21. 凱旋? そんな上等なものか
その食卓には四人の男女が仲睦ましく……とは言えないまでも程よい距離感で仲良く肩を揃えていた。
数十人が雁首揃えて着席できる程に長く、嗜好品などでは? と疑問に思ってしまう大理石のテーブルを食卓と呼ぶのかは知らないが。
……だって、食堂であろう部屋にこれしかなかったんだ。仕方ないだろう?
ああ、話題が逸れたね。
そう、ボクたちは昨晩の会合を経て本日からアナスタシアの計画を始動しようと作戦会議を行っていた最中だった。
まだ明朝だけれど、誰一人として眠気眼をこすっている者はいない。
アナスタシアは言うに及ばず。
ボクも、ホロウも、テリアだって如何にこの計画が重要なものか理解しているから。
穴が開くほど目を通した計画書の内容は全員の脳内に克明に刻まれていた。
故に、無駄な前置きは必要ない。
一歩目は半ば必然的に定まっている。
懐かしき雪景色の北国。
リヴァチェスター領だ。
まさか、こうも早く舞い戻ることとなるとは思わなかったが。
意気揚々と出立して数週間で回帰するとなると…………うん、凱旋ではなくて夢破れた様相があるかもね。
とはいえ、かの領で盛んな蒸気機関工業は他の三領土を懐柔するに必要不可欠な技術だ。
現状、構築されている基盤としては蒸気機関車の試験運用にも満たない試作段階にある。
まだまだ未熟な領域であるがゆえに、ボクの介入できる余地が残っているとも言う。
さて、論題は明瞭だ。
これよりリヴァチェスター領に出立する。
ラインの許可は不要だ。
あくまでも彼女は後ろ盾となるだけで、商売の中心はアナスタシアなのだから。
フォルド領の使者という立場をもって、リヴァチェスター領の領主と交渉を行う。
それが目下の目的だ。
リヴァチェスター領までは数週間。
移動に用いる時間分の食料は準備したし、覚悟も十分。
いざ行かんとドヴァーラヴァティの引く荷台に荷物を詰めていた時だった。
「あの……! お久しぶりです!」
と、巨大な扉ごしにやけに元気な声が聞こえたのだ。
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まだまだ空は薄暗く、大通りでは露店の一つたりとも営業していない時間帯に、まさか来訪者が来るとはね。
年の頃は十三かそこらで、夜空のように煌めく黒髪に水色のワンピース、茶色のロングブーツを履いた少女と。
彼女よりは年上であろう、くすんだ金髪をパンダの耳のように二つの団子で結び、ちらりと健康的なへそが見える小さなサイズのシャツ、黒のミニスカートにハイソックスといった格好の少女。
見るからに正反対な二人の少女は服装だけにとどまらない。
身長も、雰囲気も、態度だってまったく正反対だ。
にこにこと柔らかな笑顔でちょこんと座る黒髪の少女と、口元をへの字に曲げてつんけんとした様子を隠そうともしない金髪の少女。
つい先ほどのことだ。
ボクたちがリヴァチェスター領へ向かおうと荷物を詰め込んでいた最中だった。
草木だって二度寝にしゃれこむだろう早朝の訪問者は、生憎と予想だにしていない。
しかして、わざわざ足を運んでくれた少女たちを素っ気なく追い返す気にもならなかった。
ボクたちが眠っている可能性もあったろうに、朝一番で訪問した二人を無碍にもできない。
それに、黒髪の少女とボクたちは…………顔見知りだ。
「久しぶりだね、カレン。息災だったかい?」
「はいっ! オリバーさんも元気でしたか?」
「元気も元気さ。まあ、多少の問題もあったけれどね」
ぶわっ! とボクたちにはない(…………訳でもないけれど)混じり気のない生気の塊のような返答に、思わず仰け反ってしまいそうになる。
年相応に無邪気な笑顔でボクの身を案じてくれる少女。
彼女とは初対面ではない。
リヴァチェスター領からフォルド領までの道中でボクたちによくしてくれた奴隷の、いや、元奴隷の少女だ。
確か、フォルド領の中枢で匿われているはずだが? アナスタシアたちも急な来訪に戸惑っているようだ。
それに、もう一つ捨て置けない疑問がある。
隣の子は誰だ?
