42. 前略──“未来”を見通した気になってつけあがっていた昨日の君へ
ガタガタガタガタと岩肌の路を進む車輪の音は幾許の郷愁をボクに与えてくれる。
ドヴァーラヴァティの歩調に合わせてゆっくりとだが着実に進む馬車にいると、生暖かい風と共に行き先について否応なしに思考させられる。
そして、折衝の場ではボクが無力のでくの坊へ成り果てることも。
リヴァチェスター領では冒険者として資金を稼ぎ、名称生態共に不明の魔獣を討伐した。
【運命識士】の示した“未来”を閲覧して、張りぼての救世主になった。
しかし、ボクが行ったのはたったそれだけだ。
交渉のテーブルについて瀬戸際の商談をまとめたわけでもなく、傷ついた少女を救うこともなく、居場所のなかった彼女の心を開いたわけでもない。
ふらふらと出歩いて、遊び歩いていただけ。
それは、ファルガー領でも変わらない。
なんてったって、これはアナスタシアの戦いであってボクのではない。
いや、まあ。
厳密にはボクの死闘でもあるのだけれど、それとこれとでは話が違う。
憂鬱だ。
またもボクはお荷物になる。
荷物ならば運び方一つで軽くなる分、己の感情を己で制御できないボクは荷物以下ということに…………やめよう。悲しくなる。
ただでさえ道中の見張りを解雇された身だ。
見張りはアヤメとテリアが交代で、御者はホロウとマルタ、アナスタシアの三人で回していて。
オスマンとビザンツにさえ野生生物への牽制としてぴたりと馬車に並走する役目がある。
思わず涙が零れそうになるね。
上を向いていないと危ない。
そうだ、何か別のことを考えよう。
これ以上自嘲するのはあまりにも惨めだ。
「草案でも作っておくか」
荷台の隅に放っておいた荷物の中からボロボロの手帳を取り出す。
アデラ・ジェーン山脈でサバイバルをしていた頃に山賊から回収した紙束を改良したものだが、これで案外使いやすい。
書きかけの頁までめくると、下手なデッサンと共に注意書きの場面に差し掛かる。
タイムパラドックスのように、世界のバランスを崩すのではないかと危惧はしている。
しかし、あの巨大な屋敷に残してきた二人のことを考えると些事として放棄してしまう。
既に冷蔵庫と大浴場、焜炉といった生活周りの知恵は具現化してしまっている。
全て周囲の“霊力”を動力として作動するために環境と二人の体調に配慮した構造にしたけれど…………使い勝手はいい。
多少の改良は必要だったが、まさかこの世界で大きな浴槽につかれるとは思わなかった。
文化の相違を如実に体感することとなったけど。
問題は、既にある程度の生活用品は再現してしまったことにある。
いづれは世界中で販売してもいいかなと、何だったらラヴェンナ印の電化製品ならぬ霊力製品になればいいなとも思っている。
“龍気”とは異なり“霊力”は全生物が使用可能だし、“魔族”の使用するらしい“魔力”は“霊力”と同じだ。
ただ、使い方が異なるだけ。
そうだよね? 【運命識士】先生?
頼れるボクの【権能】はうんともすんとも応えてはくれない。
ごめんね、こんなふざけた使い方しかできなくね。とはいえ【楽園】は存分に使わせてもらっているよ。
あれがなくてはボクは“オドラの邑“で早々に脱落していただろうし。“金色の義手”があったからこそ闖入者君にお帰り願えたんだ。
つまり、ボクの詰まらない問いには答えないとする宣言だろうな。
まさか【運命識士】に情報を精査する機能まであったことには驚きだが。
「む、貴様……またも不可解な発明をする気か」
やんややんやと──無論、脳内でだけれど──【運命識士】と口論をしていると、頭上から心底呆れたような声色が降りかかってくる。
「利便性が高いと言ってくれたまえ。君も風呂は気に入っただろう?」
「まっ、まあな……あれはいいものだ」
満更でもなさそうに頷くホロウは、そのままボクの隣に腰を下ろして手元を覗き込む。
滑らかな銀髪がふっと揺れて、長いまつ毛や柔らかそうな唇が垣間見える。
…………信頼の裏返しとは思うけれど、仮にも元暗殺者がそんな簡単に懐を許していいのかしら。
栓なきことと知りながらも、ボクは静かに疑問に思う。
その気になればこの距離からでもボクの首を刎ねられるし、何なら後手に回ろうが組み伏せられるだろう。
こんな時だけは正常に機能してくれる【運命識士】の指し示す“未来”に、ボクが無傷で勝利できる選択肢は欠片も存在していない。
悔しいとは思わないさ。
