68. 感動の再会
ファルガー領領主コルバリウスの一人息子、シーバス=フォン=ランゴバルドからの婚約を破棄する。
それが領主としての初仕事。
私の価値観は全てお父さんに教わったものになる。
領主である以上、打算と功利によって結婚相手を決められることが多い…………というより、常識だ。
帝国の歴史上、政略結婚以外で意中の相手と婚約した者はいない。
我を通すと家系から抹消されるから、いないらしい。
お父さんも申し訳なさそうな顔で教えてくれた。
だから、私も慣習に従うんだと思った。
ファルガー領の使者が私との縁談を持ち込んだと聞いて、私は悟った。
ロムルスなら好機として利用すると。
ラクノアを失脚させた手腕は恐ろしい程に緻密で、慈悲なんて欠片も存在しなかった。
その根底には徹底的なまでの演算と理由があって。
顛末を知った誰もが整合性を見受けられるように緻密に練り上げられている。
だから、彼はファルガー領攻略に縁談を契機にするのだと。
けど、違った。
ロムルスは私に聞いた。
顔も見たことのない相手を結婚するのかと。
そんな当たり前のことを尋ねられるとは思わなかったから動揺してしまった。
魔が差してしまったのだとも思う。
彼になら本心を口にしてもいいかもって。
──私の答えはいやだだった。
もしかしたら良い人なのかもしれない。
みんなが勘違いしているだけで、本当は優しい人なのかもしれない。
けど、怖いなって……思ってしまったから。
「緊張しているのかい?」
聞く人を堕落させるような、相手を篭絡させるような魅了的な声が隣から聞こえた。
優しげな目元で、人のよさそうな微笑を携えてはいるけど、計算され尽くした仮面だと私は知っている。
効果的に信用されるように、効率的に懐柔できるように。
賢い人ほど無意識に警戒してしまう彼だけれど、引き込まれるような話術によっていとも容易く疑心を剥がす。
杯中の蛇影であろうと彼にかかれば瞬く間に親しくなれる。
敵愾心に包まれた会場で貴族たちを味方につけた光景は忘れられない。
アナスタシアが自信を無くすのも仕方ないと思う。
だって無茶苦茶なんだもん。どれだけ必死に対抗策を練っても、ものの数秒で改善策を講じられる。
誰だって諦めたくなる。
「ロムルスは緊張しないの?」
応接間は来訪者を圧迫させるには十分すぎる程の絵画や調度品が並べられていて、既に攻防は始まっているのだと錯覚させられる。
「するさ。今だって気絶してしまいそうなんだ」
「うそつき」
「はやいね……」
「ヨーク、あまり彼とは話さない方がいいんじゃないか?」
「聞こえているよ? そういうのは当人のいないところで言ってくれないかな」
およよ……とさも傷ついたふりをしているけど、大根役者も真っ青な露骨さだ。
彼はネリアをからかって楽しんでいる。
心の底からヒトを嘲り、弄り、貶めて愉悦を得ている。
彼が万人に好かれない理由だ。
悪癖とすら言える負の側面だけど、それも魅力的に映るのだからおかしい。
「大丈夫、ボクがいる」
なんてことのない一言を無尽蔵の自信とさせるんだから、彼は規格外だ。
ふっと身体が軽くなった気がする。
肩に入っていた力が抜けた気がする。
全部気のせいかもしれない。
簡単に人の心に干渉してしまうのが彼だ。
「来たようだ。平常心を忘れずにね」
【運命識士】。最初に効力を教えてもらった時はなんだそれはって言いようのない怒りを覚えた。
過去、現在、未来の事象を全て情報として閲覧できる。
特に“未来視”は数ある【権能】の中でも渇望される万能の代物。
それを宝の持ち腐れにせず、使いこなしているのはロムルスの努力の証だろう。
「いやはや、お待たせしてしまいましたかな」
くすんだ金髪を撫でつけた中年の男と、自信に満ち溢れた様子で胸を張って歩く青年の二人が入室してきた。
「私はコルバリウス=フォンーランゴバルドと申します。そして、これがシーバス=フォン=ランゴバルドです。ご足労いただき、感謝しております」
「初めまして。私はヨーク=スヴァルグ=コンコートと言います。よろしくお願いします」
油断ならないと本能が警鐘を鳴らしている。
コルバリウスの視線、態度、言葉、全てが相対したことのない人物だと示している。
政治の世界に疎い私でもわかるんだ。
アナスタシアとマルタが警戒していた理由にも頷ける。
「して、そちらの方々はどちらでしょうか」
「……っ、えと…………」
