23. 程よい大罪の根源は君か
がやがやと喧騒の絶えない商店街。
行き交う人々は厚い防寒着に身を包み、マフラーに顔をうずめて足早に屋内へと避難している。
積雪こそないものの、周囲を雪景色で彩られたエディンの大通りは人口密度が高くとも身を刺す寒さだ。
「へぇ~、ホロウっていうんだ。じゃあ、ホロウお姉さんだね」
「あ、ああ。それ、それでいい……」
「ホロウさんはロムルスさんと仲良し?」
「い……、いいぞ。ああ、すっごく仲良しだ」
「じゃあ、僕といっしょだね。僕も姉さんと仲良しなんだ」
ホロウが純粋な質問攻めに困惑している。
常に鋭利な刃を彷彿とさせる彼女がたどたどしく応答する様は非常に稀有だ。
流石にホロウであれど、無垢な少年相手に毒舌を晒す訳にはいかないのだろう。
ひきつった笑顔を貼り付けて必死に言葉を紡いでいる。
思わず頬が緩んでしまう和やかな雰囲気だ。
「相変わらず嫌悪感満載の顔ですね。今度は年頃の女の子まで手をだしたんですか?」
「君も相変わらずの舌鋒だね」
「褒めても何もでませんよ」
「前向きな姿勢は素晴らしい。方向さえ、間違えなければだけれどね」
キッと鋭い眼光でボクを警戒する少女の名はティナ。
ホロウをもう一人の姉として認識しているエムス君の姉だ。
二人とはリヴァチェスター領を出立する前日に出会った姉弟で、偶然居合わせたボクが人攫いを撃退してエムス君に懐かれた縁がある。
彼とは正反対に、ティナには親の仇の如く敵視されているのだが。
そんなにボクの見た目は胡散臭いかな……?
「さて、ティナ。君たちはどうして工業区にいたのかな?」
「…………言いません」
「何か後ろ暗いことでも?」
「違います。隙を見つけたら野獣になるような男の人とは一言も喋らずに黙ってろと、教わってますので」
「本当に誰の教えだい? きっとその人悪い人だろう」
「シスターはいい人です。お酒と葉巻とギャンブルをこよなく愛するいい人です」
「自堕落人間にリーチがかかっているように思うけど」
「いえ、いい人です。ほんとに」
「根拠薄弱じゃないかな? いい人の他にシスターを褒めてみなよ。できないだろう?」
ついにそっぽを向いてしまった。
余程、ボクと会話をしたくないのか、それともシスターを盲信しているか。
どちらにせよ、これ以上ティナから情報は得られそうにない。
個人的な感情としてはこの姉弟を疑いたくはない。
ないが……二度の邂逅となると思わず警戒してしまう。
成り行きとはいえ、『武将』と喧嘩をしたのだ。
武勲か、狂信者か、はたまた埒外の詰問者か。
ボクと関わりのある二人を使って襲撃を企てている可能性だって、捨てきれやしない。
「エムス君。ハバリを買ってあげよう。代わりに君たちは何をしていたのか、教えてくれないかな?」
「やったっ! ロムルスさん大好きっ!」
バッと振り返ったエムス君はそのまま、ボクの下に駆け寄る。
そんな無防備な微笑みを見せては年端もいかない少年を愛でるお姉さんお兄さんに捕まりそうだ。
「お、おい。貴様、なんて悪辣なんだ」
「その眼は止めてくれ。程よく刺さる」
ボクだっていたいけな少年を騙すような行為に手を染めたくはない。
しかし、万全を期すためにも必要な過程なのだ。
だから極悪人を蔑むような瞳を止めてくれよ、ホロウ。
さて、露店は……と視線を周囲に投げた時点で人気のない一本道にいることに気が付いた。
大通りの喧騒はボクの背にあり、目撃者は皆無。
薄暗い一本道には逃げ場はなく、ボクが腕を広げると壁に手がついてしまう。
障害物や遮蔽物の少ない路地ではホロウの速度だって活かせない上に、ボクたちの近くには姉弟がいる。
無差別な範囲攻撃の前にボクたちの打てる手は限りなく少ない。
