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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第一章【自由の芽吹】──第一部【偶然の産物】
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5. 小さな邂逅

 紅く、黒い一閃が真昼であっても薄暗い裏街道に煌めいた。

 速度は刹那の瞬きの間に繰り広げられ、まさか己を超越した存在が眼前に構えていたとも思わなかった哀れな追手が崩れて地に伏した。

 利き手に握りしめたナイフに付着した血潮は皆無に等しい。


 なぜなら、際限なく湧き立つ脛に傷持つ不届な連中を始末する過程には、慣れすら生じるほどの回数をこなし続けたから。

 というよりは、これまでの人生でできうる限りの痕跡を残さないように努めてきた副次的な恩恵が、こんな惨めで不甲斐ない末路に花を添えているのだ。


『影幽の幻霊』と呼ばれ、その界隈では名を馳せる者の末路が、まさか契約を打ち切った依頼人からの口封じが目的の、()()()()で終わろうとはなんたる皮肉か。


 もはや自嘲すら慰めにはならない。

 命を狩るために追い縋る連中をちまちまと片付けても、処理の時間もなく無造作に放り捨てる死体から現在位置を割り出されて襲撃をかけられる。

 未だ三時間も経っていないにも関わらず、ホロウ=クルヌの暗殺者としての矜持は経験は折れかけている。

 依頼のために一週間は睡眠を削ることができた。

 依頼成功を掴むためなら一ヶ月の断食にすら耐えられた。


 だが、自らの生存のために満身創痍の身体を駆使して三級傭兵や、“銅級”冒険者の連携を捌き切る経験はなかった。

 いつ終わるともわからない生命の危難、心休まる瞬間など程遠く、ズキズキと痛む全身の傷に思考を蝕まれながらも生きるためにひた走る。


「……ッ、まだ、来るのか…………ッ!」


 ふと背後から気配を消す()()()で尾行する殺気の主に感覚が本能へと伝える。

 既に四十人余りを処分してきたために肉体的な疲労や、精神的疲弊が積み重なり本来の二割も引き出せない口惜しい状況だ。

 だというのに、まるで獲物を吟味するように、嬲るように近づく気配は難敵であると本能が告げる。

 温存していた【権能】を用いてでも、窮地を脱するしかないのかと無力感を噛み締めた直後であった。


「おや、やはり見知った顔だったね。どうだろう、込み入った話でも」


 獣の毛皮を用いたのであろう純白のローブに、申し訳程度の装備、一見するだけではわからないが腰に佩いた使い古しの鉈だけだと直感する。

 だが、何よりもホロウの意識を釘付けにしたのは、油断ならない怜悧な眼光を覗かせる鉄兜。

 それはありふれた兜ではあるが、その奥で爛々と輝く理を追求する断罪者(死の隣人)が如き瞳は、そうそうお目にかかれるものではない。

 ホロウに癒えぬであろう記憶を刻みつけた、あの男以外は──


 言いようのない恐怖と耐え難い焦燥感に包まれ、即座に撤退へと意識を切り替えたホロウであったが、次の瞬間には無意識の内に意識を手放していた。









 ❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒








 瞼が重い。

 けれど、それは無理矢理に押さえつけるような重圧に押し負けたものではなく、心地の良い快楽に押し流されるような本能の抵抗だ。

 全身を包む感覚は沈みゆく海雲に身を委ねているような、いつまでも横たわっていたいと思える甘美なもの。

 耳朶を打つは新しい朝を言祝ぐ小鳥の囀りで、鼻腔を擽るは芳しい誘惑で。


「……ふぁぇっ!?」


 だからこそ、途切れていた最後の記憶にある死の具現との整合性が取れなかった。

 おかげで、自分でも驚いてしまう程に間の抜けた声が絞り出てしまう。

 キリキリと痛む身体の各所に頬を歪めつつも、努めて平静を装って周囲の状況を、つまりは己の置かれた苦境を打開すべく忙しなく視線を張り巡らせる。

 同時に、一所にとどまることを良しとしない暗殺者の理念に従い、全身を刺し貫く痛みを意識の片隅へと追いやりつつ寝台から飛び退く。


 そう、寝台だ。


 あの後に何が起こったかはわからない。

 だが、現状ならば容易に把握できた。

 ()()は宿だ。

 冒険者や傭兵の駆け出しが使用する類の粗末な場所ではなく、所謂中堅層が選択する数室別れる上質なもの。

 ホロウの横になっていた寝台と、その他簡易的な家具から寝室だとは理解が及ぶ。

 けれども、その意図は不明確だ。


 そもそも、記憶の末尾に克明に記録された()()()は一体──?


