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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
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22. どうやら寒さにほんの少し耐性があるらしい

 心地いい寒さとは正にリヴァチェスター領の気候を指すのだろう。

 気温にして八度か九度ほどの積雪模様は風情を感じると共に、時折吹き荒ぶ吹雪に頬を冷やされる感覚は無類の解放感を得られる。

 見渡す限りの雪景色には感嘆の溜息を吐いてしましそうになるほど圧巻で、家々から上がる煙突の煙は生活の営みを教えてくれる。

 生命の息づく街であると、レンガ造りの街並みを見渡すと改めて戻ってきたのだと認識する。


 リヴァチェスター領首都エディン。

 ウェスタ・エール帝国西側領土北端に位置する帝国一の工業都市…………まあ、厳密には帝国内で唯一がゆえだが。


「さて、作戦会議を始めましょう」


 ことりと木製のテーブルに置かれたティーカップからは鼻孔を刺激する甘い香りが漂ってきた。

 ボクは今、談話室のソファーに座っている。

 パチパチと爆ぜる暖炉の火が、隣り合って三人掛けのソファーに座るホロウとテリアの様子が、そっと腰掛けるアナスタシアの仕草が。

 現実とは思えない夢見心地だ。

 ああ、別にボクの妄想という訳じゃないよ。

 赤い絨毯の敷かれたこの空間はリヴァチェスター領の厳しい寒さとは無縁のように思える。

 それというのも、当然か。

 なにせ、この屋敷はフォルド領領主の名に元に建設された別荘なのだから。

 まあ、商人の都市を牛耳る領主の目論見なのだから、所謂、大使館のような位置付けなのだろうけど。

 今回、ボクたちは一商人として赴いているが、その実、フォルド領専属の商売人だ。

 故に、わざわざエディンで拠点を探さずとも堂々と屋敷を利用すればいいという、アナスタシアの抗弁だ。

 彼女の力は借りないが、貰いはすると。

 うん、流石はアナスタシアだ。


「計画を遂行するためにも、ここでリヴァチェスター領を手中に収められるかが分水嶺となるわ」


「確かぁ~、蒸気機関を交渉材料に他の領土とお話するんだよねぇ~」


 ()()()()か…………随分と可愛くみえるが内実は正反対。

 隔絶した技術力と見返りに得られる莫大な利益を餌に共犯に仕立て上げるのが、アナスタシアの構築した計画の中核だ。


 アナスタシアとボクたちの目的は帝国東側領土で根を張るスウィツァー商会とグラード商会を潰すこと。

 そのためには長年に渡って反帝国勢力の多い西側領土の影響力を一つにまとめて、同じ志の下に一致団結する必要がある。

 しかし、そもそも西側領土を集約するだけの力も、スウィツァー商会にも、現状のボクたちラヴェンナ商会には到底太刀打ちできる力はない。

 何もかもが不足している。

 辛うじてラインの理想に付け込み、フォルド領領主のバックアップを得られたに過ぎない。

 勝負はここから、如何にリヴァチェスター領の蒸気機関技術を効率的に使えるかにかかっている。


 そのためにも──


「先ずはリヴァチェスター領領主と話をする必要があるわ」


 ラヴェンナ商会の商会代表として、同時に、()()()()()()()()()として。

 バシンッ! と勢いそのままにアナスタシアの叩きつけた一枚の書簡。

 中に綴られているのは、アナスタシアがフォルド領領主の意思を代行していること、それに関する全ての事項は須らくフォルド領に還元されること。

 つまり、ラインは賭けたのだ。

 彼女自身の理想を実現するための手駒として、ラヴェンナ商会を使うことに。


「アポイントメントは既に取れているわ。とても便利な紙片のおかげで」


「…………どうした、アナスタシア。何故怒ってるんだ?」


「いえ、ただやるせないだけよ。わたくしが都市代表に会うためだけに一体どれだけの苦労をしてきたかって、思い出してしまって」


「よしよし、アナスタシアちゃん。頑張ったわねぇ~」


「気恥ずかしいのだけれど……」


「お、おぉ……アナスタシアが赤面している」