そう、まるで自然に、かくあるべきと誘導された。
ホロウはエムスに、ボクはティナに。
それぞれ異なる手法でボクたちの意識を逸らして、見事、衆人監査の元から連れ出した。
そして、案の定というべきか。
ぞくりッ! と強烈な殺気を背に感じた。
「その子から、離れなさいッ!」
一喝の後に鋭い一点が空を斬った音がする。
しかし、その細剣がボクの背を貫くことはなかった。
ガキンッ! と鉄と鉄の衝突する甲高い音と共に弾かれたからだ。
「お粗末な腕だな。吾に言わせると、あの程度の奇襲など素人以下だ」
瞬く間に……いや、そんなに遅くはないな。
音速を軽く凌駕する速度で踏み込んだホロウによって、側面から下方に勢いを削がれた細剣は貫通力に特化している性質上、襲撃者は蹈鞴を踏むこととなる。
その大きな隙を仕事人の風貌に切り替えたホロウが見過ごすはずもなく。
細剣を足蹴に武装解除をして、重心となる右足を軽く足払いで外し、地に伏せたと同時に首元へダガーをあてがう。
その間、僅か二秒余りの出来事で、襲撃者すら状況を把握できていない。
「……っ、今すぐ、その子たちから離れなさい」
即刻命を刈り取られる立場にあっても、彼女の威勢は変わらなかった。
睨め上げる眼光は殺意を多分に内包し、己の命よりもティナとエムスの心配をしている。
テリアよりも濃い桃色のミディアムに、花冠のような髪飾り、桜色のジャケットに韓紅色のパンツと統一感のある格好だ。
髪飾りがなくとも、花の妖精かと思わせるほどに可憐な女性だ。
「ティナ、この人は知り合いかい?」
「は、はい……っ! あの……っ!」
目にもとまらぬ速さで起った事態に理解が及ばなかったのだろう、ティナは舌足らずながらも伝えようとしてくれる。
垣間見るとエムスもまた、不安そうに視線をティナと彼女の間を交互に投げている。
これは……大きな誤解があるようだ。
「わかっているとも。ホロウ。大丈夫だ、ありがとう」
「ふん。貴様の礼などいらん。吾はすべきことをしただけだ」
ふっと重さを感じさせない身のこなしでダガーを納刀するホロウ。
彼女の技量と経験の成せた技には今回も救われた。
「さて、君とボクたちの間では幾許か齟齬があるようだ。認識をすり合わせたいと思うのだけれど、どうだろう?」
否応のない問いだとは思うけれど、致し方ない。
生憎と、首肯してもらう他に、選択肢はないのだから。
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リヴァチェスター領第二孤児院。
それがこの施設、いいや、この家の名前だ。
帝国全土で孤児院は点在しているが、リヴァチェスター領は最大規模らしい。
首都エディンだけで七つの孤児院があり、リヴァチェスター領全域で二十八にも上ると。
そして、ここ第二孤児院はエディンの大通り沿いに面しており、路地を少し裏に入るだけで辿り着く。
ティナとエムス姉弟は第二孤児の孤児であり、院自由奔放なエムスの世話を焼くのがティナの役割らしい。
それが、ボクとホロウの聞いた概要だ。
第二孤児院の外観は西洋の教会に近しい見た目をしていた。
中に入ると直ぐに礼拝堂があり、奥の扉を進むと子どもたちの居住空間になっているらしい。
ボクたちは上機嫌なエムスに連れられて孤児院の門を潜り、むすりとした襲撃者さんに応接間へと通された。
「改めて、先ほどは大変なご無礼を。わたしはマルタと申します」
「ああ、ご丁寧にどうも。ボクはオリバー=ロムルス。彼女はホロウ。かしこまる必要はないさ。妙に肩肘張るのは好きじゃない」
「そう……なら、お言葉に甘えて。崩しちゃおっかなあ」
「……、ロムルス。奴は厄介だぞ。吾はああやってわざと弱点を見せて男を籠絡してきた女を知っている」