 疑問は尽きずに立ち竦んでしまいそうになるが、身体は異常な状況にあっても習慣を忘れようとせずに気配を探ぐる。

 すると、一室へ向かってくる気配がホロウに決断を迫る。


 即ち、先手を喫してこの場から足早に立ち去るか、それとも、従順なフリをして寝首をかくか。


 けれども、やはり万全ではないホロウは一つ失念していた。

 己の手元には武器となり得る獲物は存在せず、相手はやもすると()()()ではないかと。

 記憶にある鉄兜の男は決して武道に明るくない素人のはずだったが、緊張と疲労の絶頂に達していたホロウを失神させるだけの凄みがあるのだ。

 なんのつもりかは知らないが、簡易的な手当てすら施されたホロウであっても生身は年端もいかない……いいや、そこまで幼いつもりはないが、少女に違いない膂力で大の大人にどれだけ抵抗できるだろうか。

 精々が組み伏せられて終わり。


 さぁぁああと血の気が引く感覚を知覚できた。

 何と愚かしい考え違いをしていたのか、とすぐさま回れ右をして狸寝入りに戻ろうと身を捻った時である。


 さて、ここで改めてホロウの怪我について振り返ろう。

 あの気狂い鉄兜とのすれ違いで、まるで通り魔が如く無遠慮に脇腹と腿とを削がれた。

 そして、逆恨みも甚だしい依頼人(クライアント)の手勢に右腕、左太腿の打撲、右半身への刺突など尋常でない数の手傷を負った。

 そんな状態で加減なく身を捻りと一体どうなるのか。


 想像力を総動員して察せられる諸君はわかるだろう。

 つまりは、意識すら飛んでしまうのではないかと思える激痛に、もんどりうってしまうのだ。







 ❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒








 扉を開けると紺色の長髪に、引き締まった肢体を振り乱して、床に寝っ転がってゴロゴロと転がる少女と目が合った。

 色白な肌とは裏腹に琥珀に輝く両の目は涙を堪えならがら限界まで開かれ、薄手の寝巻きから覗く成長期真っ最中の肉体には背徳的な美を感じられる。

 あと五年もすれば誰もが二度見してしまうであろう美貌に様変わりするであろう貌は、アナスタシアに匹敵する魔性の魅惑を内包し、悲痛に歪んだ表情ですらもっと見ていたいと思えてしまう。


 ()()()で彼女の力が必要になったため、赴いたはいいが満身創痍で意識を失った少女を介抱したのだが……どうにも、血の滲む包帯を見る限り塞がっていたであろう傷口を手ずから開いたのだろう。

 挙句に声も出さずに痛みを享受して身を震わせるとは。

 どうやら、自分はこの世界の暗殺者を舐めていたようだ。

 生前……死んではいないから元の世界か、であっても性の形は多様であった。

 しかし、彼女程に自傷へと倒錯していた者は滅多にいなかっただろう。

 ならば、この場で求められる対応は──


「まさか、君に特殊な性癖があるなんてね。済まない、邪魔をしたようだ」


「〜〜〜〜っ! ま、ってッ! へんな勘違いをしているッ!」


 実に紳士的な言葉だったと思うが、どうにもお気に召さなかったらしい。

 紅潮した頬に流れる涙は、苦痛と焦燥に染まる表情と相まって非常に扇情的だ。

 痛々しい包帯姿に、滲み出した()へと目を瞑れば。


「初めまして、ではないね。久しぶりというべきか。あの時はさらばなんて言ったが、撤回させてほしい。私は訳あってオドアケルと名乗る傭兵さ。今ではお尋ね者とでも言おうか?」


