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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
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32. 神秘と情熱、あまりある希望

 その日、エディンの冒険者ギルドは衝撃に包まれた。

 長らく“金”級冒険者としてエディン、リヴァチェスター領の依頼をそつなくこなしていた新緑の双剣が、たった一人のメンバーを残して壊滅したのだ。

 依頼内容は海遊巨獣(アルク・バレーヌ)の討伐。

 成功の暁には“白金”級への昇格をも期待されていた面々。

 確かに五人のパーティでは難しいかもしれないが、世評を覆し得る実力を誇っていたのが彼らだ。

 まさか軽装の二人組とかいう足手纏いがいても…………今回も帰還するものだと。

 しかし、冒険者やギルド職員の予想は最悪の形で裏切られることとなる。


 そう、新緑の双剣は依頼に失敗したのだ。

 生き残りは斥候にすらならない索敵役の少女一人で、それも半ば黙認されたサンドバッグだった。

 もののついでで同行した女神と愉快な仲間たち、二人は五体満足で帰還したのだから、まあ疑念の念が深まるのは必然だ。

 それに、両冒険者パーティの邂逅を見届けた冒険者ならば既知だが、互いの関係は険悪なものだった。

 エディン屈指の実力者たる新緑の双剣へ文句を言える者は、“金”級冒険者の少ないリヴァチェスター領ではごくわずか。

 例え、いたとしてもだ。

 “金”級や“白金”級冒険者は実力の劣る者を大なり小なり無能として蔑み、士気を高めるパーティの方が多数だ。

 故に、今まで小汚いフードを被った少女を助けようなんて思う冒険者は皆無だった。

 それを、あまつさえ正面から不平を口にして。

 合同依頼の後に、帰還したのだから。

 邪推ではなかろうが、多少の疑念は生まれるだろう。


 曰く、「ふざけた二人組が少女を慮って新緑の双剣たちを背後から刺したのではないか」と。


 冒険者のみならず、職員もまた猜疑心を隠そうともせず──証拠として回収した海遊巨獣(アルク・バレーヌ)の審査を厳重にしていた──敵意を向けてくる者もいた。

 だが、二人組とはいえ“金”級冒険者たるボクたちに面と向かって直接喧嘩を売るような真似は誰もしなかった。

 そう、アヤメがボクたちのパーティに加入すると口にするまでは。


「おいおい、あんちゃん。そいつは横暴じゃねえか?」


 なんて。

 けんか腰に凄まれてしまっては何故と口にしたくもなるだろう。

 どうやらアヤメの索敵能力は有用だとして虎視眈々と狙っていたパーティが多いらしい。

 まあ、わからなくもないな。

 海遊巨獣(アルク・バレーヌ)を使役していた魔獣を見つけた時に痛感したさ。

 アヤメは優秀だと。

 しかして、他の誰でもなく彼女当人が拒絶して、女神と愉快な仲間たちへ加入する意思を示してしまえば認めざるを得ない。


 そこで、だ。

 先の不信感が実を結ぶのだ。

 現実味はないけれど、突拍子がないわけでもない。

 詰まる所、まるでボクたちを討伐するかのように冒険者たちが殺気と共に武具を抜き放ったのだ。

 命さえあればそれで十分と言わんばかりにアヤメにさえ刃を向ける。

 敵対する冒険者は三十人もくだらない。

 索敵の有効性を知る“銀”級冒険者が多数だが、中には歴戦の“銅”級も混じっている。

 そういえば、面倒で厄介な状況に陥るのは冒険者絡みだな、と。

 一人ドーリアと出会った時を思い出す。


「わかったかなぁ~? アヤメちゃんはあたしたちの仲間なの~。つっかかるのはやめてよねぇ」


 死屍累々。

 受付のお姉さんなんて過呼吸に陥るほどには一方的で凄惨な光景だった。

 完全武装の冒険者を一発の拳でノックダウンする華奢な少女。

 的確に急所を抉り、最小限の動きで最大のダメージを与える。

 まさか徒手格闘で敗北するなんて想像もしなかったのか、職員も止める暇すらなかった。


 青筋をたてたテリアの鬱憤は晴れたようだ。


 誰一人、アヤメへの暴行を止めなかった。

 だのに有用性だけで使い潰すような彼らの言動は腹に据えかねる。

 ボクもまた同じ気持ちだが、彼女のそれは怒髪天を衝く。

 冒険者という性質上、暴力をもって分からされてしまえば否応なく現実を受け入れるしかない。


「じゃあ、お姉さ~ん。アヤメちゃんの登録と~、報酬。おねがいするわねぇ~」


