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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
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40. 星空と対話、静謐と喧騒

 艶めかしい吐息が耳に残る。

 体温が上がったためかぱたぱたと純白のネグリジェをあおり、身体へと風を送り込んでいる。

 今まで多くの美男美女を見てきたが、その全員が霞むような抜群のスタイルだ。

 すらりとした健康的な脚に、魅惑的なヒップ、腰のくびれは羨ましい程に扇情的で、胸元は大きく膨らんでいるはずなのに下品ではなく、煌めく金髪に、同姓であれ見惚れる端正な顔立ち。

 紅潮した頬に、火照った身体、月明かりに照らされて透過するネグリジェのせいで強調された陶器のような全身は『女神』という他にない。

 わたしだって、自分を磨くことを軽んじた訳じゃないけど、それでもこの人には勝てない。

 後天的な努力もあるのだろうけど、生まれ持った美貌が前提にある。

 加えて、彼女の魅力は身体的なものにとどまらず、明晰な頭脳に卓越した策略、盤上の支配者を彷彿とさせる戦略家でもある。

 極めつけは、武闘家でもある点だ。

 格闘技術はないが、【権能】を用いた戦闘は、持ち前の戦術能力と相まって帝都に駐在する聖騎士であろうと相手どれるであろう。


 正に、完璧超人という表現の似合う女性だ。


「どうかしたのかしら?」


「……っ、いやぁ…………何でもないよぉ?」


 視線に気が付いたのか、こてんと首を傾げて問う仕草は妖艶さと幼さが内在していて、何故だかわたしが気恥ずかしく感じてしまう。

 目が合うと心臓が跳ね上がってしまいそうになる。

 何でもない訳ないのに、年頃の青年のようにそっぽを向いて誤魔化す自分自身により一層羞恥が高まる。

 環境のせいか、お酒のせいか、それともわたし自身も目覚めていない好みのせいか…………いや、それはないね。

 確かにアナスタシアさんを見ていると胸が高鳴っちゃうけど、きっと別の話だ。

 こう、恋愛的なものじゃなくて……憧憬? そうだ、きっとそう。尊敬とか、そんな感じ。


「いい風ね。エディンの夜風も気持ちよかったけど、わたくしには合わなかったようね」


 たなびく髪を抑えて、滑らかな動作で耳にかける仕草は蠱惑的で抗いがたい。

 腕を上げたためにちらと垣間見える柔らかな曲線美には、わたしの中で膨れ上がる欲情を無視できなくさせる。

 画家がこぞって殺到するであろう程に絵になるし、嫉妬や羨望なんてばかばかしく思える。

 おねえさんも自分の容姿には自信あったんだけどなぁ…………けど、この人には勝てない。

 勝つとか、負けるとか、そもそも勝負の土俵にすら上がれない。

 月下美人のような星空の似合う人でありながら、燦々と輝く太陽を背にしても向日葵のような溌剌さを損なわない。

 儚さと爛漫。

 二律背反の業を、アナスタシア=メアリという女性は我が物としている。


「……すごいなぁ」


 ぽつりと呟いてしまった独白は、白い吐息のように空中に消えていってはくれない。

 ここはリヴァチェスターではなく、それに、この場には二人しかいない。

 いいなぁ……とも思えない心中が曝け出されたようで、恥ずかしあのあまり体温があがっていくのがわかる。


「……? ええ、確かに凄いわね。まさかラミにこんな特技があるなんて思わなかったもの」


 けれど、曖昧な感想だったおかげで、アナスタシアさんは解釈を誤ってくれた。

 幾ら賞賛だろうと、同性から美しさを滔々と語られるのは抵抗があるだろう。

 それに、アナスタシアさんなら、きっと聞き飽きているだろうし。


「あれは、オスマンかしらね。特徴を捉えてる」


 彼女の碧眼の先には、白毛半魔獣(ブラン・ライガ)の番がいた。

 勿論、こんな市街地の、豪邸の裏庭に本物の白毛半魔獣(ブラン・ライガ)がいる訳がない。

 いや、違う、いるんだ。ここには。

 オスマンとビザンツという二頭の白毛半魔獣(ブラン・ライガ)が、ここでは飼育されている。

 家畜ではなく守護獣のような扱いだけど、いるんだ。

 紹介された時は卒倒しそうになった。

 すぐさま冒険者ギルドに通報して討伐隊を率いてもらうべき案件だと。

 …………なぜだか、ホロウちゃんにべったりだけど。

 …………なぜだか、アヤメさんには「仲間だぁぁ!」って憐れみの視線を向けられたけど。

 …………なぜだか、ロムルスくんは仇敵のように毛嫌いされていたけど。

 うん、思い出さない方がいい。

 あの二頭は裏庭と反対の、頑強な造りの小屋にいるはず。

 ならば、アナスタシアさんの言うオスマンは何かというと、ガーデニングの一種だ。