 挨拶は会話の基本だ。

 親しき仲であっても礼儀が必要となる以上、殺気をぶつけ合った仲ならば尚更。

 加えて、名乗りを忘れてはならない。

 失敗は一度で結構。

 二度と同じ轍を踏むことはない。


「ボクとしては君の名も聞きたい所ではあるが、差し当たっては現状の説明でもしようか。簡潔に告げると、ボクと協力者の二人はドルには長居できなくってね。さっさと遠方まで逃亡したかったのだが、検閲が酷く強化されていたんだ。そこで、凄腕の暗殺者である君に裏道を尋ねたい所存なんだ」


 好印象を植え付けた所で畳み掛けるように当惑の渦中にいるであろう少女に情報の提供を。

 曰く、“メラビアンの法則”。

 第一印象は出会って数秒で決まり、特に視覚情報が大半を占める。

 そのために、今は鉄兜を被ってはいない。

 この世界では黒髪黒目は珍しいと、城塞都市ドルの人々を見て把握しているが、それでも顔を隠した不届ものとして捉えられるよりはマシだろう。

 円滑なコミュニケーションを取ることは、相互の利益となることは間違いない。


「君に利益がないのならば、こちらで出来うる限りの報酬は準備したいと思っている。けれど、君もまた追われる身のようだし……うん、報酬云々は窮地を脱してからでいいだろうか」


 チラと視線を下げると、特殊性癖の発作は治ったのか不思議なほどに沈黙を保っている少女がぴくりとも動かずに転がっている。

 いいや、動いてはいる。

 息はあるし、意識もあろうだろうに、まるで痙攣しているかのように小刻みに身体を震わせている。

 これは、やもすると──


「もしかして、傷が開いてしまったから悪化したのかな?」


「当然でしょうっ! さっさと治療しますよっ!」


 背後から叱責が飛ぶと同時に後頭部に響く衝撃。

 どうやら協力者──基い、アナスタシアがあまりにも遅いために様子を窺いにきたのだろう。

 ああ、無駄話……とは一概に切り捨てられないが、ここで彼女に死なれても困る。

 だが、大きな問題がある。


「済まない、ボクは治療ができなくてね。アナスタシア、手を貸してはくれないだろうか」


 わなわなと肩を震わせて睨みを利かすアナスタシアを前にして、そういえばと思い出した。

 ボロボロになった彼女を真っ先に治療したのは、他でもない彼女であり。

 その時点で、その分野における自分の存在意義を皆無と証明していたのだった。

 ならば、再度の拳が迫るより前に道を開けるのが正道だろう。


 やや不服な様子で室内へと踏み入ったアナスタシアの視線から逃げるように、一通りの問答を終わらせたのだった。








 ❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒❑❒









 桜色の唇が芳醇な香りを含む琥珀色の液体を小さな口へと通す。

 嚥下と共に蠢動する喉の動きは何ともいえない背徳感を相手に抱かせ、息を吐く仕草は年不相応な艶やかさすら内包している。

 視線を正面から外して右に動かすと、茶菓子を口元を覆いながら咀嚼する耽美な美女の姿を収めることができる。

 一口が小さいからか、まるでハムスターのように頬張る格好になっているが、それすらも艶然(えんぜん)とし思考を犯す病魔と思える。

 家庭が団欒を営む空間にあって、三人の間に広がる沈黙は心地のいいものではなかった。

 しかし、各々が現在と未来について憂いを帯びるからこそ、却って悲痛なそれにはなりきらなかった。


「さて、皆の気も和らいだ所で、本題に入ってもいいかな」


 努めて穏やかでゆったりとした口調を意識したためか、二人の思考に漣を立てることなく、波紋を広げる程度で収まっていた。

 異なる二色の視線を一身に受けて、如何に二人が続く言葉を心待ちにしていたかを察せられる。

 少女は全身を包帯に包まれながらも漆黒の外套を羽織り、女性は漆黒のドレスのみを身につけているだけにも関わらず豊麗(ほうれい)な雰囲気を損なっていない。


「改めて、ボクはオドアケル。そう名乗っている傭兵さ。そして、こちらの女性はアナスタシア。ボクらはとある事情で一刻も早くドルを去らねばならない。けれど、過剰なレベルで厳重体制の検閲が敷かれ、右往左往していた所だった。そこで、凄腕の暗殺者である君に助言をもらおうと思ってね。差し当たり、君の名前を聞いても構わないかな?」


