17. 決別の刻
パチパチと爆ぜる篝火が四方に点在する祭壇と思しき広範な空間で、月明かりの下に照らされて佇む己とアナスタシア。
人質に取られているような状況でなければさぞ気分の良い夜だったのだろう。
手枷足枷の類に行動を阻害されているわけではないが、邑中の“龍人”が仄かな殺意を滾らせて包囲網を完成させているだけで十分な抑止力となる。
老若男女を問わず。
男も女も、子どもも老齢も、年齢や性別には大差はなくて、皆来るべき時を心待ちにしている様子だ。
「おい、あの娘はまだ見つからねえのか?」
「……、そのようです。守人衆が探索しているのですが…………芳しくありません」
「まあ、いい。いづれ帰ってくるだろうさ」
不機嫌を隠そうともしない“オドラの民”の邑長であるオンは、他の邑人とは異なって落ち着きのなさが露呈している。
余程、どっちつかずの現状を憂いているのだろう。
その問題を解決しようとする精神は褒められるべきだが、手法については疑問を呈さざるを得ない。
無言の刃を向けられている身にもなってみれば、ある種の圧迫感や窮屈さも感じ取れるだろうが。
「…………ホロウはどこに行ったのでしょう。貴方は心当たりがないのですか?」
暴力や殺人とは出来うる限り距離を置いていたアナスタシアは、殺気が空気と混在して濁ってしまった雰囲気に充てられている。
今にも緊張と恐怖でへたり込んでしまいそうな両脚に力を入れて、会話で気を紛らわせようとしている気丈な振る舞いには彼女生来の強さが垣間見える。
だが、人質という立場で堂々と談笑するわけにはいかないと自制心が働いているのか、小鳥が囀るような小声だ。
「皆目見当がつかないね。僕たちが最後に言葉を交わしたのは二日前の正午だけれど」
彼女の態度は余りにも過剰な警戒と言わざるを得ない。
そのようにびくびくと怯えていては、オンたちをつけあがらせるだけだ。
“龍人”の目的はホロウを“龍人”だと認めさせて、邑へと永住させること。
理由までは憶測の域を出ないが、それでも友好的解決をかなぐり捨ててまでも達成させたい目的である以上、オンたちは慎重に動かなければならない。
つまりは、ある一定の自制心が働いているだろうと容易に想像できよう。
故に、多少派手な言動をしたところで“龍人”の面々は手出しできないと考えられる。
「声が大きいっ! 何のためにわたくしが小声で話しかけたと思うのですかっ!」
「五月蠅いぞッ! 傭兵ッ!」
アナスタシアの返答の方が大きかった気もするが…………これも、普段の行いというやつか。
とはいえ、解せないが。
「これは済まない。どうしようもない焦燥に身を焼いているというのに、ピリピリと刺激してしまったようだね。気をつけるとしよう」
「…………貴方、やっぱり一度刺された方がいいと思いますよ」
この場では唯一の味方であるはずのアナスタシアから見捨てるような発言が飛び出ているが…………きっと、気のせいだ。
今は肩を震わせて怒りを堪えているオンを見て溜飲を下げるのに忙しい。
剣幕から察するに、どうやらホロウが見つからなくて相当気が立っているようで、周囲の…………オンとは立場的に距離のある邑人に至っては、半歩退いている。
「それで、オン。彼女は見つかったかい? 僕も腹を割って話したいのだが…………」
ホロウと会話をする。
それも、彼女を突き放す訳ではなく、共に在るために。
オンたちの策略によって人質なんて立場に身をやつしていなければ、昨日の内に言葉を交わせていただろうに。
己の言葉を遮って殺気と、すらりと月明かりを反射する白刀を喉元に突き立てる野蛮な妨害を躊躇なく選択されてしまえば多少の無茶すら抑制される。
己を睨む瞳には底冷えするような殺意と威圧が内包していて、柄からはギリギリと余りの握力によって悲鳴が聞こえる。
方向性の定まっているはずの殺気だというのに、毎秒に膨れ上がるためにあっという間に周囲へと漏れ出ている。