「なあ、そろそろ紹介してもらってもいいか?」
「あ、そうだった…………! オリバーさん、この子はラミって言います」
ぶっきらぼうな口調で口を開いた金髪パンダっ娘。
不機嫌な様子がよく分かる刺々しい口調だけれど、何か気に障ることでもしたか。
「うん、ラミか。初めましてだね。ボクは──」
「知ってるよ。オリバー=ロムルスだろ? ラクシュミーさんから聞いたよ」
「おや? ラクシュミー? 彼女と知り合いかい?」
これはこれは。
懐かしい名が飛び出てきたものだ。
ラクシュミー=トラウザーラといえば、アナスタシア誘拐事件に際して一時的に協力した不審者だ。
さて、目の前の態度の悪い少女と彼女は如何なる関係なんだ? 尽きない疑問を前に思わず【運命識士】を閲覧したくなる。
しかし、安易に【権能】に頼る癖は止めるべきだ。
【権能】を使用できない状況に陥った場合、きっとボクは軟弱にも手折れることとなるだろうからね。
「…………もしかして、わたくしたちと一緒に捕まっていた……?」
はたと、ボクが心中で葛藤していると、アナスタシアが声を上げた。
「あ、ああ。確か、アナスタシアさんだよな? そんで、そっちがテリアさん」
「そうよ~。それにしたってぇ~、どうしてここにいるの~?」
「フォルド領が故郷だからだよ。まあ、知り合いはいないなんだけどな。ずっと仕事を探してたんだが、どこも雇ってくれなくて途方に暮れてたんだ」
成程、合点がいった。
ラミはラクシュミーと共に逃亡した後、生まれ故郷であるここフォルド領のアウグリュニーまで戻ってきた。
しかして、働き口が見つからずに手持ち無沙汰であったと。
「こいつとは裏通りで会ったんだ。やけに切羽詰まった面してたから思わず声をかけちまってな」
「……? 何故だ? あの肥豚は衛兵に引き渡しただろう?」
「こえ……? あんた、見かけによらず口が悪いんだな」
「お互い様だ。無愛想にしていれば虫は寄らないだろうが、相手は選べよ」
「あァ? んだよ、あんた。あたしとそう歳は変わらねえだろうが」
彼女を見ていると友人思いの傭兵崩れを思い出すね。
いや、意図的にかな? 先ほど彼女はラクシュミーさんと敬称を付けていた。
言葉尻は鋭いけれど、凄みのない面持ちからも根は善良なのだと分かる。
本人も意識して高圧的に振舞っているのならば、彼女こそ年相応の一面が垣間見える。
とはいえ、ホロウに突っかかる勇気は称賛に値する。
ボクがラミのように喋りかけてみろ…………きっと明日の朝日は拝めないだろうさ。
想像しただけで背筋が凍る……いや、ほんとに。
「ホロウ、ラミ。少し静粛にお願いできるかしら? カレン、貴女は裏路地で何をしていたのか教えてくれる?」
「ぁ、はいっ。オリバーさんに助けてもらってから、わたしもお仕事を探していたんです。でも、ずっと奴隷だったからできることも少なくて…………」
カレンの言葉を聞いてラミが悲痛に顔を歪めた。
やはり、彼女は優しいようだね。
所詮は他人の痛みや不幸に、哀切や義憤を抱ける者が善人でなくて一体なんだ。
「でも、わたしは当面暮らしていけるお金はあったからゆっくり探していこうって思って……」
「なあ、あんたらだろ? こいつにあんな大金を渡したのは」
「ああ、そうだ。吾と、冒険者、カレンたち。取り分は均等に分けたつもりだったが。もしや、足りなかったのか?」
「逆だよ。職もねえのに桁違いの大金をもってる女。それもガキだ。格好のカモだろ」
…………浅慮だったか。
ラミの補足でボクたちもカレンが如何なる目に遭ったか想像ができた。
右も左も分からない都市で職を得ようともあしらわれて、挙句の果てには最低限の生活を続けていくための資金すら──。
これでは、ボクたちの行動は傍迷惑な横槍に過ぎない。
ただカレンの身を危険に晒しただけだ。
「ねえ、ラミちゃ~ん。誰がって覚えてる~?」
「あ? まあ、覚えちゃいるが……知ってどうする?」
「聞く必然があるのかなあ?」
「……ッ、あんた、何者だよ……?」
テリアの殺意が、“龍人”の気迫が屋敷全体に充満したのが肌でわかる。
ラミが戦慄するのも無理はない。
ボクだけではない。
アナスタシアたちもまた、カレンの身を案じて、その身に降りかかった不幸と不条理に腹を立てたのだ。
彼女は十分に苦しんだというのに、人の手によって再び苦痛を経験する羽目になった。
「テリア、落ち着きなさい。わたくしたちが何をしたって遅すぎるわ。カレン、ラミ。貴女たちがわたくしたちのもとに来たのにも理由があるのでしょう?」
凛とした声が暗澹とした空気を振り払った。
螺旋を描く殺意に震えていたテリアも、沈黙を守っていたホロウも、固唾を吞んで動けなかったラミも。
この場の全員がアナスタシアの声に耳を傾ける。
彼女のカリスマが成せる技には惚れ惚れしてしまう。
「ボクからも問おう。その不埒者を始末するのならば、テリアを解き放てばそれで済む。けれど、それを望んでいるわけじゃないんだろう?」