「ホロウ、どうやらボクたちは幸せ者のようd」


 ようだね、と。

 言い切る前にジャリジャリッ! と漆黒の鎖がボクの言葉と、ついでにボクの全身に巻き付いて簀巻きにした。

 がっちりと絡みつく鎖は身動き一つ許してくれそうもない。

 練度を上げたね。

【権能】の発動から結果の定着までの時間的齟齬(タイムラグ)が皆無に等しい。

 微かな殺意を感じて身を引いていたから良かったものの……一瞬でも反応が遅れていたら首を吊られていたさ。


 正直に、痛い。

【権能】で生成されたとはいえ、鎖には違いない。

 想像してくれたまえ。

 普段は怜悧なアナスタシアが少女のように照れているのだよ? それは是が非でも視界に収めたいだろう。


「さて、話を戻すわよ。領主との会談には勿論わたくしが向かうけれど、護衛にテリア。お願いできるかしら?」


「うん、どんとこぉいだよ~。でも~、ホロウちゃんじゃなくていいの~? 護衛なら強い方がいいでしょ~?」


「ええ、強いに越したことはないわね。だとしても、切り札は最後まで取っておくべきでもあるわ」


 最近は【楽園(エデン)鍛錬(トレーニング)の様子を見てはいなかったが、テリアよりもホロウの方が強いのか。

 “オドラの邑”ではテリアに分があったが。

 確かに“龍気”と【権能】を両立させたホロウの強さはシロイとの接敵時にもありありと分かった。

 彼の動きを追えていた。

 帝国随一の武芸者の全力速度を、だ。


 テリアが己の力不足を不安に思うのも無理ない話だ。


 それにしても、痛い。

 段々と呼吸も苦しくなってきた。


「成程、吾は最終手段という訳か。しかし、テリアの二番煎じではないが、吾よりも()()の方が強いぞ?」


「わたくしが重視しているのは単純な武力ではないわ。武力的知名度(ネームドバリュー)よ。()()には、ないものよ」


「ちょぉっとだけ哀れに思えてきちゃったわぁ~」


 それだの、あれだの。

 なんて言い草だ。

 これは可動域の少ない状態であっても断固として抗議しなくては。

 うぞうぞと芋虫の如く地を這い、すぐ近くの誰かの足元まで蠢動する。


「……ッ、ゎっ、急に動くな……っ!」


 あ、痛い。

 どうやらホロウに思いっきり蹴られたらしい。

 脇腹辺りのじんじんと鈍痛が全身へと波紋を広げる。

 彼女の蹴りの一撃も中々で、ゴロゴロと談話室の壁際まで転がってしまう。

 だが、怪我の功名とは言い当て妙で、微かに鎖に亀裂が入った。

 そのままこじ開けるように鎖を粉砕する。


「ふぅ、有意義な経験だったよ」


「美少女の足蹴にされることが?」


「それもそうだが。願わくば次は面と向かって──」


「涼しい顔で何を言っている…………っ!」


 おっと。

 軽い冗談のつもりだったのだけれど。

 ヒュッ! と空気を切り裂いて銀色の残像が描かれる。

 頬を紅潮させて、肩で息をついているホロウ。

 相当、お怒りのようだ。


 有意義とは、即ちボクの無力についてだ。

運命識士(リードスペクター)】に直接的な武力はない。

 それがどうしても遅れをとってしまう原因になる。

 先のように【権能】で造られた檻に監禁されてしまえば、ボクにできるのは惨めに蠢くことだけだ。

 “霊力”を行使しようにも全身隈なく包まれてしまえば貯蔵と放出先が定まらず意味をなさない。

 さて、意図せず課題が見つかったようだ。


「とにかく、わたくしとテリアは明日、会談へ向かうわ。ロムルス、貴方には一つお願いをしたいのだけれど」


「うん、なんでも任せたまえ。“魔獣”を狩ろうか? 神でも討伐しようか? それとも世界の一つ獲ってみようか」


「そんなおおそれたことを頼むつもりはありません。リヴァチェスター領の工業技術について、貴方が介入できる予知を探ってきてほしいの」


「成程、より具体的にした方が説得力が増すしね」


「なあ、だとしたら、少し遅すぎなんじゃないか? 領主と顔をあわせるのは明日なのだろう?」


「ええ、同時並行となるわね。けれど、会合初日で最終判断までまとまる方が稀有なのよ。互いに初めましてなのだから、探り合いだけで時間を使い尽くしてしまうのよ。例外はあるけれど」


