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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
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断章. 小さなメイドたちの一日

 小鳥の囀りが聞こえたら、おちおち揺蕩ってもいられない。

 微睡と覚醒の狭間で、心地いい感覚に身を委ねていたいと訴える本能に蓋をして。

 ふわぁと小さく欠伸をしたら、もう横になんてなれやしない。

 まるで根の張ったような重苦しい背をベッドから引き剥すように起き上がると、そのままの勢いで立ち上がる。

 今まで経験したことのない反発性の寝具は、抗い難い魅力をもっているのだ。


 素足で踏みしめるカーペットはふかふかと暖かいけど、薄着のままでは少し冷える。

 寝ぼけまなこでクローゼットまで進み、見慣れてきた戦闘服(仕事着)を引っ張り出す。

 出立前に購入してもらったメイド服は、着まわすことも考えて三着用意してもらえた。


 ガーネット色の濃い赤を基調としたメイド服は、あたしの好みに合わせて(勝手に)改良している。

 あんなに長いスカート丈じゃあ、直ぐに転んでしまうし動きにくい。

 膝丈まで短く裁断して、ごわごわとした意匠もすっきりと改善させてもらった。

 隣の家の橙色の髪をした先輩からは邪道だと言われたけど、「最大効率の仕事をすることこそメイドの本分だ」と言ったらとんでもない形相で睨まれた。

 あの人誰にだってあんな風に睨むのかな? 普通に止めといた方がいいと思う。笑って許せる奴なんて底なしのお人好しか、人柄に興味ない冷徹漢くらいだろうしな。

 なんて、益体のないことばかり考えながら、全ての準備を終えたら全身鏡の前で一回転。


「よし、きまってる」


 くしくしと左右対称になるように丸めた髪型に、最適解のメイド服、極めつけは不敵な笑み。

 ラクシュミーさんなら、ここで笑う。

 やってやろうかとばかりに果敢に障壁へと立ち向かう。

 なら、あたしだってやってやる。

 あたしはただのラミだけど、いつかきっと、ラクシュミーさんみたいなカッコイイ大人の女性になってやるんだ。


「まずは、庭からだ」


 決意新たにしたあたしの最初の仕事は、裏庭と正面を飾る庭園の世話だ。

 これが、あたしの仕事の中で一番大変で、だからこそ、やる気と元気漲る今のうちにやり切ってしまうのだ。

 なにせ、あたしの仕事場は…………あたしは住み込みメイドなのだから、仕事場といっても殆ど我が家と言って差し付けないけど。

 とにかく、この家、というか邸宅は広すぎる。

 隣の領主の豪邸と比較しても遜色ない程度には広い。

 三階建ての屋敷は白を基調にした荘厳な構えで、変わり者で有名な当代領主を懐柔した新進気鋭の商会代表が住まうには相応しい。

 家主の名はアナスタシア=メアリ。

 こちらがたじろぐ程の美貌の持ち主で、会話をするだけで只者ではないと思わせる傑物。

 あの人になら一生下僕を誓ってもいいと思える人。

 しかし、メイドからしてみれば、幾らアナスタシアのご主人様が素晴らしい人でもため息の一つ吐きたくなる程に大変な家だ。

 たった二人で整備や状態維持をしなければならないからな。

 まだ慣れていないってのもあるだろうが、それでも毎日回すのに手一杯。


 裏庭には東側、キッチンや浴室、談話室のある廊下を直進したら到着する。

 テラスのような一角は、この家の主が座って紅茶でも飲んでいると絵になるであろう柳眉さがある。

 そして、大理石の長椅子から一望できる木々には、まだまだ拙いながらもあたしが必死に制作したトピアリーが並んでいる。

 いまのわたしは自信作に他ならないけど、改善点は幾らでも出てくる。

 最初は仕事だと思って始めたけど、どうにもこれは面白い。

 葉を好きなように刈って、自分好みの作品に仕上げる。

 完成した時の爽快感と達成感といったら、何にも代えがたい至上の幸福だ。

 けれど、ひとまず感傷は置いておこう。

 裏庭に出るとひっそりとした最奥に土蔵がある。

 何が起こってもびくともしないであろう造りは、もしかすると屋敷の外壁より頑強なんじゃないかって思う。