そこかしこから息を吞む気配がするのだから、比較的爆心地から近いアナスタシアは呼吸すら止まっているように見える。
恐らくは、邑長という立場ではなく、オンという“龍人”だからこその結果だろう。
だが、己とてそう易々と引き下がる訳にはいかない。
この場で「はいそうですか」と黙してしまえば、それはホロウの選択肢を奪うと同義だ。
ホロウは優しい。
暗殺者として裏の世界で生き抜くために堅牢で残忍、冷徹な仮面を被らざるを得なかった。
彼女の性根は、魂は気高くて、誰よりも善しいのだ。
「オン。刃と死を見せた所で、止まらない者はいるよ」
「それが貴様だとでもいうのか、傭兵」
「いや、あくまでも一般論さ。僕は、生憎とそれ以下だ」
「……? 戯言か」
「そうでもない。鈍感なのさ、僕は。幾ら君が殺気をまき散らしても、僕の四肢を割いても、死をもたらしたとしても…………止められないのさ」
「その性分に命を賭ける価値があるのか、傭兵……!」
ブツリと左脚に鋭い痛みが走る。
喉元に突き立てられていた刃が、瞬きすら許さずに振るわれたのだ。
血潮を噴き出して瞬く間に己の周りを紅一色で染め上げる。
幻想的ですらある光景だが、生憎と感傷に浸れるほど余裕があるわけでもない。
視界の隅ではアナスタシアが口元を覆って、衝撃に打ちひしがれている様子が見て取れる。
きっと、オンが本気で戦闘不能を狙ったのであれば、己の左脚は泣き別れしていただろう。
だが、彼女は己の言葉の重みについて問うた。
筋肉のみを断って骨は繋がっているだけの奇怪な感覚に、捨てきられなかった恐怖が首をもたげているのが分かる。
否が応でも理解させられる。
“龍人”の身体能力と、彼ら彼女らの覚悟を。
けれども、譲れないのだ。
愚鈍で愚劣な己へと、アナスタシアが教えてくれた。
成り行きと合理的な都合の結果とはいえ、ホロウと旅をした時間は思い返してみても充実していた。
己も、ホロウとここで別れるなど御免だ。
「僕はね、『悪人』だから。一度でも思い描いた絵図から逸脱しそうになるであれば、是が非でも修正したくなるものさ」
「…………答えになっていない」
「はは、そうだろうとも。君は、僕を知らないからね」
わなわなと肩を震わせて怒りを下そうとしているオンを眼前に捉えて、刹那の後に起こりうる末路を想像してしまう。
己の血で塗れる刃の先が平行に、胴を一直線に薙ぐ軌道を描いて──
「長ッ! 来ましたッ!」
──邑中に響き渡ったであろう大音声によって、寸での所で己の身体には触れることがなかった。
視線をオンの背後に、アデラ・ジェーン山脈に通ずる密林へと向けると衝撃に目を見開いているホロウと、“龍人”の少女の二人が人の波をかき分けるように表れた。
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考えが纏まらない。
一体、自分が一日帰らなかっただけで何が起こったというのか。
いや、違う。
この考えは逃げだ。
少し理解を巡らせれば予見できたであろう。
堪忍袋の緒が切れた“龍人”が、誇りの意味を履き違えた彼ら彼女らが、人間を下等生物として見下しているのであれば。
実力行使を選択するなど火を見るよりも明らかではないか。
質の悪いことに、オンたち“龍人”は“龍気”を用いれば人間を遥かに凌駕する能力を保有する。
ホロウとそう年齢の変わらない、若しくは、テリアのように年下の子どもであっても、逆立ちしても埋められない差があるのだ。
テリア曰く、“龍気”にも練度があって、熟練の使い手ほど呼吸をするように自然と使用できるらしい。
つまり、予備動作がないのだ。
高確率でホロウを上回る速度と、膂力に身を任せた破壊で事足りる。
加えて、剣術や槍術など武術が上乗せされてしまえば、生存は絶望的だ。
「…………ようやく来たな、娘」
