16. 決断と葛藤
夜が開けた。
気持ちのいい目覚めとは、生憎と断言できない。
昨日の問答に対する答えが、真に正しいものか自信が今一つ持てずにグルグルと思考ばかりが先導している。
これはいけないと自己評価できても、ならばどうすればいいかなんて霧を掴むかのように曖昧だ。
未だ眠っているのではないかとすら錯覚する程に、足取りは浮ついていて。
それでも、輪郭はくっきりと断言できるなど初めての感覚だ。
「……さて、どうしたものか」
「気分は冴えませんか?」
「ああ。思考が全て空回っているようだ」
「その割には……清々しい顔をしていますよ。今までで一番の表情です…………今なら、極小の好感が持てます」
「はは……その論理ならば、君は僕に好感を抱いたことなど皆無となるのだが」
「ええ、その通りです。これまでの言動を顧みてください」
つんと言い切って、逃げるように去るアナスタシアの罵倒…………悪態に言い返す心持ちにすらなれない。
これが正常な状態なのか判断は覚束ないものの、幾人もの人物の、百面どころか千面も見てきたアナスタシアが「悪くない」と言うのだ。
きっと、問題はないのだろう。
とはいえ、己の中で出た結論は未だに答えをぶつける先の、当の本人には伝えられていない。
昨日の日中に、“龍人”の子らに誘われた姿を最後に、昨晩は帰ってこなかった。
まるで、御伽噺の中で妖精に連れ去られた愛娘を慮る父親の構図に思えて、奇怪にも感じられるが。
「……、! 帰りましたか?」
背後でアナスタシアが慌てて出入口へと向かう様子が想像できた。
噂をすれば影が差すとは言い当て妙か…………諺とは存外捨てがたい。
「お生憎様だな、商人さん。お目当ての人物じゃなくてがっかりしたか?」
けれども、耳朶を打った声はしゃがれていて、けれども老獪さを感じさせるものだった。
まあ、つまりはホロウとは似ても似つかない人物で、アナスタシアが警戒の余り普段は決して近づこうとしない己の背後まで駆けたのだ。
「かの娘の件で話がある。邪魔するぜ?」
ずかずかと側近を引き連れて現れたのは、“オドラの民”を纏める邑長たるオンだった。
初対面で見えた時と何ら変わらない服装で眼光ばかりがぎらついた油断ならない者が、まるで決闘を挑むかの如き様相を携えて、どかりと椅子へと腰かけたのであった。
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記憶に新しい対面だ。
二日前にも近しい構図を経験した。
けれども、今回の場合には背後で威圧感を放っていた警備兵はおらず、また、ホロウの姿もない。
オンの訪問の理由は定かではないが、ある一定の予想はつく。
無論、最悪の場合を想定してしまうのが人間の性であり、己もまたその例に漏れない。
人一倍臆病であるために、必然というべきだろう。
即ち、己やアナスタシアが関与できなかった昨日の間に、ホロウが“龍人”であることを受け入れて邑に永住する覚悟を決めたケースだ。
アナスタシアも可能性は当然考慮できているために、蒼白とまではいかずとも普段からは想像できないほどに表情が読み取りやすい。
不安、懸念、危惧、その他一切の恐怖が首をもたげているのだろう。
「さて、今日、貴様らの元を訪れたのは他でもない…………」
あえて焦らすように、言葉を切ったオンは時が止まったのではないかと錯覚する程にゆっくりと視線を合わせてくる。
その瞳に何が写っているのかは知らないが、少なくとも、己は平静を取り繕えている。
「………………あの娘から手を引いてくれ」
ふっと肩から力が抜けた。
知らず知らずのうちに緊張していたのだろう、どっと気疲れが襲ってくる感覚に陥ってしまう。
隣で短く息を吐くアナスタシアも気持ちは同じだったようで、軽く背凭れに体重を任せていた。
オンの言葉から、ホロウは未だに決断を下していないことは理解できた。
そして、それは最悪のパターンには類似していないと同義だ。
だが、かといってオンたちの訪問を喜べるはずもない。
彼女の言葉は大いに聞き捨てならないためだ。
「手を引くとは、金輪際の関わりを禁ずる言い回しだね。君にダアトの何を決められる権利があるというんだい?」
「全てだとも、オドアケル。貴様らではあの娘には相応しくないと言っている」
