6. 利害の一致
とっくのとうに日は暮れて、蝋燭とランプによって照明を確保している一室では揃いも揃って眉根を寄せる三人がいた。
痛々しい包帯を全身に巻いた外套姿の少女に、漆黒のドレスに身を包んだ金髪の女性、そして、白髪に赤の滲む申し訳程度の武装をしただけの青年。
誰もが並々ならぬ眼光を携え、雰囲気のみで人を卒倒させられる威圧感があった。
「話が脱線した。貴様らの事情を信じるかは置いておいて、吾の結論だけ伝えよう」
鋭い眼光に、温度を感じさせない声色。
光を反射する銀髪は短く切り揃えられており、一見しただけでは少年と区別がつかない。
しかし、年頃の身体には着実に成長期が訪れているため、外套に隠した肉体を覗き見るだけで少女なのだとは察し得る。
「吾は、協力する。あくまでも、ドルから逃亡してその先の安全が確実視されるまでだが」
「いいや、それで構わない。アナスタシアも、相違はないかい?」
「……ええ。仔細を詰める必要はありますが、大筋に不平はありません」
思案するように陶磁器のような肌の顎先へと片手を動かすアナスタシア。
十人に聞けば十人が美しいと答えるであろう、彼女は如何なる感情を表に出しても損なわれることのない絶対的な美を携えている。
悠然で気品があり、仕草一つ一つに人を惹きつけてやまない魅力がある。
それは、行方不明となり早々に死亡宣告を告げられた敬愛する姉という、言ってしまえば贔屓目の色眼鏡で捉える己でなくとも感じられるであろう。
本来ならば敵対してもおかしくないホロウが、胡散臭い微笑と善人面の己を信頼しないにも関わらず、アナスタシアには邪険に扱わない態度からもよくわかる。
ああ、何もホロウに信頼されなかったことに腹を立てたわけではない。
錯誤があったとはいえ、ホロウの肉を削ぎ、プライドを傷つけた事実は消えないのだから。
因みに、ホロウの背景や奇妙な縁については事前に【運命織士】で閲覧した。
なんとも使い勝手の良い【権能】であるが、生憎と“感情”や“魂”に関しての情報は開示できないらしく、ホロウの内心については未知に等しい。
そのために、どうにか対話を用いて彼女の人格、その一端でも掴みたい。
「ボクたちも厄介な事情を抱えてはいるが、キミも同じだろう。よければ話してはくれないだろうか」
「………………貴様は、随分と性格が悪いのだな」
「……? そうかい? 情報の擦り合わせは当然じゃないか」
「常道だな。だが、それは【権能】が絡まない場合だ。今回は、貴様の【権能】が吾の事情を丸裸にしている」
「成程。【権能】の情報と少しでも違えば虚偽として、すぐにでも処分すると」
「やりかねませんね。流石は『影幽』、あの悪人の企みを看破してしまうとは」
「アナスタシア、それを言ってしまえばまるで企てていたように聞こえるんだが」
「やはり、貴様は信用ならんな。まあ、いい。【権能】を明かした貴様の腹は不可解だが、それに対する謝礼を欠くのでは吾のプライドが許さない」
【権能】開示に対する謝礼。
この世界では【権能】の立ち位置は最上にあるらしい。
だが、それも頷ける。
【権能】とは看破されない絶対の権利であって、最後の頼みの綱。
それを証明する真意は信頼であり、最大級の誠意だ。
とはいえ、【運命織士】は相手の【権能】すら解するのだから破格の性能と言えるだろう。
……いいや、この思考は悪だ。
己の能力に胡座をかき転落する為政者や、実力者は枚挙にいとまがない。
相手も同様の能力を保有すると想定しておく程度が丁度良い。
なにせ、これより先の行動は過つことのできない“未来”への布石なのだから。
【運命織士】は全知を司る。
基本的には己の知りたいと望んだ情報の開示に留まり、如何なる危難が差し迫ったところで【運命織士】が一人でに開帳して知らせてくれるわけではない。
だが、唯一の例外があったのだ。
アナスタシアのために、彼女の理想への協力を誓って【権能】を発現させた時──本能が自分を殺した日に、濁流が如く侵蝕した情報。
決してあってはならない“未来”をまざまざと見せつけられて。
初めて“恐怖”を感じた。
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ホロウ=クルヌは世界最強の暗殺者である。
暗殺者の定義にもよるが、依頼を受託して痕跡を残さずに報酬を受け取る、凡そ万人が思い浮かべる職種だとするのならば前言に相違はない。
“黒鉄”級冒険者である『不魔魂』直率の一大結社や、一級傭兵の盗賊のような暗殺者紛いの連中も存在するが……それらは本来の暗殺者の定義からは逸れるために除外しよう。
幾多もの依頼を達成する道程で、様々な苦難を乗り越えて来たホロウには数え切れない逸話が実しやかに囁かれている。
曰く、「百にものぼる追手を撒いた」
曰く、「裏家業を専業とする暗殺者ギルドが建設されたが、ホロウがいたために商売が回らず潰された」