しゃがれた濁声によって、急速に回転していたホロウの思考は外界へとシフトした。
前提状況は理解できた。
次は現状の把握だ。
人質は二人。
アナスタシアと『悪人』だ。
けれども、後者に至ってはどくどくと左脚から大量の血液が流れており、一目で重症だと知覚できる。
恐らくは、抵抗をしたのだろうとは思うが、あの『悪人』のことだ。
どのような経緯で怪我を負ったのか推測もできない。
アナスタシアにおいては、見かけの怪我はないようだが…………まだ安心はできない。
「……? テリア、お前が連れてきたのか?」
そうか、オンにしてみればテリアが自分を連れてきたように受け取れるのか。
実情は、ただテリアと話していただけだ。
一日を費やしても、足りないと思えた初めての友との談笑だった。
とはいえ、オンたちはそれを知らない。
知らなくて当然だ。
“龍人”は病的なまでに内向的で、邑の外へと赴くのも専ら狩猟目的だという。
山脈を降りると人間の街が広がっていると分かっていながら、邑の中で情報を完結させているのだと。
テリアは愚かしいと清々しいまでの笑顔を携えて罵倒していた。
けれども、いつの間にかホロウの隣まで歩を進めていたテリアの横顔は、彼女らしさの面影を一切感じられないのっぺりとした能面のような無表情であった。
「……、長。これは何の真似かなぁ?」
「見ての通りだ。そこな娘が正式に“龍人”と認められる状況を作った。利口なお前ならばわかるだろう?」
「認めるって…………これが、“龍人”の誇り……? 立派な脅迫じゃなぁい」
ギリ──と歯を食いしばったような鈍い音が耳朶を打った。
テリアは“龍人”であって、オンたちのような“龍人”とは異なり、種族に拘泥していない。
それは、密林で語らってホロウは知っている。
だからこそ、オンが命令を下して、唯々諾々と従うだけの他の邑人に対しても怒りの矛先を向けるだろう。
邑中の“龍人”が集まっているためか降り注ぐ視線の数を最早ホロウには数え切れない。
中には、テリアがオンへと食い下がるようにも映った者もいるはずだ。
これ以上、彼女はここにいるべきではない。
「…………テリア、戻ってくれ。その方が──」
「安全って~? 意味わっかんな~い」
薄桃色の髪を灰を含んだ風が揺らす。
問いかけたホロウをちらと垣間見て、くすりと頬をほころばせた。
琥珀色の瞳には先までの怒りも、血潮を見て取り乱していた姿はなかった。
まるで、途轍もない決意を秘めた様相に一抹の不安を感じる。
「……!? 何を言って……っ!?」
動揺するホロウを尻目に、テリアは躊躇いなくオンへと向き直った。
決闘を挑む闘士を彷彿とさせる雰囲気には、オンを除く邑人をたじろがせる気迫が込められている。
「長……ううん、オンさん。今のみんなって~…………すっご~く、ださいね~」
「……! テリアッ! 貴様、長に向かって何たる口の効き方だッ!」
長候補の“龍人”が烈火の如く吠える。
一邑人で、それも大人びているとはいえ、まだまだ子どものテリアが敬うつもりもなく罵れば、叫びたくもなるだろう。
これ以上、悪態を吐けばテリアの立場が危険だ。
そう判断したホロウが、反射的に言葉を遮ろうとするも……寸での差で間に合わなかった。
「だって、そうじゃな~い? ダアトちゃんの弱みに付け込んで、「殺されたくなくば“龍人”だと認めろ」って~? それが“龍人”の誇りなら──“龍人”なんてみぃんなドブにつっこんで死んじゃえばいいんばいんだよ~」
「……っ、テリア…………!」
正直に言えば、舞い踊りたくなる程に、嬉しい。
友だちが自分を慮って、間違いを間違いだと断じてくれた。
けれども、逃げてほしいとも思った。
テリアはホロウのために、家族も、友人も、故郷ですら捨てたのだから。
非常に強固で埋めがたい軋轢を生じさせては、テリアの居場所はなくなってしまう。