「なっるほどお~。やっぱり~、詳しいわねえ」


 まるで歯車が嚙み合うように緻密な計画が練り上げられる。

 目下の問題はリヴァチェスター領領主を協力者として仕立て上げること。

 そして、そのためにはアナスタシアの交渉術とボクの知恵が必要だと。

 なにせ、帝国に対して半ば宣戦布告に近しい行為の、共犯者なのだから。


 決行は明日。

 それまでは張りつめた糸が緩むことは、ないだろう。





 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐






 街の喧騒は風土や地域によって多様な変化を見せる。

 商人が活発に交易に足を運ぶアウグリュニーは怒号と熱狂が支配していた。

 ここ、エディンでは商人の少ない代わりに職人が多く、どこか浮ついた空気は親方衆の真剣な眼差しによって霧散している。

 中央の商業区にあっても顕著な様相は、郊外に向かうにつれてより色濃く反映される。

 リヴァチェスター領は北西に首都エディンが位置し、南西部に広大で先進的な工業区が顔を揃えている。

 因みに、リヴァチェスター領の東側は針葉樹林地帯が広がっており、土壌や気候、生息する獣の都合により人の生活圏ではない。

 そのせいか、ウェスタ・エール帝国一の面積を誇っているが、実質的に居住範囲は西側の土地に限られる。

 その上、居住地の半分あまりを工業区として制定するのだから、如何に蒸気機関を重視しているかよくわかる。


「ふむ……どこかしこも鈍色だな」


「質のいい鉄を使っているのだろうね。濁りがない。それに、心地のいい静謐じゃないか」


「同意見だ。アウグリュニーの活気もいいが、エディンの静けさも身に染みて落ち着く」


「どうやらボクたちは似た者同士のようだ」


「ふん。何とでも言え。ただ気質が似てるだけだ」


 ぷいっとそっぽを向いてしまったホロウ。

 ボクとホロウは昨日アナスタシアに言われた通り、リヴァチェスター領の蒸気機関を知るために南西部まで赴いた。

 昼下がりの工業区はそこかしこで槌の音が反響し、蒸気の噴き出す独特な絶叫が特徴的だ。

 黒のショートブーツに同じく黒のパンツ、黒緋色のトップス、紺色のガウンと大人びた少女のような服装。

 鋭利な眼差しにしかめっ面のホロウではあるが、同年代と比べてもすらりと背が高くスタイルもいいからか一種の艶やかさすら内在している。

 だけれど、頭を撫でると赤面して照れるのだからかわいいったらありゃしない。

 加えて、戦場を駆け巡る影が如き洗練された動きときたものだ。

 なんて魅力的な娘なのだろうか。


「それで、ロムルス。貴様は一体何を見るつもりなんだ?」


「全てさ。技術、加工力、発想力、着想点、そして経済効果。工業技術というのは市場に出回って初めて価値が生まれる」


「成程、半可通の門外漢ではないか」


「まあ、判断するのはボクだけど、仔細は【運命識士(かれ)】が教えてくれるからね」


「つくづく詐欺師然としているな、貴様は」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


 釈然としない表情でボクを睨むホロウ。

 まるで百面相のように色とりどりの顔色を見せてくれる彼女だが、職業上不利に働くことの方が多いだろう。

 とはいえ、彼女が望まない限り、もう二度と暗殺者としての依頼を受けることはさせたくない。

 もう、彼女は殺しに手を染める必要はないのだから。


 ふと、思い出した。

 何がきっかけかは分からないが、エディン郊外で出会った姉弟を。


「そうだ、ホロウ。ハバリを知っているかい?」


「……? なんだ、藪から聖剣に。あの黒い飴菓子のことか?」


「藪からなんだって? 棒じゃないのか?」


「藪から棒が出てきて何が面白いんだ?」


「どうして諺に面白さを突き詰めるんだい?」


「面白みのない諺など必要か?」


 話が通じないな。

 そういえば、似たような会話をホロウとした気がするぞ。

 そうだ、狐につままれたような顔をボクがした時だった。

 半端に向こうの世界と類似点がある分、余計に困惑してしまう。

 これが文化の差なのか? いや、待つんだ。アナスタシアやテリアから面白諺を聞いたことがない。

 テリアはまだしも、アナスタシアは知識人だ。

 その彼女からまともな諺しか聞いていないということは…………ホロウだけが諺にユーモアを期待しているのか。


「貴様の価値観が腐敗しているのは分かった。だが、どうしてハバリなんだ?」


「いやね。リヴァチェスター領を発つ前日に姉弟に出会ってね。その弟がハバリを欲しがったんだ」


「…………手を出したのか?」


「何を想像しているのか察するけど、違うよ。存外、君はませているんだね」


「冗談だろうがっ! 真に受けるな……っ!」


 慌てて口を閉ざすが時は既に遅い。

 他の都市と比較しても低い建造物の並ぶこの工業区では音が反響するのだ。

 わんわん……と少女にしては低いホロウの叫びが放射線状に伝播する。

 まるで自分の居場所を露見させるような行為だが、暗殺者としてプロ意識を持っている彼女的に問題ないのか。

 いや、問題大有りだな。

 思わず両手で顔を覆ってうずくまってしまった。

 亀のように丸まり、羞恥か怒りか、ぷるぷると肩を震わせている。


「ホロウ、偶には羽目を外しても──」


「あぁぁっ! ロムルスさんだっ!」


 おお、ロムルスさん。呼ばれているよ? どこのロムルスさんだ? ここのロムルスさんだな。

 ホロウに負けず劣らずの大声で、反響する声と共に駆け寄る音が聞こえる。

 路地の向こうから徐々に姿を表す人影は二人。

 先導して手を振っているのは少年だ。

 その後ろから必死に駆けているのはホロウと同年代程度の少女だろう。


 うん、既視感があるよね。


「ロムルスさんっ!」


 花の咲くイメージすら彷彿とさせる満面の笑みで微笑む少年。

 きっと一定の層のお姉さんお兄さんには綺麗に刺さるであろう年相応の可愛らしいを惜しみなく額面へと押し出している彼。


 エムス君じゃないか。

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