曰く、「とある事情から皇太子の暗殺に成功した」
人の角に噂は絶えないとは往々にして言われるが、彼女の場合はあからさまに偽造だと伺える眉唾な逸話や、ともすると都市伝説とすら捉えられかねない。
けれども、仮定の話にはなるが、もし逸話の数々が現実のものだとするのならば……ホロウ=クルヌは一個人で帝国内においても無類の力を持つということになる。
「吾はアナスタシア殿の暗殺を請け負って……業腹だが失敗はした。けれど、吾はその時点で依頼人とは手を切った」
「それは、どうしてですか? 貴女なら、逃げたわたくしを捕まえるなんて造作もないことでしょう?」
「ああ。伊達に暗殺業を続けてきてはないからな。だが……貴女の【権能】が不明瞭な上で、利権に目を眩ませた依頼人の不誠実に嫌気がさしたんだ」
「……ハギンズですね。彼にしては珍しく悪手を打つものです」
途切れた会話の中で、ホロウとアナスタシアの思い描く人物は同じであろう。
己もまたアナスタシアより事前に話を聞き、【運命織士】によって概要に留まらず一切の情報を閲覧した。
狡猾で慎重、けれども臆病とまではいかない精神性。
詰まるとこと、ハギンズとやらはグラード商会の娘が立ち上げた商会の全権を得ることが目的として、元来より決意していた彼の理想とすげ変わった。
典型的な愚昧だ。
と、一概に切り捨てられない事実が鬱陶しい。
「奴はアナスタシア殿を確実に亡き者にしようと画策している。吾を第一陣として、そこの『悪人』と勘違いした素人が第二陣。そして、事情を知る全ての者を一掃するための第三陣」
「ホロウがボロ雑巾のように損耗させられた一端か」
「ああ、その通りだ。敵は都市代表と結託した商会の新代表だけでない。元“黒鉄”級冒険者、現役の二級傭兵でありディシェリ傭兵団の団長、ロバート=クライブだ」
三段階に構成された襲撃の周到さは、アナスタシアを裏切ったハギンズとやらの狡猾さが伺える。
だが、現状の敵はハギンズではなく、最もわかりやすい武力を誇るロバートとやらだ。
この世界では冒険者と傭兵が競合しているが、その階級についても似通っている点が多い。
冒険者は“銅”級、“銀”級、“金”級、“白金”級、“黒鉄”級と五つに。
傭兵は四級、三級、二級、一級と四段階に。
あくまで両者は異なる職種であるがために、昇級や級毎のレベルは雲泥の差がある。
例えば、冒険者は新種の薬草や獣を発見した、討伐困難な超危険種の打倒に成功した、といった前人未踏の領域へと足を踏み入れた者が昇級する。
翻って、傭兵は行商人の護衛や要人の肉壁など、ボディーガードを請け負う者の規模を指す。
つまりは、個人で活動する冒険者と、団体を組織する傭兵、といった違いだ。
そして、此度合間見えるロバートはかつては個人で最高峰の冒険者となり、現在は二級の傭兵団を組織する才色兼備な人物なのだ。
とはいえ、二人は前提にすらならない情報に重きは置かず、選択可能な逃亡ルートについて話題が移行していた。
「城塞都市ドルから郊外へと通っている道は三つ。アデラ・ジェーン山脈へと通ずる正門。商業都市ジーニアへと繋がる街道、そして、ゴルゴニア平原へと向かうための畦道」
指折り数えるホロウがスラスラとドルから逃亡するためのルートを列挙していく。
流石は最高峰の暗殺者というべきか、有事を見越して逃亡ルートの構築は大前提というべきだろう。
前もって定めていた既定計画を改めて確認しているだけの作業程度の認識のはずだ。
「……道は、一つですね」
「ああ。正門と、ジーニアへの街道は論外だ」
「……? なぜダメなんだい?」
ホロウとアナスタシアの共通認識へと疑問を抱いてしまったがために、思わず口を突いて出てしまった。
すると、二人は視線を絡ませて「こいつは何を口走っているのんだ?」とでも言いたい表情へと変化して、そう、まるで一般常識に疎い箱入りお嬢様を見るような視線を向ける。
「ダメではない…………が、リスクが高すぎる。正門に敷かれた境界網を逃れたとしても、待っているのはアデラ・ジェーン山脈だ。アデラ山脈でしか見られない危険で獰猛、巨大な獣が巣食う“死の森”に好き好んで飛び込む奴はいない」
「ジーニアへの街道も同じです。というより、ジーニアはわたくしの父……基い、オルウェルが都市代表を務めているのですから、ハギンズが多少手を回すだけで全てが水泡に帰します」
「成程、理解した。ならば道は一つなはずだが……それでも君たちは釈然としていない」
「少し考えればわかるだろうが。心底人の平静をかき乱すのが好きらしい。ゴルゴニア平原は、帝国有数の“不死崩れ”の溜まり場だ。そんなところに逃げてみろ、昼も夜も関係ない襲撃に神経をすり減らして、まともな食事すら農植物の育たない土壌では不可能。悲惨の一言に尽きる」
言葉の端々から侮蔑を感じるが、生憎とこの世界の地理や背景には疎い。