 わたしたちはガーデンテラスで、隣り合って酔いを醒ましている。

 整備の行き届いた裏庭の、随所の木々にはトピアリーなのか、動物を模った形でそこに鎮座しているのだ。

 お団子のメイドちゃん……ラミちゃんが施したらしいけど、ぶっきらぼうに見えて可愛らしいところもあるんだな。


「すごい。ほんとにすごい」


「ええ、そうね。とても優秀だわ」


 今度はちゃんと感嘆できた。

 アナスタシアさんたち(みんな)が言うには、あの二人の小さなメイドはつい数週間前に雇用したらしい。

 広大なお屋敷を、二人とはいえ清潔に保つのは骨が折れるだろう。


 カレンちゃんとラミちゃん。

 性格も、口調も、波長だって正反対な二人は、けれどメイドの仕事はきっちりとこなしている。

 ただの義務感じゃない。

 見ていたらわかる。

 従属関係のメイドを、わたしはずっと見続けてきたから。


 わたしが本当に凄いと思ったのは、二人のこともそうだけど──利害を超越した縁由を繋げるところ。

 かくいうわたしだってそうだ。

 もうどうしようもないって思える絶望の中で、わたしはアナスタシアさんや、ホロウちゃん、テリアさんに救われた。

 だから、わたしはリヴァチェスター領領主としてではなくて、友人として関わりたいって思えるのだ。

 心の底から善人だって人を、わたしは信じていない。

 今だって、そんな人はいないと思う。

 けど、もし存在するのだとしたら…………もし、わたしも共に過ごす中で変われるのだとしたら。


「アナスタシアさん、一つ聞いてもいい?」


「ええ、いいわよ。わたくしに答えられる範囲なら」


 魔が差したなんて大層なことじゃない。

 ちょっとからかってやろうと、わたしばかりが赤面させられるのは我慢ならないと。

 その澄ました横顔を、少しでも動揺させられたらなんて。

 ちっぽけな悪戯のつもりだった。


「ロムルスくんのこと…………アナスタシアさんはどう思ってるの?」


「……ぇ、?」


 ……………………やっぱり、可愛い。

 突拍子のないことを聞かれて、思考が止まって、頭の中が真っ白になって、ちょっとしたパニックに陥って。

 ぱくぱくと二の言を継げずに、俯き加減に頬を朱に染める絶佳の人。


「わたくしは、その…………どうと……、明確には言えないわ」


 絞り出すように、答えになっているようでなっていない一言は、小さくか細い声色で紡がれた。

 凛として、聡明で、いつだって言葉には自信を宿した普段のアナスタシアさんとは、まったく異なる雰囲気。

 まるで生娘のように、混乱して、淡く瑞々しい初心な心根。


 ねえ、ロムルスくん。

 わたしは、嬉しかったし、感謝もしてる。

 凍えそうな寒さに、全身を縫い付ける痛み、どす黒い絶望。

 この世界の地獄だって思える場所から、救い出してくれたあの刹那を、わたしは一生忘れない。


 けど、()()()()はきっと、わたしだけのものじゃないんだよね。

 みんなの優しさ、清らかで初雪のように穢れのない純粋さは、君が不浄を取り除いたからなんだね。

 アナスタシアさんも、ホロウちゃんも、テリアさん、アヤメさんに、カレンちゃんとラミちゃん。

 長い旅路の中で、君はもっと沢山の人を救ってきたんだよね。

 みんな、君に感謝していて、きっとそれぞれの思いの丈を持っていると思う。

 わたしは……恋慕か、敬愛か、なんだかまだ分からないけど。


 きっと仕舞い続けると思う。

 だって、こんなにも貴方を想ってくれる人がいるんだもの。


 だから、貴方は。


 いつかきっと、気づいてあげてね。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 ふかふかです。

 つやつやです。

 沈みこんでしまいそうな、最高級の藁の上で横なっているような、心地の良い感覚。

 微睡(まどろみ)のあまり重くなる瞼と恐るべき睡魔との連携には、さしもの此方も苦戦してしまう。

 ……そう言うと睡魔以外には勝っているような気もする。

 実際は戦場に立ち入れないすらしないけど。


「うぅ……きもちわるいぃ…………」


 お水おみずぅ……と這う這うの体で枕元のスタンドまで手を伸ばす。

 こつんと子気味いい音が反響したかと思えば、水滴が付着する。

 ぐるぐる酩酊する視界とずきずきと痛む頭を抑えながら身を起こす。

 勢いのままに冷たい水を嚥下すると幾許か楽になった。

 すると、途端に気にもならなかったことにまで意識が向いてしまう。

 酷い酩酊状態にあったからなのか、冷や汗のせいで衣服が張り付いてしまっている。


 一度入浴したけれど、それでもアルコールが抜けきれないせいで直ぐに着替える必要に迫られる。

 もう二度と、酒など飲むまい。

 此方の決心は固い。

 どれくらい固いかというと、加工前の鉄くらいには硬い。

