顔は悲観に満ちていた。

 ヨークがドミア山脈に捨てられた経緯について、話題になったのだろう。


「吾は父親という概念を知らない。だが、親しい者が自分の力不足が原因で命を落とした自責は知っている」


「……、ならば君こそヨークに寄り添えるんじゃないか」


「違う。吾とヨークでは…………違うんだ」


 何がとは言わなかった。

 いや、まだ己でも言語化できていないのだろう。


「貴様は知っているだろうが、吾はスラムの生まれだ」


「ああ、勝手に覗いたのは済まないとは思っているよ」


「いい。過ぎたことだ。それに、()()()……だろうな。吾も吹っ切れることができた」


 ふっと緩んだのは頬のみならず、雰囲気もまた温和に変化した。

 琥珀色に輝く瞳は生気に満ちていて、爛々と彼女の獰猛さと優しさを併せている。


「だが、吾は過去にケジメを付けられてはいない」


「真意を聞いても?」


「……ああ。ただ、忙しなかったんだ。立ち止まっている暇はなかった。だから、自然と風化していったんだ。だが──」


「落ち着いて考える時間ができた」


「…………何もかもお見通しだな。貴様の言葉通りだ。嚥下できぬままにヨークの話を聞いた」


「成程。キミが憂いているのは覚悟か」


「……、ああ」


 小さくこくりと首肯したホロウは、年相応の少女に見えた。

 彼女は自分なりに過去を精算した訳ではない。

 振り返ることさえ許されない環境にあって、正存以外の行為を些事だと切り捨ててきた。

 しかし、ヨークは立ち止まって、今向き合おうとしている。

 ホロウには彼女の逆境に抗う姿を輝かしいものだと、尊しているのだ。


 けれどもそこに、ホロウが劣等感を覚える道理はない。


 二人には境遇の差や、背負っている業の差がある。

 一概にホロウが劣っていて、ヨークが優れている訳ではない。


 とはいえ、当人にとってはそう簡単に割り切れる話でもないのだろう。

 現に彼女は苦悩し、挙句の果てには気に入らない相手に慣れない相談までしているのだから。


「貴様に吾はどう見える」


「漠然な質問だね」


「煙に巻くなよ。これでも吾は──」


「わかっている。本心で答えるよ」


「っ……、そ、そうか」


 珍しいこともあるな……と呟くホロウだが、ボクも学習している。

 今のキミは“オドラの邑”で自己に疑問を呈した時と同じだ。

 暗殺者として達観した側面がありながら、キミは子どもとして必要な葛藤を取りこぼしてきた。


 ボクにできる恩返しは、せめてキミが健やかに育つための手助けだけだから。


 だから、真剣に答えよう。


「キミは格好いいよ。ホロウ。良くも悪くも人間味があって好感がもてる。それに、カレンやラミに聞いたが、時々家事を手伝っているのだろう? そういった他者を思いやれる心情も健気で素晴らしい。それに──」


「もうっ、いい……っ!」


「まだ百八個くらいあるが」


「いいっ! なんだ、その…………気恥ずかしいし……」


 もじもじと、ごにょごにょと、うじうじとしだしたホロウ。

 いざ面と向かって褒められては誰だろうと羞恥に丸まるものだ。


「ホロウにはホロウの後悔があって、ヨークには彼女だけの責任がある。キミたちは何も違わないけれど、何もかもが異なる」


「…………なんだ、謎かけか」


「近しいよ。詰まる所、人の本質なんて誰にもわからないんだ。【運命識士(リード・スペクター)】だってだんまりを決め込むだろう。けれど、たった一人だけ。例外がある」


「誰だ、そいつは」


 食い気味に続く言葉を期待するホロウ。

 琥珀色の瞳を見開いて、無防備にも身を乗り出している。

 平静とはかけ離れた様子こそ、彼女が如何に苦悩していたのかを物語っているようだ。


 だから、ボクはボクなりの言葉で伝えるのだ。


「自分だよ。過去を赦せるのはキミだけ。背負う責務を降ろせるのも自分だけ。よく頑張ったなと、自惚れられるのも。自分だけなんだ」


「…………結局、気の持ちようという訳か」


「そうだね。けど、()()()()()()から、キミはここに来たんだろう?」


「っ……! やはり吾は貴様が嫌いだ」


 コロコロと変化する表情は、どこか憑き物が落ちたように感じる。

 どうやら、ボクは多少の力添えができたらしい。

 唇を尖らせて、再び頬を赤らめてホロウはボクの視線から逃れるように背を向けた。


 口元に携えた微笑みが、縁に肘をついて景色を眺める瞳が。ホロウ=クルヌという少女を形どる全てに、ボクは見惚れてしまう。

 先の言葉に噓はない。

 ボクは彼女を格好いいと思っている。


「……? どうした、やっぱり吾の顔に何かついているのか?」


 僅かな違和感。

 静かに生じた不自然さ。


「いや、何でもないさ」


「おい……っ! 何でもなくてどうして吾の頭を撫でるんだ……っ!」


 わしゃわしゃと心地よい感触も、すぐに払いのけられてしまう。

 怒りは頂点に達したのか、彼女は不機嫌な猫のように威嚇しながらも荷台へと戻っていった。


 ようやく、違和感に合点がいった。


 ボクを見詰める彼女の目線、ボクと彼女の間に横たわる空白。


 ホロウの身長が伸びていたんだ。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 パチパチと爆ぜる焚火を囲み、簡易的なテントを三つほど完成させたら一日の移動は終わりという暗黙の了解がある。