「ボクはオリバー=ロムルス。ヨークの執事のようなものだ。そして、彼女がネリーアルス=ボスラだ」
「ほう、かの名高きボスラの」
「そうさ。彼女を怒らせると何をしでかすかわからないよ」
「ハハハッ。それはそれは……ユーモアのある方だ」
懐の広い人間を演じている。
ロムルスが話し始めてすぐに眉間が動いていた。
交渉のテーブルで主人以外が口を開くことは禁忌だ。
サラッと受け流す芸当のできたコルバリウスは歴戦の猛者という風格を印象付けられたけど。
シーバスは違うのだと、まだ私に毛が生えた程度の存在なのだとわかった。
さも当然のようにロムルスが話し始めた時、ぎょっとしていたから。
「ところで、ご息女は出席しないのかな?」
「……ナーサリーのことでしょうか」
「他に娘がいるなら別だけど。それは不貞行為を告白するようなものだ。生憎と、ボクは『女神』様じゃない。どれだけボクが純朴だろうと荷が重い。罪の告解は他をあたってくれたまえ」
「これは、中々。ヨーク様、彼はとても愉快な方のようだ」
すごい……あのコルバリウスから怒りを引き出している。
まだ対面して数分しか経っていないのに平静の仮面を剥がしてしまった。
到底真似できない不敬の数々。
普通に失礼だし、外交の場でなければすぐさま退席されるだろう。
違う。外交の場だから、なんだ。
アナスタシアとマルタが敵わなかった理由。
既に外交交渉は途中で終わっていた。マルタが婚約を破棄すると口にしたから。
趣旨が変わってしまっていた。
政治から商売に。
対等の立場から、コルバリウスに優先権が移ってしまっていた。
否が応でも対応せざるを得ない状況から逸していた。
だからって、扇動するのはダメだと思うけど。
代々セルム派のコルバリウス相手に異端とされる“カルカジェア派”の象徴である『女神』様をぶつけるなんて。
言っていいことと悪いことの区別がつかない人じゃない。
分かっていて挑発するように常識の線引きの上で反復横跳びを見せつけている。
これでもかってくらいのにやけ面で。
端的に、性格が悪い。限りなく、悪い。
「コルバリウス様。シーバス様。本日は先の縁談の件でお伺いさせて頂きました」
「……、ええ。承知しております」
この機を逃してはいけない。
ロムルスが作ってくれた千載一遇のチャンス。
相手を不快にさせて、自分の尊厳をドブに捨てる挺身行為を無駄にしないためにも。
…………趣味でやってるかもしれないけど。もしかしたら彼の本能なのかもしれないけど。
うん。演技だって信じよう。
「…………私は、時間が必要だと思います。お互いに、お互いを知る時間が」
「ほう……? それは?」
「パートナーになるなら、当然でしょう?」
後ろから息を吞む音が聞こえる。
ネリアの驚愕が空気を伝播して私に伝わった。
独断だ。とうぜん無断で。
本来の作戦なら、ここで私が縁談破棄を叩きつけて感傷的に屋敷を飛び出せばよかった。
既にホロウとアヤメは潜入しているから。
これ以上、彼らの注意を惹き続ける必要はない。
けれど、もし汚職の証拠が見つからなかったら? しらを切られたら? 握りつぶされたら? 当人を目の前にして初めて一筋縄ではいかない相手だとわかった。
引き際さえ見逃さなければ作戦の大筋へ支障をきたすことはない。
二人が確たる証拠を発見できれば断りの返事は幾らでも捏造できる。
世評は可哀想な女の子を護りたがる。
どんどん思考がロムルスに寄ってきた気がしなくもないけど……些細な問題だ。
「お返事を聞かせて頂いてもいいかしら?」
語尾はアナスタシアのように優雅に。
表情はマルタのように愛情深く。
けれど、自分だけの芯はしっかりと持って。
鷹揚に首肯するコルバリウスの透けて見える苦々しい表情が、私の選択が正しいのだと。
教えてくれた。
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夜空に星が瞬いている。
商店街の喧噪は鳴りを潜め、一家団欒の食卓が終幕を迎える時間。
此方たちもまた、ファルガー領の主張の強い食事に舌鼓を打っていた。
エディンのように味が濃い訳でもなく、トンム・ルドーのようにあっさりとした淡泊な味わいでもない。
味蕾への刺激が強い。香辛料の使い方が豪勢で、味わい深い料理の数々だった。
テリアさんが食べたらどんな反応をするかな? びっくりするかな? それとも気に入るかな?
