41. 会議は踊り、回り、つつがなく進む
陽光が差し込むと嫌でも空へと意識を向けざるを得ない。
すると、眼前で般若の如く微笑むアナスタシアと目が合ってしまう。
普段ならば、これって運命? なんて茶化すところだが、身の引き締まる緊迫した空気と咎めるような視線を向けるホロウの瞳がそれを許さない。
時は昼下がりのリビング。
長机ではボクがアナスタシアに詰問され、マルタがボクたちの仲を取り持つようにおろおろしている。
はす向かいではホロウがじとっとボクを睨み、テリアは苦笑い。
更に背後ではアヤメがアナスタシアの眼光にがたがたと震えている。
さながら子猫のような様子には笑みがこぼれてしまうが、ここでボクが笑ってしまうと取り返しのつかない事態になりそうなので堪えよう。
因みに、カレンとラミは何事かと様子を伺っている。
二人の腕には乾ききっていない服が抱えられているために、家事の最中に足を止めさせてしまったことになる。
さて、一堂に会するボクたちが何をしているのか…………いや、正確には何をしようとしていたのかというと。
リヴァチェスター領を攻略したため、“作戦”を次に進めるための作戦会議だ。
数日の休暇を挟んだ末の会議では、次なる目的への布石や詳細を詰める点に集約される。
どのように牙城を崩していくのか、違うことの許されない土台だ。
故にこそ、万全を期さねばならないと意気込んで、手始めにボクはリヴァチェスターにおける工業利益の予測を提出したのだ。
【運命識士】によって演算を重ねた会心の縮図だ。
意気揚々と手渡した際は、アナスタシアも上機嫌で受け取ってくれた。
頼りにしているといった風に、鷹揚に頷いてありがとうとお礼すら言ってもらえた。
ああ、もしかしたら舞い上がっていたのかもしれない。
先のリヴァチェスター攻略ではボクだけ時間潰しに遊び歩いていただけで、何の成果もあげられなかったから。
精々が【運命識士】を使って茶番劇を演じた程度。
ようやくまともな貢献ができたと、柄もなくはしゃいでしまったのかもしれない。
何ならホロウとハイタッチをして悪罵をもらったりもしていた。
異変が起こったのはダンッ! とアナスタシアが机を叩いた瞬間からだ。
浮ついていたボクの魂は瞬時に冷えて、思わず自ずから着席した。
さながら、母親の機嫌を損ねたのだと経験から理解した子どものように。
場違いだけどシスター・オルメカは元気かな? ティナは、エムス君は健やかにすくすくと育っているかな? なんて現実逃避する程度には恐ろしい。
そして、時は今に戻る。
「ロムルス? これは、何でしょうか?」
とても冷たい一言だ。
底冷えするような言葉の裏にはただひたすらに嫌悪と苛立ちが含まれている。
その眼差しはさながら仇敵を射殺すようで、下手に触れてしまえば大怪我では済まないだろう。
端正な表情の浮かべる笑みは却って圧迫感を与え、形のいい指の示す先には先ほど提出した書類があった。
さあ、選択肢を間違えるな。
アナスタシアは問うた。
これは、何かと。
KOREHA、NANIKA。
哲学的な問いだ。
傍目に見れば何の変哲もないただの紙だが、よく観察すれば上等なものに見える。
…………分かったぞ。
アナスタシアはこんなわかりきった結果のために資源を無駄遣いするなと怒っているんだ。
そうと分かれば、弁明だ。
「アナスタシア、この紙はね──」
「もし、「この紙は上物だけど決して無駄遣いではないのだよ?」とかほざいたら叩きますよ」
「……………………、」
まっさか、ボクがそんなふざけたこという訳ないじゃないかぁなんて言い訳は言葉にする前に霧散した。
「いやマジで言おうとしてたのかよっ!?」
「ラミちゃ~ん。触らぬ『龍王』に祟りなしだよ~」
「テリアの言う通りだ。寄らば『海神』の陰。危険は避けるべきだ」
「それを言うなら……『病魔』危うきに近寄らずじゃないですか?」
「みんな、目を逸らしちゃだめだよ…………」
辟易としたマルタが現実逃避気味に呟いている。
よく知っていることわざが微妙に変化しているのはいただけないが、災いの渦中にあるなかでは、どれも訓戒の役割を果していない。
そっと助けを求めて視線を投げかけてみると、それはもう見事に逸らされてしまう。
だめだ、孤軍奮闘。
四面楚歌とは正にこのこと。
「済まない、アナスタシア。ボクが悪かったよ」
「何が悪かったのか分からずにとにかく謝って事なきをえようって態度が一番腹に据えかねるのですけど」
「それは、済まない」
「謝らないでください。わたくしは謝罪がほしいのではんくて、説明がほしいんです」
「説明か…………その紙は上物だけど無駄遣いではなくて──」
「ロムルス? 痛い目みないと分からないようですね?」
「だめだよアナスタシアさん! 【権能】は! 致命傷になっちゃう!」
どうやらボクは彼女の怒りを履き違えていたらしい。
【権能】をもって生成された漆黒の大槌が振り下ろされる寸前になって、初めてボクは背を流れる冷や汗に気が付いた。
アナスタシアの殺気はもはや【楽園】に投影する怪物たちに相当する程に濃密で、意識を持っていかれそうになる。
マルタが庇ってくれなければ、あの槌は躊躇なく振り下ろされていたことだろう。
「なあ、アナスタシア。これの戯言はさておき、何に対して怒っているんだ?」
もしかしてボクはこれと認識されているのか?