 当人は友好的に微笑んだつもりだろうが、筋骨隆々の冒険者をなぎ倒した後では話が変わってくる。

 にたりとした笑みには凄みがあり、見ようによっては殺戮者の悦楽にも思える。

 とどのつまり、受付嬢はかくかくと戦慄と共に頷くしかなかったのだ。


「これが事の顛末さ」


「ちょっと待ってくれ。理解に時間がかかる」


 パチッ! と暖炉から一際大きな破裂音がした。

 寸分違わず伝えたつもりだったが、反応は芳しくないな。

 目の前では頭を抱えて苦心するホロウと、仏が如き微笑を浮かべて無言を貫くアナスタシアの姿が。


 二日かけて行った依頼を終えて冒険者ギルドでのひと悶着を解決したボクたちは真っ先に屋敷へと帰還した。

 当然、アナスタシアの会合、その結果が気がかりでね。

 とはいえ、二人で依頼へ向かったはずが一人増員して戻ったのだから疑問にも思うだろう。

 先ずはボクたちが報告すべきだろうと、口火を切ったのだ。


「整理しよう、ロムルス。貴様らは依頼を受けて、帰ってきた」


「その通り。報酬の三金エールは受け取ったよ」


「待て。今はいいから袋をそこに置け。吾が聞きたいのは…………何がどうして小娘を拾うこととなったかだ」


「ひ……っ!」


 ぎろりと射殺すような琥珀色の瞳。

 その視線の先にはオオカミ耳をピクピクと動かしたアヤメの姿が。

 見慣れたフードは取っている。

 理由は聞いていない。

 簡単に踏み入っていい領域とも思えない。

 ともかく、ボクたちを信用している──今はその理解で構わないだろうさ。


「威嚇は止めたまえ、ホロウ。君の眼光はただでさえ鋭いんだから」


「…………脅すつもりはなかった。済まない」


 おや、随分としおらしいな。

 けれど、その理由は直ぐに分かった。

 テリアがアヤメを守るように両の腕で抱いているからだ。

 可哀想に…………抜き身の刃のような視線に射抜かれて、アヤメは震えていた。

 オオカミ耳がへたりと伏せられ、テリアに抱かれる姿は庇護欲を搔き立てられる。

 その効力はホロウに非を認めさせるのだから、天性のものだろう。


「アヤメといったわね」


「は、はい…………っ!」


 凛とした声色が混着していた空気を一新した。

 無言を貫いていたアナスタシアの視線がアヤメを捉える。

 ただそれだけで、この場の全員の視線と意識を収束させるのだから彼女の才覚には感服する。


「気を悪くしたのならごめんなさい。彼女に悪気はないの」


「い、いぃえいえ……っ! だっ、だいじょうびゅ、でしゅ……っ!」


 盛大に噛んでいる。

 頬を朱に染めてたじたじになっているアヤメの気持ちは手に取るようにわかるさ。

 ただでさえ美人なアナスタシアは暖炉の火に照らされ、一層艶めかしい。

 同性であれ、見惚れてしまうのだろう。


「まずはお礼を。ありがとう、二人に手を貸してくれて」


「……っ! ゃ、こ……っなたの方こそ……っ!」


「話を聞く限り貴女の尽力があったから討伐できた。紛れもなく貴女の功績よ、アヤメ。例え貴女自身の命を救う行動だとしても、同じよ」


 言葉を切ったアナスタシアは唇を濡らすように紅茶を口にする。

 その仕草は優雅で艶美。

 光に照らされた陶器のような腕も、こくりと小さく動く喉元も、ぺろりと唇を舐める舌も。

 言いようのない背徳感と逃れようのない婀娜やかさを覚えさせる。

 言葉を交わす相手どころか、見る者全てを彼女の色に染め上げるような存在感。

 正しく、『女神』と見紛う様相だ。


 そして、初めて彼女と出会った者であればあるほどに、彼女の魅力とカリスマ性に惹きこまれるものだ。


 耳当たりのいい声色に、造形のいい顔立ち、高尚な芸術品のような微笑。

 まるで聞き惚れるように、アヤメはアナスタシアの次の言葉を待っている。


「わたくしは貴女を歓迎します。アヤメ、これからよろしくお願いしますわ」


「……、っ! は、はい……! 此方こそ、お願いします…………!」


 固く交わされる握手を前に、ボクは人知れずほっと胸をなでおろした。

 まさか、二人がアヤメを拒絶するとは思えなかったが、それでも今回の勧誘はボクたちの独断だ。

 アナスタシアが大変な会談に赴いている最中、能天気に冒険者をしていた反感を買わないかと。

 二人はそんな狭量な人ではないとわかっていても…………緊張するものはする。


「そうだわ、ロムルス。契約は無事に締結できました。一度アウグリュニーへ戻り報告しましょう」


 ……。

 …………。

 ……………………何だって?


