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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第三部【南の慈愛】
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46. 空気を読みたまえ

 激しく舞う土埃にむせっ返りそうになる。

 染み出る涙を拭って、背に積もった瓦礫を無理矢理に押し上げると、どこからかガラガラと岩石の転げ落ちる音が耳に残る。

 鬱々とした空間は息苦しく、自然の脅威をその背に感じる気分は好きになれない。

 つんざくような大音声は鳴りを潜め、今は静謐が却って精神に負荷をかけている。


 何が起こったかって? 知る訳がない。

 常に警戒網は敷いていたが故に、ボクの心中を占める驚愕は多大だ。

 幸か不幸か【運命識士(リード・スペクター)】は常時閲覧していた。

 拠点としている洞窟を囲むように【楽園(エデン)】の展開も忘れていない。

 “霊力”供給を切った覚えもない上に、小動物一匹たりとも接近を感じなかった。

 正しく青天の霹靂だ。

 状況を把握しきれないままに翻弄されて、気が付けば疑問に支配されている。

 あの相貌、獣に違いなかったが…………【楽園(エデン)】を貫通して危害を加えることが可能なのか? まさか、四日前から【楽園(エデン)】内に? いいや、だとしても【運命識士(リード・スペクター)】が存在を報告しない理由にはならない。

 まさか、ボクよりも強い何者か? だとすればドミア山脈くんだりまで何の用で?