 ただの物置だけど。

 雑草は数日前に刈り取ったため、今日は花壇に水をやるだけでいい。

 陰鬱なのはここからだ。


「うわ、でたぞ! 給仕のメイドだ!」「みろよあの眼、ぜったい人殺してるって」「こわぁい……ほんと、怖い人」


 がやがやと、煩わしい声が響き渡る。

 市場からは離れている立地だからか、殊の外、騒ぎ声は反響するのだ。

 チッ、給仕もメイドも意味いっしょだし、この目は生まれつきだよ。

 気にしてんだから黙ってろ。


 屋敷を正面から見て、左手には領主の屋敷があり、右手は空き地になっている。

 すると、自然に裏庭からの景観を損なわないように外壁は取り払われて柵だけが空き地と屋敷を仕切る役目を果たす。

 近所の……といっても、何が楽しくてフォルド領のお目付け役を日常的に感じなくてはならないのか、とこの近辺には寄り付かない。

 故に、何ヤードも離れた居住地に住む商人の子息連中が、最近領主の隣に現れた者を物珍しさに…………面白半分で見に来るのだ。

 うざったくてたまらないが、あたしはアナスタシアさんのメイドだから。

 ここで無様に怒鳴り散らかして、あの人の顔に泥を塗ることだけは避けたい。

 雇用してもらった恩と、最悪の末路から助け出してもらった大恩もある。

 だから、あたしの取るべきは黙殺だ。

 幸い、あいつらに危害を加える気はないのか、遠巻きに揶揄されるだけにとどまっている。

 裏庭と庭園の整備さえ終わってしまえば、あいつらも興味をなくて帰る。

 ただ、あたしは耐えるだけだ。


「水やり終わり」


 気にしていない風体を装って、視線の一つ向けずに屋敷へ戻る。

 思いの外、防音機能を果たしているのか、屋敷内に一度足を踏み入れると外の雑踏は聞こえない。

 ほんと、いい家だな。

 いや、ここをいい家に保つのはあたしたちの仕事だから、つまりは、あたしたちの仕事がいいって訳だ。


「おはようっ! ラミ! お仕事おつかれさま」


 長い廊下を歩いていると、頭上から溌剌とした声が降ってくる。

 もはや慣れたことだが、彼女も彼女で仕事熱心なことだ。


「おはよう、カレン。外は終わり。朝飯にしようぜ」


「うんっ! すぐ行くね!」


 螺旋階段からはどたどたとした忙しい音がする。

 ものの数秒で降りてきたのは、紺色のメイド服に身を包んだ小柄な少女だ。

 漆黒の黒髪に、あどけない表情、にぱっと微笑む笑顔は庇護欲をそそる。

 あたしと共に広大な屋敷を保つために働く同僚、そして、あたしの唯一の親友。

 出会ったのはつい最近だけど、一蓮托生を誓った身だ。

 親友って言っても、過言じゃ…………ないはずだ。

 多分、きっと、大丈夫。

 これであたしだけが、そう思ってたりしたら恥ずかしいなんてものじゃない。

 自意識過剰もいいとこだ。

 けど、まあ、あたし一人が思う分には自由だろう。


「今日はなにかなぁ」


「変わらねえよ。スクランブルエッグに、ハムと野菜のサンドウィッチ。あとはサラダ」


「やったぁ! あれ、とってもおいしいんだよねぇ!」


 そうか、それは良かった。

 朗らかに笑い、腕を振り上げて全身で喜びを表現するカレン。

 歳はあたしと同じだけど、彼女は少し子供じみている。

 言動や、仕草、至る所で散見する。

 …………カレンはあたしなんかよりももっと酷い環境で育ったんだ。

 仕方ないこととはいえ、やるせない。

 不幸自慢なんてものに興味はないし、個人の土壌となった経験に難癖を付ける必要だってない。

 あたしも、過去のこととか掘り返されたらいい気はしない。

 だから、あたしは聞かない。

 追求する気もない。

 カレンが聞いてほしいと、もしくは、話したいというのなら聞き役になる。

 それだけだ。


 まるであたしを先導するように、朝食が楽しみで仕方がないといった様子で厨房へ向かうカレン。

 その後ろ姿は小さくて、彼女の艱難辛苦を言外に表している。

 ()()は使命感なのか、それとも同情なのか。

 あたしに判断は付かないけれど。

 カレンの隣にいたいと、そう願っている。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 右に左に、がやがやと騒がしい市場に、わたしはもう慣れてしまった。

