39. 休息……ああ、なんて素晴らしい一日なのだろうか
カチカチと秒針が時を刻む。
視線を巡らせると、質のいい壁紙に綺麗に整備された室内、塵一つない床と視界に入る全てに圧巻される。
着崩すことなく正しくメイド服に身を包んだ給仕さんは、陶器の食器を欠片も音を立てずに並べて、ふんわりと鼻孔をくすぐる香りはマスカットかな? 果実の風味を凝縮した著名な茶葉から抽出した紅茶を注いでいる。
同じく惚れ惚れするような所作で高濃度のウィスキーを注ぎ、橙色の長髪をストレートに流した女性はちらりとボクを睨んで一礼する。
…………どうしてボクのウェルカムドリンクはアルコールなのかな? 見るからに高いアルコール度数は消毒液並だし、これではウェルカムどころかグッバイしてしまう。非常に斬新な暗殺だね。とても歓待しているとは思えない。
うん、彼女はボクを目の敵にしているから、中らずと雖も遠からずなのかな。
ああ、帰りたい。
屋敷は隣接していて、立地的には近しいからこそ今すぐにでも回れ右をして帰宅したい。
嫌がらせされたからじゃないよ?
「なんだって、ボクは祝賀会から途中退席して領主様と会談しなくてはいけないのだ」って不平不満からだよ。
そもそも招集する相手を間違えているんじゃないか? 本来ならここにはアナスタシアが座っているはずだ。
「お気に召しませんでしたか、ロムルス様」
どうやら、難色を示したように捉えられたらしい。
このウィスキーは気に入らないけどね。
もし敢えて選んでいるなら嫌味か皮肉だ。
シャルロッタだけではなく、ラインにも嫌悪されているのかと、招かれざる客なのかとむせび泣いてしまう。
…………招待したのは君たちなのだから、ボクは思いっきり被害者じゃないか。
違う。
そろそろ、現実逃避はやめよう。
「いや、少しね。昨日の今日だから驚いただけさ」
「そうですの……アナスタシア様の報告書を見るに、疲労とは無縁のものと思ってしまいましたわ」
「成程、まあ、彼女はそうかもしれないね」
言外にボクは違うんだよ? と示してみるけど、すごいですわねとか流石ですわとか意図を明確には掴み切れていない。
まあ、後始末をアナスタシアへ丸投げしたツケが回ってきただけだ。
「さて、本題に入りましょう。ロムルス様、先ずはリヴァチェスター領への渡航、お疲れ様でしたわ」
「ありがとう、ライン。とはいえ、ボクは大した活躍はしちゃいないさ」
ご謙遜を……とか言って笑っているけどね、ライン。
報告書を呼んだのならわかるだろう? フェイラーへのファーストコンタクト、マルタとの契約締結、小さな内乱の後始末、全てアナスタシアのてによるものだ。
ボクなんて冒険者として遊んで、巨大な鯨(ついでに魔獣)を討伐して、マルタに選択肢を提示したに過ぎない。
見事に丸く収まったのはアナスタシアの尽力と、マルタの覚悟、そしてホロウやテリア、アヤメの協力あってだ。
ボクが一人謝礼を受け取るには不相応に過ぎる。
せめて、全員をこの場に呼ぶべきだろう。
けれど、それができれば、口先だけの箱入お嬢様なんて揶揄されない。
「では、当初の計画通り進められそうですわね」
「ああ。けれど、数日はアウグリュニーで休息を取ることにするよ」
「ええ、それがいいですわ」
次なる作戦への端緒は既に確保してある。
故に、今すぐにでも行動を起こすことは可能だ。
というより、起こすべきだ。
ハギンズは悠長に構えているわけでもない。
今もなお、スウィツァー商会の二代目代表として着実に東側領土で拡大を目論んでいる。
しかし、焦りは禁物。
見通しが疎かになってしまえば、思わぬところで足元をすくわれる。
リヴァチェスター領では百点満点の結果を出せたために、次なる一手では不覚を演じる訳にはいかない。
「話は変わりますが、マルタ様より使節団の交流を提案してもらいましたわ」
「そうか。よかったじゃないか。君の目標に一歩近づけて」
露骨だな。
脈拍が上がって、呼吸も浅くなった。
成程、あくまで労いは前座で、ここからが本題という訳か。
「え、ええ。ですので、ロムルス様。ご都合がよければご同席をお願いいたしますわ」
素っ気ない返答にたじろいだのか、幾ばくかの声のトーンが下がったようにも感じる。
お願いすると言って、実質的には命令口調。
彼女の中ではボクが断るとは思っていないのだろう。
既定路線に乗せるため、確認程度の認識。
「それはボクの管轄外だよ、ライン。ボクは何もラヴェンナ商会代表ではない。しがない護衛の一人。本来ならば、領主同士の機密をボクに話す時点で相手に不信感を抱かせてもおかしくない」
だから、ボクは断固とした拒絶を示すのだ。
「……、そう、ですわね」
