5.お堅い求婚
ビリジアンの件もあってか、その日の夜は中々寝付けなかった。
外の空気でも吸おうと思い、部屋を出る。
「……結婚かあ」
ビリジアンたちの会話を思い返し、気づけばそう呟いていた。
いくらまだ公爵様が若いとはいえ、いつ結婚してもおかしくない。当主として後継ぎのことも考えるのであれば、遅いぐらいかもしれない。
けれど、公爵様が誰かと結婚するイメージが湧かなかった。
どちらかといえば、生涯独り身で仕事に尽くしていそうだ。
そんな公爵様を、まさかビリジアンが狙っているとは思わなかった。
「……はあ」
なんて、人のことを心配している場合ではない。
私は結婚なんて夢のまた夢で、このままいけば生涯神殿で暮らすことになるだろう。
そんなの絶対に嫌だ。
何としてでもここを抜け出したいけれど……希望の光である公爵様には、使用人として雇うことすら拒否されてしまった。
公爵様との関係性は悪くないと思っていたが、どうやら私だけだったらしい。
完全に一線を引かれてしまい、自分でも思った以上にショックが大きかったようだ。
「平和だなあ」
夜の神殿は静かで心地いい。
神殿を訪れる人も夜はいないし、私を虐める神官や聖女補佐の人たちだって今は部屋でおとなしく寝ているだろう。
ホッと一息つけるこの時だけは悪くない。
「ずっと夜だったらいいのに」
外に出ると、風が冷たくて少し肌寒い。
上着でも持ってこれば良かったかなと思いつつ、今更取りに行くのは面倒でその場に座り込んだ。
顔をあげると綺麗な夜空が視界いっぱいに映る。
「綺麗……」
そういえば公爵様はさすがに寝ているだろうか。
もし起きていたらこの綺麗な夜空を見て欲しかったな……なんて。
公爵様に優しさに甘え、ついつい馴れ馴れしくしすぎたのかもしれない。
もう考えるのはやめよう。
今後は立場を弁えて公爵様に接するんだと心に決めた時、近くでガンッと大きな音が鳴る。
「やばっ、人……⁉︎」
さすがに誰かに見つかって、私を虐める人たちにでも告げ口されたら面倒だと思い、慌てて生い茂る草木の後ろに隠れる。
「くそ! どうしてバレたんだ! 急いで逃げないと……」
どうやら一人の神官が慌てた様子で走っていた……かと思えば。
「そんなに慌ててどうした?」
突如現れたのはまさかの公爵様だった。
あまりの緊迫した状況に、只事ではないと思わず息を呑む。
「少し話をしようと言っただけだろう」
「ぐっ……くそおお!」
神官が叫び声を上げたかと思うと、ゴオッと大きな音がして……ふと、私に影がかかる。
「……え」
視界に映ったのは鋭い刃の先。
直後、額に鈍い痛みが走ったかと思えば、ゴッと大きな音と共に私の意識はそこで途切れた。
◇◇◇
「ん……」
目が覚めると、私はベッドで横になっていた。
「アイリス!」
「へ……公爵、様?」
私の顔を心配そうに覗き込む公爵様が視界いっぱいに映り、間抜けな声が出てしまう。
そういえば私、どうしてベッドなんかに……しかもこのベッド、公爵様のでは⁉︎
「ど、どうして私が公爵様の……いっ!」
「大丈夫か⁉︎ まだ痛むだろう、安静にするんだ」
勢いよく起きあがろうとすると、突然額と頭に痛みが走る。
確か……公爵様と神官が一緒にいたのを見ていて、それから──
「あの、私ってどうなって……」
今の状況を尋ねると、なぜか公爵様は申し訳なさそうに顔を歪めた。
「すまない……全て私が招いたことだ」
「えっ……」
「実は私は神殿である人物を追っていたんだ。ここにずっと通う中でようやく見つけたが、相手は私に襲い掛かろうとして、魔法で突き飛ばした先に君がいた。それで……」
チラッと私を見ながら、言いにくそうに言葉を続ける。