“龍人”としての誇りを、矜持を偏屈にも固辞する“龍人”たちの前で、それを貶すのならば。
ブルと同じような、憤りが豪雨のように浴びせられるであろう。
「………………………………娘、貴様はどうする」
テリアの言葉を受けて怒り心頭の邑人とは異なって、一人沈黙を保っていたオンが口を開いた。
まるで地の奥底から響いているかのような原初的恐怖と、内蔵を掴まれたような生理的な嫌悪感が全身を縛る錯覚に陥ってしまう。
二者択一を迫られているのだと、本能が理解した。
命がかかっているのだ。
人質としてアナスタシアと『悪人』の命が。
けれども、テリアの覚悟を踏みにじりたくもない。
「吾は、吾は…………」
答えは決まっていた。
だが、まさかこのような状況で問われるとは思ってもみなかった。
足踏みしてしまう。
自分には、テリアのような覚悟はない。
自分の命を、他者の命を秤にかけて決断を下すなど、恐ろしくて震えが止まらない。
逡巡の果てに、結局、自分自身に愛想が尽きる。
「…………“りゅ──」
目が合った。
激痛に身を蝕まれているはずなのに、涼しい顔をしている『悪人』と。
普段のような軽薄で、偽善者の皮を被った仮面などではない。
篝火に照らされて、月明かりの下で、純粋な微笑をみた。
まるで、この先に何が起こるのか、見透かしているような。
そして、ふっ──と視線を彼の左後ろへと逸らした。
「ホロウ=クルヌッ! 貴女の信念に従いなさいッ!」
魂が痺れた。
ホロウが現れてから、いいや、きっと人質に取られた時から怯えていたであろうアナスタシアが、『悪人』を押しのけて前へと踏み出したのだ。
自分のためだけに、命をみすみす危険にさらすような真似をして。
それでも、アナスタシアはホロウに噓をつくことを許さなかった。
例え、自分の命がかかっていようとも、次の瞬間には刈り取られようとも、声を張り上げたのだ。
「……っ! 吾は、どちらでもないッ! 吾は、他の誰でもないだッ!」
気が付けば、叫んでいた。
驚愕に打ちひしがれるオンの表情が、動揺して右往左往する邑人の様子が、滑稽に思えて仕方がない。
隣で満面の笑みを浮かべるテリアに、自己の命を顧みずに叫喚したアナスタシアに、胸を張って応えられた。
ホロウ=クルヌは“龍人”でもなくて、人間でもない。
それは同時に、“龍人”であって、人間でもあると同義だ。
そして、種族など大した差ではない。
世界で無二の自分を、ただそれだけで受け止めてくれる者がいるのだ。
それで十分ではないか。
後悔などはなくて、ただひたすらに爽快感ばかりが胸を占める。
「………………………………それが答えか、小娘」
ひゅ──っ! と喉の奥から悲鳴になり損ねた声が零れた。
ホロウだけではない。
アナスタシアも、テリアも、邑人でさえも微動だにせず、オンの一挙手一投足に注視している。
そうだ。
まだ、終わりではない。
否を突き付けたのならば、どうなるのか。
猶予はないに等しい。
どうすればアナスタシアを、『悪人』を助けられ…………るの、か?
「それでいいんだよ、ホロウ。僕も、君と別れるなんて御免被りたいところさ」
そこには、人質であった男がいた。
いや、依然として武闘派の“龍人”に囲まれて、オンの間合いに入っていることには間違いない。
だというのに、本能が「問題ない」と警鐘を沈めたのだ。
飄々として、掴みどころのない佇まい。
左腕はだらりと力なく重力に従って垂れていて、左脚は目を背けたくなってしまう怪我を負って、武器らしい武器は保有していない。
けれども、そう、安堵してしまうのだ。
もう大丈夫なのだと。
問題は一つも片付いていないというのに、後は彼に任せておけば間違いがないのだと本心からそう思ってしまう。
明確な理由などない、漠然とした信頼だけが胸中に染み渡っていく。
そこにはただ、『悪人』であるとしか理解できない男がいるだけだった。