「ダメだな……情報が少なすぎる」


 襲撃者の追求は後で幾らでもできる。

 先ずは現状から脱さなければ。

 ボクの姿勢は四つん這いになるように右腕と両膝で全体重及び、崩壊した土砂を支えている。

 “龍皇裂帛”による身体強化のおかげで耐えられてはいるが、早晩潰れるだろう。

 打開策を講ずる必要がある。

【権能】は使えない。

 これ以上“霊力”を“龍皇裂帛”から引き抜いてしまえば長くはもたない。

 暗闇で目を凝らそうとも、ボクはテリアやホロウのように夜目が利く訳じゃない。


「……っ…………? ぁれ……ロムルス?」


 小さな吐息と途切れ途切れの声音が、ボクのすぐ目の前に投げかけられた。


「ああ、よかった。存外近くにいたんだね」


 目下、ヨークの安否は最優先事項だったが、解決したようだ。

 僅かな衣擦れと身動ぎでヨークの位置も大方掴めた。

 幸いにして、咄嗟の判断だったが彼女を無事に匿うことができたらしい。

 視線を下げれば輪郭だけだが、確かに覆いかぶさるような位置取りをもって助けられた。

 目と鼻の先、吐息の混ざる至近距離でありながら、殆ど視えないとは。

 これはあれか? ボクの視覚が上手く機能していないだけなのか、はたまた暗すぎるだけなのか。

 どうしよう……ボクの視界は一つしか残っていないのだが。

 まあいいさ。支障がなければ気に留める必要もない。


 さて、これで多少無理に動いても、ボクの手の届かない所でヨークに被害は生じない。


「ヨーク、怪我はないかい?」


「ない……けど、息がくるしい…………」


「酸素がなくなりかけているのか。隙間はない……なら早い方がいいな。いいかい、ヨーク。これから言うことをよく聞いておくんだよ」


「うん、きく」


「これからボクが立ち上がって土砂をどかす。だから、君は光を探してほしい」


「ひかり?」


「ああ、それでどちらが外なのか分かる」


 厄介なことにボクは積もり積もった土砂に身動きが取れない。

 “金色の(アガートラム)義手(・レプリカ)”を使おうにも【権能】へと回せる程、“霊力”は持ちえない。

 崩れた洞窟の天蓋を右腕一本で支えるには容量(リソース)の大半をつぎ込む必要がある。


「じゃあ、いくよ」


「う、うん…………頑張る」


 一息に振り払うのは危険なため却下。

 ゆっくりと、緩慢に。

 ほんの少しの力をかけて中腰の態勢を作るように立ち上がる。

 身を起こす度にどこかしこでガラガラと岩や小石の転げ落ちる音が聞こえる。


「ない……どうしよう、ロムルス……! ひかりがない…………!」


「焦ったらダメだよ。まだ、猶予はある」


「でも……っ! 暗いの…………! なにも、っ見えない…………!」


 実のところ、悠長に構えていられる余裕は皆無だ。

 刻一刻と目減りする酸素は有限で、いつ枯渇してもおかしくない。

 焦るなという言葉は自己暗示に過ぎない。

 ボクが注意を怠って下手に動けば、最悪の場合二人とも圧殺される可能性がある。


 ここは、ヨークを信じよう。


 ボクへの信頼を対価にしても、創り上げた恩人像を自ら壊しても。


「背に腹は代えられないね。ヨーク。【権能】を使いたまえ」


「……? ぇ、わた……わたしの?」


「そうだ。君の【援舞強乱(パール・リング)】なら視力を強化することも可能だろう」


「まって、私【権能】言ってない。どうして、ロムルスは知ってるの?」


「ボクの【権能】さ。識りたいと願った全てを閲覧できる【権能】。それで君の全てを照会した。無論、済まないとは思っているよ。本来ならば許諾を得なければいけない下劣で最低な行為だからね。どこの誰とも知れない輩にプライバシーを詳らかにされる心理的な抵抗は一考の余地すらなく断罪ものだ。けれどね?」


 なんだ、弁明すればするほど逃げ場をなくしているように感じる。

 とても言い訳がましいな。


「ぁ。あの金色の本…………」


「そう、そうとも。顕現させずともボクの脳内で開示することだってできるんだよ。だからって、無遠慮にずけずけと踏み入っていい領域でないことは承知しているよ? しかしね、知りたいという欲求を抑えきれない訳じゃないんだ。言ってしまえば必要最小限度の前提情報というべきかな? ヨークという人間と対話する上で累積してきた歴史というか人生というか、それを頭に叩き込んでおくのは常識じゃないか。いいや、わかってる。それは初対面の人間であれば当然のことで、ボクのコミュニケーション能力が著しく欠如している証左にほかならないのだろう。自分でもわかっていながら矯正できないのはもはや癖といっても過言ではないのだろう。直そうと努力はしたんだよ? けれどそう簡単には直らないから癖なのであって……いいや、開き直った訳じゃないんだ。とっても悪い状況なのは理解しているよ。とっとと直せって思いたくのも痛いほど理解できる。だが君にも頷けることだろう? 悪いことをしているのはわかっているけどどうしてもやってしまう瞬間があることを。例えば、君は幼い頃、朝だけどメイドさんの声で起きなければお父様が起こしに来てくれるからわざと狸寝入りをしていただろう? それと一緒さ。いや、前言撤回。ごめんよ、本当にごめんよ。わざとじゃないなんだ。故意があって君の過去を詳らかにする気はないんだ。だってそうだろう? 誰だってプライベートを具体的に把握されると気分が悪くなるものだ。隠しておきたい、秘密にしておきたい秘密の一つや二つは人間である以上、仕方のないことだ。人は時に嘘を吐くけど、それは胸の内に閉まった秘密を隠し通そうとする生存本能の一種だと思う。防衛本能といってもいい。だからってボクの行為が許されるはずもない。きっと礫を投げられる程度には狡猾な行為だと自負はある。自負はだめだな。どうやら気が動転しているようだ。ボクだって予想外の出来事に直面すると硬直してしまう。思考が止まって、取り留めのないことばかりを考えてしまう。ああ、きっと今みたいにね。とりあえず言葉を重ねると何とかなると思っているのだろう。実際に相手によって態度を変えるって訳じゃないけれど、情報の過多によって探り探りになる場合もあるじゃないか。一体どこまで踏み込んでいいものか、分からなくなる時だってあるだろう? 正当化するだけの抗弁だってのはわかっているのだけど、まったく他意がなかったのは事実だ。許せないのはよくわかるけど──」


