39.訪問①
時間はあっという間に過ぎていき、王太子殿下たちが訪れる日になった。
朝から屋敷は大忙しで、私も複数の使用人に身支度を手伝ってもらっていた。
「王太子殿下かあ……」
殿下は過去に何度か神殿を訪れており、言葉を交わしたことはないけれど、遠目で見たことはあった。
物腰が柔らかく、とても優しそうな印象を受けた。
しかし殿下はあの国王の息子だ。裏の顔を持ち合わせていてもおかしくない。
そんな殿下の婚約者はリラ・カトリンダ様という名前で、カトリンダ侯爵家の令嬢である。
ビリジアンの家であるティアン侯爵家のような後ろ暗い噂は聞いたことがないけれど、詳しい情報はわからない。
それに前回ビリジアンが主催したお茶会には参加しておらず、どのような方なのか全く想像がつかなかった。
無事に準備を終え、あとは殿下たちが来るのを待つだけになり、緊張感が私を襲う。
セピア様の隣でそわそわしながらその時を待った。
「それほど力む必要はない」
「うっ、何か失礼なことをしたらどうしようと思うと怖いのです……」
それを逆手に取られ、セピア様が責められたら申し訳ない。
「君がもし無礼を働いても問題ない」
「問題大ありです! セピア様にご迷惑を……」
「アイリス。君は君らしくいてくれればいい」
負の考えに囚われていると、セピア様が私の頬に手を添えた。
「できそうか?」
「……はい」
セピア様の優しい手つきが不思議と私を安心させる。
小さく頷くとセピア様は微笑んでくれ、思わず胸が高鳴ってしまう。
直後、殿下たちが間も無く到着すると聞き、私たちは出迎えのために外へ出た。
◇◇◇
王室の紋章が入った一台の馬車が屋敷の前に停まる。
中から男女二人が降りてきた。
どこか国王の面影を感じる見た目の王太子殿下と、桃髪紫眼の美しい女性の姿。
この女性が恐らく婚約者のリラ様だろう。
私とセピア様は形式的な挨拶をし、殿下はそれに応える。
「君が公爵の話していた婚約者だね」
「お初にお目にかかります。私、アイリス・ナディットと申します」
「堅苦しい挨拶はいい。楽にしてくれ」
殿下の言葉に感謝を述べ、顔をあげる。
言葉を交わしているのは私だけれど、殿下は先ほどからセピア様を気にしているのか、何度もそちらに視線を向けていた。
まるで相手の機嫌を伺うような様子に不思議がっていると、リラ様が殿下に小声で話しかける。
「あっ、そういえば彼女の紹介がまだだったね。私の婚約者のリラだ」
「アイリス様、はじめまして。リラ・カトリンダと申します」
「そんな、畏まらないでください……! 恐れ多いです」
明らかにリラ様の方が身分が高いのだ。私が敬うべきだろう。
「ではアイリスと呼ばせてもらうわね」
「はい……!」
一瞬焦ってしまったけれど、態度を変えてくれて安心する。
「公爵様もお久しぶりですわ」
リラ様はセピア様に対してニコッと笑っていたけれど、まるで作り物のようで少し怖い。
先ほど私に笑いかけてくれた時は温かみを感じたのに。
「……ご無沙汰しております、リラ様」
それに対してセピア様は微笑むことすらせず、感情の籠っていない冷たい声で返していた。
「まあ、わたくしまだ婚姻前で侯爵令嬢でしてよ。どうか今まで通り接してくださいませ」
「次に会う時は挙式の時ですので、予行練習と思っていただけたらと」
「正直、婚姻後もあの態度は変わらないと思っていたので驚きですわ」
なんだろう。
二人の間にすごく不穏な空気が流れている気が……!
表向きはお互い冷静だったけれど、何やら裏でバチバチ睨み合っているようだ。
「リラ、やめないか。すまない、公爵」
殿下が慌てたように二人の間に入り、それ以上大ごとにはならなかった。
もしかしてセピア様とリラ様は仲が悪いのだろうか。
けれどセピア様を怖がらず、堂々と接することができる女性は初めて見た気がする。
第一、セピア様は私以外にも関わりのある女性がいたんだ……喧嘩するほど仲が良いと言うため、もしかして二人は幼い頃からの仲だろうか。
そう思うと、なぜか胸がズキッと痛む。
「アイリス?」
つい二人の関係が気になってしまい、考え込んでいるとセピア様に声をかけられる。
「あっ、申し訳ありません。少しぼうっとしてしまい……」
「顔色が悪いな」
すぐに謝って笑顔を作ったが、セピア様は私の首元にそっと触れた。
「熱は……ないな。部屋で休むといい」
「いえ! 本当に大丈夫ですので……!」
「そうか。無理だけはしないでくれ」
セピア様に心配そうに見つめられ、胸の苦しみが不思議となくなっていく。
一度頷くと、セピア様は安心したように笑って私の頭にポンと優しく手を置いた。
「いい子だ」
「……っ」
そんな私たちのやりとりを聞いていた殿下とリラ様は、今のセピア様の姿を初めて見たのか、目を丸くしてこちらに視線を向けていた。
「噂は本当だったのね」
リラ様に至ってはなぜか嬉しそうに笑っていて、何だか嫌な予感がする。
何も起こりませんようにと願いながら、私たちは屋敷の中へと入った。