「そうよ~。今のアナスタシアちゃん尋常じゃないわよぉ」
あの温厚で冷静なアナスタシアを尋常でなくしたのは誰だ? ボクだ。
けれど、ホロウとテリアの援護? いや、単純な興味だろうが。
それでも、三人の加勢によってアナスタシアの怒りは分散されたらしい。
幾許か平静を整えた彼女は、大きく息を吐き瞠目する。
「一言で表すと、やりすぎです」
「……? それは、ボクの改良案のことかな?」
「部分的にはそうです。わたくしは蒸気機関について門外漢なので明言はできかねます。けれど、より効率的に利益を上げた際のハイエナの動きは知悉しています」
成程。
事ここに至って、ようやくボクにも理解できた。
つまり──
「上がり幅が極端になりすぎて、隠しきれていないと。そう君は言いたいんだね?」
「ええ、その通りです」
ボクが介在する前と後では蒸気機関によってあげられる利益では雲泥の差がある。
あのアナスタシアが理性を飛ばして感情的にならざるを得ない程に看過できない値をたたき出したのだろう。
改良案で提示したのはあくまで資源の有効活用及び、歯車一つを付与しただけの微々たるものだ。
しかしながら、得られるだろう利益は彼女の想定よりも遥かに上回っていたと。
これは、不幸中の幸いだったかな。
【運命識士】は純利益について一切の言及をしなかった。
つまり、“未来”のいづれにしても突飛な利益は問題にならないことに他ならない。
けれど、【運命識士】の記録した“未来”では、アナスタシアかマルタか危険性に気が付いた者が工作を行った結果なのだろう。
故に、問題にならない一点の結果だけを見れば確かに、【運命識士】は正しい。
けれども、その過程で計画に狂いが生じていた可能性がある。
ならば、一概に問題ではないと断言するには危険が伴う。
「アナスタシア、君の懸念は理解できた。これはボクのミスだ。絶対的な“未来”に頼りすぎてしまった不具合だ」
「いえ、監査すべきわたくしも間抜けでした。専門外とはいえ、貴方に一任し過ぎました。次からは、お互いの領域に踏み込みあいましょうか」
「ああ、それがいい。認識の齟齬は埋めるに限る」
どうやら矛先は収められたらしい。
抜き晒しの刃は可憐な鞘に納刀され、やや弛緩した空気がリビングに揺蕩う。
これは収穫だ。
軌道修正ができなければ、やもすると手遅れになっていたかもしれない。
そうなると、調子に乗って成果を見せびらかしてよかった。
存外、ボクの直観とやらも捨てたものじゃないな。
「丸く収まってよかったね……」
「マルタ、この程度で気疲れしてはもたんぞ」
「ぇ、うそでしょ?」
「がんばろうねぇ~、マルタちゃん」
そんな頻繫に衝突は起こらないよ……そう言い訳がましく反論しようとも、いやこの体たらくじゃ信じてもらないなと諦める。
小さな綻びでさえ、求めるものの巨大さを鑑みると度外視できない。
ボクの株と引き換えに得られた教訓は大事にしなくてはね。
だから、アナスタシアさん? お願いだから心底疲れたみたいなため息はやめてね。
思わず萎縮してしまうから。
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ボクの報告書によって遅れてしまったが、皆は本来の作戦会議へと意識を切り替えていた。
司会進行はアナスタシア、補佐はマルタ。
二人はコの字に並べられたソファの空いた空間へと黒板──懐かしいとすら思える正真正銘、ボクのしっている黒板だ──を設置し、両端に立ってあれやこれやと思索している。
恐らくは、リヴァチェスターにおける成果とその後のアプローチについて試行錯誤していることだろう。
ホロウとテリア、アヤメの三人はラミ手製のクッキーを片手に談笑をしている。
時折ホロウが渋面を作りアヤメが感情をごっそり削ぎ落した虚無に入る辺り、話題は十中八九、【楽園】鍛錬だろう。なら談笑ではなく愚痴だ。