不承不承といった形で、表面上はボクの言葉を受け取ったライン。
領主相手に反論を許し、あまつさえ見る者が見れば傀儡にさえ映る反応。
さしものシャルロッタも眉をひそめるラインの対応は、領主とは思えない程に浅慮だ。
例えば、ボクが対等な領主の地位にいるならば。
例えば、ボクが契約相手なら。
例えば、ボクが彼女よりも立場が上なら。
とはいえ、栓なき問いだ。
もし、たらればに当てはまっていようと、ボクは彼女の提案を決して良しとはしないだろう。
これはラインの役目であって、ボクの出る幕ではないと。
どうにも、窮屈だ。
正装とはいえ、普段通りの軍服がゆえに、堅苦しい雰囲気が原因なのだろうと思う。
好奇の視線に晒される負担は思いの外、精神を蝕むらしい。
警戒は不要とはいえ、不躾な態度を額面へ出されてしまえば最悪を考えてしまう。
悪癖だな……まあ、直すつもりはないが。
シャルロッタを含むメイドたちは「こいつ正気か」って顔で睨まれているけれど。
仕方ないじゃないか。
ラインはボクの予想の斜め上をいく質問ばかりするのだから。
「話は終わりかな? ウィスキーありがとう、とても美味しかったよ」
覚悟を決めてグッと消毒液……間違えた、ウィスキーを一気に呷る。
喉を焼く透明な液体は劇薬としてボクの体内へと取り込まれるが、アルコールの主張は喉元過ぎれば熱さを忘れると言わんばかりに消え失せた。
酩酊状態へはまだ時間がかかるだろうし、素面のうちに退散させてもらおう。
領主の許可なく退室し、先の暴言を謝罪すらしない不届き者相手に──ラインは静止の一声すらかけられずに見送ってくれた。
ボクは能面のようにのっぺりとした彼女を振り返ることなく、邸宅を後にした。
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どうやら、ラインとの会合は思いの外時間を浪費していたらしい。
領主邸宅へと迎えられた時は高かった日も、既に全貌を隠している。
代わりに満月が顔を出し、煌めく星々がボクを睥睨している。
まるで無数の瞳が地上の人々を監視するように感じるのは、きっとボクの心根が腐っているからだろう。
邪心なき純粋な眼で見れば感動的な絶景なのだろうが、一度ボクの色眼鏡を媒介にすると酷く醜悪なものに見えるのだから不思議だ。
もしかして、右眼が残っていたら違ったのだろうか? やめよう。ないものねだりは虚しいだけだ。
鈍色の門扉を開け、玄関扉へと通じる石畳で舗装された道を進む。
雑草は刈り取られ、庭木は秩序を保っている。
リヴァチェスターへの遠出によって数週間放置したにしては、整備が行き届いている。
それも、小さなメイドたちの努力の賜物だろう。
「……! おかえりなさいませ、ご主人様!」
濁り一つない夜空を彷彿とさせる黒髪に、紺色のメイド服に身を包む少女。
洗濯の途中だったのか、腕には乾いていない衣服の山を抱えている。
拙いながらも、一礼して帰宅を喜んでくれるカレンには癒されるな。
残念ながら、ボクのメイドイメージはシャルロッタで固定されているから、カレンの反応は新鮮だ。
……あの人、誰にでも射殺すみたいに睨むのかな?
いや、今考えるべきじゃないな。
黙ってしまったボクを案じてカレンがきょとんと首を傾げている。
「はは……ご主人様はやめてくれ、カレン。むず痒い」
「じゃあ、ロムルス様?」
「今まで通りで構わないとも」
わかりましたっ! と元気よく返してくれるカレン。
そのまま、てててと奥に引っ込んでいく後ろ姿は慣れない仕事に奮闘する様子がありありと伝わる。
懐かしの故郷とは異なり、この世界では玄関で靴を脱ぐ風潮はないらしい。
けれど、履き替える風習はあるようで、皆思い思いの靴へと玄関前で変えている。
所謂、スリッパの上位互換なのだろう。
また、風土によって異なり、テリアは履き替えずに裸足のままで過ごしている。
かくいうボクは、歩きやすいように獣の皮を利用してスニーカーを作成した。
未だに室内でスニーカーを履く違和感は拭えないけれど、いつかは慣れるだろう。
「リビングはこっちだったかな?」
ラインの真心によって無償譲渡された屋敷は、些か広大で、滞在期間だって十分ではなく迷う。
正面玄関で靴を履き替えると、左右に廊下が広がっていて、正面には螺旋階段がある。
二階と三階はそれぞれ自室と、使っていない部屋は物置と化していたはずだ。
となると、リビングは一階にある。
確か、そのまま右へ──カレンが向かった先へ──行くと浴室や御手洗、簡易的な談話室があった。
ならば、リビングは左だと再確認してしまう。
当初は、だだっ広い部屋だと思っていたが、実はリビングなのだとリヴァチェスターから帰ってきて気が付いたのだ。