 加工ちゃったらぐにゃぐにゃになっちゃうけど。

 じゃあそれは鉄じゃなくて別のもので。

 そうすると此方の意思も別のものになっちゃって。

 ああ……だめだ。

 自分でも何を考えてるのか分からなくなっちゃう。


「…………着替えは、どこだっけ?」


 足取りは不安定だ。

 本当にこれ一室? ってのが此方の感想です。

 此方が五人は横になれるベッドに、金色の装飾が施された椅子、ソファ、テーブル。

 とっても大きな衣装棚には、寂しそうに数着の服が吊るされている。

 あぁ……これが最後の一着だった。

 うん、着替えは諦めよう。

 一体何を収納すればいいのかわからない大きなタンスに、大きな窓を背にした執務机を横目に眺めながらもう一度巨大なベッドに身体を投げ出す。

 ラミさんはもっと広い部屋があるって言ってたけど、此方には十分すぎます。

 もっと小さくてもよかったけど、不運にも満室らしい。

 仕方がないけれど、あまりに大きすぎると気後れしてしまう。


 冒険者になってから、こんなに大きな部屋で休んだことはなかったから。

 お酒だって初めて飲んだし、食卓を囲むなんて村から飛び出して以来だ。

 そういえば、無防備に横なったのも久しぶりだったな。


「夢みたい……」


 此方は知っている。

 これは夢なんかじゃないって。

 正夢でも、悪夢でも、逆夢でもない。

 現実なんだ、とっても幸せな。

 危険はなくて、恐怖もなくて。

 限りなく、此方に()()()()()現実。


 もう此方は怯えなくていい。

 あんな惨めな思いはしなくてもいい。

 役立たずと罵られることも、無駄飯食らいだと悪態を吐かれることもない。

 アナスタシアさんはとっても綺麗で、気が付けば釘付けになってしまう人。

 ホロウさんはとってもかっこよくて、あんなに小さい身体なのに不利を感じさせない人で。

 テリアさんはとっても(やさ)しくて、おっとりとした声音は安心できる人で。

 マルタさんはとっても頼りになって、此方のぜんぶを許してくれるだろう人で。

 カレンさんはとっても頑張り屋さんで、決して折れない人で。

 ラミさんはとっても素直じゃないけど、面倒見の良い人で。


 じゃあ、此方は? アヤメは一体、どんな人なの?


「…………このままじゃ、だめだ。此方も、此方だって」


 ──【楽園(エデン)】は倫理に反した世界だからね、無理はしなくていい


 ロムルスさんはとっても強くて、大らかで、賢明だ。

 そして、誰よりも恐ろしい人。


 感情の起伏は誤魔化せても、此方の耳は欺けない。

 人の好い微笑みを浮かべているけれど、あの人は()()()()()()

 ずっとずっと、オトが聴こえない。

 それが如実に現れたのが、【楽園(エデン)】だ。


 あの金色の箱……初めは結界のようなものだと思っていた。

【権能】で防壁を築く人もいるから。

 けど、そんな簡単なものじゃなかった。

 此方も、ロムルスさんみたいに強くなれたらって思ってる。

 けど、あんな、常軌を逸した鍛錬は、できない。

 ホロウさんやテリアさんも、最初は躊躇したって言っていたけど。

 そんな気持ちや覚悟の話じゃない。


 生物が死ぬ時のオトは、淋しくて空虚。

 プツン──って何かが切れたら、もうそれで終わり。

 オトがないものは等しく、無機物で物だ。

 机とか、紙とか、石とか。

 何も変わらない。

 此方はそうならないように立ち居振る舞いに細心の注意を払ってきたし、回避し続けてきた。

 忌避してきたと言ってもいい。

 死は平等に訪れるけど、死神は公平に宣告はしてくれない。

 死に場所は自分では決められず、死神が示唆する。

楽園(エデン)】はそんな自然の摂理を、絶対の法則を軽々と捻じ曲げる。

 ロムルスさんは、揺るぐことのない世界の規律を逡巡することなく踏み越える。


 だから、強い。


 だから、皆から頼りにされる。


 あのアナスタシアさんが真っ先に意見を求めるんだ。

 知力も、武力も、胆力も。

 何もかもを兼ね備えた超人。

 そして──此方の、目標。


「よしっ、やってみよう」


 勢いを付けて立ち上がる。

 その拍子に天蓋を支える柱に手をぶつけたけど。

 ……じんじんと痛むけど。

 これは此方が生きている証だ。


 此方の武器はこの耳だけ。

 オトを聴き分けて、我が身可愛さで絶望から目を逸らし続ける力。


 でも、それだけじゃだめだ。

 オスマンちゃんとビザンツくんに守られて、此方は手持ち無沙汰で眺めているだけ。

 あんな疎外感はもう味わいたくない。


 やらなくちゃならない。

 避けては通れない。


 危険で、やめておけと警告するオトを、此方は初めて黙殺した。

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