「ふん、貴様のその顔、溜飲が下がる。永劫残しておきたい間抜け面だな」


 どうやら、今度はこちらが理解までに時間を要するらしい。

 いま、アナスタシアは何と言った? 交渉は成功したのか? 一体どうやって? 取り付く島もないというのが当初の印象ではなかったか?

 ボクの混乱を他所に、アナスタシアは言葉を紡ぐ。


「【権能】を使って確認しなかったのですね。律儀なことです」


「…………最低限の礼節さ。君を疑いたくはない」


「それを律儀というのですよ」


 くすりと微笑んだ横顔は魅力的だ。

 悪戯っ子がとびきりの遊戯を成功させた時のような。

 まるで純朴な子どもが心の赴くままに笑顔を浮かべているみたいな。


 再びボクは言葉を失ってしまった。

 狐につままれたが如く、全身が硬直している。

 己の身体が理性による操作を受け付けない感覚だ。

 眼前でテリアがアナスタシアへ抱き着いている様子を茫然と眺めながら、ボクはただ衝撃に打ちひしがれていた。


 驚愕? いや、歓喜だ。

 仔細はこの際、わきに追いやろう。

 今はただ、開かれた活路を祝おう。






 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






「わたくしは貴女を歓迎します。アヤメ、これからよろしくお願いしますわ」


 その言葉がどれだけ此方にとって大きいものだと初めは分からなかった。

 けれど、時間が経つにつれて実感が湧いた。

 長テーブルの上には所狭しと料理が並べられ、一目で高価と分かるお酒が何本もあって。

 身も心も暖かくなる空間に、此方の居場所があるのだから。


 ──祝・歓迎会兼契約締結


 と、銘打たれたパーティーの最中、此方は四人が冒険者ではなく商人と護衛だと打ち明けられた。

 それも、ただの商人ではなくて、フォルド領の領主様が直々に依頼をする凄い人たちだ。

 さらさらな金髪に抜群のスタイルの持ち主であるアナスタシアさんが商会代表として、リヴァチェスター領の領主様に商談を持ちかけたのが事の発端と。

 詳しく説明してもらったけど、此方じゃ半分も理解できなかった。

 とにかく、アナスタシアさんが商談を成功させて、それのお祝いをするらしい。

 そんな大切なお祝いの席に此方がいてもいいものか疑問だったけど、他でもないアナスタシアさんが「この子何を言っているのかしらん?」て言いたそうな顔で固まったから…………中座するなんて言えなかった。