「…………()は、ホロウ。ホロウ=クルヌ」


 小さく、ポツリと呟いたホロウの口調に刺々しい敵愾心は感じられなかった。

 つまりは、自惚れではなく一定の信頼は得ていると見て相違ないだろう。


「ホロウ……もしかして、『影幽(えいゆう)の幻霊』ですか……?」


「詳しいな、きさ……アナスタシア殿。ああ、そういった名で呼ばれることもある」


「どうやら、アナスタシアには合点がいったようだが、ボクは知り得ない。とはいえ、君の名声的付加価値(ネームバリュー)はあって困るものではない。こと、今回のような場合においてはね」


 自分としては穏やかに話しかけているつもりだが、どうにも話す度にホロウの眉間に皺が寄っているように見える。

 共同戦線を張ったアナスタシアはそのような露骨な反応を見せない。

 つまりは、ホロウには警戒されていると…………いいや、見逃さなかったぞ。

 アナスタシアも自分が口を開くとその真意を探ろうと目を細めている。

 協力体制を構築する上で不信や、警戒は悪手に回る可能性がある。

 どうにか、払拭したい所ではあるが……やはり印象は時間をかける必要がため一朝一夕にはいかない。


「さて、先ずは情報を整理しておきたい。ホロウ、君を納得させられるだけの事情を話せるかはわからないが、ボクとアナスタシアの経緯について、簡潔に伝えよう」


「……誠意という訳か。吾は貴様のような善人面をして擦り寄る輩が一番嫌いだ」


「ああ、それもこれもひっくるめて、とりあえすは聞いてくれないだろうか」


 不承不承、といった様子だが一旦は話を聞く姿勢に移行している。

 正直に言ってホロウに助力を請うのは大博打だった。

 城塞都市ドルどころか、この世界に頼れる知人などいない己や、スウィツアー商会の代表を簒奪されたアナスタシアもまた検閲を打開できるだけの手札はない。

 そもそも、脱獄した時点でドルにおける自由人の身分は剥奪されたも同然なのだ。


 ホロウへとかなり簡潔に事情の説明へと移る中で、自分でも腑に落ちなかった点が解消された気がした。

 そう、それこそが脱獄の経緯の根幹とすら言える。


 アナスタシアの理想を叶える一助になりたい。

 世界を、常識を、歴史を相手に勝利条件の曖昧な勝負を挑む上で、何者でもない己が逆転できうる目があるとすれば──それは未だ未知なる【権能】に頼らざるを得ない。

 仄暗く、閉塞感に支配された牢獄で、一度たりとも成功したことのない【権能】の発言が可能なのか? ああ、理論上不可能と答えただろうが、あの時の高揚感に身を任せるのならば可能かもしれないと一縷の実態なき自信がその選択を取る後押しをしてくれた。

 魂の実態を知覚して、その深奥に潜む形なき無為を引き起こす作業。

 例えるのならば、魂を実体化させるための過程(プロセス)が成功したのだ。

 そう、成功してしまった。

 今となっては、魂より出でる自己の【権能】なのだから、感情の昂りや魂の躍動が大きく関係しているのでは? と考察できる。

 しかし、【権能】の発現に成功させたあの時は理論にまでは考えが及ばなかった。


 何故なら──


「これがボクの【権能】。【運命識士(リード・スペクター)】──“過去”、“現在”、“未来”を情報として認知することのできる()さ」


 呼吸をするように自然な動作で魂から呼び起こし、【権能】をホロウの前で顕現させる。

 アナスタシア曰く、【権能】を明かす行動は最後の切り札を惜しみもなく露呈させるという点で、何よりの信頼の証とできるようだ。

 先述したように、これは博打だ。

 ホロウを味方として引き入れるために、恐らく正面戦闘では敵わない状況で奥の手を曝け出す。

 未知の情報があるだけで、人間とは無意識に警戒してしまう。

 そして、それが()()()となる。

 故に、それを潰す。

 ホロウとこちらの状況は同じならば、求められる答えは二つに一つ。


 即ち、共闘するか、決別するか。


 そして、【権能】として己の眼前で滞空している【運命識士(リード・スペクター)】は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 黄金の背表紙に、表裏表紙共に気品に満ちた装飾の施された分厚い洋書が如き様相を誇る、【権能】。

