7.不穏な空気①
公爵様は部屋を出た後、私は再びベッドで横になった。
今日一日部屋で安静にするようにと言われてしまい、時間を持て余していた私は、今後について考えることにした。
懸念すべき点はいくつかあるけれど、まずは何といっても聖女であることがバレてはいけない。
この怪我を口実に結婚するのだ、もし聖女だとバレたら公爵様を騙したことになってしまう。
それに万が一公爵様が国王に報告して伝わってしまえば、搾取される未来が待っている。
他にも公爵夫人の座を狙っているビリジアンのことだったり、没落寸前の男爵家の令嬢で神殿では無能と言われている私が、公爵様と結婚することに反対する人もいるだろう。
その座に相応しくないからと引き摺り下ろそうとする人も出てくるかもしれない。
あとは家族、これも気がかりだ。私を売る形で神殿に入ってからは一度も連絡を取っていないけれど、公爵様との結婚を聞きつけ、祝金を寄越せと迫ってくるかもしれない。
がめつい人たちだから可能性は十分にあり得る。私を捨てた人たちのことにも頭を悩ませる日が来るなんて。
「はあ……」
もしかして私、結構な面倒事を抱えていないだろうか?
公爵様に迷惑をかけてしまう気しかしないのだけれど……やはりもう一度話した方がいいかもしれない。
うーんと頭を悩ませていると、ドアがノックされる。
返事をすると、過去に私を虐めたことのある神官が食事を持って部屋に入ってきた。
「失礼、します……お食事をお持ちしました!」
今まで私に敬語など使ったことはないのに、どういう風の吹き回しかと警戒する。
さらに出された料理はまるで神殿に訪れた貴族に出すようなものばかりで、余計に勘繰ってしまう。
「何が目的ですか」
「えっ⁉︎ い、いえ、俺はただ命令された通り……」
慌てているのが見てわかり、睨みつける。
もしかして料理に何か盛られているのだろうか。
「いりません。下げてください」
「そ、そんなこと言うなよ……! すまなかった! 今までしてきたことは謝る、だからどうか許してくれ!」
「……はい?」
突然神官は私に土下座して謝罪する。
さすがの私もこれには驚いて、間抜けな声が出てしまった。
「お、お前、ロドリアン公爵様と婚約するんだよな?」
「え、どうしてそれを……」
「俺もさっき聞いたんだ。それで、お前を丁重に扱うようにと命令を受けて……な、なあ! 虐めに加担したのはほんの出来心だったんだ。もう二度としないと誓うから、どうか許してくれ!」
なるほど。
この神官は私が公爵様に告げ口でもして、罰せられるかもしれないと怯えているんだ。
だとしたらいい気味だ。
少し虐めてやろうかと思ったけれど、これ以上悪目立ちはしたくない。
そもそも、すでに神官の耳に届いているということは、ビリジアンの耳にも入っているかもしれない。
だとしたら少し、いやかなり危険な気がする。
「本当に悪いと思っているなら、私の質問に正直に答えてください」
「あ、ああ! もちろん!」
「婚約したという話は、すでに神殿中に広まっているのですか?」
「俺の耳にも届いているから広まっているだろうな」
「では聖女様にも……」
その時、やけに部屋の外が騒がしくなり始めた。
「聖女様、お待ちください!」
「うるさい! 待てるわけないでしょう⁉︎」
げっ、と嫌な声が出そうになる。
部屋の外から怒りを露わにしたビリジアンの声が聞こえてきた。
まさか直接押しかけて来るとは思わなかった。
逃げるどころか立ち上がる間も無く、ビリジアンは勢いよくドアを開けた。
「せ、聖女様……どういったご用件で」
「わたくし、言ったわよね? 無能は立場を弁えて、調子に乗るなって」
お付きの者や神官すらもビリジアンの怒りに恐れ、止められなかった。
「どうして貴女がセピア様の婚約者になれるわけ⁉︎」
「怪我を負わせたことに責任を感じた公爵様が、私を娶ると仰ってくださり……決して好意があったわけでは」
「当然よ。落ちこぼれの貴女なんかをセピア様が本気で好きになるとでも思ってるの?」
目が怖い。
今すぐにでも人を殺ってしまいそうな目をしていて、彼女に視線を向けられなかった。
「けれど、そう……怪我が原因ね」
「……いっ⁉︎」
一瞬落ち着いたかのように見せて、ビリジアンは乱暴に私の前髪を掴む。
「だったらわたくしがこの怪我を治せば良いのね」
「そ、それはいけません聖女様! 今はまだお力が不安定で」
ビリジアンは額に巻かれた包帯を乱暴にとろうとしたけれど、お付きの者が慌てて止めに入る。
きっと、治癒ができずに本物の聖女ではないと怪しまれては困るからだろう。
「うるさい! 不安定不安定って、わたくしは聖女なのよ⁉︎ いつになったら前聖女のように力を使えるわけ⁉︎」
ああ、ビリジアンは本気なのだとその言葉で理解した。
本当に自分が聖女で、力が使えると信じている。
きっと汚い大人たちに騙され、煽てられ、自分は聖女だと思わせられているのだ。
「……何よその目は」
彼女もまた国の……国王の被害者なのだと思うと、哀れだった。
本当のことを話してあげたいけれど、それが正しい選択というわけでもない。
「わたくしを心で嘲笑っているのでしょう⁉︎」
「聖女様は私がそのような薄情な人間に見えるのですか」
「セピア様を奪っておきながら、よくもそのようなことを……!」
ビリジアンは手を振りかざし、打たれることを覚悟した私は瞬時に目を閉じる。
「ロ、ロドリアン公爵様……!」
直後、部屋の外にも控えていたビリジアンのお付きが、公爵様の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
ビリジアンはすぐに私から離れ、ドアに視線を向ける。
その後、公爵様が部屋に入ってくるなり嬉しそうに微笑んだ。