でも絶対に、「おいしいぃ~!」って喜びを分かち合ってくれる気がする。
たった数日なのに郷愁に襲われていた此方の夕飯はあっという間に終わった。
炊事当番の騎士のひと──確か、ジョナスさんとルイスさんだ──が片付けをしながら、他の騎士の人たちは夜の鍛錬に行くといって全員が出払った。
エンリさんは二人の手伝いと、タイシカンの清掃に戻った。
すると唐突に寂寞感が談話室を包む。
沢山の人たちが急にいなくなると違和感にも思う。
けど、一番の原因は──
「反省したのか、貴様」
「しました」
「うそをつけぇっ! その眼、その瞳……私は決して許しはしないぞぉぉおッ! おまえの、お前のせいでぇぇええええッ!」
「まって、ネリアだめ。ロムルスがしんじゃう」
「殺そう。ヨーク、その方が世のためだ。たのむ……! 後生だからぁぁ……!」
「ノーモーション殺害予告か。ホロウ、あの悪鬼から守ってくれるかい?」
「何があったかはわからんが、貴様が悪いことだけはわかる。存分にやられてしまえ」
ボクは調子にのりました……っていう立札をもって正座をさせられてるロムルスさんのせいで。
此方とホロウさんと合流したロムルスさんたちの様子はおかしかった。
特に、ネリーアルスさんの。
この世の終わりみたいな絶望を隠せていなくて、フェリックスさんが心の底から困惑してた。ついでに興奮もしてた。へんなの。
「その……ネリーアルスさん。何があったんですか? きっと、ロムルスさんにも事情があったんだと思いますよ……?」
「流石アヤメだ。ボクを信じてくれているんだ。感激したよ」
「いや……これっぽっちも信じられませんけど……いちおう」
「義務だというのかい? ボクたちはあの夜誓い合ったじゃないか……! ボクの気持ちを蔑ろにするのかい……?」
「え、え?」
「きさまぁぁああッ! いたいけな少女に手を出したのかぁぁあああッ!」
「だめ、ネリア。すてい」
「見たまえよホロウ。あれが怒髪冠を衝くっていうんだ」
「…………貴様、一度くらい本気で怒られたほうがいいぞ?」
ホロウさんは正しい。ほんとに。
ロムルスさんからは相変わらず何も聴こえないけど、きっと純粋な悪意のオトがしていることだろう。
大変だったんだな…………ネリーアルスさん。げっそりしている。
「それで、女騎士。これは何をしでかしたんだ?」
「ホロウ殿……彼は、いや、こいつは……! コルバリウス様相手に軽口を叩いて……それで、あろうことか、侮蔑したのですッ!」
ひぇっぇ。
嘘だって言ってほしかった。
此方でもわかる。それはやっちゃダメなことだ。
アナスタシアさんがいたら泡を吹いて倒れるやつだ。
そのあとこってり叱られるやつだ。
「申し開きはあるか、阿呆」
「楽しかったよ♪」
「ぎるてぃぃィぃィいいいいッ!」
「だめ。ネリアだめ。はうす」
心底愉快といった様子の隠しきれていないロムルスさんは確信犯だ。
生真面目で騎士の鑑みたいなネリーアルスさんが後先考えずに殺害を断行するくらいには。
悪びれることもなく、挙句の果てには開き直ってしまうのだから、彼の扱いには誰もが苦慮することだろう。
「ネリア、ロムルスは私に助け舟をだしてくれた」