アウグリュニーに帰還して今日で八日目となる。
……ボクの体感としては昨日帰ってきたような感覚だ。
まるで夏休みを刹那に感じる学生の気分。
それはさておきだ。
八日の間に、マルタとアヤメは【楽園】鍛錬を経験した。
初めての死を魂に刻んだ時こそ放心していたが、徐々に慣れて今では日課のように【楽園】へと足を踏み入れている。
殊に、アヤメの焦燥は見ていてハラハラした。
彼女は他人よりも聴力が優れている分だけ、死のもつ重圧を直視してしまったのだろう。
“龍人”であるために感覚の機敏なテリアや、半生より独自の死生観をもつホロウもまた当初は忌避していた。
無論、ボクは一切強要はしていない。
恥ずかしながら、【楽園】を発言させた時など、誰にも伝える腹積もりはなかったのだから当然だ。
ただ、偏に、皆が強さを会得したいがために夜な夜な地獄へと赴いているだけだ。
けれど、日に何十回と命を授業料に支払って学ぶ対価は十分だ。
二人はメキメキと実力を伸ばしている。
マルタは剣術、特に細剣を利用した刺突術を。
アヤメは索敵能力の強化を行い、なんと相手の急所や弱点を聴き分けられるようになった。
冒険者の枠組みへ当てはめるならば、既に“白金”級と同等だろう。
まったくもって頼もしい限りだ。
「ごめんなさい、時間がかかってしまったわ。作戦会議を始めましょう」
うんうんと皆の様子を眺めていたボクだが、アナスタシアの透き通った声色で視線を三人から外す。
ボクは黒板の裏、話の腰を折らないように静かに座って待てをしている。
実を言うと、会議という形式をとってはいるが、大筋は既に確定しているために確認といった色合いが強い。
アナスタシアの計画に沿って、最も効率的に残りの三領土を懐柔するための道筋。
それぞれの役割を把握し、必ず目的を達するための一助となれるように。
特に、マルタとアヤメの二人にとっては初めての作戦となる。
“オドラの邑”から行動を共にしてきたボクたちはある程度、無言の連携が可能だが……違うな、アナスタシアたちはだな。うん。ボクはいまいち信用されてないからね。
「ファルガー領、それが次に攻略すべき要所よ」
「こうりゃく…………」
戦々恐々とした様子でぽつりと呟くアヤメ。
そんな彼女へ、アナスタシアはキッと鋭い眼差しを向ける。
「ええ、そうよ。わたくしたちは善意で手を差し伸べる訳じゃない。わたくしたちのために力を貸してもらう代わりに、甘い蜜を吸わせるの」
「アナスタシアさん、言い方がちょっと……」
「表現なんて何でもいいわ。ただ、わたくしたちの行動如何で領土の行く末も決まる。それだけの責任があるのよ」
決意に満ちたアナスタシアの声音は、静謐に支配されたリビングに嫌というほど響く。
思い上がりでも、傲慢でもない。
ラヴェンナ商会には対する相手の趨勢を決めてしまう力を保有しているのだ。
フォルド領のみならず、リヴァチェスター領すら呑み込んだ一商会の発言力と影響力ははてしなく、下手に動くと波紋を広げかねない。
たかが一つ目の難所を切り抜けただけで何を……とも思うけれど、五つの領土は保っていた均衡を人知れず瓦解させたのだから過言ではないだろう。
故に、彼女は釘を刺したのだ。
あくまでも、ラヴェンナ商会は──自分たちは高度に政治的な領域へと干渉し、地盤を覆すだけの力があるのだと。
だから、下手な真似は決してできないのだと。
もし、言外に士気を上げる目的ならば、十分に達成したと思える。
ことの重大さに戦慄していたアヤメはきゅっと小さな拳を握り、お為ごかしの言葉で取り繕えないと事実を受け入れたマルタ、努めて平静と煮えたぎるように滾る覚悟を秘めるホロウとテリア。
そして、誰よりも最前線で修羅場を潜り、無事にゴールする責務を背負っているアナスタシアもまた。