「あざといってことかな? まあ、ボクも知らない訳じゃないよ」
マルタと名乗った襲撃者、基い、女性はふっと空気を軽くするように微笑んだ。
それだけで彼女の周囲に花が咲き誇るように錯覚するのだ。
加えて、桃色のジャケットを脱いだマルタは曲線美を見せつけるような白のニットを着ていたのだが、敢えて気崩す過程を見せつける。
年の程は十代後半か、はたまた二十代前半か。
どちらにせよ、今までに彼女の毒牙にかかった男はさぞ多いことだろう。
ボクの…………かつてのクラスメイトにもあざとさを武器に立ちまわっていた女子生徒がいた。
マルタを見てようやくわかった。
あれは、処世術だ。
「あれ? ロムルスさん、もしかして警戒してる?」
「警戒とまではいかないけれどね。ボクは君の名前しか知らない。何者か、教えてはくれないか?」
「第二孤児院の資金提供者であり、みんなのマルタお姉さんだよ」
「スポンサーか。合点がいったよ」
いつでも抜刀できるように脇に置いた細剣、宝冠のような髪飾り、質のいい素材で編まれた服。
潤沢な資金がある資産家であり、慈善事業としての活動であると。
虚偽ではないな。
さて、問題は彼女が如何ほどの資産家であるかという点だ。
現状、ボクはただのオリバー=ロムルスだ。
しかし、時と場所が異なれば『ラヴェンナ商会の技術者』オリバー=ロムルスとなる。
アナスタシアの計画の都合上、リヴァチェスター領の資産家を敵に回すことだけは避けたい。
今すぐにでも【権能】を行使すべきか。
【運命識士】を閲覧しさえすれば、マルタの素性や家族関係、取り巻く怨恨、遥か遠縁の因縁、その全てを交渉材料とできる。
だが。
しかし。
今は、必要ない。
もし、彼女が敵対するようならば、その時に。
然るべき処置をすればいい。
「ティナとエムス君は元気かい?」
「元気だよ。それにしても、ティナちゃんが渋い顔して、エムスくんがキラキラしてた人がロムルスさんだったなんて。凄い偶然だね」
「祝福すべきかい? それとも──」
「それとも、何をする気だ。下衆」
バタンッ! と応接間の扉を蹴破る勢いで……いや、壊れてるぞあれ。
なんの比喩でもなく木製の扉を蹴り壊した闖入者は、そのままずかずかと歩を進めてマルタの横にどかりと座った。
さらに、白いタイツに包まれた美脚をテーブルに投げ出した。
「知らない大人は唾棄しろと教えたはずなんだがな」
言葉を切って煙々と燻る葉巻を吹かし、煙を吐く樺色の長髪をした女性。
白と黒のオーソドックスな修道服に身を包んでいるが、短いスカート丈といい、はち切れそうな胸元といい。
清貧をモットーとするシスターにあるまじき姿だ。
痴女だ。
彼女は紛れもない痴女だ。
しかし、ボクにとっては彼女の容姿など些末なことだ。
このシスターは。
「君か。君だな。君は子どもたちの教育に良くない」
「……? ふ、ははははっ! そうか、そうか。良くないか。違いない!」
「……っ!? ちょっとシスター! あなたは否定してくれないと…………」
「あぁ? おい、マルタ。お前、あたしがシスターだと思うか?」
「いえ、けど…………」
「煮え切らないな。お前、あたしほどじゃないにしてもでかい乳もってるんだから自信もてよ」
「ち……っ!? む、胸は関係ない……っ!」
随分とガサツでデリカシーのない修道女だ。
赤面して抗議するマルタは一応、君の味方だろう? というか、資金援助者だろう? どうしてガハハと笑い飛ばせるんだ。
ホロウなんて余りの珍事に引いている。
彼女が距離を取るなんて滅多にない。
「さて、話を戻そうシスター」
「シスター・オルメカだ」
「失礼、シスター・オルメカ。母なる文明ならぬ、母なる敬虔なあなたに問おう。君は如何なる考えで子どもたちに教育を施しているのかな?」