 あの人は、心の底から此方を歓迎してくれていると、オトが教えてくれたから。

 それに、あれ以上アナスタシアさんに悲しい顔をさせたくない。

 だってアナスタシアさんとっても美人なんだもん。


 因みに、ロムルスさんは別人かと思うくらいに喜んでいた。

 何事にも動じないクールな人っていう印象だったけど、感受性が豊かなのかな。

 ロムルスさんは暇つぶしと資金調達のために一時的に冒険者として依頼を受けたと言っていたけれど…………遊び半分であの難易度を成功させるのだから。

 まだまだ本気じゃないんだろう。

 それはそれとして、ロムルスさんはどこに行ったんだろう? 歓喜鼓舞を体現したような狂気すら感じられたあの人が、まさか祝賀会の場に姿を見せないなんて。


「おい、アヤメ。呆けている暇はないぞ。ここは戦場だ」


 ぴしゃりと背筋が自然と伸びるような冷たい声が、頓珍漢なことを言っている。


「……ぇ、だってご飯を…………?」


「ただの晩御飯じゃないのよ~。五人で限られたお料理を均等に分ける…………なんて夢物語なの~」


「貴様の好みは貴様で確保しろ。誰も面倒はみない」


 それっきり、銀髪に琥珀色の瞳をした可愛らしい少女、ホロウさんは食器を構えた。

 様になっているその姿は歴戦の猛者を彷彿とさせる。

 何を大袈裟な……と思うけど、みんなのオトを聴いていると強ち噓でもないようで。

 テリアさんからは金色の箱で聴いた鼓動が、心臓が早鐘を打っている。

 チリチリと真っ赤な雷を隠していないのはホロウさんで、華奢な身体からは想像もできない程に巨大な()を内包している。

 正直ちょっと怖い。


 それにしても、デコボコな人たちだと心底疑問に思う。


 怜悧で聡明なアナスタシアさんに、子どもなのに洗練されたホロウさん、“龍人”のテリアさん、そしてオトのないロムルスさん。

 自慢じゃないけれど、此方はずっとこの()だけを頼りに生き残ってきた。

 危険を察知するだけじゃない。

 相手の危険度であったり、強さであったりと、オトを指標に聴く。

 時には平伏したり、強気に出てみたり。

 立ち回りだけが上手くなる中で、ロムルスさんたちがどれだけ異質なのか痛いほど理解できた。


 そもそも四人のオトは格が違う。

 まるで脊椎を鈍器で殴られたような、重く存在感を知らしめすような。

 新緑の双剣や、今までたくさんの冒険者と旅をしてきて聴いたことのない強大なオトが三つもある。

 中でもホロウさんのオトは別格だ。

 テリアさんだって“白金”級冒険者を軽く凌駕するオトなのに。

 もしかして、ホロウさんは“黒鉄”級に匹敵するんじゃないかな。

 研いで、磨いて、すらりと抜き放たれた名剣が如き威圧感と息の詰まる圧迫感を体現している。


 ホロウさんだけじゃない。

 アナスタシアさんも、テリアさんも、聴いたことのない異次元のオトをしている。


 ぁ、だめだ。

 考えちゃ、ダメなんだ。

 これは──


「…………、アヤメ。どうかしたのか」


「ぴっ…………!?」


「顔色が優れないな。少し休むといい」


 いつの間にか背後に移動していたホロウさんは、此方を気遣ってくれる。

 …………というか本当にいつ移動したんだ? 今の今まで最前線で闘っていたというのに。

 考えるだけ無駄かもしれない。

 所詮、此方は人より耳がいいだけで。

 何も、できやしないのに。


「ギルドでも大変だったものねぇ~。ちょっと横になって落ち着いたら大丈夫だよぉ」


「ええ、そうね。案内するわ。立てるかしら?」


 ちくりと()()が刺さった。

 いや、誤魔化すのは辞めよう。

 後ろめたいんだ、此方は。

 こんなにも凄くて、俊才の頂点みたいな人たちの足を、きっと此方は引っ張ってしまう。

 今までは必死に食らいついてきた。

 此方は全霊で、使役されてきたから。

 でも、この人たちは決して此方を使おうとはしないだろう。

 だから、此方は此方一人の力で貢献しなくちゃいけない。


 できる訳が、ない。

 凄い人に囲まれたからって、此方も凄くなれるなんて増長はしない。

 此方の愚鈍さは此方が誰よりも理解している。

 皆さんとの差は天と地に等しい隔たりがあって、此方には追い付けなくて。


 だから、此方は。

 身を引かなくちゃならなくて。


「…………ごめ、んなさい。此方は、相応しくない、です」


 しんと、オトが消えうせた。

 何がとも、どうしてとも、言葉が足りていない。

 言葉を紡ぐにつれて消え入りそうになって、続かないのだ。

 耳が痛い静謐は、まるで此方を責めているようだ。

 目が合わせられない。

 アナスタシアさんの碧い目を、二人の琥珀色の目を、見れない。


 これで、いいんだ。

 皆さんが優しいのは身に染みて理解できる。

 だから、此方が口火を切る必要があった。

 こんな役立たずを拾ってくれる人たちに迷惑はかけたくないから。


「そう、それがアヤメの本音なのね」


「……っ、!」


 びっくりするほど、柔らかい声色で思わず顔をあげてしまった。

 そんな自分を叱りつける前に、温良なアナスタシアさんの微笑が飛び込んできて。

 言葉が出なかった。

 どうして、どうして…………? 恩知らずで不義理な此方に、どうして優しくできるの? なんて取り留めのない言葉はすぐに雲散霧消した。


「貴女には貴女だけの取り柄があるなんて…………気休めなら幾らでも取り繕えるわ。それに、わたくしは無理に引き留める気もない。貴女が決断したことなら、それを捻じ曲げる権利は誰にもないもの」