自己暗示という形で決意を新たにした。
「さて、話を戻しましょう。交渉の端緒はマルタ、説明してくれるかしら?」
「うん、分かった。えと、みんなはわたしの兄を覚えてる?」
「あのドブネズミと風見鶏か」
「うわぁ~、しんらつ~」
当人を目の前にして家族へと明け透けに蔑称を使うなんて…………流石はホロウだ。
ドブネズミことバルムス、風見鶏ことコルセロ、哀れ。
いや、いいか。気遣う必要はないね。ドブネズミと風見鶏だもんね。
とはいえ、余人が如何に悪辣に語ろうと、当人の気分を害したら立派な攻撃だ。
ホロウ以外の三人は一様にマルタの様子を窺うが。
「はは、いい気味だよ…………ありがとう、ホロウさん」
にこやかに微笑んで、あまつさえお礼さえ口にした。
禍根は既に断ち切っているようだ。
彼女が大人であるからか、それとも、端から…………無為な詮索だな。
マルタは肉親へ憂いは抱えていない。
それでいいのだ。
「ふん、他人行儀だな。テリアを見習え」
「……? っ! うん、ありがとう、ホロウちゃん」
「わたくしもあやかろうかしらね。貴女からの敬称はむず痒いだけよ、マルタ」
「あはは……アナスタシアちゃんも、ありがとう。ちょっと窮屈だったりしたんだよねえ」
婉曲で、とても遠回しの愛情表現だ。
あまりにも、口下手にすぎるのではないか、ホロウ? 一仕事を終えたと言わんばかりに満足気に頷いているけれどね?
とはいえ、ボクとて円滑なコミュニケーションや明瞭な意思疎通は不得手だ。
ホロウにとやかく言える立場ではない。
ここは口を噤んでおこう。沈黙は金、雄弁は銀。
げに会話とはかく難し。
「それで、貴様の兄が何なんだ?」
「あ、そうそう。バルムスは名目上処刑せざるを得なかったけど、汚職の立証ができなかったコルセロは閑職にしたでしょ?」
「ええ、利害さえ一致すればあの手合いは飼い殺しにしておくのが常道よ」
「かいごろし…………」
ああ、またもアヤメが恐れ戦いている。
アナスタシアへの印象が大きく変わっているような気がするけど、まあいい機会じゃないか。
早晩、アヤメも彼女の本性に気が付くだろうし。
「実は、一か月前にファルガー領からバルムスに婚姻の申し出があったんだ」
「貴族とはつくづく利権にしがみつくんだな。見苦しい」
「あはは……何ともいえないなぁ」
つまるところ、政略結婚だ。
リヴァチェスターの時期領主と昵懇の仲へと発展させるための布石。
外堀を埋めるように、毒が回るように、じわじわと勢力を拡大させるための手っ取り早い方法。
「付け入る隙があるとすれば、ここよ。婚姻破棄を口実に、内政まで一挙に干渉する」
アナスタシアはバルムスの死去と共に婚姻破棄の申し出を行う。
けれども、そこで倒れないのがアナスタシアだ。
あくまでも、ファルガー領領主の考えはリヴァチェスター領領主との懇意を狙っていただけ。
ならば、婚姻とは別の方法で活路を示してやればいい。
それこそ、目に見えて利益の過多が分かる商業の方が格段に飛びつきやすい。
相手の思惑を自在に操って思うがままに結果を創出する。
短期間でフォルド領とリヴァチェスター領を後ろ盾にした辣腕が遺憾なく発揮されている。
「出立は三日後。リヴァチェスター領と違ってファルガー領は勝手を知らないから、情報収集期間も考慮に入れて、作戦開始は六日後とするわ」
毅然と断言したアナスタシアの声色に不安の色はなく、皆を先導する統治者としての自信に満ちた確固たる意思を感じる。
三日。
短いけれど、一日たりとも足踏みの許されない状況を考えると長いようにも思える。
それまでに、ボクはボクにできることを。
きっと、今回もボクは補佐にすら回れない。
けれど、万が一の保険として、アナスタシアが万全を期して障壁へと挑めるように。
ボクはボクにしかできないことを。




