第五話:「絶望の果てに待つもの」
薄暗い森の中を、レオンは一人歩き続けていた。風が冷たく、枯れ葉が足元で音を立てる。サラに裏切られた心の痛みを振り払うように、歩くたびに深く息を吸い込み、自分の中の怒りと悲しみを噛みしめていた。彼はもう人を信じないと誓ったが、それでも心の中に染みついた傷は癒えず、彼の心はますます孤独なものへと変わっていった。
その夜、疲労困憊で朽ちた大木の下に腰を下ろしたレオンは、パイモンの力を思い出していた。この力を完全に使いこなすことで、世界を支配する暴力に打ち勝てる日が来るかもしれない。だが、力を追い求めるたび、彼の魂が少しずつ蝕まれている感覚があった。
眠りにつくと、レオンは暗闇の中へと引き込まれ、またしても虚無の空間にいた。周囲には何も見えず、ただ冷たい風が頬を撫でる。いつものようにパイモンの気配が感じられ、暗闇の奥から彼の姿がぼんやりと現れる。
「レオン、弱さを抱えたままでは、また裏切りに遭うだけだ。さらなる力が必要だとは思わないか?」
パイモンの冷ややかな声がレオンの耳に響く。彼の言葉には嘘がない。悪魔は嘘をつけない存在であり、それがまたレオンにとって皮肉でもあった。
「力がほしい……だが、俺は何を代償にすればいい?」
パイモンはしばらく沈黙し、そして再び低く響く声で答えた。
「その心に刻まれた怒りと憎しみがあれば、お前の血の契約はさらに強固なものとなる。だが、さらなる力を得るためには、他者の魂を捧げることが必要だ」
レオンはしばらく考えたが、最初は理解できなかった。しかしその意味を反芻するうち、彼は震えを覚えた。この契約には、他人の命を糧とする非情さが含まれている。サラに裏切られ、他人への情けを捨てた彼だが、それでもなお、ただ力のために人を犠牲にすることに戸惑いがあった。
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朝が訪れると、レオンは再び森の奥深くへと進み始めた。すると突然、茂みの中から巨大な影が現れ、鋭い牙と血走った目で彼に襲いかかってきた。体は黒く、鱗のような硬い皮膚で覆われた魔物だった。レオンは即座に剣を構え、目の前の敵に立ち向かう。
「来い、俺はもう負けない!」
叫ぶと同時に、レオンはパイモンの力を借りて身体を強化し、圧倒的な力で魔物を打ち倒した。しかし、魔物はただの獣ではなかった。倒れたその体からは人間の手が突き出ており、かつて人だったであろう証が見え隠れしている。
息を呑むレオンに、パイモンの冷たい声が脳裏に響く。
「この世界では、弱い者は姿を変え、強者に喰らわれる。お前がもし何も持たなければ、やがては彼らと同じ運命を辿るだろう」
レオンは歯を食いしばりながら、目の前の倒れた魔物の亡骸を見つめた。そして、パイモンの契約が彼に与えた力の重みを痛感する。敵を殺して力を得ることは、やがて自分をも蝕んでいくのだと悟ったのだ。
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その後も、レオンは幾度となく森の中で凶暴な魔物たちに遭遇し、戦い続ける日々が続いた。しかし、彼は少しずつ限界を感じ始めていた。パイモンの力を使いすぎたせいで、精神がすり減っていくような感覚があった。
そして、ある日の戦いでついに力尽き、彼は魔物の群れに圧倒されてその場で命を落としてしまった。痛みが体を突き抜け、意識が薄れていく中、再びあの絶望的な感覚が押し寄せてくる。
次の瞬間、彼は最初に異世界に来た瞬間に戻されていた。周囲の光景は全く変わっておらず、彼がこれまで苦労して築いてきたものは何も残されていなかった。
「また……ここか……」
虚ろな目で周囲を見回し、彼は愕然とした。どれだけ努力しても、死んだ瞬間にすべてが失われる。彼が築いた人間関係や経験すらも、死に戻りによって無意味なものへと変わるのだ。この果てしない絶望の連鎖が、彼の心をさらに蝕んでいく。
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死に戻りを繰り返すたびに、レオンは自分の存在が薄れていくような感覚に陥っていた。いくら戦い続けても、すべてが無意味になるのなら、彼が求めるのは最終的な力と復讐だった。そしてそのためには、自分の内なる恐怖や良心を捨て去る覚悟が必要だった。
「俺は、ただの駒じゃない……」
レオンは震える手を握りしめ、これからも戦い続けることを自分に誓った。パイモンの力に依存することで、自分の存在を確かなものにすることができる。絶望の果てに立つ彼は、やがて自分が目指すべき目的のために、どれだけの代償を払うべきかを理解していた。
彼の心の中には、パイモンとのさらなる契約が頭をよぎっていた。それはさらなる力を手に入れるための代償として、他人の魂を捧げることを意味している。しかしその道を歩むことで、彼は自分の魂までもが深い闇に染まっていくことを感じ取っていた。