因みに、リビングを超えると廊下を挟んで二部屋ずつあり、ホロウとテリアの自室として使用されている。
そして、正面にある二部屋はカレンとラミの二人が自室として選択した。
二階と三階の部屋の方が大きいけれど、二人は頑として譲らなかった。
まあ、確かに広すぎても気は休まらない。
却って疲弊するだけだ。
閑話休題。
「……、戻ったか」
リビングの扉を開けると、十数人が一堂に会せる長机に椅子が目に入り、更に奥には四人掛けのソファがコの字型に並んでいる。
ソファの中心にはローテーブルがあり、どちらでも食事ができるように先人が揃えたのだろう。
声の主はソファで豪快に肉を食んでいる。
ローテーブルには肉料理のみならず、サラダに始まり、ブレッドやサンドウィッチ等、数多の料理が並んでいたであろう。
うん、過去形だ。
恐らくボクがラインに御呼ばれしている最中に粗方完食されたのだろう、ローテーブルにはこじんまりとした残り物が並んでいる。
「実に美味だぞ。カレンとラミの手料理だ」
「へぇ、凄いな。全員分の料理を?」
「吾たちの不在を利用してレパートリーを増やしたらしい。他にも、洗濯、掃除、メイドの仕事は一通りこなせるようだな」
「まさか、シャルロッタが?」
「ご名答。つまらんな、貴様」
それは今に始まった訳じゃあるまい、とばかりに抗議の視線を向けつつ、ホロウの対面へと腰を下ろす。
眼前の串焼きを手に取り、肉を口に運ぶ。
すると、冷めているにも関わらず肉汁が溢れ、スパイスの効いた旨みが口中に広がる。
「驚いたろう? 癖になる味だ」
「ああ、毎日食べても飽きないだろう」
「これも食べてみろ、見た目はただのローストビーフだが、初体験の風味だったぞ」
「それは楽しみだ」
まるで自分のことのように誇らしげに勧めてくれるホロウ。
よほど気に入ったのか、彼女も一枚口へと運んでいた。
それにしても、エディンとは打って変わって警戒心がないな。
黒のショートパンツにタイツ、ショートブーツ、半袖の黒いシャツ。
【権能】でダガーは影に内包しているのだろうが、少しばかり心配になる。
とはいえ、翻って、彼女がボクたちには警戒せずともよいと思っているのかな。
だとたら嬉しい限りだ。
信頼されている証左だろうから。
「それとして、皆は──?」
「アナスタシアとマルタは酔い醒ましに裏庭へ。アヤメは悪酔いして部屋に戻った。カレンとラミは仕事だ」
祝賀会という性質上、仕方ないとはいえ酒類を出したのか。
成人女性二人組は理解できるが、アヤメはアルコールに弱いのか。
彼女個人なのか、“魔族”全体に当てはまるか不明である以上、彼女に飲酒は勧めない方がいいだろう。
「テリアは……?」
「そこにいるだろ」
「……? お、おぉ…………」
ふっと視線で示す先にはぐでんと、白く傷一つない綺麗な腹部を見せて仰向けで眠っているテリアがいた。
四人掛けのソファを贅沢に一人で使って安眠している。
まるで年頃の少女に似つかわしくない格好だが、微かにアルコールの匂いがするため、彼女も悪酔いしたのだろう。
案の定、ボクの反応を見てホロウがやれやれと言わんばかりに説明してくれた。
「アナスタシアの器と間違えたんだ」
「成程、事故か」
「ああ。アヤメの醜態……基い、様子を見て進んで飲もうとは思わないな」
「深く追求しない方がいいかな?」
「ああ、そうしろ。珍しく英断じゃないか」
「普段から愚断だと言われている気がするけど……」
「そう言った。偉いじゃないか、言葉の裏を察して」
「裏ではないね、表立って批判したじゃないか」
「そうだったか? 興味ないな」
なんて、他愛ない話を繰り返していると、テリアが苦し気に寝返りを打とうとして…………ゴツンッと音を立ててソファから落ちた。
当の本人は意に介さず眠っているが。
「世話の焼ける。部屋まで運んでくる」
そういって、渋々ながらもテリアを背負い、立ち上がるホロウ。
見かけによらず彼女は力がある。
重そうな素振り一つ見せない足取りで、ついでに足音すらなくリビングから退出していく。
しんと一人になったリビングではふっと思索へ耽ってしまう。
次なる一手を如何に効率的に、合理的に打つのか。
はたまた、ボクたちの行く手を阻む存在は現れるのか否か。
不穏な警告を発した【運命識士】の真意とは何なのか。
取り留めのない雑念は湧いては消えて、消沈しては浮上する。
さしずめ景気の様だと、本当にくだらない思考をして。
これも、一つの結果なのだと息を吐く。
数多ある“未来”を視て、自然と手に入れた“未来”だ。
今はただ、平穏を受け入れようと。
一時の安寧をスパイスの利いた料理と共に咀嚼した。