「ふむ、論理が破綻しているね。先ず、君にはホロウの自由を侵害できる権利はない。それは同時に、君の言葉は当てにならない」
「相変わらず神経を逆撫でする言い回しだな、傭兵風情が」
「褒め言葉として受け取っておこうか、“龍人”代表様。それで、そんな平行線の議論の二番煎じに来たわけではないのだろう? 互いに時間は有意義に使いたい手前、早めに本題へと入ることをおすすめするよ」
額に皺が寄る様とは、存外気分は悪いものだ。
不快にさせるつもりがないわけではないが…………愉悦に浸るにしては悪趣味だ。
けれども、オンの狙いは不明瞭なままだ。
わざわざ二日前の議論を持ち出す意義もなければ、利益もない。
“龍人”か、人間か。
それを決めるのはオンや己のような外野ではなくて、ホロウ自身なのだから。
「…………貴様の言葉に従う形となっては不本意だが、いいだろう。話を先へ進めよう」
その言葉を皮切りに、息が苦しくなった。
違う。
そんな軽微な変化などではない。
威圧だ。
生命体の隔絶した相違から魂が形なき恐怖を実態のものへと変化させたのだ。
指の一本、視線の一つ動かせない空間においては、真っ当な生命活動一つとっても至難の業だ。
反抗精神や対抗心を根こそぎ簒奪する絶対的な存在を前に、【権能】の行使という考え自体消滅してしまう。
口先だけで丸め込めるような人物などではなくて、今までは彼女たちなりの気遣いで生かされていたのだと否が応でも知覚させられる。
「我々としても、どっちつかずの気持ちの悪い状況は御免でね。貴様らがあの娘にとってどれほどの存在であろうと、いい揺さぶりになる」
「はは……、成程。人質司法という訳だ。短気な君たちにしては、考えたね」
言い切った途端の刹那──左肩に息を吞むような激痛が走った。
近いようで遠い所でアナスタシアが息を吞む音が聞こえた。
生暖かい液体が重力に従って、次第に腕を流れる感覚を痺れるような激痛に苛まれながら甘受せざるを得ない。
「────言葉には注意を払うことだ、下等生物。俺たちが温情で貴様らを見逃しているだけだと、分からないか?」
互いの吐息が掛かる程度に間近で睨まれて、喉元までせりあがった不平不満すら霧散させられる。
いつのまにやら左肩から抜かれた、己の血液に照らされた刃が眼前までこれ見よがしに差し出される。
これは、容易に理解させられた。
“龍人”とはやはり人間とはかけ離れた強靭な存在で、今の己には反抗する術がないことを。
「決行は今夜だ。それまでは、大人しくしておくことだ。視界の隅に片時でも入ってみろ、煩わしくて打ち払ってしまいそうになるからな」
眼前からオンの顔が消えたと同時に、全身を縫い付けていた威圧もまた噓のように霧散した。
気が付いた時には彼女らの姿はなく、残ったのは驚くほど冷徹な捕食者の瞳と、激痛を訴える本格的に使いものにならなくなった左腕だけだ。
身体の芯から凍えるとは、このことを指すのかと場違いにも、逃避してしまう。
成程、彼ら彼女らは正真正銘、己など容易に打ち払える存在なのだと魂に植え付けられた。
「貴方、大丈夫なのですか…………?」
声の方向へと視線を向けると、動揺に瞳を揺らしたアナスタシアの姿が見えた。
その表情には、やはり恐怖と圧倒的な威圧に呑まれた衝撃が刻まれている。
「オーナー、怪我は? 大事ないかい?」
「それはっ……! 貴方の方こそ……!」
「僕は問題ない。端から満足に動かなかったものだ。これを機に取り替えてもみるのも悪くない」
「取り替えるって…………貴方は本当に………………!」
続く言葉が気になるところだが、彼女に大した怪我がなくて安堵した。
やはりオンの意識を纏めて注目させた甲斐があったようだ。
アナスタシアの無事と引き換えに左腕を失ったのだと思えば、十分に安い取引だったといえよう。
さて、新しく問題が累積した。
ホロウと対話をしたくとも、できない理由が増えた。
恐らく、一歩でも家屋より外に出るとオンたち“オドラの民”は実力行使へと出ることだろう。
今度は左腕だけでは収まらない。
命すらも覚悟しておいた方がいい。
だが、だからといって大人しくしていると今夜のうちには、この命はない。