 第一段階“知識蒐集”──識りたいと念ずると、本は一人でに開帳し白紙のページへつらつらと情報が開示されていく。

 一見万能にも思える【権能】ではあるが、世界に存在する以上弱点はある。


 そもそも、【運命識士(リード・スペクター)】が開示する情報が正確を喫しているとはわからない上に、その出所(ソース)すらも不明確だ。

 そして、知略や情報戦においては向かう所敵なしに思えても、武力が向上した訳ではないために正面戦闘では足手纏いにすらならない。


 ほんの些細な戦闘で命を落とすやもしれない、そう思えるだけの経験を積んできたつもりだった。


「──これが、現状さ。納得してくれとは言わないが、理解はしてほしい」


「………………一から十までは信じられない。話では貴様主導だったが、アナスタシア殿が裏で操っている可能性がある」


「ほう……? その根拠は?」


「根拠なんてない。ただ、スウィツアー商会の元代表なら、()()()()()()()()()()をただで放逐するとは思えない」


「悪名高いね、その商会」


「人聞きの悪いですこと。下手な外聞が出回れば商いにも影響があります。デマは人を殺せるのですよ」


「あ、ああ。勘違いないでくれ、アナスタシア殿。吾は何も貴女を疑っているわけではない。この……得体の知れない男を警戒しているだけだ。そのための可能性を一つでも潰そうと……」


「それなら納得ですね。わたくしも気に入りませんもの」


「はははは……面と向かって言われると堪えるね」


 苦笑混じりの冗談で流してはいるが、二人に根差した懐疑心はおいそれと拭えるものではない。

 人を信頼することは、罵倒するよりも難儀だ。

 慧眼あるホロウは勿論のことだが、アナスタシアは尚のこと。


 彼女は知っている。

 牢内にいた己と、飄々と詭弁を擁しているかの如き詐欺師を彷彿とさせる自分の、()()を。


【権能】と人格はどちらが先か? それが【権能】を発現させた時の素直な疑問であった。

 魂の形を具現する事象が【権能】であって、先天的に内包しているのであれば、魂=【権能】と規定することができる。

 しかし、魂を発露するだけではヒトとは言えない。

 人には“感情”があって、喜怒哀楽の気分があって、表面的なそれらは人格によって織り成す人間性だ。

 それらは必ずしも脳内で巻き起こされる神経系統の働きと一概には括れない。

 どこかしらに不確定要素が介在し、それが魂と仮説を立てられるかもしれない。


 仮説に仮説を重ねる愚を承知で規定するならば、魂=【権能】で、人格=魂、の式を除外するだけの材料がないのもまた事実。


 つらつらと何が言いたいのか。

 あくまで事前情報として捉えられた魂と【権能】、そして人格の三要素を統合して鑑みるに──どうやら()()は死んだらしい。


 勘違いしないでほしいが、物理的に命燃え尽きたわけではない。


 牢内でアナスタシアの力となる、そう決意して【運命識士(リード・スペクター)】を発現させた時分では持ち得なかったのだ。

 閾値(キャパシティー)が。

運命識士(リード・スペクター)】によって齎された情報の濁流は到底受け切れるものではなく、一身に放置しておけば呆気なく廃人と化す所であった。

 故にだろう。

 人間とは酷く不器用で合理的な生き物だ。


 自分という人格が情報に侵食されて崩壊する最中、本能は予想の斜め上を突く選択肢を選定したのだった。


 それは、押しつぶされる人格にあえて()()()()()をぶつけて魂を摩耗させ、()()()()()()()()()()()()()()()()なんて荒唐無稽な最善手を創出したのだ。

 なんとも、奇妙なことに、一連の逃避行動の結果を定義上新たな人格である()は疑問もなく呑み込める上で、()が唯一無二の人格であると自認すらある。


 纏めると、【運命識士(リード・スペクター)】発現の副作用で廃人一歩手前と化した()()は、本能に従って()()を放棄し、()を作出して擬似的な二重人格とすることで回避。

 その結果、()()()の間に齟齬が生じて眼前で()()を見ていたアナスタシアに不信感を抱かせてしまったと。


 つまり、()は日本にいた頃の()()ではなくなったけれど、記憶として事実だけが閲覧できる魑魅魍魎と改変されてしまったということだ。

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