 紺色のメイド服は人混みの中だとちょっと目立つ。

 だけど、この服はロムルスさんがわたしたちにくれた宝物だから。

 わたしは脱ぐ気なんてない。


「ふぅ~ん、ここがアウグリュニーかぁ。エディンとはやっぱり違うねぇ」


「は、はい……人が多いです…………」


「うん、そこが魅力でもあるけどね。アヤメちゃん、気持ち悪くなったらおねえさんに言ってね?」


「はい……? おねえさん?」


「そだよぉ? マルタおねえさんにちゃんと言うんだぞぉ」


 ぎゅむぎゅむとフードを被った女の子が、お花の妖精さんみたいな女の人に撫でまわされている。

 わたしの前を歩く二人とは、決して他人じゃない。

 ロムルスさんの新しい仲間だ。


 昨日、ロムルスさんたちが帰ってきた。

 一ヵ月とちょっとの間をリヴァチェスター領で過ごしていたらしい。

 詳しくは聞いてないけど、お仕事で遠出をしたみたいだ。

 帰ってきたといったけど、ロムルスさんたちと過ごした期間は短くて、実感は湧かない。

 お屋敷にはわたしたちの方が長くいるし、勝手もよく知っている。

 昨晩なんて、ロムルスさんがリビングの場所が分からなくて玄関で途方に暮れていた。

 ちょっと可愛いと思って眺めていたのは内緒だ。


 知らせもなく帰ってきた時は驚いたけど、わたしたちだってのうのうとお仕事をしていただけじゃない。

 れいぞうこ……? っていう周囲の微細な“霊力”を冷気に変えて食材を新鮮に保つ箱に、みんながいつ帰ってきてもいいように、沢山の食材を保存していたから。

 お料理の得意なラミがみるみるうちに素敵なお料理を作って、わたしが配膳をする。

 二人だけの食卓じゃなくて、みんなのための食卓に。

 お隣のメイドさんは「使いの者なら主人と同じ卓を囲むのは不敬だ」って言っていたから、わたしとラミが立って待っているとアナスタシアさんが「何を言っているの? 貴女たちはメイドだけれど、わたくしたちの友人でもあるのよ」っていっしょに食べていいよって言ってくれた。

