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8.不穏な空気②

「セピア様! ごきげんよう」

「……聖女様もいらっしゃったのですね」


 まさか公爵様の前で名前を呼ぶなんて……!

 けれど公爵様は指摘することなく、警戒するような表情でビリジアンを見ていた。


「ええ。かつては同じ聖女候補で、わたくしに仕えてくれているアイリスが怪我をしたと聞いて心配で……ですが元気そうで良かったです」


 まるで余計なことを言うなよと釘を刺すように、ビリジアンに鋭い視線を向けられる。

 そんな怖い顔をせずとも、ここは大人しくしておくつもりだ。


「お気遣いに感謝いたします。アイリス、これから食事か?」


 聖女という称号に明確な身分の記載はされていないが、貴重な存在で国民からの熱い支持もあり、貴族たちは王族相手のように敬意を払っていた。

 公爵様もビリジアン相手に言葉では敬意を払っていたが、彼女に一言声をかけた後はすぐ私のそばまでやってきた。


「はい、そうです」


 神官が食事を届けてくれた直後にビリジアンが来てしまったため、食事など手につける余裕がなかった。


「では私も共にして構わないか?」

「もちろんです!」


 コクコク頷くと、公爵様は嬉しそうにふっと微笑む。

 その笑みは大変珍しいらしく、ビリジアンやお付きの人たちも驚いたようにこちらを見ていた。


「あの、セピア様……!」

「私が彼女のそばにいるので心配無用です」


 その姿に魅了されたのか、頬をほんのり赤く染めながらビリジアンが公爵様に声をかけたけれど、どこか冷たい声で突き放されていた。


「……っ、ですがわたくしは聖女として」

「彼女の婚約者として、その責任を私に果たさせてください。それに聖女様はお忙しいでしょう」


 公爵様はチラッとお付きの者に視線を向ける。

 無言の圧を感じ取ったお付きは、ビリジアンを説得し慌てた様子で部屋を後にした。

 去り際、ビリジアンは私を鋭く睨みつけてきたけれど……何もないことを祈るばかり。

 それより今は、公爵様にさらっと婚約者発言をされたことが頭から離れずにいた。


「彼女に何をされた?」


 二人きりになると、公爵様はすぐに先程のことを尋ねてきた。

 ひどく落ち着きのある低い声に、固い表情が少し怖い。


「聖女様は私を心配してくださって……」

「その言葉を私が信じると思っているのか?」


 ビリジアンは裏表が激しく、人前で良い顔をして多くの人から好かれている。

 もちろん公爵様の前でもそのはずなのだけれど……まるでビリジアンが悪だと決めつけている様子だった。


「それに髪も乱れている。隠す気ならもう少しまともな嘘を吐くべきだ」


 心配してくれているのだろうか。

 私の髪を手で整えてくれながら、そう言われた。


「本当に私は大丈夫ですので! 公爵様に心配していただくなど、身に余る光栄です」

「そうか、相当辛い思いをしたのだな。そばにいてやれなくてすまなかった」

「え、あの、公爵様……?」


 なぜか公爵様は謝罪したかと思うと、神官が近くのテーブルに並べた料理の中からスープを手に取り、ベッドのそばにある椅子に腰を下ろす。

 いったいどうしたのか戸惑っていると、スプーンで掬って私の口元へと差し出された。


 ま、まさか私に食べさせようとしている……⁉︎


「まずは食事をとって心を落ち着かせると良い。話はそれからだ」

「そんな、公爵様に食べさせてもらうなど恐れ多い……!」

「今の私たちの関係は婚約者だ。何もおかしいことはない」

「あります! たとえ婚約関係であろうと公爵様は高貴なお方で……」

「これほど追い詰められている君の姿を見て、黙って見ていろというのか? 気にする必要はない」


 感じる……食べるか話すかどちらかを選べという圧が!

