ねことわたし
猫は1日に16から20時間を睡眠に費やす。寝る子と書いてねこと呼んで差し支えない。
寝るのが大好きか、というとそういうわけではなく、狩りをするためのエネルギーを温存しておくためだ。
狩りのために寝る。生きるために寝る。
それが猫たちが編み出した生存戦略なのだ。
だから、うちの猫も。
決して、チュールとか、カリカリの餌が与えられる安心感から、ぐうたら寝ているわけではない。
「にゃおん」
ゴロゴロと喉を鳴らして、甘えてくる。お腹が空いたから、ごはんをくれ、という合図だ。
「そうかそうか、抱っこしてほしいんだな、甘えん坊め」と、猫の意を汲み取らず、ついつい抱きかかえては、ホールドしてしまう。
「ほぎゃあ」
ちがう、そうじゃない、と言わんばかりの鳴き声と、必死にふところから抜け出そうともがく。
そんなことをしていると、ご主人様なのに、避けられたり、名前を呼んでも聞き耳は立てるが、近づいてくれなかったり。
粘着が嫌われるのは、人でも同じことで。愛情を注ぐのは良いことではあるが、かけすぎて相手を不快にさせては、本末転倒なのだ。
まあ、そんなことも、誰かが注意やアドバイスをしてくれないと気づかないもので。猫がなんと言おうが、おかまいなし。
「痛い痛い爪を立てるな、あ、コラ、逃げないで」嫌がっているのに、それを続けると、まあ、こうなる。それでも、ついつい、そうしてしまう。
猫になりたい、と思うことがあるが、猫も猫で大変なことがあって、猫になってしまったら、たぶん、人に戻りたくなるに決まってる。
「はあ〜、癒やしおくれよ
藁じゃなくて、猫にすがりたいんだよお
代わりに働いておくれよお」
社会は、本当に理不尽で溢れている。
もちろん、その境遇にあるのは私だけではない。ではないが、よそはよそで、うちはうちである。
自分の問題で精一杯だというのに、どうして周りに気を配れようか。元気なんて配ってたまるか。少ないんだから。
こうして今日も猫から何かを吸い上げようと、抱いては猫の機嫌を損ねて、それでも猫は忍耐をもってご主人様に仕える。
かわいいんだもの。猫だもの。
ねこにとっても、人にとっても、
かけがえのないパートナーであれば、それで。