 最初は本当にいいのかな? って怖かったけど、お話をしながら食べるうちに楽しくて、心の底から嬉しくて、心配なんて吹っ飛んで行っちゃった。


 けど、そこに、ロムルスさんはいなかった。


 領主様に呼ばれて、すっごい嫌な顔をして席を外してた。

 アナスタシアさんは不満そうに息を吐いた後、「少し残しておきましょう」といってバスケットにお料理を盛りつけていた。

 そんな様子を見て、ホロウさんとテリアさんが当然だと言ってお気に入りのお料理を見繕って選んでいたのは微笑ましかった。

 みんな、ロムルスさんのことを変人だとか、気に入らない人だって言ってるけど、ほんとのところ…………好きなんだと思える。

 わたしも、ロムルスさんは大好きだ。

 どれくらいって聞かれたら、大きすぎて答えきれないくらいには、大好きなんだ。

 わたしは将来はロムルスさんみたいになりたいって思う。

 困っている人を助けて、みんなを笑顔にする人。

 ラミは英雄なんてこの世界にはいないって言うけど、じゃあ、ロムルスさんは英雄じゃないのかな? とも思う。

 …………こんらんしてきた。

 わからないことはわからない。

 でもいつか、分かるようになる日がくるはずだから。

 今は、そっと胸にしまっておくんだ。


 賑やかになったお屋敷には、活気が戻ってきたんじゃないかと思う。

 わたしとラミだけじゃ、あのお屋敷は大きすぎる。


「それで、カレンちゃん? 何がいるのかな?」


 ふっと立ち止まったわたしは、覗き込むようなマルタさんの声に買い出しに来ているのだと思い出す。


「えっと、明日の朝ご飯とお昼ご飯用の食材と、ドヴァーラヴァティのご飯だよ」


「ありゃりゃ。思ってたより多いみたいだ」


 くすくすと笑うマルタさんは頑張ろうと意気込んで可愛らしく拳を握っている。

 白いフレアタイプのパンツに、綺麗なくびれが強調される薄桃色のニットに、桃色のジャケットを羽織っている。

 そして、花冠のような髪飾り。

 おねえさんと自称しているだけあって、穏やかな雰囲気や、包容力のある微笑は、無性に甘えたくなる。

 にぱっと笑うと周囲に花々が咲き誇るような錯覚をしてしまうくらいに、マルタさんは美しく、健やかな印象を受ける。

 けど、一つだけ。

 腰にさしている細剣(レイピア)が異質に見える。

 マルタさんはわたしたちを守るために、わざと見せつけてるんだ。

 鈍いわたしでも、それくらいは分かる。


「カレンさんは、頑張り屋さんですね……すごいです」


「ありがとう、アヤメさん!」


「ひゃぁ……っ! ちかい、ちかいよ……カレンさん…………」


 喧騒にかき消されそうなか細い声で、俯きながらわたしを褒めてくれるのは、アヤメさん。

 こげ茶色のフードを被り、大きなローブで全身を覆って隠している。

 ホロウさんより大きいけど、テリアさんより小さい人で、自信のない様子が伝わってくる。

 ちらっと覗くと、額には汗をかいていて、顔色も悪そうに見える。

 マルタさんがしきりに体調を尋ねるのにも理由があって、なんと、アヤメさんはとっても耳がいいのだ。

 わたしは昨日、確かに見た。

 みんなでご飯を食べている時に、フードを取ったアヤメさんを。

 ピンっ! と張ったオオカミ耳を。


 アヤメさんは自分を“魔族”との混血と言って、おかしな見た目だけど仲良くしてくれたら……って消え入りそうな声で言っていた。

 けど、あのお屋敷に見た目だけで判断するような人はいない。

 わたしは元々奴隷だったし、テリアさんは“龍人”で、ホロウさんも裏路地で育ってきたから。

 人に見下されたり、嫌な思いをしたり…………だから、それがとても酷いことだって分かっている。

 どうして、わたしが嫌なことをアヤメさんにできるのだろうか。


 耳の良いアヤメさんは、人でごったかえす市場は大変そうだ。

 それでも、買い出しの手伝いに来てくれた。

 とっても優しい人なんだ。


「あ、ここだよ。このお店でお野菜とかを買うんだ」


「へぇ、すっごい品揃え。マルド・プール領の穀物に、ファルガー領の魚……東の野菜もある」


「……? それってすごいの?」


「そうだね、どこにでもある光景じゃないかな。西側領土の中心だからってだけじゃなくて、交易都市って色合いも強いかな。この土地では商人は比較的自由を保障されるっていう土地柄とか、積み上げてきた信頼とか…………他にも要因はあるんだけど」


 とても綺麗で笑顔なマルタさんは、どこか楽しそうに話しているけど何を言っているのかさっぱりだ。

 でも、アウグリュニーの市場が珍しいってことは分かった。

 確かに、わたしの生まれた村に比べたら発展しているなとは思ってたけど。


「マルタさん、その……難しいかもです」


「あ。ごめんね、カレンちゃん……つい癖で」


「ううん。マルタさんって賢いんだね! ロムルスさんといっしょ!」


「たはは……ロムルスくんと一緒は肩身が狭いな…………」


「いやなの?」


 わたしなら、ロムルスさんと似ているところがあれば大喜びなのに。


「いやって訳じゃないけど…………ロムルスくんは凄すぎて気後れしちゃうというか」


「すこし、分かります。此方はロムルスさんに助けてもらって……だから身に染みて理解できるというか」


「……? わたしは、わからない」


「いいんだよ、カレンちゃん。きっと、そのままの方がいいかもね。皆がみんな遠慮しちゃうと、ロムルスくんも息苦しいだろうし」


 やっぱり、わからない。

 マルタさんもアヤメさんも、ロムルスさんが嫌いな訳じゃない。

 どちらかというと、あの人のことが好きなのだと思う。

 けど、ロムルスさんと一緒なのは嫌なんだ。

 真っ白な人、わたしを助けてくれた人、強くてかっこよくて頼りになる人。

 アナスタシアさんも、ホロウさんも、テリアさんも、ロムルスさんに一目を置いている。

 オスマンちゃんとビザンツくんも、ロムルスさんには唸るけど嚙みついたりはしない。

 でも、少し変なんだ。

 影がないみたいな、そこいるようで、どこにもいないみたいな。


 わたしの疑問は買い出しをしている間、ずっと付きまとっていた。

 こんど、みんなに聞いてみようとも思うけど……きっと、みんな二人のように答えるんだと予想しちゃう。

 どうしてか、理由なんてわからないけど。


 ほんとだ。

 みんなロムルスさんのことが好きだけど、誰一人ロムルスさんのことはよく分からない。


 とっても、寂しい。

 …………ロムルスさんは平気なのかな?


 聞きたくても、知りたくても、わたしには理解できない答えなのかもしれないけど。

 受け入れたくはないけど。

 いつかわたしも、ロムルスさんを嫌ってしまう時が来るのかな。

 それは……とっても、いやだな。

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