けれど、考えようによっては城塞都市ドルとは、その名に恥じない要塞だ。
幾度となく生命の危機を感じた密林ですら表層に過ぎなかった、アデラ・ジェーン山脈へと至る正門。
アナスタシアの実父であるオルウェルの支配する商業都市へは、ハギンズの行動如何でどう転ぶか不明であって、ゴルゴニア平原へは戦力上の懸念があると。
一見すると突破口の片鱗すら感じさせない現状だが…………それでも不思議と諦念はない。
ホロウの武力と経験、アナスタシアの知略と覚悟があればどうとにでもなる。
そう思ってしまうのは驕りだろうか。
「逃亡ルートについては置いておこう。敵対者の大将格、ロバートとやらについて教えてはくれないかい?」
「…………吾も噂程度だ。まさか、敵対するとは思っても見なかった。いいや、そもそも生存すら予測していなかった」
「……? 生存、ですか?」
ホロウの言葉はアナスタシアでさえも初見の情報だったようで目を丸くして聞き返している。
だが、その言葉に秘められた驚愕は生死の齟齬ではなく、“黒鉄”級冒険者を相手に勝利できる者がいるのかと、勝利者の存在を嫌疑するものであった。
「貴様もか。はあ、いいだろう。ロバートは三年前に、当時“白金”級だった冒険者のドーリア=エトワールに喧嘩を売って返り討ちに遭った。その時に、命を取られたと噂されたんだ」
「へえ、そんなことが。いずれはそのドーリアとやらにも会うのかな」
「吾は御免だ。貴様が吾をどのように評価しているかは知らないが、“黒鉄”級冒険者相手では、吾など吹けば飛ぶような若輩に過ぎない。“黒鉄”に出会う機会があれば、脱兎の如き敗走をお勧めする」
やや卑屈気味に卑下するホロウであるが、かけられる言葉はない。
生憎と、この世界の常識に疎いばかりではなく、個人が国家軍事力並の力を保有する世界の価値基準など到底理解できない。
己にとってみれば、ホロウは十分強いと感じられる。
現に、会合中だというのに張り巡らした視線と警戒の網は鼠一匹たりとも逃さない気迫が感じられ、不足の事態……つまりは襲撃があっても即座に対応できるように、腕を組むふりをしながら懐のナイフに手を添えている。
まあ、その警戒の切先は己にも向いているのだろが。
「さて、情報の開示は済んだところで。改めて整理しよう。ボクたちの勝利条件は、ドルからの脱出」
「ええ、相違ありません」
「……ああ」
「そして、切り抜けるべき関門は二つ。ディシェリ傭兵団の錯乱と、ロバート=クライブの足止め」
「「……?」
おや、先のように闊達な返答が返ってくると思えば、二人揃って首を傾げている。
両者共に端麗な顔立ちだからか、シンクロした動きも相まって親子のように思える。
ジン──と胸に響く感覚に疑問を抱くが、些細な変化だと捉えておこう。
どうにも、自分と己の世代交代のおかげで人格がおかしな方向へと向かっているらしい。
「安心して欲しい。作戦はある。名付けて、“コンスタンティノープルの雪辱を晴らせ”なんてね」
「おい、『悪人』……! ふざけている場合ではない。吾は無謀な吶喊に命を賭ける気はないぞ」
身を乗り出して、肩を振るわせるホロウの怒りは頂点に達している。
さながら空気を送り過ぎた風船のようだ。
あと二言三言の失言で爆発してしまうであろう寸前まで不満を溜めたのだろう。
ああ、良かった。
思惑は思い通りに進んだ。
ホロウの怒りは真っ当で、至極当然のものだ。
実態の曖昧な会話、不必要な情報を開示させる言動、そして、意図の理解できない作戦の立案。
協力相手であるホロウを謀るのも心苦しかったが、切るべき手札の信頼性を計るには致し方のないことだ。
【運命織士】は正真正銘の【権能】で、使用制限はなく、如何なる情報であっても、如何なる時間軸であろうと開示が可能であると検証するための会合なのだから。
どうにも、この世界の人々は【権能】を特別視するきらいがある。
確かに【権能】は奥の手として機能するために、徒に使用する行動は控えるべきだろう。
だが、ホロウは、アナスタシアは、包囲されて次の瞬間には命のないような現状にあっても【権能】を用いた脱出方法だけは議論していない。
いいや、議論を避けていたというべきか。
物によるが……己の【権能】は驕りでもなく、万能に近しい機能を有している。
欠点と言えば、肉体強化に乏しい点だが。
それも、ホロウとアナスタシアの力を借りればどうとにでもカバーできる範囲だ。
「重ねて断言しよう。安心して欲しい。今から作戦の概要を話す。異議や、改良案、若しくは代替案があるのならば遠慮なく言って欲しい」
努めて不適な笑みを浮かべたつもりだった。
だが、二人の浮かべた表情は不安が強い。
どうやら、己は笑顔が不得手らしい。
ああ、そういえば、向こうの世界では…………自分は一度も笑ったことがなかったのだった。