ホロウに“龍人”であると認めさせて、邑へと永住させる決断を引き出すための交渉材料として。
いいや、もはや交渉などではなく、脅迫といったところだ。
「さて、どう出るか…………悩みどころだね」
「……っ、どうして………………どうして、嗤えるのですか?」
視界の端で蹈鞴を踏むアナスタシアの様子が写ったが、彼女の言葉の方が気になるな。
嗤うだって? 成程、どうやら己は愉しいらしい。
まあ、とはいえそれも頷ける。
中途にアナスタシアの言葉で魂へ刻んだ信念を呼び起こされた出来事があった──とはいえ、全て識っていた“未来”故に。
さあ、『悪人』よ。
最後の決断を下す時間だ。
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いつの間にか夜が明けていた。
天を仰ぐと憎らしいまでに燦燦と照りつける太陽が、まるでどうしようもない自分を嘲笑っているように思えて仕方がない。
被害妄想甚だしいが、何かに当っていないと気持ちが落ち着かなくて所かまわず八つ当たりを繰り返してしまいそうになる。
こんな、こんな感情が蜷局を巻くような経験はしたことがない。
常にホロウの感情は単一で、それはさして自分自身にさえも興味を示していなかった証左に過ぎない。
「…………吾は、何なんだろうな」
独白を聞き届ける者はいない。
ここは邑の外れにあたる、アデラの密林と大して変わらない木々の上。
必ずしも他者が立ち入らない訳ではないだろうが、“龍人”たちの自信に満ちて気配を隠す意図すら感じさせない感覚ならば警戒する必要はないだろう。
最後の記憶は容易に思い出せる程に簡潔で、鮮烈だった。
故にこそ、ホロウにはそれを受け止めるだけの度量が、懐の広さが足りていなかった。
そうだ、思わず逃げ出してしまったのだ。
自分は無情にすら思える外壁を隔てて、ただ耳にするだけ佇んでいて、ただ二人の存在を声とだけで感じていただけで…………それが酷く惨めに思えて。
心からの絶叫は、いままでに飽きるほど聞いてきた。
目を閉じるといつでも再生できる生命の途切れる最後の咆哮。
無様であろうと生にしがみついて生き永らえたいと克明に分かる時もあれば、もはやここまでと腹をくくる場合もある
断末魔とはホロウにとって死と同様、常に隣にいて馴染みの深い存在だ。
けれども、あんなにも“愛”に満ちた慟哭を聴いたことなんて、ない。
「アナスタシア=メアリ…………てっきり合理主義の冷徹な人間とばかり思っていた」
奇しくも彼女の嫌悪する『悪人』と同様の先入観を抱いていたとは…………気が付かなかった。
認めよう、頷こう、吞み込もう。
『悪人』と自分の世界を視る媒介は何も変わらない。
生命体の行動原理とは即ち、“悪意”であって善性は所詮偽善に過ぎないのだと。
アナスタシアの存在は正しく合理と効率、偽善者でないだけマシな排他主義者であると決めつけていた。
ああ、それが如何に愚かしくて、どれほど彼女の魂対して軽んじていたのか痛感させられた。
「吾も、吾だって………………傍に、いたい…………っ!」
ホロウ=クルヌが何者なのか。
唾棄するほどに毛嫌いはするが聡明な『悪人』に問いても、“龍人”と交流を図っても、答えは出なかった。
幾度となく自分の裡へと問い質しても、魂と向き合ってもどっちつかずの模糊とした残骸しか映さなかった。
けれど、どうしてだろう。
アナスタシアの言葉を聞いて、鈴を転ばせるような溌剌としたそれでいて沈静な声色を聞いて、彼女の感情に触れて。
何者であろうと彼女の隣で語り合っていたいと思えたのだ。
尻軽だとも、情に弱いと誹りを受ける覚悟はある。
今までに数多の命を簒奪して、浴びるほどの血を被って、数多の惨劇を生み出してきた分際で、のうのうと幸福を謳歌してもよいのかと石を投げられるのも承知の上だ。
それでも、純然で混じり気のないホロウ=クルヌを受け入れてくれた彼女に報いたい、隣にいたいと思う感情に噓はつけない。
「…………話をつけにいくか」
「誰と話すのかな~? ダアトちゃん?」
「やはり、貴様か」
害がなければ放っておいていいだろうと決めていた。
他の“龍人”とは異なり、多少は気配を潜めて窺うなんていう謙虚で、隙のない少女もホロウにとっては気付いてくださいと言われているようなものだ。
