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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第三部【南の慈愛】
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48. 守護を制する者

 浮ついている。

 比喩ではなく、正真正銘、浮遊感に包まれている。

 上下左右、空間そのものが捉えどころのない曖昧な世界。

 事象を区分するはずの境界線は歪曲し、ぐるぐるとあり得るはずもない方向へと向かう。

 漆黒に塗りつぶされた空間で、ボクはただ行く当てもなく漂感に身を任せるだけ。


 ただ、一点。


 縦に裂けた猫目が、ボクを見つめている。


 ここは何処かとか。何故ここにいるのかとか。当然の疑問は全て消え失せる。

 ボクは魂だけの存在で、ボクを見詰める瞳の正体は使()()だ。

 まるで最初から知り得ていたように、簡単に嚥下できる状況。

 おかしいとは思うまい。


「さて、君はボクをどうしたいんだい?」


 静謐の黒が支配する中で、ボクは口火を切る。

 なんとなく…………ここに長居するのは危険だと思ったから。

【権能】も使えず、“霊力”すら皆無の世界だ。何が起こっても対処できる自身はない。


「だんまりかい? 君には目的がある。ならば早めに要件を切り出してくれた方がいい」


「────問おう」


 息が、詰まる。

 重力がひっくり返ったような、天地が動転したような。

 凄まじいプレッシャーを感じる。

 生殺与奪の一切を掌握されたと言っても過言ではない。


 ビリビリと輪郭を震わせる重苦しい声音に、天体そのものと錯覚してしまう巨躯。


 孤独と暗闇がより一層不気味に感じる。


「────何を望む」


 随分と漠然とした質問だ、と。

 先ずは相手の出方を伺うつもりだった。

 挑発してもよし、油断させてもよし。

 演算と予測、手探りながらも確実な回答を。


 しかし、ボクの口は意に反して、まったく異なる言葉を紡いだ。


 曰く。


「……………………る力」


 沈黙。

 咀嚼し、吟味しているのだと分かる空白だった。

 数秒か、数分か、数時間か。

 とにかく体感では計ることのできない時間が流れた。

 相も変わらず瞬きすらせずに、瞳はボクを見つめ続ける。


「────()()()


 頬が緩んだ。

 人懐っこい微笑を浮かべて、無言の圧力が、緊張の渦中にあった魂が解放される気分だ。

 そうか。君は。

 見定めたのか、ボクを。


 回りくどい方法を使うものだ。

 これではボクの行動が滑稽にも思える。

 君は端から本心を見透かしていて、尚も煙に巻こうとしたボクを咎めたのか。


 何はともあれ、寿ぐのであれば有難く受け入れよう。


 唯一、心残りがあるとすれば────


 君の、名を聞けなかったことだろう。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 瞼が重い。

 まるで鉛でも塗りたくられたような感覚だ。

 きつく閉ざされた両の眼は開眼を頑なに阻み、光を入れまいと断固とした姿勢を思わせる。

 とはいえ、覚醒してしまった手前、動かなければならない。

 本能には悪いが、そろそろ目覚めさせてもらおうか。


「……? ロムルス?」


 耳朶に響くのは不安を隠せていないヨークの声音。

 言葉尻の震えている彼女の様子から、余程心配をかけさせたのだとわかる。


「…………済まない、どれくらい眠っていたかな?」


 嫌だいやだと拒絶する本能を理性で黙らせて、無理矢理にでも目を開く。

 痛みを訴える身体に鞭を打って身を起こすと、暖かい手が背を支えてくれた。

 すぐ傍にいたヨークに介助してもらったのだろう。


「ほんの数時間だと思う……起きても大丈夫?」


「ああ、君が治療してくれたのだろう?」


「ぅ、うん。【権能】で回復力を上げただけ、だけど……」


「いいや、十分さ。有り難う」


 自信なさげに声を震わせるヨークだが、その一助がなければボクは未だにあの虚無の世界に取り残されていたことだろう。

 ボクのことだ。無闇に刺激して怒りを買っていたかもしれない。

 その点からも、ヨークの行動には感謝してもしきれない。


 拳を開閉したり首を回したり、立ち上がって身体を動かして不調を調べる。

 しかし、隻腕と隻眼なだけで大した後遺症もないようだ。

 不完全な魔法のおかげで痛む胸元と右脚は無視しても、五体満足で勝利できたのは僥倖だ。

 もし勝敗が決しなければ右脚の痛みを現実のものとしなければならなかった。

 正直に、すれすれの瀬戸際だった。

 何とか虎口を脱したに過ぎない、間一髪の勝利。

【権能】の使用が不可能な状態で、よくもまあ致命傷を負わずに勝ちを掴めたものだ。


 偏に【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)の賜物だが、【権能】を過信するのも程々にしなければね。