努力を怠ったつもりは毛頭ないが、こればかりは天性の才に左右されるものだ。
ホロウはやむなく暗殺者の道に入った。
しかし、彼女にとって正しく天職と言える進路だ。
【権能】を無自覚に使用した気配遮断に、目にも止まらぬ流麗な刃、蝶が舞うようにひらひらと掴みどころなく動き回る勘。
何をとっても、彼女に勝る者はいない。
当人はシロイ相手に劣等感を持っているようだが、あの傑物が『影幽の幻霊』の存在を念頭に置かないわけがない。
というより、彼はボクのような不透明な人間ではなく『影幽の幻霊』相手に赴いてきたのだ。
逆説的に、ホロウは帝国で二番目に実力の高い怪物から、直々に相手をすべき敵対者だと構えられている。
まだ城塞都市ドルにおける実力だけを判断材料として。
半年前のホロウではなく、桁外れの実力を有したホロウ相手に……はてさてシロイ君は勝てるのかな。
「……なるほどな、さっぱりだ。吾には到底分かりそうもない」
「わかられても困るよ。本当にボクの価値がなくなってしまう」
「なんだ、見張りを取られて拗ねているのか? 貴様、可愛くはないからやめておけよ」
「ひどい。ただ純粋にひどい」
彼女の口から可愛いなんて言葉が飛び出したことに一つ驚き。
まさか荷台の隅で膝を抱えていた心情を勘付かれて二つ驚き。
混じり気のない悪口をさも当然とばかりに吐かれて三つ驚く。
手元にある使い古した手帳の図案、それそのものはボクのアイデアなどではなく借り物、いや模倣しただけの偽物だ。
特許権が及ばない世界をいいことに、先人の知恵を簒奪して己の居場所を作ろうとする。
とんでもない不埒者じゃないか。
「あらぁ? ホロウちゃん、またロムルスくんをいじめてるのぉ?」
「なっ!? い、いじめてなんかない! ただ会話をだな……」
「すっごい眼してたわよぉ? あれで会話はむりじゃなぁ~い?」
確かにいつにもまして鋭利な眼光だった。
先の発言と共に獲物を逃がさないとする眼差しには射竦められる。
見張りを交代したのか、音もなく現れたテリアの言葉は強ち間違えでもない。
ホロウは無自覚だろうが、生来の無表情に冷徹な鉄仮面を纏っているのだ。
恐くないわけがない。
二人ががやがやと会話を展開するのを尻目に、そっと手帳を閉ざす。
嫌に冴えた頭では何も思い浮かばず、呆然と取り留めのない妄想ばかりがふっては湧いて霞が如く消え失せる。
つんと微かに潮の香りが鼻につく。
ファルガー領は西側領土の最西に位置するため、ボルアーの大海に隣接している。
しかし、海洋資源をふんだんに使っている領土……とはいかない。
ボルアーの大海は比較的温暖な海洋ではあるが、ファルガー領近海は海底火山の活動が盛んであり、特定の生物しか生存が困難なのだ。
それも、一部の魔獣という魔窟と呼ぶにふさわしい禁海に、一体誰が介入しようというのか。
引き換えに、ボルアーの大海より巨大な河川が一本が伸びており、それはリヴァチェスター領のラエリ川と合流してアデラ・ジェーン山脈へと流れる。
また、最南の領土であるマルド・プール領から流れるドネイエン川もラエリ川と合流する。
三本の河川が相互に水を循環する正しく理想的な土地だね。
話が逸れた。
隣に広大な資源が広がっているが見かけ倒しのファルガー領は、自然に満ち溢れている。
サバンナや、小規模の密林に、リヴァチェスター領間のドミア山脈、首都ドドリスの近くにはガン砂漠が広がっている。
そして、それぞれに異なる生態系が存在し、東側領土では決してお目にかかれないような生物があふれんばかりに生息している。
故に、ファルガー領では代々狩猟が盛んに行われおり、今でもファルガー領で採れた獣の肉や毛皮、血液に至るまで広く流通しているのだ。
「海か……懐かしい。終ぞ、波に触れることはなかったけれど」
あれは、いつの日だったか。
日が照っていて、じりじりと全身を焼き尽くさんと炙られている気分だった。
普段はボクを遠巻きにしか認識せず、疎んでいる両親が唯一仮面を被る日。
母方の親戚が一堂に会する盆の日に、ボクは長い孤独な一年を耐え抜いて彼女と再開した。
太陽すら陰る満面の笑みを浮かべて、青々とした晴天すら霞む透き通った声音で、あの人はボクを抱擁してくれた。
今となっては社交辞令、やもすると、あの人の自己満足ですらあったかもしれない。
それでも、あの時のボクにとっては何ものにも代えがたい宝石のような時間だったんだ。