薄桃色のウェーブがかった髪を木々の間を駆けるそよ風に揺らしながら、大地へと降り立ったホロウを待ち伏せるようにして姿を現した少女。
ホロウと同じように琥珀色の瞳を木漏れ日に輝かせて、ニマニマと人を食ったような微笑を携える“龍族”の末裔。
口汚く“龍人”を罵ったホロウの眼前へと堂々と姿を見せるその図太さには、最早尊敬の情すら湧いてしまう。
「テリア…………だったか? 何をしにきた」
「何って……ダアトちゃんを待っていたんだよって言えばわかってくれる?」
「いや、わからんな。貴様らと吾では価値観が違いすぎる。この邑は……吾にとっては窮屈だ」
まるで本心を見透かすように窄められた相貌に、僅かな殺気すら込めて睨み返す。
ブルとの問答に加えて、アナスタシアのおかげで自覚できた本心。
その両方を自覚して、ようやく決心がついた。
ホロウ=クルヌは“龍人”であろうと、人間であろうともアナスタシアの“愛”に応えたい。
そして、少なくとも“オドラの民”と邑での生活は望み得ない。
「勧誘にきたのなら諦めろ。吾は貴様らにとって期待外れの解答を口にするだろうからな」
「勧誘? 確かに、ブルたちは大人に言いくるめられてたな~。「あの娘は誇り高い“龍人”の一人なんだ~」とか」
くすくすと、まるで嘲るように笑うテリア。
意図が分からない。
わざわざ人目のつかない密林の最中までホロウを追ってきて、一体何が目的で……?
「目的なんかないよ、ダアトちゃん。あたし、別にダアトちゃんが“龍人”でも、人間でもどっちでもいいし~」
「はぁ? 貴様らは吾を“龍人”として…………!」
「ダアトちゃんこそ、くだらない偏見はやめなよ。“龍人”の中でも、種族を誇りにしない人だっている。それがあたしってだけ」
ぴしゃりと言葉を叩きつけるテリアの様相は、先までの穏やかで神経を逆撫でするような嫌な人懐っこさは皆無であった。
瞬きの間に霧散してしまったのではないかと疑いたくなる程に、まるで仮面を脱ぎ捨てたかのように。
だからこそ、ホロウには彼女の心の裡に秘めている思惑を勘ぐってしまう。
「な、ならば、貴様は何を…………?」
「ダアトちゃんとお友だちになりたかった。ううん、過去形なんかじゃない。今も、あの時も、ダアトちゃんの言葉と、考えを聞いて。もっと、もっと、お友だちになりたいって思うの」
「……っ、友だと…………」
狼狽が隠し切れない。
ホロウを真っ直ぐに見つめるテリアの琥珀色の瞳には、噓を言っているような感情はない。
本当に…………友だちになりたいというだけで、わざわざ足を運んだというのか?
「だからね、聞かせて? ダアトちゃんのこと」
「吾のこと…………?」
「うん。ダアトちゃんがどんな人で、どんな世界で歩いてきたのか。だって、それを知らなきゃただの他人だもの。それは、とても悲しいことじゃないかな」
メキメキッ! と近くの倒木を素手で分裂させて木屑や棘の刺さらないように払って、音もなく丸太に腰かけたテリア。
憂いを帯びた言葉の中には、確かに彼女の本心があって、紛うことなき彼女の目的があった。
もしかすると、彼女の言う通りなのかもしれない。
“龍人”へと偏見を捨てきれなかったのは、人間を一方的に目の敵にする“龍人”と…………醜悪で、毛嫌いしたあの姿と何も変わらないのかもしれない。
「…………いいだろう。だが、その代わり貴様の話も聞かせろ。吾ばかりでは、不公平だ」
「……っ! あははっ! やっぱり、ダアトちゃんは素直じゃないね。でも、そこが可愛い」
「だまれっ! それで、何から聞きたい。初めて人を殺した時の話か、それとも、へまして捕縛されて尋問とは名ばかりの暴力を受けた話か。好きな方を選べ」
「……………………できたら、それ以外で」
ころころと表情を変えて話すたびに、薄桃色の髪が揺れる。
口を開いて言葉を交わす度に身振り手振りで反応を示してくれる。
凄惨で救いようのない理不尽と不条理と、酷く下卑た暴威にまみれた人生で、誇れる所はなにもなくて。
聞いていて耳を塞ぎたくなるような惨烈の繰り返しだとしても、テリアは一度たりとも瞳を伏せなかったし、視線を外さなかった。
ただそこにあるだけではなくて、どこかの誰かの身に起きた他人の不幸だとは切り捨てずに。