 あの後ホロウは交代の時間になっても現れてはくれず、一日中を御者台で過ごしたため腰に大ダメージが残っている。

 けれど、夕食が並ぶと痛みなど飛び去ってくれる。

 食事は一番の楽しみだ。

 どうにもてんやわんやの日々のおかげで本能が濃い味を欲しているようで、最近はふんだんに香辛料を振りかけてボクなりの味に改変しているのだ。

 今晩はマルタとアヤメが協力して干し肉をアレンジした手作りシチューを振舞ってくれた。

 リヴァチェスターで味わった滑らかなミルクの風味と、ファルガー領特産品である肉厚な触感が忘れらない味にしてくれている。


 舌鼓を打ちながら皆の様子を垣間見ると、旅路のストレスは微小に抑えられていることがわかる。


 交渉そのものは失敗でも、取り返しのつかない事態でもない。

 それに、帰路は今までと比較にならない速度で移動できているためでもある。

 ヨークの【権能】によってドヴァーラヴァティの脚力を中心に身体能力を向上させてみると、それはもう異次元の距離を一日の内に移動できたのだ。

 既にアウグリュニーは目の前という現実に安堵している証でもある。


「さて、そろそろ始めましょうか」


 パチンっと乾いた音と共に、アナスタシアの号令が響くと矢庭に空気が重く停滞する。

 アヤメはげんなりと肩を落とし、マルタの笑顔もピクピクと震えている。

 ヨークは覚悟を決めたように表情を引き締めている。

 むべなるかな。ルーティンと化した毎晩の光景。

 ドヴァーラヴァティを休ませ、オスマンとビザンツを思う存分可愛がり、夕食をとる。

 それが終われば…………【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)の時間だ。

 アナスタシアやホロウ、テリアの三人は数ヶ月継続しているため手慣れているだろう。

 しかし、マルタとアヤメは未だに忌避感が抜けていない。


 そんな二人には朗報となるだろうか。


 平時ならば【楽園(エデン)】を展開するところだが、今晩ばかりは違う。


「済まない、アナスタシア。少しボクに時間をくれないか」


「……? ええ、構いませんけれど……」


「ありがとう。実は、ボクにはまだ話していないことがあってね」


 疑問を表情一面に浮かべたアナスタシアや、何をしでかすのだろうかと警戒心を剥き出しにするホロウやテリアたち。

 本来ならば合流した時に一から説明すべきだったのだろうが、()()ばっかりは実演した方が説得力が高い。


「さて、どこから話そうか。ボクとヨークが“羲戎(ぎじゅう)”種に襲われたことは話したよね」


「え、ええ。“羲戎(ぎじゅう)”種から卵をもらったのでしょう?」


「ああ。けれど、彼から与えられたのは卵だけじゃない」


 普段ならば【楽園(エデン)】を展開するところだが、今夜はまた別の【権能】を起動させる。

 “霊力”を形作るように、概念を表出させるように。

 金色に輝く王笏(おうしゃく)をボクは権限させる。


「“羲戎(ぎじゅう)”種はボクに【権能】を与えてくれた。名を【護国神卿(ロード・プロテクター)】。絶対の守護を約束してくれる力さ」


 ぴかぴかー。

 歓声も、驚愕の声も、眉一つ動かない沈黙。

 噓だろう……? 誰も…………驚いて、いないだと?


「そうですか。よかったですね」


「…………薄くないかい?」


 吐き捨てるようなアナスタシアに限らず、真っ先に盛り上げてくれそうなテリアや、誰よりも驚きそうだったアヤメすらも冷めた目で見ている。

 年甲斐もなくはしゃぎやがって……と糾弾されている気分だ。


「もっと応仰に叫べば満足ですか?」


「え、驚かないのかい? 二つ目の【権能】だよ?」


「ふん。貴様が今更何をしても驚かない。例え帝国を滅ぼそうと、吾は驚かない」


「そうねえ~。あたしは【権能】ってのがあんまりよくわかってないからねぇ~」


「こ、此方も……! 何だか凄い力って印象しか…………なくて……」


 半眼で訴えるホロウに、“龍人”と“魔族”特有の歴記としたギャップ。

 だとすれば。もったいつけて、満を持して告知したボクがバカみたいじゃないか。


「マルタは、びっくり?」


「ぇ……はは……ロムルスくんならいっぱい【権能】もってもおかしくないかなって思ってたから…………逆に今まで一つだったんだってことに驚きだよ」


「よかったじゃないかロムルス。マルタは貴様を正当に評価していたようで」


「ああ、ありがとうマルタ。なぜだか救われた気分がするよ」


 つまりは。

 ボクが一人で赤っ恥をかいただけか。


「そうか……まあ、いいか…………?」


「けど安心してねぇ~、ロムルスくん。みぃ~んな心強いとは思ってるんだからぁ~」


「そうなのかい? てっきり皆の期待に応えられなかった気がしたんだが…………」


「貴様は言葉を真に受けすぎだ」


「あの……っ! ロムルスさんを嫌いな人はいませんから……っ!」


「そういうことよ。さあ、ロムルス。練習を始めましょう」


 とっておきのお披露目のはずが。まるでボクの思惑なんて全て見透かされていた気がして居ても立っても居られない。

 今更【権能】の一つがなんだと…………皆はボクを過大評価し過ぎじゃないかい?

 悪い気はしない。けれど、どこか重い。

 カウンターをもらったような、鼻っ柱を折られたような気分だね。


 ボクは内心を悟られないように、胡散臭さに定評ある微笑みを浮かべるのであった。

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