「わかっている……ッ! だが、それが諸悪の根源じゃないか……!」
「詳しく話せ、狂乱騎士」
「きょうら……? いや、その……ヨークは場に吞まれていたんだ」
「ん。頭が真っ白になって、何をすればいいのか分からなくなった」
此方にも覚えがある。
極度の緊張と逃れられないプレッシャーに晒されると、途端に全身から力が抜けてしまう。
思考しようにも手詰まりみたいに巡らない。
そんな状態のヨークさんにロムルスさんがどんな手段を使ったのか、ネリーアルスさんの様子から想像に難くない。
「大方、理解した。一概にこれが悪い訳でもないのか」
「いえ、それが……」
「ホロウさん、証拠は見つかった?」
「なんだ、藪から聖剣に……あるはあったが、どれも使いものにならない代物だ」
「ん。やっぱり」
「………………そうか、貴様。破棄しなかったな?」
こくりと頷いたヨークさんと、肩を落としたネリーアルスさんの正反対の様子を見て、此方は事の重大さに気が付いた。
ヨークさんは土壇場になって判断を翻したんだ。
此方たちが確たる証拠を見つけられなかった時に備えて。
シーバス某との縁談を断絶させない代わりに、彼らを追い落とすための糸口を残す。
ネリーアルスさんは大胆不敵なヨークさんの行動を、にやにやして人を弄ぶロムルスさんの性格に影響を受けたものだと思ったのか。
だから、親の仇みたいな形相と、憎悪に満ち溢れたオトが聴こえるんだ。
ヨークさんの尊敬と畏敬のオトから推察すると、あながち間違ってもいない恨みだから質が悪い。
「交渉停滞。それが今日の成果だ。キミたちはどうだったのかな」
「ふん。先も言っただろう。使い方次第だとは思うが、大した武器にはならないゴミしか見つからなかった」
「例えば?」
「重税の証明書、東側との交易記録、ナーサリーとかいう娘の血統証書、ファルガー領の予算帳簿。薄ら黒いところは皆無だ」
「収穫がなかったわけでもない。短時間でよく調べ上げたね」
「吾だけではない。アヤメの手際がよかったからな」
「……っ!? 此方ですかっ!?」
「ああ、貴様がいてくれて助かったよ」
ホロウさんはいつも正しい。ロムルスさんみたいに息をするように嘘をつかない。
だから、噓偽りなく此方を褒めてくれているんだとわかる。
純潔で孤高。静謐を兼ね備えた無垢なオト。
此方はホロウさんよりも脆弱な存在だ。
武力は言うに及ばず、精神や器用さ、人柄だって比べるまでもない。
ホロウさんが気にも留めなかったんだから、此方一人が騒ぐ必要はない。
あのお屋敷で感じた違和感。
【真実と幻惑の狭間】の誤作動だと思ったけど。
見逃すにはあまりにも大きすぎる違和感だったために、忘れ去ることができていない。
忠告するだけの確証がなくて、けれど無視はできない。
なら、此方の胸に留めておこう。
ヨークさんが方向転換してくれて助かった。
あのお屋敷には何かが隠されている。
自信をもって答えられないけど。此方の勘違いだと言われてしまえばそこまでだけど。
とても不穏で、ひたりひたりと背後から姿を見せずに迫ってきているような気味悪さがある。
ヘドロのような疑問だけが累積した捜索は静かに幕を閉じた。