「は、はいっ。オリバーさんたちの好意には感謝してます。わたしが、考えなしだっただけです。それで、あの。わたしも、ラミも、頼れる人がいなくて……あの、すっごく身勝手で、図々しいお願いだって分かってます……っ!」
「あたしたちを雇ってくれないか? もちろん、給金なんていらない。ただ、衣食住だけ……いや、食事と雨風凌げる住処だけでいい。できることも限られるけど……」
尻すぼみになるラミの請願には切実さがあった。
二人は確かにやれるべきこと、足搔けるだけ足搔いたのだろう。
思いつく限りの職をあたって、今のように頼み込んだのだろう。
それでも、門戸を開いた者はいなかった。
ここでボクたちが追い返してしまえば、二人は奴隷になるしかない。
カレンとラミ。
二人と関係が深い訳ではない。
ただ道すがらに出会って、同じ混乱に巻き込まれただけの少女だ。
それでも、二人にとっては最後の頼みの綱としてボクたちももとへ訪問したのだ。
──アナスタシア(ちゃん)と。
三人の言葉は揺れることなくぴったりと揃った。
幾ばくかの気恥ずかしい気もするけれど、考えていることは変わらない。
ボクたちは彼女の信念の下に集ったに過ぎず、全ての決断はアナスタシアに任せている。
意図的にではなく、自然と。
これも、アナスタシアのカリスマなのだろう。
そして、ボクは続く彼女の言葉に、アナスタシアの人となりを垣間見たのだ。
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準備は万端だ。
昼下がりの晴天。
長い髪は丁寧に結ってもらったし、ドレスだって普段の数倍の時間を使って悩んだ。
山積みの仕事だって必死に終わらせて、何とか見送りの時間を作れるように調整した。
昨晩の様子からアナスタシアは本当に今日中に出発するだろう。
行先はリヴァチェスター領。
目的は他の領土を懐柔するための蒸気機関、その技術だ。
幾ら排他的な領主であろうと利になるのであれば交渉のテーブルに着かざるを得ない。
計画の第一歩になるのだから、降りかかる重圧は想像に難くない。
ここは、このわたしが直々に、あの四人の緊張を解すべきだろう。
「さあ、シャルロッタ。行きますわよ」
「はい、お嬢様。合鍵はこちらです」
がちゃりと、シャルロッタが屋敷の門を開ける。
わたしの邸宅と、彼らの屋敷は隣接しているとはいえ、それぞれの広大さから徒歩で五分以上はかかる。
けれども、馬車を使う程の距離でもない。
…………もしかして、ちょっと不便かしら? でも、お互いに適切な距離感は忘れてはダメでしょう?
「……? お嬢様? 直視するのが憚られるお顔をしていますよ」
「……っ、!? し、シャルロッタ……っ!?」
憚られる? それは一体どんな顔って…………違う、違いますわよライン。
シャルロッタが変になりましたわ……! こんなに口は悪くないはずですのに。
「ほら、お嬢様はフォルド領の領主なのですよ。面白百面相みたいなあぶないお遊びはお控えください」
「そ、そんな変な顔はしていませんわよ……っ!」
「ええ、そうでしょうとも。お嬢様のお顔はそこそこに整っておいでですからね」
「そこそこ……っ!? ね、ねえ、シャルロッタ? 何だか最近様子がおかしいですわよ……?」
「様子がおかしいのはお嬢様の方では? 今朝だって鼻の穴を膨らませて発情なさって…………はしたないですよ」
「発情って…………! わたしはっ! あ、ちょっと……! 話を聞きなさいっ!」
つかつかと扉まで進む彼女の背中を追いかける。
今までも軽口を言い合う仲ではあったけど、今日は度が過ぎている。
「もう……覚えていなさいよ」
「さて、何のことでしょう。このシャルロッタ、お嬢様のためを思っての箴言なのですよ?」
絶対に噓だ。
彼女の右瞼がぴくぴくと痙攣している時は噓を吐いている証拠だ。
けれど、今はシャルロッタへ言及している暇はない。
これから一世一代の挑戦をしようと意気込む彼らに激励をしなければならないのだから。
「ごめんください、ラインですわ。少し、わたしにお時間を頂けますか?」
ゴツンゴツンと獅子を模ったドアノッカーを叩く。
すると、室内でバタバタと慌てる音が聞こえてきた。
来訪者一人に対して何て初心な反応なのでしょう。
やはり、来て正解のようですね。
こんな調子でリヴァチェスター領に向かってしまうと、簡単なところで転んでしまいそうですわね。
「はぁい。ライン、さん? 悪いけど、ここの主は不在でね。また日を改めてくれると助かる」
は………? この少女は誰だ?
お団子を二つに結んだ金髪の娘が控えめに扉を開けて、それも上目遣いで(もしかして、睨んでる?)素っ気なく閉めてしまった。
一瞬だったけど、可愛らしいメイド服に身を包んでいた気がする。
……ぇ? もう召使いを雇ったの? ちがう、違うわ、ライン。
もう、出発したですって?
「お嬢様、お言葉ですけど…………今のお嬢様は非常に滑稽ですね」
やかましいですわ。