「…………ふふ」


 嚙み殺したように小さくはにかむ様子が、漆黒に塗りつぶされた中でも伝わった。

 ほんの眼前で輪郭すらも捉えられないけれど、変わらないと思いきっていた表情が、僅かに緩んだ気がしなくもない。


「……? もしや愛想を尽かしてしまったのかな? いや、そもそも尽かすほどなかったのか…………? ああ、そうだよね。やっぱりボクは…………」


「ちがう。たしかに、勝手に覗かれてたのはきもちわるいよ」


「え゛、気持ち悪い?」


「うん、ちょっとこわいって思った。ロムルスに命を握られてる状況だとなおさら」


「拗れてる、ませているよヨーク。ボクを何だと思っているんだい?」


「うーん……………………世界一の臆病者?」


「たはは……ここで自分の言葉が返ってくるとは思わなかったよ」


「でも、でもね──」


 言葉を切ったヨークの様相は、生憎と薄暗い空間ではとらえきれなかった。

 しかし、血流や脈拍、早い呼吸から憶測することはできる。

 明瞭に見えていたらきっと頬が紅潮しているだろう。


 きっと、危機的な状況にあるためだ。

 時として人間とは理性と本能のせめぎ合いを御せない場合も往々にして存在する。


 だから、()()()()()()()だ。


「ありがと、ロムルス。私、がんばれそう」


 まるで照れ隠しのように、注がれていた視線が外された気がした。

 おかしいな。

 視界を一杯に墨がぶちまけれたように、黒く暗澹としてた空間に。

 暖かくも赤々とした朱が指している。

 目を凝らせば、先までの蒙昧が噓のように感じる。

 濡れそぼった瞳、わざと逸れている視線、小さな手を使って精一杯口元を隠すヨークがそこにいた。

 鼻孔を刺激するのは無機質な砂利の臭いではなく、この数日間ボクの隣で嗅ぎなれた香りで。

 ただそこにいるというだけで、ボクは安堵している。


 だから、ボクは。


 静謐の支配する空間で、まだ彼女の体温が残る唇から意識を振り払えずにいた。








 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 斜陽をこんなにも心待ちにしていた瞬間があるだろうか。

 照りつける太陽と、木々のざわめき、頬を撫でる微風の子気味良さは形容しがたい感動がある。

 息の詰まる密閉空間に重圧を感じながら生き埋めにされかけた後ならば尚のこと。


「ロムルス、よかった。無事だった」


「ああ、君こそ巻き込まれなくてよかったよ」


 土砂をかき分けて進んだためか、華やかだったはずのワンピースは所々破れてほつれている。

 綺麗で滑らかな赤髪も、今は少しくすんで見える。

 切り傷がなかっただけマシだが砂にまみれたままでは不快だろう。


 あの時の、あの瞬間から逃れたくて。

 ボクは作業を開始した。

 そして、難なく彼女は脱出口を発見し。

 身を滑らすようにゆっくりと、しかして確実に小山から脱したのだ。

 慮る必要にないボクは、“霊力”を最大限活用して土砂や岩を跳ね除けて。

 ようやく、日の下へと舞い戻ってこれたのだ。


 卑怯だと思う。

 けれど、ボクには。

 どうすべきかなんて見本も、予想一つたてられやしない。

 挙句の果てに【運命識士(リード・スペクター)】にすら頼ろうとするなんて。

 とんだ不埒者ね。


「夜が明けたか。まだ日中とはいえ、随分と長く下敷きになっていたものだ」


「……っ、ロムルス。あれ…………」


「へぇ。わざわざ待っていてくれたのかな」


 くいくいと控えめな刺激に、ボクはヨークの指し示す方向へと意識を向ける。

 そっとボクの背に隠れるように移動した彼女が言わんとする所は、七メートルはあろう体長を誇る獣だろう。

 器用に待てを披露する犬のように、森の主人だとでも言いたげな様相で鎮座する生物。

 鋭利なかぎ爪に、純白の体毛。

 微動だにしない肉体は屈強そのもので、息を潜めるかの如くそこにある。

 まるで岩や大木のように自然と同化している獣は、ただ一点を見つめている。


 そう、ボクたちだ。

 爛々と輝く赤い眼光には見覚えがある。

 不意に訪れた崩落の最中、じっと中空で留まっていた相貌だ。


「君だね。ボクたちを殺そうとしたのは」


 まさか獣が言葉を理解するはずもあるまい。

 こちらが敵対行動を取らない限りは動かないだろう。

 もし、殺戮か捕食が目的ならわざわざ生き埋めにするはずもない。

 時間を稼ぐためにも、【運命識士(リード・スペクター)】を閲覧する暇を創出し…………?


