38.苦しい過去③
「この国の多くの人々は、聖女がいるから国は安泰だと思っているだろう。しかし聖女の存在が全てではない」
「だから、クラレット様はご自分の怪我を……」
声が震える。
痛みを忘れないために自分の怪我を治癒せず、多くの人を不幸にしてきたと苦しんでいた。
この国を守るための行動が──
「私……何も知らないで」
堪えていた涙が溢れてしまう。
私はクラレット様の苦しみを何一つわかってあげられていなかった。
「アイリス、自分を責めるな」
セピア様は私を優しく包み込むように抱きしめてくれる。
「クラレット様は君を見ていると元気をもらえると、とても嬉しそうに仰っていた」
それは、セピア様がクラレット様から聞いた私の話だった。
「亡くなる前には君が心残りだと言っていた。実はその話を聞いた時、少し君に嫉妬してしまったくらいだ」
クラレット様が、私のことを……?
正直、クラレット様にとって最も大切な存在は家族やセピア様でら私は彼らの関係を越えられないと思っていた。
「クラレット様はとっくに見抜いておられた。君が一人で立ち向かうことに慣れ、誰かを頼ることも甘えることも知らないと。君はまるで太陽のように強くて明るく眩しい存在だったが、いつか抱えきれずに壊れてしまいそうで怖いと」
けれどクラレット様は分け隔てなく、私のことも大切に想ってくださっていたのだ。
「君と共に過ごしてクラレット様の言葉がよくわかった。君は自分をぞんざいに扱いすぎているようだ」
そんなの考えたこともなかった。
クラレット様やセピア様の目には、そう映っていたのか。
「君は自覚していないだろう? どうか今後は自分を大切にしてくれ。君はもっとわがままに生きていいんだ」
私を抱きしめてくれるセピア様の腕の中も、頭を撫でてくれる大きな手も、温かくて余計に涙が止まらなくなる。
「願わくば私を頼って、甘えてほしいのだが」
「せ、セピア様……」
「うん?」
私が涙声で名前を呼ぶと、すぐに耳を傾けてくれる。
「私……ずっと、これからどうしたらいいか、わからなくて、本当は聖女として、生きていくべきだろうと思ってて……」
「無理にその道を歩む必要はない。君が生きたいように生きればいい。君の望む道を阻もうとする者がいれば、私が必ず排除する」
クラレット様の意志を継ぐのなら、聖女として生きていくべきだとわかっていた。
けれど私に、その覚悟がなかった。
人を道具のように扱う国王の存在が恨めしいと同時に恐ろしくもあり、その未来を受け入れることができずにいた。
「本当、ですか……?」
「ああ、約束する。それに先程の話の続きだが、クラレット様が亡くなり聖女不在の今、死と隣り合わせという緊張感があるからこそ、騎士団や魔導士団は強くなっている部分が大きい。必ずしも聖女の存在が全てではないんだ。そのことで気に病む必要はない」
聖女の道を歩まなくてもいい……?
私が生きたいように生きていいのだろうか。
「今すぐ決めなくていい。ただこれだけは忘れないでくれ。私はいつでも君の力になるから」
「……っ、セピア様。ありがとうございます……!」
涙を隠すようにギュッとセピア様に抱きつく。
昨日は枕に顔を埋めて泣いていたけれど、今日は違う。
温もりと安心感に包まれながら、私はまるで幼い子のように思いっきり泣いてしまった。
◇◇◇
「……うう」
しばらくして落ち着いた私は、セピア様の前で大泣きしてしまったことに対する恥ずかしさに襲われていた。
「落ち着いたか?」
セピア様に声をかけられ、ビクッと肩が跳ねる。
落ち着いたけれど……今の私の顔、絶対にひどい気がしてセピア様に見られたくない。
まだ少しこのままでいたくて、ギュッとセピア様の服を掴む手に力を込める。
「まだ、離れたくありません……」
先程のセピア様の言葉を真に受けて甘えてしまったけれど、大丈夫だろうかと少し不安になる。
「そうか」
けれどセピア様はふっと笑みをもらし、再び私の頭を撫でてくれた。
そういえば、クラレット様もよく私の頭を撫でてくれていたな。
クラレット様との温かな記憶を思い出し、懐かしくなった。
正直私はこれからどうしたいのか、その答えはすぐに出そうにない。
ただ、後悔ばかりの選択はしたくなかった私は、自分自身と向き合うことを決める。
「……よしっ!」
いつまでもウジウジしていては何も始まらない。
自分に喝を入れ、ようやくセピア様から離れる。
突然私が動いたからか、セピア様は驚いたように私を見ていた。
そういえば、今の私の顔は泣いた後でひどいんだった!
慌てて俯き、セピア様に背中を向けて立ち上がる。
「セピア様、話を聞いてくださってありがとうございました! それから両親の件も……ようやく吹っ切れそうです」
「なぜ私を見て話してくれないんだ?」
すぐさま私の不審な行動を指摘され、ギクリとする。
「も、もう部屋に戻ろうかと……! セピア様はお仕事で忙しいと思うので」
「そうか、君にとって私はもう用済みなのか」
「ち、ちがっ……!」
どこか落ち込む声に、つい振り返ってしまう。
けれどセピア様は私の顔を見るなり、満足したように笑った。
「では今日は共に過ごそう。食事はもうとったのか?」
「ま……だ、です……」
セピア様に騙されてしまった。
最近、セピア様は私の扱いに慣れてきたのだろうか。私は何度も同じような方法で引っかかっている気がする。
とはいえ今はセピア様に直視されるのが恥ずかしく、視線を逸らしながら言葉を返した。
「なぜ顔を背ける?」
「今の私、ひどい顔をしている気がして恥ずかしくて……」
「私の目には可愛い君の姿しか映っていないが……」
「あああ! そのようなことを仰るのはやめてください!」
恥ずかしさが増すではないか。
私の反応を楽しむセピア様は、いつしか
「努力しよう。では、今から食事をとろうか。実は私も君に話したいことがあるんだ」
「話、ですか?」
いったい何の話だろうと思い、その場で尋ねてしまう。
「ああ。三日後に王太子殿下と、殿下の婚約者が屋敷にいらっしゃる」
「へえ、そうなんですね。王太子殿下と、婚約者……王太子殿下⁉︎」
セピア様があまりにも平然と話すため、普通に受け入れてしまったけれど、重大事項ではないか。
「わ、私もその場にいるべきでしょうか……? その、空気として扱っていただくことは」
「私の婚約者として紹介させてくれないのか?」
「うっ……それはそうなのですが」
「それにお二人とは長い付き合いになるだろうから、早めに顔合わせはしておいた方がいい」
「長い付き合い……ですか?」
詳細はわからなかったけれど、私も挨拶することが決まり、三日後に向けて忙しくなりそうだった。