「相手の手にしていた短剣の刃先が君の額を切りつけ、さらに相手と衝突したことで君は頭を打ち、気絶してしまったんだ。すまない、全ては周りを確認していなかった私の不注意だ」
つまり額の痛みは相手に切りつけられたからで、頭の痛みは衝突の時に打ってしまったから……なるほど、それは痛いはずだ。
「謝らないでください。むしろ私が夜に歩き回っていたのが一番悪いのです」
「君はこんな時ですら自分を責めるのか」
でも夜に部屋を出た私に非があるのは当然だ。
それに申し訳なさそうな公爵様を責められるわけがない。むしろ弱々しい公爵様が少し可愛いな……なんて思ったり。
「わっ、頭に包帯が巻かれてる……そんなに酷いのですか?」
話題を変えるため、質問をすると公爵様の顔がさらに苦しそうに歪む。
「……君の怪我一つ治せないなど、何のために神殿など存在するのだろう」
「えっと、公爵様……?」
「すまない。神官たちが神聖力で最低限の治療は施したようだが、出血を止めるのが精一杯で、このままだと額に大きな傷が残ってしまうようだ」
話を聞くと、公爵様の命で神官たちが夜遅くに召集され、私の治療に尽力してくれたらしい。
しかし神官たちの神聖力など微々たるもので、治癒には不向き。
治癒に優れていて、このような怪我を簡単に治せてしまうのは──
「聖女であれば、治せるはずだというのに……今の聖女はまだ不安定で能力を使うのは危険らしい」
公爵様の言葉にギクッとした。
不安定というのは言い訳で、実際には偽の聖女だから神官と同様の弱い力しか使えない。
そう、この怪我を治せるのは……私自身だ。
公爵様を安心させてあげたいけれど、それだと私が本物の聖女だとバレてしまう。
同時にそれは国に搾取される人生の幕開けに──うん、絶対に無理だ。
「わ、私は平気です!」
「平気なわけないだろう。このままでは君の将来にも影響が出てしまう」
将来というのは結婚とかだろうか。
確かに影響が出そうだけれど、その時は最悪結婚しなければいい。
「公爵様、私は別に……」
結婚などできなくてもいい。
そう口にしようとしたけれど、公爵様がそれを遮った。
「君は私でも構わないか?」
「……へ」
「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」
それは予想外の求婚……だった。
まさかこんな形で天下の公爵様に結婚の誘いを受けるなんて。
「あの、公爵様……早まってはいけません」
「早まってなどいない。私は本気だ。君に怪我をさせた愚かな私だが、結婚を許してくれるか?」
「結婚ではなく、その行動自体許しますので! いやそもそも怒ってません!」
「それはダメだ、責任を取らせてほしい」
この程度の怪我で結婚だなんて、義理堅すぎるのではないだろうか。
けれど一度決めたことを曲げるつもりはないらしい。
とはいえ、今はまだ焦りが勝っていて判断力が落ちているのだろう。きっと明日になれば自分の早まりに気づいて訂正してくれるはずだ。
となれば今を凌げればいいのだ。
「あの、いきなり結婚というのは急すぎるので、時間をいただけませんか?」
「……確かに急すぎたな。すまない、では婚約期間を経て君の好きなタイミングで結婚しよう」
いや、どうして結婚が確定事項なのだろうか。
どうも熱くなってしまっているらしい……早く公爵様にも休んでいただかないと。
「とりあえずもう休みましょう! 私はこれで……」
「安静と言っただろう。ここで寝るといい」
「ですが公爵様が」
「私は別の部屋で寝る。これぐらいはさせてくれ」
そう言って公爵様は先に部屋を後にした。
そこまで罪悪感を抱く必要はないのに……公爵様らしいけれど。
寝て起きたら全てが夢であることをと願いながら、私は再び眠りについた。