「ん? この腐った世界を生きていくための術」
「それにしては、幾分過激な気もするが」
「過激だって? ここは孤児院だぜ? あいつらは十八になると同時に一労働者となる。ただでさえ孤児ってだけで不利なのに、冷遇される生まれの奴もいる。仕方ないとは思わないか?」
「道理だね。とはいえ、過激なだけで生き残れる世界というには疑問の余地が残る。むやみに敵を作るのは得策じゃない」
「ああ、その通りだな。つっても、あたしとしちゃ部外者の文句は聞きたくないんだが」
「それもそうだ。出過ぎた真似だったね」
弁論家と見紛う論拠だ。
彼女の言説には事実と合理が綯い交ぜとなっている。
ここは帝国で、権利が保障された国ではない。
だからこそ、ある程度の警戒が必要なのは理解できる。
だが、ティナのように誰彼構わず敵意をぶつけては、いずれ衝突を引き起こす。
それでは、本末転倒、元の木阿弥だろう。
とはいえ、彼女とボクの価値観や主張は平行線だ。
この場では矛を収めるのが正当だろう。
「なんだかなあ。気持ち悪いやつだな、お前。ロムルスつったけ?」
「…………気味が悪いのは貴様もだろう」
「お、なんだあ? やるのか、メスガキ。その貧相なカラダであたしに勝てると思ってるのか?」
「……………………そういうところだ、年増」
鋭いな。
普段からホロウの言葉は鋭利だが、オルメカに対しては一層酷い。
半ば呆れている彼女の様子から、わざわざ相手取る必要もないと判断したのだろう。
「おい、ロムルス。連れのメスガキは調教しとけよ。うざったいたらありゃしない」
「どうしてシスターは卑猥な言い方しかできないの? 天神教の司教でしょ?」
「元な。今は“カルカジェア派”に鞍替えしたから地位なんざない」
司教とは。
見かけによらず随分と上位のシスターだったのか。
ウェスタ・エール帝国における国教は『天神将軍』シャープールを絶対神とし、最後まで付き従った『海神』、『地神』、『雷神』を従神として祀っている。
それが、セルム学派だ。
しかして、西側領土では『女神』も従神として含めるカルカジェア学派が盛んだ。
前者では『女神』を邪悪の化身としているが、後者では『女神』を神聖の象徴と捉えている。
まあ、第二十一代皇帝であり宗教家であったセルム=リーガオル=ガレエスによって打ち立てられた理解であり、それ以前ではカルカジェア派が主流であったらしい。
そのために、皇帝の権威の及びづらい西側領土では未だに信仰が盛んだとか。
「そうだ、ロムルス。エムスのやつがハバリありがとうだってよ」
「……言伝を持ってきただけ。ではないのだろう?」
「察しがいい。が、あたしは何もお前さんに何も言うつもりはない」
「あくまで監視を念押ししにきたんだね」
「…………、きっもちわるいわ。お前。あたしが嫌いな奴だ」
素直は時として美徳だ。
つまるところ、オルメカは孤児院の子どもたちが大切なのだ。
ティナ曰く「酒と葉巻とギャンブルをこよなく愛する」の通りシスターとしては落第点だ。
しかし、いい人であることに変わりはない。
態度からは計り知れないが、彼女は人格者だ。
「シスター・オルメカ。君は信頼に値する」
「………………なんだ、藪から聖杖に。まあ、悪い気はしないが」
再び葉巻を燻らせ……ようとしてマルタに火を消されたオルメカは直ぐに渋面を作ってそそくさと退出した。
とはいえ、ボクたちも暇するべきであろう。
そろそろアナスタシアたちも帰る時刻だ。
予期せぬ邂逅に、不可思議な縁が生まれた一日だったが。
無駄に終わることはないだろう。
小さな孤児院ではあるが、確かに知り合いが増えた。
人と人との因果は時に比類なき武器となる。
ボクは既に知り得ているから。