 こんな強引な迫り方はずるい。むしろ公爵様に追い詰められている。


「アイリス。君が心配なんだ。どうか最低限の食事くらいは……」

「は、話します! 全て話します!」


 そんなの前者を選べるわけないし、たとえ選択しても洗いざらい話すまでは解放してくれる気がしない。

 ここは大人しく白状しようと決める。


「では、この手は引っ込めるべきか?」


 せっかく公爵様が私のためにスープを飲ませようとしてくれているのに、その厚意を無駄にして恥をかかせるのはあるまじき行為だ。

 公爵様の言葉からもその意思が伝わってくる。

 一度だけだから……と思い、恐る恐るスープを口にした。

 まさか公爵様から食べさせてもらう日が来るなんて。

 恥ずかしさと申し訳なさと、色々な感情が私の中で混ざり合う。


「いい子だ。ほら、もう一度」

「ふえっ⁉︎」


 思わず変な声が出た。

 せっかく話をすることを取ったのに、公爵様はまた私の口元にスープを差し出してくる。


「あの、公爵様……自分で飲めますので」

「うん?」


 そんな優しい顔で聞き返されても……!

 絶対に聞こえているはずなのに。

 可愛い仕草にキュンとしつつ、羞恥心に苛まれながらスープを口にする。


「待ってください! これ、以上は……!」


 それを繰り返そうとしてきたため、咄嗟に公爵様の手首を掴む。


「君から触れてくるなんて、随分積極的なんだな」

「ち、違います! 公爵様が私に……私に」


 言葉にするのも恥ずかしくて詰まらせていると、公爵様が笑い出した。


「すまない、少しやりすぎたな。顔もこれほどに赤くなって」


 躊躇いなく私の頬に手が添えられた。

 あまりにも積極的な姿に、まるで私のことが好きなのではと錯覚してしまいそうだ。


「熱いな」

「昨日から公爵様の様子が変です……どうされたのですか」

「これが私だと言ったら?」

「そんなのあり得ません。私は公爵様のこと、そばで見てきたのですよ?」

「たった一、二年の話だろう」

「それでも私は公爵様のことをよーくわかっているつもりです!」


 だから、これは何かの間違いなのだ。

 たとえば……そう、初めてできた婚約者に対して距離感がわからず、手探り状態で詰めすぎているとか。

 もしそうだとしたら、かわいくて許してしまうだろう。


「残念だが、君は私のことを全くわかっていないようだ」

「そんなこと……」

「それより、全てを話してくれるんだろう? 先程は何かあったのか、私に教えてくれ」


 結局話を戻されてしまい、ビリジアンとあったことを話す。

 もちろんオブラートに包んで話そうとしたけれど。


「その……少し、聖女様を怒らせてしまったようです」

「彼女の黒い噂は耳に届いている。少しではないだろう」

「違います! 聖女様はその見た目通り、心優しく素敵な……」

「では髪が乱れていた理由は?」

「それは、えっと……髪に虫が! 虫がついてしまったんです!」


 オブラートに包むつもりが嘘に嘘を重ねてしまい、公爵様の表情が段々と曇っていく。


「私に二度も嘘を吐くとはいい度胸だ」


 こ、怖い。

 無表情ではなく、作られた笑顔を貼りつけているところが逆に怖すぎる。


「君は一人で抱え込むのが癖なのか?」

「それは……その、神殿には頼る人がいなかったので、自己解決することが求められる場所でして……!」

「私には頼る価値がないと?」

「と、とんでもございません!」


 公爵様がベッドに手を置き、私に近づこうとしてそれがギッと軋む。

 麗しいご尊顔が私の視界に映る範囲を増やしていき、このままでは耐えられそうにない。


「無能で身分の低い私が公爵様のような高貴なお方と婚約することが気に食わないようで、お怒りになられました! ですが本当に髪を掴まれた程度で、手を出されかけたタイミングで公爵様が来てくださったので助かったのです……!」


 そのため、今度こそ本当のことを全て話し、ようやく公爵様を納得させることができた。


「彼女は自分の立場をわかっていないようだな。君に手を出すなど、愚かな真似を……」


 だが何故か先程よりも公爵様が怒っている気がしたけれど、あえて触れないことにした。


「そ、れよりお話はどうなりましたか?」


 ここは話を変えるが吉と思った私は、今一番知りたかったことを尋ねる。

 私は無事にこの神殿から出られるのだろうか、と。


「ああ、君が神殿を出られることが正式に決まった。このような場所に君をいつまでも置いておけない。明日にでも経ちたいところだが、どうだ?」

「本当ですか……⁉︎ 嬉しいです、ありがとうございます公爵様!」


 この短時間であっという間に話を進めてしまうあたり、さすがだと思った。

 まさかこのような形で神殿を離れられる日が来るとは思っていなかったけれど、ようやく解放される日が来て自然と顔が綻んだ。



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