 今でも冷や汗が止まらない……本当に。

 あと数ミリ深ければ重症を負っていた場面が幾度かあったのだから、心底命があってホッとしているよ。

 特に一貫して両脚を執拗に狙われていたために、“羲戎(ぎじゅう)”種が如何に相手の弱点を巧妙に突いてくるのか冷や冷やしたものだ。


「あの、ロムルス…………身体はだいじょうぶ?」


「ああ、【権能】も問題なく使える。危機は去ったとみていいだろう」


運命識士(リード・スペクター)】は正常に機能している。

 “未来視”や多重並行閲覧もだ。“羲戎(ぎじゅう)”種相手の死闘は完全に収束した。

 ()()()()は残されているがね。


「…………ありがとう」


 表情が硬い。

 安堵した様子から一転、俯いてもごもごと口を動かす姿は叱責を恐れる子どものようだ。


「それはボクの言葉じゃないか。ヨークがいなければ勝ち筋は万に一つも残されてはいなかった」


「違う……! それも、だけど…………とにかく、ありがとう。私、ロムルスに救われたから」


「要領を得ないが、そうか。感謝されて嫌な気分にはならない。有難く受け入れよう」


「…………そういうとこ、ロムルスらしい」


 ふふっと頬を緩ませたヨークからは緊張の棘を感じない。

 嚥下したのか、吐き出したのか。どちらにせよ、気が晴れたとみて間違いない。

 彼女には嫌な役目を押し付けてしまった。

 戦力にならないと見るや、奇襲を成功させるための囮として運用したのだから。

 ヨークは聡い。

 ボクの思惑を理解して、自らが負った危険な役割を自覚して、それでもボクを尊重してくれる。

 まったく、得難い存在だ。

 アナスタシアのようにカリスマもなく、ホロウやテリアのように人徳もない。

 マルタのような包容力や、アヤメのある種の魅力だって持ちえない。

 ただ悪辣で悪知恵の働くボクを、それでも彼女は良しとしてくれる。


 感謝しこそすれ、される謂れはボクにはない。


「さて、日も暮れることだ。出立は明日にしようと思う。ヨーク、君は──」


「いく。私も一緒に」


 その瞳に、声に、表情に、迷いはなかった。

 既に決意と覚悟を確固たるものにしたヨークに、否を挟む余地はない。

 何が彼女の背を押したのか、何が彼女に寄与したのか。

 ボクには分からないし、知ろうとも思えない。

 だから、問いかける。

 その真意を。


「いいのかい? 君が歩むのは茨どころではない……地獄すら生温い道だよ」


「いいの。だって、歩ききった先に…………楽園が待ってるって、信じてるから」


 楽園(しゅうちゃくてん)か。

 言い当て妙だな。

 彼女にとっての休息地が、たどり着いた先に何が待っているのか。

 ボクには視えない。ヨークだけの景色に、介在する権利をそもそも持ちえないから。


 けれど、ヨークが誰にも寄らず己の意志で歩き出すと、歩み始めると決意したのならば。


 一体誰に立ちはだかることができるだろうか。


「ならば、ボクは精一杯の援助をしよう。君が成し遂げられるまで」


「……! ありがと。とっても、心強い」


 むんっと気合を入れる姿は、小さくも脆弱性のない強固なものだ。


 なんと健気で、勤勉なのだろう。

 誰に対してではない。

 己に対して、彼女は誠実なのだ。

 後悔も恐怖も、すべて吞み下して。

 ただ斯く在れかしと進まんとしている。


 その姿はとても眩しくて、だからこそ、ボクには相応しくない輝きだった。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 夜も更けた。

 拠点としていた洞窟は“羲戎(ぎじゅう)”種の襲撃によって崩壊した。

 故に、手頃なねぐらを【運命識士(リード・スペクター)】によって捜索し、つい先ほどヨークが入眠した。

楽園(エデン)】による不可侵領域で補強してあるため、滅多なこと──そう、再び“羲戎(ぎじゅう)”種に相まみえるなんてイレギュラ──がない限り心配はない。

 一晩限りの拠点から数キロ離れた地点で、ボクは一人、月明りの下思索に耽っていた。


 たった一つの懸念点。


運命識士(リード・スペクター)】における閲覧上限は決まっている。

 絶対数ではない。

 有効射程の問題だ。

 例えば、ボクの実力や総合力の拮抗している相手、若しくはボクを遥かに凌駕する相手に至ってはノイズが走ったように文字化けする。

 そして、この世界に対して使用してもまた、一定以上の深度まで潜ると空白の海に出る。

 正しく、【運命識士(リード・スペクター)】の弱点となりえる。

 一見、万能に見える【権能】だが隙を突かれると、隠し切れない穴を露呈するのだ。


 けれど、不明瞭な点ばかりではない。

 例えば世界の成り立ちや、人類史には刻まれていない忘れ去られた歴史など。本来なら知り得ないはずの情報をボクは知悉している。

楽園(エデン)】へと過去の英雄を投影できている点からも、十分すぎる性能だ。


【権能】は、人間一人に対して()()だけ。

 それが世界の常識であり、大前提だ。

 無論、何事にも例外は存在する。

 故に、一概には断定できない。

 されど、原則は原則。ボクには【運命識士(リード・スペクター)】があり、唯一無二の【権能】だと、()()()()()