 そこでふっと言葉を切ったアナスタシアさんは、丁寧で優雅な立ち姿を崩して此方の立ち尽くす眼前へと歩みを進めた。


「けれど、もし貴女がわたくしたちの()()()()()()()と考えてのことなら、わたくしは許さないわ」


「…………っ、! ど、うして……っ?」


「それは図星を突かれたことに対して? それとも、貴女を自由にしないわたくしに対してかしら?」


「そっ、れは…………!」


 息が詰まった。

 見透かされたからとか、射すくめられたとか、そんな簡単じゃない。

 ただ、見惚れてしまった。

 澄み切ったアナスタシアさんの瞳に、凛と反響する鋭い声色に。

 辛うじて紡げた言葉もありふれた反駁にとどまってしまう。


「あまり思い上がらないことね、アヤメ」


「……っ」


「わたくしはアナスタシア=メアリよ。貴女一人が何をしようと、揺るぐことはない。だから、思う存分、迷惑をかけなさい」


 噓じゃない。

 噓のオトは飽きるほど聴いてきた。

 取り繕うでもなく、突き放すでもない。

 一から十まで本心で。

 アナスタシアさんは何の衒いもなく、本音を口にした。


 うじうじと悩んで、俯くしかない此方では決して口にできないような絶対的な自負をアナスタシアさんは持っている。

 なんて、格好いいのだろうか。


「ねえ、アヤメちゃん。覚えてる~? あたしは、アヤメちゃんだからお友だちになろうって言ったんだよぉ? それは~、アナスタシアちゃんも、ホロウちゃんだって一緒なんだよぉ~」


 ああ、眩しいな。

 此方の浅はかさはいっそ滑稽だ。

 あんなにも優しいオトの皆さんが、此方を役立たずだと責める訳もないと──分かっていたはずなのに。

 確固たる決意で口にしたのに、此方はもう翻意しそうになっている。


 もし、此方が願いを口にできるなら、きっと今だ。


 もはや、言葉にすらならず、ただ嗚咽と共に首を縦に振るしかない。

 ふと気が付くと暖かな抱擁が此方を包んでいた。

 とくんとくんと脈打つ鼓動と、アナスタシアさんのオトに包まれて。

 此方は子どものようにわんわんと声を張って泣き喚くしかなかった。

 此方は今日を忘れないだろう。

 此方は初めて、アヤメを必要とされたのだから。






 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 流石はアナスタシアだ。

 見事に己を卑下していたアヤメを繋ぎ止めた。

 それも偏に、彼女自身の人柄が成せる業だろう。


 壁を一枚隔てた隣室で、ボクはパタリと【運命識士(リード・スペクター)】を閉じる。


 先の依頼を経てボクの【権能】は不調をきたした。

 ただ警告を発するのみで、“未来”を閲覧することができなかった。

 しかし、いま、()()だった。

 勿論、十全に機能するか否かは疑問の余地が残っていたけれど。

 ボクの不安を他所に、【運命識士(リード・スペクター)】は数多ある“未来”の肢々を提示した。


「ただの富豪ではないと思っていたが…………そうか、君は──」


 マルタ=ノヴゴロド。

 咲き乱れる花々を想起させる女性。

 エディン第二孤児院の資金的援助者と名乗り、ボクもまた深く詮索することはなかった。

 けれど、彼女は代々リヴァチェスター領を統治する領主の家系に名を連ねる者であった。


 ホロウ曰く、間違いなく同一人物だといういう。

運命識士(リードスペクター)】もまた、彼女の推測を確定づけるものだと論ずる。


 そして、ボクが全幅の信頼を置く【権能】はより精密に、緻密な“未来”を羅列する。

 それは起こりうる“未来”で、予防策を講じるにはあまりにも遅すぎた。


 けれど、対応はできる。


 アヤメが手を貸してくれるのであれば、より簡潔に、確実に対処の使用がある。

運命識士(あいぼう)】よ。

 君は彼女の何を気に入らなかったのか、ボクには分からない。

 君にだけ視えている景色があるのかもしれない。

 けれどね、視てみたまえ。この“未来”を。

 彼女がいたから、堅実で有効的な一手が打てる。

 それに……アヤメの存在は皆にとって、いい刺激になるとは思わないかい?


 まあ、だんまりでも構わない。

 いずれ、再び君と対話できることを期待しているよ。


 さて、君の提示してくれた“未来”の話をしよう。


 マルタには感謝をしている。

 アナスタシアの理想を手掛ける上で必要不可欠な協力を惜しまず、一介の商人へと信頼の一端を見せたのだ。

 故に、これは恩返しであり、同時に信頼の裏返しでもある。


 さあ、始めよう。


 ボクたちだけの、饗宴を。

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