他愛ない話をして、なんてことのない出来事で笑い合った。
ああ、それで、ひょんなことから海へ行きたいな……なんて子どもらしい無邪気な話題になって。
二人とも海には行ったことがないから、もし行けたのなら忘れられない思い出にしたいねなんて。
赤面ものの青臭い記憶だ。
見ていると、聞いていると、思い出してみると。
なんて子どもなんだ。
分かっていたはずだ。
親密な関係だというだけでボクは排斥されていたのだ。
皆から嫌悪の対象となっていた姉が、“未来”を語る重みに。
けれど、ボクはいつかを口にしたんだ。
あの人が心待ちにしていたのはきっと。
きっと──いま行ってみようと、手を取って連れ出してくれる存在で。
それが薄々わかっていながら、ボクは。私は。己は。
「…………ス。お……! ロムルス!」
丹田に響く低温と、強く揺さぶられる感覚に思索に耽っていた意識が色を帯びる。
「すっごく顔色が悪そうだったけど~。大丈夫なのぉ?」
「ああ。貴様らしくなかったぞ」
ボクらしくない、か。
口腔には苦く酸味の強い唾液が蟠っていた。
額には脂汗が流れて、呼吸も短く、強く握り締めていた拳にはじとりと汗が浮かんでいる。
気だるいような、重圧を受けているような、倦怠感と疲労感が強くボクを支配している。
「……済まない。気がそぞろになっていたようだ」
気の利く軽口の一つでないことに驚いた。
何事も煙に巻いて、二人を安心させるような気休め一つ、口にできない。
昏い陰鬱に絡めとられて、光の届かない地の最果てに潜っていくような。
ボクにとって、あの人との思い出は己の不出来と不甲斐なさを痛感させるような艱苦になりつつある。
「ねえ、ロムルスくん…………」
勘の鋭いテリアが何事かと口を開く前に、ガタリと馬車の動きが止まった。
予定調和の停車ではなく、不測の事態が起こったために致し方なく止めざるを得なかった緊急性の高い停車だが。
「皆さん! “翼蛾”種です……!」
「ありがとう、アヤメ。ボクの方でも確認した」
木材一枚挟んで頭上から投げかけられる鈴の鳴るような声に、思いの外、するりと返答ができた。
緊急事態を前にして些事にかまけていられる余裕はないと。
テリアもまた追求することはなく、臨戦態勢へと入っている。
そのことに、人知れず胸をなでおろす。
…………なに? 安堵したのか? ボクは。
包み隠さず話す機会を逸したことに、ボクはホッとしているのか。
事実を伏せて不信を抱かせる態度が如何に不協和音を生じさせるのか、痛いほどに理解しているはずなのに。
心底、ボクはボクに失望する。
姉への郷愁と諦観を悟られそうになれば、何かにかこつけて逃亡し、あまつさえ己自身ですら考えないようにするなんて。
まったく、どうしてここまで救いようがないんだろう。
魔獣の迎撃という大義名分を振りかざして、背を向ける己にほとほと腹立たしい。
荷台から降りると、既に皆、戦闘準備を終えていた。
視線の先には青空があり、真っ青なキャンバスに濁点のような黒が浮かんでいる。
あれが、“翼蛾”種。
漆黒の図体に四対の翼を備えた魔獣。
光へ集まる蛾のように、“翼蛾”種はどの魔獣よりも敏感に“霊力”へ反応する。
「どうかしましたか? 顔色が優れないようですが」
怪訝そうに眉をひそめて、懸念を問い質すアナスタシアへと何でもないと静かに首を横に振って返答の代替とする。
その反応により一層、疑念を深めた様子だが、頭を振って口を閉ざした。
追求は後でもできるという意思表示か。
「テリア、ロムルスは前衛で攪乱を。援護はわたくしがします。マルタは中距離でダメージコントロールを。止めはホロウに任せます。アヤメは周囲の警戒と、弱点の精査をお願いします」
打てば響くような指示に、皆は一様に従う。
攪乱と迎撃を仰せつかったボクは、漆黒の三節棍を構えたテリアの隣へと躍り出る。
アナスタシアが二人のうちテリアをいの一番に指名したことから、ボクはテリアのサポートとなるだろう。
ならば、彼女に影響の及ぶ戦闘は避けるべきだ。
双剣ではなく鉈を取り出し、“金色の義手”も使用しない。
ボク一人の戦闘ならば【楽園】をもって保険に充てるけれど、対象人数の絞り切れない状態では悪手となりえる。
ホロウの刃が届くまで、惨事にならないように“未来”を視続けることに専念しようか。
「ロムルスくん、あたしが先行するから、背中をお願いねぇ」
「任せたまえ」
返答の代わりに首肯したテリアは大地を抉り、空を切って前進する。