「────【護国神卿(ロード・プロテクター)】」


 ()()王笏(おうしゃく)の形で顕現した。

 黄金の等身に、頂上には深紅に煌めく拳大の宝石が埋め込まれている。

 まるで長らく主の存在を心待ちにしていたように神々しく輝き、何故かとても手に馴染む。

 使用者たるボクにだけ視認できる領域。

楽園(エデン)】と似て非なる効力を誇る絶対守護領域。


 第一段階“中庸審判”──ボクの規定する領域下における保護対象の絶対守護を謳う効力。


楽園(エデン)】のような不死性、再臨性はなくとも、完全なる守護領域の確保は魅力的だ。

 そもそも己以外にも保護対象を選定できる点で前者は非常に扱いやすい。

 然れども、後者に至っては圧倒的優位性を使用者たるボクが保有する点で破格だ。

 どうにも、【楽園(エデン)】を鍛錬にしか運用していない手前、戦闘では保険程度にしか思えない。

 とはいえ、新しい二つ目の【権能】、【護国神卿(ロード・プロテクター)】と【楽園(エデン)】を用いれば面壁九年の防衛機能を果たすと考えてもいい。


「試練を与え、踏破せし者を見定めると言ったか……史上、誰一人として受け取る者がいなかった報酬が、【権能】か」


【権能】を封じる相手に【権能】を用いず勝利した見返りが、まさかの【権能】。

 ボクにとっては二度目の付与体験だ。

 強力な武器を一つ手に入れたとみるべきだろう。

 まさに棚から牡丹餅、予想外の効能。


 “龍皇裂帛”、“魔法”、“天神之技(アル・エデッサ)”、“未来視”、【楽園(エデン)】、【運命識士(リード・スペクター)】と持ちうる手札では頭打ちであったのも事実。

運命識士(リードスペクター)】においては既に第四段階、最終段階まで実存昇華(アウフヘーヴェン)を終えている。

 日夜、自傷レベルの鍛錬によって極め続けた成果だろう。

 未だに第二段階以上の効力を行使する事態には陥っていないが、いざとなれば憂いなく発動できるようにシミュレーションは欠かしていない。

 何せ、【楽園(エデン)】で相手取る連中は揃いも揃って全力の遥か先を捻出して辛勝ときた。

 閑話休題(それは一度置いといて)


「【護国神卿(ロード・プロテクター)】。君の性能、とくと見せてくれたまえ」


 まさか、守護だけが君の真価ではあるまい? 護るだけでは国に栄華は齎せない。

 時として、思い切った攻勢がものを言う時がある。

 盤石な防壁を誇るのであれば、無慈悲なる矛にすらなり得よう。


 拠点に設置していた【楽園(エデン)】を解除し、代わりに、ヨークを保護対象として【護国神卿(ロード・プロテクター)】の範囲(レンジ)を拡大する。

 中心はやはりボクとなるが、同心円状に広がる一種の結界は知覚可能だ。

運命識士(リード・スペクター)】の情報通りならば、ボクの生命活動を止めるか、【権能】を停止させない限りは破壊不可能の物体(オブジェクト)となるらしい。

 その強度は世界を形成するに不可欠な“中心核”に匹敵すると。

 第一段階で破格の性能を見せてくれるのだ。実存昇華(アウフヘーヴェン)を重ねていくと如何なる効力を内包するのか。


 柄にもなく心躍ってしまう。


「【楽園(エデン)】」


 ボクを中心として形成される正立方体。

 投影するのは【運命識士(リード・スペクター)】を昇華した際の試運転と同様。

 もはやルーティンとなった投影作業は苦にすらならない。


「久しいね、ロバート=クライヴ。再び、君の力を借りてもいいかい?」


 両手に構える朱色の右剣(モラルタ)朱色の左剣(ベガルタ)の切れ味はボクも頼りにしている。

 けれど、今回見たいのは【護国神卿(ロード・プロテクター)】の性能だ。

 第二、第三の効力を、ボクに見せてくれと。


楽園(エデン)】内の時空と外界時間の遅延は済ませておいた。

 これで心置きなく試すことができる。

 何時間でも、何日でも、何年でもかかろうと構わない。

楽園(エデン)】で過ごす時間は外界の何倍も遅滞が可能なのだ。

 君の全てをボクのものとするのに、何を躊躇うことがある。


 無表情ながらも明確な殺気をもって双剣を振るうロバートが踏み込むのと、ボクが【護国神卿(ロード・プロテクター)】を掲げるタイミングは、奇しくも同じだった。

ロムルスのヒヤッとした瞬間ランキング


一位. アデラ・ジェーン山脈でアナスタシアとテリアが拉致られた夜明け

二位. 城塞都市ドルにおけるロバートとの一騎打ち

三位. “羲戎”種との決闘←ランクイン

四位. “オドラの邑”でアナスタシアに怒られた時

五位. アウグリュニーでアナスタシアに呼び出された時

六位. 召喚された当日の夜

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