「【権能】が使えないだと?」


「うそ…………ん、ほんとだ。使えない」


「ヨークもか。まさか、あいつか?」


 焦るな、冷静になれと言い聞かせても、一度動揺したら最後。

 病が徐々に身体を蝕むように、混乱は一欠片の沈着すらも簒奪する。

運命識士(リード・スペクター)】がなくとも、一度強制記録(インストール)した記憶がなくなる訳ではない。

 考えろ、思い出せ、ありとあらゆる可能性を検討しろ。


「“魔獣”、か」


「……っ! もしかして……っ!」


「ああ、“羲戎(ぎじゅう)”種だ」


 まったく、愚鈍極まれりだな。

楽園(エデン)】を貫通した時点で気が付くべきだった。

 あの魔獣にボクたちを捕食する腹積もりはない。

 古くからの言い伝え。

 ただの伝説や虚言の類だと流布されているが、それは誤りだ。

 人口に膾炙された噂はあまりにも荒唐無稽だが。

運命識士(リード・スペクター)】がその存在に言及して、詳細について羅列した時点で実在する魔獣だと。


「“羲戎(ぎじゅう)”種は試練を与える魔獣。乗り越えし者に恩寵の限りを尽くすとされる、いわば神獣の類だ」


 なんて曖昧な話だと思うけど、致し方あるまい。

 “羲戎(ぎじゅう)”種の試練の内容も、恩寵の真実、真に神獣であるかさえ明らかになっていない。

 全知であるはずの【運命識士(リード・スペクター)】ですら把握していないのだから、如何に情報の秘匿性が高いのかわかる。

 いや、この解釈は不適切か。

 ただ前例がないだけだ。

 連綿と続いてきた歴史の中で、“羲戎(ぎじゅう)”種の試練を踏破した者が一人たりとも存在しない。


「成程、【権能】を封じる魔獣か。ならば、人間が到底敵う筈もない」


「にげよう、ロムルス。かてっこないよ…………」


「そうもいかない。“羲戎(ぎじゅう)”種は相手を見定めると逃がしてはくれない。勝つか負けるか。試練を打ち破るか、死ぬかだ」


「そんな……」


「はは、ヨーク。心配ないよ。策はある」


「……っ! ほんと……!?」


 ああ、本当だとも。

 しゅんと項垂れていたヨークだったが、弾けたように顔を上げる。

 死を待つだけなんて受け入れられない。

 そう、彼女の表情が物語っている。


「簡単なことさ、ヨーク。要は、ひねり潰せばいいんだろう? 搦め手なし、禁じ手なし。正真正銘の殺し合いだ。単純明快この上ない」


 朱色の左剣(ベガルタ)は“金色の(アガートラム)義手(・レプリカ)”を使えない時点で抜刀できない。

 両手剣の拵えだが、前任者は双剣として扱っていた。

 故に、ボクもまたそれを踏襲して片手剣の鍛錬と行ってきたのだ。

 例え、両手で扱えずとも。


「さあ、君の土俵に上がったぞ。始めようじゃないか。試練とやらを」


 朱色の右剣(モラルタ)を抜刀したボクはヨークに下がっておくよう視線を投げ、身を起こした“羲戎(ぎじゅう)”種を見上げる。

 挑戦者として認識したのか、彼──性別があるのか定かではないが、彼としておこう──は地の底から響いているような唸りをあげた。

 “未来視”は使えない。

運命識士(リードスペクター)】による軌道演算も、【楽園(エデン)】による絶対優位領域も展開できない。

 “金色の(アガートラム)義手(・レプリカ)”を使えないということは、それ即ち、完全な“天神之技(アル・エデッサ)”にはならないと同義。

 隻眼、隻腕のボクに取りうる手段は大して多くはない。


 出し惜しみはしない。


 短期決戦、電撃勝利。

 勝機はそこにある。

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