薄桃色のコートをはためかせて、可愛らしいショートブーツで大地を滑空する姿は、“龍人”の底知れない体幹と基礎身体能力の高さを痛感させられる。
必死に“霊力”で脚力を強化するも、出遅れた差は簡単には埋めがたくなっている。
追従するように背へと張り付くと、急降下してきた“翼蛾”種の獰猛な眼光には歴戦の強者だと言わんばかりだ。
「食べられるのはどっちなのかぁ~、教えてあげるわぁ~!」
野生の魔獣に負けず劣らず、テリアはにたりと狂暴な笑みを浮かべて棍を振るう。
亜音速に迫る速度で振り抜かれた獲物の、先端にかかる圧力など考えたくもない。
テリアの先天的な戦闘センスのなせる技か、はたまた経験より発芽した感覚なのか、“翼蛾”種の右半身へと寸分違わず命中した。
そうだな、近しいものとなると、火山の噴火だ。
あれは、地を揺るがす原初的な音だ。
まさか、小さく可愛らしい少女が振るった棍が生物の肉体を四散させる音と同じなど。
致命打とはならなかったが、激しく悶える“翼蛾”種の様子から大打撃へと繋がったのは明白。
「テリア、半歩退ってマルタと交代を」
「りょうかぁ~い」
「おねえさん、任された!」
「マルタさん! 右翼の付け根を狙ってくださいっ!」
素早く指示を飛ばしたアナスタシアの声に反応し、瞬時に下がったテリアのいた位置には、“翼蛾”種の振るった翼が通過していた。
彼女の反応が遅れていたら、アナスタシアの指示が曖昧だったら。
やもすると、大怪我を負っていただろう一撃。
まるで、“翼蛾”種の呼吸を見通しているかのように、反撃を外され態勢を崩した懐に花の妖精が命を刈り取らんと迫る。
「頑張っててよかったと……実感するおねえさんでしたっ!」
“霊力”で強化した速度に膂力、そして毎夜が如く鍛え上げた【権能】の効力は確かにマルタを鼓舞している。
【散花響細】──第一段階“生速開花”
毎秒自身の身体能力を向上させる。
なんて簡潔で、なんと強力なことか。
上がり幅は勿論、修練次第だが……日夜命を対価に爆発的に成長しているマルタだ。
瞬きの内に強化された肉体より繰り出される刺突には、如何に生物的な上位にある魔獣とて苦悶の絶叫を迸らせるほかない。
彼女の技術や成長の賜物ではあるけれど、アヤメの的確な助言もまた微力ながら力添えを果たしている。
【運命識士】の指示した弱点と、アヤメの指示をした地点は何ら変わらない。
これには【運命識士】も驚きのあまり絶句。
…………いや、うん。きっとそうだろうなって妄想だけど。
己より図体の小さな人間にいいように弄ばれたことがお気に召さなかったのか、“翼蛾”種は咆哮と共に上空へと立ち戻ろうとする。
しかし、時すでに遅し。
万物に悟られることなく背後を取った暗殺者の刃からは逃れられない。
【権能】と“霊力”、“龍気”を駆使した独自の技術をもって、魔獣の本能にすら感知されない隠形を披露したホロウ。
彼女は吸い込まれるそうになる琥珀色の瞳を、一時も揺らすことなく腕を振るう。
まるで銀世界の吹雪が如く、彼女のダガーはざっくりと“翼蛾”種の首を落とした。
「これは驚いた……」
そう、素直に感激した。
何様なんだという批判は甘んじて受け入れよう。
お前はなにをもって評価するのだという檄は御尤もだ。
けれど、目の前で行われた連携の練度は“黒鉄”級冒険者の実力に引けを取らない。
行動の随所に互いへの信頼の垣間見える桁外れた鍛錬量には感服する。
「それに、この断面。剣術の腕も上がっているね」
血の一滴すら流れない斬撃の後は、横一文字に引かれた直線だ。
アナスタシアの戦略、ホロウの急襲、アヤメの助言、テリアの衝撃、マルタの速度。
何をとっても一流の戦士であり、幾度となく修羅場を潜り抜けた経験がなせる技だ。
故に、ボクは厚顔無恥にでも称賛を送ろうと、賛辞を口にしようと言葉をまとめようと。
どうすれば嫌味にならず、直截になり過ぎず、しかして真摯に本心を伝えられるのかと。
苦心していると。
「おや……?」
背後から無尽蔵の殺気を浴びせられた。
肩口に振り返ると首のない“翼蛾”種を取り巻くように“霊力”が渦を巻き、今にもはちきれんばかりに胎動している。
【運命識士】の指し示す“未来”を垣間視て、皆の姿を探すと同時。
哀れ一難去って気を抜いていた阿呆が一人。
爆発圏外の馬車で全員まとまって、何事かと様子を伺っている姿を視界に収めて。
ボクの意識はここで途切れた。