まるで、そう我がことのように激憤と飲み下し、筋違いの悲劇を憎悪した。
そして、最後には──泣いてくれた。
物心ついた頃から略奪しかとりうる手段として存在していなかった生を聞いて、慟哭したのだ。
きっと、テリアでなければ侮辱だと、くだらない同情だと吐き捨てていただろう。
テリアだから素直に受け止められたのだろう。
決めつけるのではなくて、歩み寄る。
打算なんてかなぐり捨てて、出自など些細な問題で。
対等に、公平に。
それが、友なのだろう。
「貴様は、今までに会った者の中でも最たる変人だ」
最たる──偽善者のようでそうではない『悪人』や、無償で無垢な“愛”を魂に内在させているアナスタシアもまた、変人の一端だ。
同時に、テリアもまたホロウにとっては変人に相違ない。
聞きたくも知りたくもないであろう悲劇を、涙を堪えて最後まで聞き入れるなど…………到底、普遍的ではないだろう。
「そう? あたし、普通だと思うな~」
「ふん。全く程遠い概念だな、貴様と。何故、貴様は“龍人”にこだわらない? この邑に居れば、否が応でも受け入れざるを得ない価値観であろう」
“龍人”を貶したと感じた途端に手を差し伸べていた者へと石を投げるような、一種の病巣とすら思える邑で生きていて。
どうして、テリアは“龍人”に固執しないのだろうか。
子どもも大人も、須らく“龍人”としての矜持に執着している世界が全てだろうに。
知りたいと、柄にもなく思ってしまったのだ。
「あたしね、嫌いなの。いがみ合ったり、見下しあったりするの」
「…………それだけか?」
「うん。これだけじゃ、足りない? 今みたいにダアトちゃんと喋ったり、昨日みたいにみんなで遊んだり。“龍人”とか、人間とか、“魔族”だってさ…………何の違いにもなってないと思わない?」
「貴様のように考えられる者があと少しでも多ければ、など夢物語でしかない。それは承知の上だな、テリア」
「うん。ほんっと、残酷で悲痛だよね。みんなどこかで相手との違いを探して、優越できるところで見下して悦に浸ってる」
「そんな感情の肥大化したものなど、みたくもない。だが、蓋をしてしまうと…………より下劣で醜怪に慣れ果てる」
快活で闊達なテリアが弱々しく頷いている姿には、無情にも胸を締め付けるような鈍痛が響いた。
彼女も狭間で揺れ動いていたはずだ。
“龍人”と人間などの差異は無意味な喜悦だと分かっていながら、それでも、邑を追われてしまえば末路など分かり切っている。
だからこそ、テリアは道化を演じる他なかったのだ。
絶えず自己を責め立てる窮愁に屈さずに耐え続ける信念には、敬服の念すら湧いてしまう。
笑顔で接する同族の友にも、愛情を注いでくれる家族にも、打ち明けるわけにはいかない。
「貴様と吾は似た者同士だな」
「へぇ~。まさか、ダアトちゃんから歩み寄ってもらえるなんて。感激だな、あたしは」
「ふん。貴様がただの粗忽者でないとわかったからな。友に遠慮は必要ない」
わざとらしく瞳を輝かせたテリアの驚きに満ち溢れた顔は、とても新鮮であった。
全てを語ったわけではないのだろう。
テリアの耐えてきた言い表しようのない苦痛は、ホロウの歩んできた生の中で体感することのなかった苦痛だ。
だが、だからといって、全く異質なものでもない。
自分はテリアという“龍人”を、捉え損ねていたいたのだ。
彼女は余人が図るには、察するに余りある世界でただ一人、信条を貫き通したのだから。
その巨大で、敬仰すべき魂をどうして言葉を交わさずに理解できようか。
「それじゃあ、ダアトちゃんも認めてくれたことだし──あたしたちは友だちだね」
「ダアトではない…………吾はホロウだ。ホロウ=クルヌだ」
「……っ! うん、うんっ! 改めてよろしくね、ホロウちゃんっ!」
太陽に照らされた水面のような、夜空に輝く星空のような、燦然と煌めく笑顔で手を差し伸べるテリア。
ただ、互いの素性を話しただけ。
ああ、児戯に等しい逢瀬だ。
けれども、ホロウとテリアにとってはそれで十分なのだ。
初めて、できた友だちの語り掛けに満更でもない様相を隠し切れずに応じる。
むず痒くて、こそばゆく初々しい行動なのだろう。
だが、これこそが、他の何よりも相応しいのだと──そう、思えたのだ。




